教師と生徒とアイツと俺と

本宮瑚子

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89. カウントダウン-3

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「そうか~、そりゃ今回のテストは楽しみだなぁ。二人とも期待してるぞ。まぁ、せいぜい頑張れよ? 報告楽しみにしてるからなぁ~」

 奈央の発言が面白くなかったはずの鬼オヤジは、どうせ成績の押し上げなど無理だろうと踏んで、溜飲を下げたらしい。厭らしそうな笑みで厭味いやみなエールを残すと、この場を立ち去って行った。
 あの鬼オヤジ、二人が宣言通りの成績を残せなかった場合は、きっと、ネチネチと小言を言い続けるに違いない。
 そんな鬼オヤジの背中を見る奈央は、本気モードに突入したのか、恐ろしいまでに目を細めている。
 そして、その細くなった目をそのままに林田へと移すと、

「由香、今日から一週間、家に泊まり込み。試験勉強するから」

 抑揚の無い声で命令を下した。

「ひっ!」

 固まっていたはずの林田が、奈央の言葉に恐怖し声を漏らす。が、直ぐに我に返り、慌てて反論を試みた。

「え、や、あ、あの奈央? 泊まり込みはちょっと……てかね? 勉強なんて無───」
「売られたのよ?」

 林田の反論は見事に遮られ、奈央は、一段と鋭く目を細める。

「由香だけじゃない。私もアイツに喧嘩を売られたの。売られた喧嘩は買わないと、ねぇ?」
「…………」

 目は据わり口端を僅かに上げる奈央に、青褪めた林田は勿論、背筋が凍った俺まで声を失くす。
 どうやら、奈央の負けず嫌いに火が点いてしまったらしい。更には、昔の血までもが騒ぎ出したと思われる。
 有無をも言わせないほど、凶器にも近い迫力ある奈央の視線に、

 『な、奈央ちゃん? ここはまだ学校なんだけど。そんな顔しちゃまずいでしょ!』

 なんて、当然言えるはずもない、我が身が可愛い俺は

「……諦めろ」

 と、林田の肩をポンと叩いた。

「そ、そんなぁ~」

 情けない声を出す林田に容赦のない奈央は、

「着替え用意したら直ぐに家に来て。食事の心配も要らない。寒がりの由香に合わせておでん作るから」
「げっ!」

 恐ろしい予告に、今度は思わず俺が反応してしまう。
 慌てて口を押さえてみても、しっかり奈央には届いていたらしく、鋭利な視線が俺を貫く。

「何か文句でも?」

 文句があったとしても、それを口にするのは自殺行為でしかないと知っている俺は、

「なんでもありません」

 早々に降参するしかない。

「だったら、さっさとこれ置いて帰らないと」

 そう言って、資料室へと向かって歩き出した奈央の後ろを、トボトボ歩く俺達。

「沢谷、何とかしてよ~」

 奈央に聞こえないように、小さく泣きついてこられても、

「俺が奈央に逆らえると思うか?」
「…………」

 無理だと悟ったらしい林田は、無言で頭を項垂れさせた。
 一週間、勉強漬け確定に恐れる林田と、おでん地獄がいつまで続くのかとおののく俺。
 二人分でもあの量なのに、三人分となったら一体どれほどの量になるのか……。

「何で沢谷が身震いしてんのよ。したいのは、私だっつうの!」

 林田はまだ知らない。勉強だけではなく、二重苦が待ち受けていることを。

「林田。おまえ、奈央んちまで走って来いよ?」
「はぁ?」
「いいから。とにかく目一杯体力使って、マンションまで来い!」
「無理ヤリ頭使わされんのに、体力まで使えるはずないじゃん!」

 林田、今の俺がしてやれるのはこれくらいだ。
 今に分かる。いや、今夜には分かる。これが精一杯の俺の優しさなんだと……。

 だから、体力使って、何が何でも最大限の空腹状態で来い!

「はぁ~」
「はぁ~」

 毅然と前を向いて歩く奈央の背中に向かって、数時間先の自分達の姿を思い浮かべる俺達は、深い、深い溜息を吐いた。





「……何……、コレ……」
「…………おでんだ」

 ジャージ姿で髪はボサボサ。メイクも崩れて茫然とする林田と、その林田に当たり前のことを教えてやる俺の前には、予想通り膨大な量のおでんが、業務用の鍋に沈んでいる。

「……ねぇ……沢谷って、もしかして大食い?」
「いや、至って普通だ」
「じゃあ、何でこの量!?」
「んな難しい質問、俺にすんな。いいか? 基本、奈央の作る料理に分量っつうもんはない。特に、鍋系、汁物形は、それが顕著けんちょに表れる傾向にある」
「はい?」

    奈央に聞こえないように、声を潜めて林田に語る。

「例えばだ。そばを二人前作るとすんだろ?」
「……うん」
「そばだけなら問題はない。問題はつゆだ。何故か、つゆだけが大量に作られる」
「えっ?」
「当然残るつゆは、つゆだけ飲めという有り得ない命令が下り、それが出来なきゃ雑煮に回して無くなるまで食べなきゃならない」
「っ!」

    絶句する林田は、漸く、我が身に降りかかった災いは、勉強だけに留まらないと理解したらしい。

「つまりな? 残すなんて勿体ない真似は許されない。朝昼晩と、なくなるまで食べさせられるし、それが奈央の料理を食べる上でのルールで、絶対だ」
「恐ろしいルールと、そんな頻繁に二人で食事してる仲だってのは良く分かった。女王奈央に従う、下僕げぼく沢谷の構図も痛いくらいに良く分かる」
「…………ルール以外のとこは気にしないでいい。とにかくだっ!」

 一週間おでんを食べ続けたくなかったら、死ぬ気で食えよ? と、付け足した俺に、林田は食べる前から白目を剥いていた。
 そんな此処でのルール説明は、

「何、ごちゃごちゃ言ってんのよ」

 キッチンから戻って来た奈央によって遮られた。

「い、いや……美味しそうだな……と思って……」

 立ったまま座っている俺達を見下ろす奈央を前に、林田はしどろもどろで返す。

「由香、遠慮しないで沢山食べて」

 差し出される皿と箸。それを受け取る林田の顔は険しい。
 それでなくても、俺が仕事を終え奈央の部屋に来るまでの間に、相当しごかれ勉強していただろうと思われる林田は、数時間前よりやつれた様にも見える。
 ボサボサになっている髪の毛も、発狂したいばかりに掻き毟むしった、そんなところだろう。
 あまりにも不憫だ。
 せめてもの情けで、奈央がまた何かを取りにキッチンへ消えた隙に、

「奈央は少食だからな。俺達二人で食えるだけ食うしかないぞ。気合い入れろよ?」

 ポケットにしのばせておいた差し入れを林田に手渡す。

「沢谷、やっと沢谷の言ってた意味が分かったよ。沢谷なりの分かりづらい優しさだったんだね……」

 そう言って、やっと俺の優しさに気付いてくれた林田は、渡した胃薬をギュッと握りしめた。

 食べても食べても減らないおでんも、何とか半分ほどになった頃。おずおずと、キッチンから新たな鍋を持ってきた奈央。
 どうやら、業務用だけでは入りきらず、別の鍋にも作ってたらしい奈央に、俺達は間髪入れず両手を上げて降参アピール。
 その後、二人仲良く胃薬の世話になった。

「ぐ、苦しい~。気持ち悪い~。つーか、何でこんな量になっちゃうわけ? どうして頭が良いくせに変なとこ抜けてんのよ~」

 と、ソファーに倒れ込み、腹を擦りながら嘆く林田に、

「…………気付くとこうなる」

 テーブルを拭きながら、珍しく奈央が気まずそうに口を尖らせる。
 胃は苦しいのに、天然な奈央もやっぱり可愛いと思ってしまう俺の顔は、自然と緩んでいたらしい。
 そんな俺に向けられるのは、林田からの白けた視線。

「きもっ」

 食べ過ぎが原因の他に、更に気持ち悪さを上乗せしてしまったらしい俺は、『ほっとけ!』と言う胸の内は隠して

「この後の勉強も頑張れよ」

 大人の振る舞いで、逃げるように立ち上がる。

「ご馳走さん。また明日な」

 奈央の頭を軽く撫で、おでんの詰まった重い身体を引きずるように、一人寂しく自分の部屋へと帰った。

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