教師と生徒とアイツと俺と

本宮瑚子

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93. カウントダウン-7

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 卒業式の準備も済み、会議の終了を告げられれば、他の先生達の誰よりも先に職員室を飛び出し、自宅へと急いだ。

 奈央が待つ自宅へと向かって……。

 明日の卒業式を終えたら、その足で空港へと向かう奈央とは、暫しの別れとなる。
 正直、寂しさは拭えない。寂しくないわけがない。だが、なるべく考えたくはなかった。
 嫌でも明日から寂しさに包まれるのならば、せめて今日だけは、そんなもの取っ払いたい。楽しい時間を二人で過ごしたい。そう思いながら帰る俺の足は、一分一秒たりとも無駄にはしたくなくて、自然と加速度を増した。
 走って走って辿り着いたマンション前。
 国産の白い高級車が停車しているのを目にしても、さして気にもせずエントランスに飛び込もうとした、その瞬間だった。

「ねぇ。そこのお兄さん私と一緒にドライブしない」

 …………お兄さんって……俺か?

 突然の問い掛けに、キョロキョロと辺りを見渡してみる。見渡す限り、俺の他には、“お兄さん”と呼ばれるに相応しき人物は見当たらなかった。

 にしても、何だ。その古臭い誘い方は。しかも、全くの棒読みときてる。

    突っ込みどころ満載の声の主を視線で探せば、

「乗るの乗らないの、どっち?」

 白い車の運転席に座り、窓を下ろした淵に肘をついて、俺をにこやかに見る奈央がいた。

「奈央! おまえ、何やってんだよ!」

 直ぐさま方向転換し、運転席側へと駆け寄った。

「何って、人生初の逆ナンで、これからドライブ」
「ドライブって……。おまえ、分かってるか? 車を運転するにはだな、免許ってものが必要────」

 なんだぞ! と続ける言葉は、あるものによって遮られた。
 鞄から取り出された小さなカード。それを、葵の印籠いんろうのように突き付けてくる。

「それって……」
「免許証だけど?」

 奈央の細い指に挟まれた免許証に顔を近付ければ、そこに載っている顔写真は、紛れもなく奈央本人だった。

 ……偽造じゃねぇよな?



偽造の二文字が頭にチラつき、一応、訊く。

「それって本物か? てか、いつの間に教習所通ってたんだよ」
「本物に決まってんでしょ! こっそり通ってたの。敬介を驚かそうと思って」
「そりゃ、驚いたけどさ……」
「間に合って良かった。今日やっと免許取れたんだ」

 な、奈央ちゃん? 満足そうな顔で、免許証を眺めながら微笑む姿は可愛いんだけどな? 今の科白はマジなのか?

「俺の聞き間違いじゃなけりゃ、“今日”免許を取ったって言ったか?」
「そうだけど、何よその顔。何か文句でもあるの?」
「いや……、文句と言うよりは、一段と驚いただけだ。取れたてホヤホヤの免許で、俺をドライブに誘うって言う、その怖いもの知らずの奈央に」

 途端に、奈央が思い切り眉を寄せる。

「ふーん。乗りたくないなら別に良いけど?」
「そうは言ってないだろ? ただ、今夜は外でメシ食う約束してたろ? 予約もしてあるし、そっち行かないと」

 あまりにも無謀だと思えるドライブを、断念させるべく言ってはみたものの、

「だから、そこまで私の運転で行きましょ、って言ってんだけど」

 残念ながら諦めてくれる気はないらしい。
 ならばと、

「だったら、今日のところは乗り慣れてる俺が運転するからな? 奈央の運転はまた今度って……」

 本気で説得を試みようとした俺は、そこまで言って言葉を飲んだ。

 また今度って、いつだよな。



 明日には離れ離れになるというのに、考えなしに口にしてしまった自分に言葉を失くす。
 しんみりとした空気感が流れそうになるが、それを払うように、

「ならいいや」

 平然と言う奈央は、車をゆっくりと走らせる。

「敬介が嫌なら、他のお兄さんでもナンパしてくる」

 ついでに恐ろしいことまで口走り、

「はあっ? な、何言ってんだよ! 俺とのメシはどうすんだっ! つーか、他の男なんてナンパすんなっ!」

 焦った俺は、慌てて車の前へと飛び出し、両手を広げて前を塞ぐ。
 人を轢くには遅過ぎる、徐行以下のスピードの車がピタリと止まると、急いで助手席側へと周り、ドアを開け乗り込んだ。

「最初から素直に乗ればいいのに」

 助手席に座るや否や、奈央は満足気に口の両端を上げた。
 まさか、本気で俺を置き去りにするつもりじゃなかっただろうけれど。ましてや、他の男をナンパするなんて考えたくもないし、しないと信じてもいるけれど。何しろ、相手にとったら俺を驚かせるなんてお手のもの。オマケに、俺を振り回すのを得意中の得意としている。ここで頑なに拒んだところで、別の攻め方で俺を翻弄するに決まっている。今みたいに……。
 どうせ心臓をバクつかせる羽目になるのならば、奈央の運転に付き合う方が賢明か、と覚悟を決めシートベルトを締めた。

「あのな、奈央? 高速は俺が運転するからな? 手前で止めろよ?」

 予約までの時間を考えれば高速を走らせるしかない。初心者に高速は無理だ。そこだけは何が何でも譲れない、身の安全のためにも。と、妥協案を突き付けるが、

「じゃあ行くわよ、試運転に!」

 嬉々として声を弾ませる奈央は、俺の話を聞くどころか、意気揚々とアクセルを踏み込んだ。

「ちょっ、コラ、試運転とか言うな!」

 余計、怖いだろうがよっ!



 強張る身体を守るように、シートベルトをギュッと掴む。

「敬介、そんな心配しなくても大丈夫だから。私、昔から車運転してたし」

 おい。昔からって、おまえは無免許運転までしてたのかよ。

「水野家の私有地で乗り回してただけ。そのお陰で運転には自信あるから任せといて」

 俺の思考を読み取ったらしい奈央は、違法な運転はしていなかったと、自信満々に誤解を解く。
 そして、それは本当なんだろうと思わせるほど、初心者にしちゃ巧みな運転だった。

「この車どうしたんだ?」
「水野のお屋敷にあるのを借りて来た」

 普通に会話が出来るほどには、怖さを感じさせない運転で、これなら高速も大丈夫かも、と思考の隙間を掠めたくらいだ。

 しかし、そんなことを一瞬でも思った俺は甘く、愚かだった。

「な、奈央ちゃん? ちょっとスピード落とそうか」
「……」
「うわっ! 奈央っ! いいからスピード落とせっ!」
「⋯⋯ふふふふ」
「前を走る車、全部抜かしてやろうとか、無謀なこと考えんなーーっ!」

 俺の言うことも聞かず、迷いもせずに高速に乗り込んだ奈央は一変。目をギラつかせて俺の言葉なんて届いちゃいない模様。
 風を切って加速して行くスピードの中。悲しいかな、俺の絶叫は無残にも流されて行った。


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