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95. カウントダウン-9
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時刻は零時。
チェスでのバトルも終わり時計を見れば、寝るべきかどうか、一応、考えざるを得ない時間帯となっていた。
しかし、夜に強い俺と奈央は、日付が大幅に過ぎてから寝ることも少なくはない。それを思えば、もう少し起きていても問題はないだろう。そう判断して奈央を誘う。
「映画でも観るか?」
「ううん、もう寝る」
可能な限り、今のこの時間を引き延ばしたいが為の提案は、間髪入れずに、あっさりと却下された。
すっと立ち上がった奈央は、洗面所へとスタスタと行ってしまう。まるで二人の時間に未練などないように。
「敬介も早く歯磨いてきなよ」
「……あぁ」
洗面所から戻って来た奈央は、本気で寝るつもりらしい。
二人の時間をもっと……。と、奈央も同じように思ってくれているとばかり思っていた俺は、肩を落としながら歯を磨いた。
「やっぱまだ眠くねぇし、奈央、先寝てろよ」
歯を磨き終え、ソファーで俺を待っていた奈央の隣に腰を降ろし、普通を装い言ってみる。
明日は卒業式もある。またまだ二人の時間を終わらせたくはないが、奈央に無理強いするわけにはいかない。
奈央が寝たら、せめて限りある時間でその寝顔を記憶に刻もう。どうせ、今夜は眠れそうにない。そう思っていたのに、
「いいから、寝るよ」
一人で寝るのが寂しいのか、奈央は引き下がらない。
だけど、一緒にベッドに入ったら……。考えるほどに俺は怖くて仕方なかった。
洗面所に行った時に気付いたことで襲われた恐怖。そこには、当たり前のように奈央が置いていた化粧品の数々が無くなっていた。最低限のものしか置かれていない。それが、奈央がいなくなるのだと改めて思い知らされ、情けなくも怖さに襲われた。
会話が続いてる内はいい。だけどもし、それが無くなったとしたら……。無音が広がる暗闇の中、怖さを伴うほどの寂しさが押し寄せて来るに決まっている。
腕の中にいる奈央を見ながら、込み上げてくるものを果たして堪えられるのか。正直、俺には自信がなかった。
だから、出来れば先に眠りについて欲しい。こんな情けない姿、奈央には見せたくはない。
奈央が明るく振舞っている以上、俺だって、笑顔で奈央を送り出してやりたい。
だから、せめて。せめて、奈央が夢見る世界に落ちてから、隣で抱きしめさせて欲しい。
「じゃあ、先行って布団温めといてくれるか? ちょっとだけ調べもんしたら直ぐ行くから」
奈央の留学を誰よりも理解していると自負はあっても、刻々と迫りくる別れに、どうしたって寂しさは募る。
それに気付かれぬよう、何とか奈央を先に寝かそうと誤魔化してみても、
「調べるものなんてないでしょ?」
「…………」
咄嗟に言葉を繋げない俺の嘘は通用しないらしい。
そんな俺を見て、奈央はニヤリと口端を吊り上げた。
「あのね、敬介。寝ようってそう言う意味じゃないんだけど?」
「……うん?」
そう言う意味じゃない? そう言う意味じゃないって事は、つまりは寝るって…………ね、ね、寝る!?
突然の爆弾発言に心臓は跳び跳ね、驚きに目を瞠った。
動揺を隠せない様子の俺が面白いのか、益々口元を緩め目尻を下げる。
……おまえ、ぜってぇ俺をからかって楽しんでんだろ! どうみてもその笑顔、小悪魔にしか見ぇねぇんだけど。
「私、そういう意味の“寝る”も込みかなぁって、逆ナンしてみたんだけど?」
小悪魔は意味深な笑みを止めようとはしない。
「こ、こらっ、大人をからかうなっ!」
いくら暗い雰囲気にしたくないとは言え、そう言う冗談は本気で勘弁してほしい。デリケートな俺の心臓には、その冗談は負担が大きすぎる。
そんな男心を翻弄するが余程楽しいのか、更なる発言で俺は一層追い詰められた。
「別にいいじゃない。それにちゃんとこの家にはゴムも用意されてるみたいだし」
「ね、ねぇよ、んなもん!」
「そう? 洋服片付けてたら、クローゼットの奥に見つけちゃったんだけどな」
「……っ!」
ま、マジかよ。俺さえ忘れてたものを、まさか奈央に見つかるとは……失態だ。
そんなもん、さっさと捨てときゃ良かった、と今更嘆いたところで、もう遅い。
「うふ」と、おどけて笑う奈央から、誤魔化す道を絶たれた俺は、
「あ、アレは昔のだ、昔の! 今は使ってねぇからなっ!」
しっかりと言い訳だけは主張して、存在を認めるしかない。
「そんなのは分かってる」
「だったら、欲求不満な男の性を刺激するようなこと言うなっ! あんまからかうと、痛い目見るぞー。俺に襲われて、明日、動けなくなっても知らねぇからな。卒業式どころか、N.Yにも行けなくなるかもなー」
「……」
「分かったら、さっさと寝ろ寝ろ」
小悪魔に対抗すべく、開き直りの冗談を交えて奈央の額をコツンと小突いた。
全く、この小悪魔ときたら、どれだけ俺を甚振いたぶるつもりだ。第一、万が一にでも奈央を抱いたら、本気で行かせたくなくて、悪足掻きでもしたらどうすんだ。
そんな男の葛藤と機微など知らず、
「ふーん、動けないねぇ。でも言ったでしょ? もう後戻りは出来ないって。何があっても私はN.Yに行くの!」
生意気な姿勢を崩さない奈央には、脅しにもならないらしい。
しかし、口調は生意気なのに、額に手を当て俯いた奈央は、そのまま固まったように動きを止めた。
軽く小突いたつもりだったが、思ったより力が強かっただろうか。
「奈央、悪い。そんな痛かったか?」
髪の毛と手が邪魔して見えない顔を覗き込めば、小さな息を吐き出した奈央は、俺と視線を合わせるなりニッコリと笑った。
「敬介が何を言っても、私はN.Yに行くよ。だから、餞別ちょうだい?」
「……餞別?」
「そう。冗談で言ってるんじゃない。敬介の……敬介の全部が欲しい」
「え……」
奈央の口元は弧を描き笑みを浮かべている。でもそれは、今日見てきたどの笑顔とも違うもので、潤む瞳に力を入れ、何かに堪えるように意識して作られているものだと気付く。
「……敬介……抱いて欲しい」
必死に笑顔を保とうとする奈央の声音は、明らかに震えていた。
「お願い……敬介……」
繰り返す奈央は、俺にしがみつき胸に顔を埋める。
「本気か?…………本気で言ってるのか?」
喉の渇きを覚えながら確かめれば、俺の胸に預けた奈央の頭が頷きを見せた。
抱きつく奈央を、静かに引き剥がす。
そして────……。
壊れものを扱うようにそっと両腕を伸ばし、横抱きに奈央を抱えると、無言で立ち上がり寝室へと向かった。
チェスでのバトルも終わり時計を見れば、寝るべきかどうか、一応、考えざるを得ない時間帯となっていた。
しかし、夜に強い俺と奈央は、日付が大幅に過ぎてから寝ることも少なくはない。それを思えば、もう少し起きていても問題はないだろう。そう判断して奈央を誘う。
「映画でも観るか?」
「ううん、もう寝る」
可能な限り、今のこの時間を引き延ばしたいが為の提案は、間髪入れずに、あっさりと却下された。
すっと立ち上がった奈央は、洗面所へとスタスタと行ってしまう。まるで二人の時間に未練などないように。
「敬介も早く歯磨いてきなよ」
「……あぁ」
洗面所から戻って来た奈央は、本気で寝るつもりらしい。
二人の時間をもっと……。と、奈央も同じように思ってくれているとばかり思っていた俺は、肩を落としながら歯を磨いた。
「やっぱまだ眠くねぇし、奈央、先寝てろよ」
歯を磨き終え、ソファーで俺を待っていた奈央の隣に腰を降ろし、普通を装い言ってみる。
明日は卒業式もある。またまだ二人の時間を終わらせたくはないが、奈央に無理強いするわけにはいかない。
奈央が寝たら、せめて限りある時間でその寝顔を記憶に刻もう。どうせ、今夜は眠れそうにない。そう思っていたのに、
「いいから、寝るよ」
一人で寝るのが寂しいのか、奈央は引き下がらない。
だけど、一緒にベッドに入ったら……。考えるほどに俺は怖くて仕方なかった。
洗面所に行った時に気付いたことで襲われた恐怖。そこには、当たり前のように奈央が置いていた化粧品の数々が無くなっていた。最低限のものしか置かれていない。それが、奈央がいなくなるのだと改めて思い知らされ、情けなくも怖さに襲われた。
会話が続いてる内はいい。だけどもし、それが無くなったとしたら……。無音が広がる暗闇の中、怖さを伴うほどの寂しさが押し寄せて来るに決まっている。
腕の中にいる奈央を見ながら、込み上げてくるものを果たして堪えられるのか。正直、俺には自信がなかった。
だから、出来れば先に眠りについて欲しい。こんな情けない姿、奈央には見せたくはない。
奈央が明るく振舞っている以上、俺だって、笑顔で奈央を送り出してやりたい。
だから、せめて。せめて、奈央が夢見る世界に落ちてから、隣で抱きしめさせて欲しい。
「じゃあ、先行って布団温めといてくれるか? ちょっとだけ調べもんしたら直ぐ行くから」
奈央の留学を誰よりも理解していると自負はあっても、刻々と迫りくる別れに、どうしたって寂しさは募る。
それに気付かれぬよう、何とか奈央を先に寝かそうと誤魔化してみても、
「調べるものなんてないでしょ?」
「…………」
咄嗟に言葉を繋げない俺の嘘は通用しないらしい。
そんな俺を見て、奈央はニヤリと口端を吊り上げた。
「あのね、敬介。寝ようってそう言う意味じゃないんだけど?」
「……うん?」
そう言う意味じゃない? そう言う意味じゃないって事は、つまりは寝るって…………ね、ね、寝る!?
突然の爆弾発言に心臓は跳び跳ね、驚きに目を瞠った。
動揺を隠せない様子の俺が面白いのか、益々口元を緩め目尻を下げる。
……おまえ、ぜってぇ俺をからかって楽しんでんだろ! どうみてもその笑顔、小悪魔にしか見ぇねぇんだけど。
「私、そういう意味の“寝る”も込みかなぁって、逆ナンしてみたんだけど?」
小悪魔は意味深な笑みを止めようとはしない。
「こ、こらっ、大人をからかうなっ!」
いくら暗い雰囲気にしたくないとは言え、そう言う冗談は本気で勘弁してほしい。デリケートな俺の心臓には、その冗談は負担が大きすぎる。
そんな男心を翻弄するが余程楽しいのか、更なる発言で俺は一層追い詰められた。
「別にいいじゃない。それにちゃんとこの家にはゴムも用意されてるみたいだし」
「ね、ねぇよ、んなもん!」
「そう? 洋服片付けてたら、クローゼットの奥に見つけちゃったんだけどな」
「……っ!」
ま、マジかよ。俺さえ忘れてたものを、まさか奈央に見つかるとは……失態だ。
そんなもん、さっさと捨てときゃ良かった、と今更嘆いたところで、もう遅い。
「うふ」と、おどけて笑う奈央から、誤魔化す道を絶たれた俺は、
「あ、アレは昔のだ、昔の! 今は使ってねぇからなっ!」
しっかりと言い訳だけは主張して、存在を認めるしかない。
「そんなのは分かってる」
「だったら、欲求不満な男の性を刺激するようなこと言うなっ! あんまからかうと、痛い目見るぞー。俺に襲われて、明日、動けなくなっても知らねぇからな。卒業式どころか、N.Yにも行けなくなるかもなー」
「……」
「分かったら、さっさと寝ろ寝ろ」
小悪魔に対抗すべく、開き直りの冗談を交えて奈央の額をコツンと小突いた。
全く、この小悪魔ときたら、どれだけ俺を甚振いたぶるつもりだ。第一、万が一にでも奈央を抱いたら、本気で行かせたくなくて、悪足掻きでもしたらどうすんだ。
そんな男の葛藤と機微など知らず、
「ふーん、動けないねぇ。でも言ったでしょ? もう後戻りは出来ないって。何があっても私はN.Yに行くの!」
生意気な姿勢を崩さない奈央には、脅しにもならないらしい。
しかし、口調は生意気なのに、額に手を当て俯いた奈央は、そのまま固まったように動きを止めた。
軽く小突いたつもりだったが、思ったより力が強かっただろうか。
「奈央、悪い。そんな痛かったか?」
髪の毛と手が邪魔して見えない顔を覗き込めば、小さな息を吐き出した奈央は、俺と視線を合わせるなりニッコリと笑った。
「敬介が何を言っても、私はN.Yに行くよ。だから、餞別ちょうだい?」
「……餞別?」
「そう。冗談で言ってるんじゃない。敬介の……敬介の全部が欲しい」
「え……」
奈央の口元は弧を描き笑みを浮かべている。でもそれは、今日見てきたどの笑顔とも違うもので、潤む瞳に力を入れ、何かに堪えるように意識して作られているものだと気付く。
「……敬介……抱いて欲しい」
必死に笑顔を保とうとする奈央の声音は、明らかに震えていた。
「お願い……敬介……」
繰り返す奈央は、俺にしがみつき胸に顔を埋める。
「本気か?…………本気で言ってるのか?」
喉の渇きを覚えながら確かめれば、俺の胸に預けた奈央の頭が頷きを見せた。
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