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序章
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「くぁ…………っか」
抜けるような青空を仰ぎ見ながら、俺は誰に遠慮するでもなく、特大のあくびで顔の形を変えた。
ある目的があって、いつもよりも早めに家を出て学園に向かってはいるのだが、体のほうはまだしっかり起きていないようだ。
「よお、なに眠そうにしてんだ?」
「ぅん?」
聞き覚えの無い声に名前を呼ばれた気がして思わず振り返る。
……だが、声の主が呼んだ「眠そうにしてる奴」は、どうやら俺ではないらしい。
「あ、おはよう。今日早いねー」
「オマエも早いじゃん。何? 朝練?
でけーアクビしてさ」
「ヤダ……見てたの? もー、恥ずかしーなァ」
俺もアクビの大きさじゃ決して負けてはいなかったはずだが。
そんな俺の密かな対抗心を余所に、名も知らぬ二人の男女は楽しげに俺の視界から消えていった。
(…………はぁ)
朝っぱらから知らない男に声掛けられるって勘違いだけでも気が滅入るのに、女と仲良くご登校か。
こちとら、昨晩は遅くまでエロ動画のサンプル落としで、ロクに寝てないことを思い出して、更に憂鬱になってたってのに、まったく良い身分だ。
着ている制服も通う学園も性別も同じだと言うのに。
「ま。今更だな」
もっとも、別にそこで世の中がおかしいとか平等ではないとか、まして俺は可哀想な人間だなんて喚くつもりは毛頭無い。
今の俺がこうなったのは全て、俺が選び、行動してきた結果なのだから。
――――空気キャラ。
極めて端的に俺という人間を表すなら、その一言で事足りる。
様々な「俺」になれる可能性を全て放棄して、行き着いた今の俺の姿だ。
けれど、別に後悔は無い。
下手に悪目立ちしてイジメの標的になることもないし、面倒を押し付けられることも無い。
空気キャラってのも、極めれば案外いいもんだ。
それでも時折、今みたいに他人との接触をどこかで望んでいるようなリアクションを取ってしまうのは、まだまだ空気道の精進が足りないせいだな。
(失敗、失敗。今日も何事も無く、ただ過ぎていく一日であればそれでいい)
多くは望まない。
それが俺の選んだ生き方――――
「あっ、佐伯君っ」
「……っ!」
……のハズだった。
「あ……お、おはよ……祐天寺」
「んっ。おはよう。佐伯君」
屈託の無い笑みが、真っ直ぐ俺にぶつけられる。
受け流そうと思っても、それは俺の胸の中に浸透して、心臓の動きを早めてしまう。
今俺の目の前に立つ女子生徒、祐天寺 未来はクラスメートであり、絵に描いたような優等生であり、おまけに架空の存在だと思われていた学園のアイドルってやつだ。
本来なら接点なんて無いであろう彼女が声をかけてくるのは俺がクラスメートで、彼女が絵に描いたような優等生という奇跡が重なっているだけに過ぎない。
だから過剰な期待なんかしない。
してはいけない。
サラッと挨拶だけ済ませば、それでもういいんだ。
それで、もう……
「あ、え……と」
しかし――――
つい数秒前の目標が音を立てて崩れ、彼女との接触を一秒でも長く計るにはどうすればいいか、俺の脳が小賢しい計算を始めている。
「うん?」
が、あいにく経験値不足だ。
何気ない挨拶の後に続く小粋なトークなんて、対人コミュニケーションが極端に足りてない俺に出来るはずもない。
「え……っと。は、早いな、祐天寺」
俺はつい今しがた、記憶の中を通り過ぎてそのまま忘れるはずだった、名も知らぬ男女の会話を借りてみた。
「うん。部活の朝練があるからね」
おお、繋がった。
繋がりはした……けど。
俺の事前予習トークはそこまでだ。
「へえ……部活、ねえ。え、と……何だっけ?
新体操?」
「あ……佐伯君、知ってたんだ。うん、そうだよ。
新体操部」
内心、俺は「しまった」と唇を噛む。
いくら同じクラスメートだからって、普段ろくに話もしない相手の部活を俺が知ってるってのは、気持ちが悪いことか。
「あ、ああ。有名だからな、祐天寺は」
ここは「学園のアイドル」という肩書きに頼ってしまおう。
別に特別、祐天寺だから調べたってワケじゃない。
新体操部の朝練が今ぐらいの時間だということを知って、登校中の彼女と会えたりしないかな……?
なんて下心で眠い目をこすって、それ以外の用も無く無駄に学園に早く来ているなど、あるはずもない。
「んー、ちょっと照れるかな、有名なんて言われると」
居心地が悪そうにはにかむ祐天寺。
けれど実際、そうなのだから仕方が無い。
そんな、自分と対極の存在である彼女が、今こうして話しかけてきて、結果として一緒に登校しているという事実。
会話こそ途切れてしまったが、今日はもうそれだけで十分すぎる。
「そか……じゃあ、まあ、なんだ。
頑張って、部活」
俺はこれ以上の接近で自分という人間の薄さを彼女に
悟られないよう、離脱を試みるが。
「うん。でも大丈夫、まだ全然間に合うから」
「あ、そ……うなんだ」
「それより佐伯君、いつも来るの早いよね?」
「……えぁっ?」
「いつも……とは、どういう?」
という言葉が、表情に思いっきり出てしまっていたのだろう。
「ん? この時間に良く見かけるなぁ、って」
「あ、ぇ、あ……そう……かな?」
見られていた。
いつも見られていた。
いつも祐天寺に見られていた。
それが
「いつも祐天寺が、俺のことを見てくれていた……」
ってところまで解釈が飛躍するのに二秒ほど。
「何か学園に用事でも? 例えばー……
誰かと待ち合わせてる、とか」
「い、やぁ……まさか」
待ち合わせはしてないが、待ち伏せはしてるかもしれない。
もちろん、正直には言えないけど。
「なんていうか、さ……好きなんだよね」
「えっ?」
「…………朝の空気」
俺はおおよそキャラではないセリフを吐いて、彼女を煙に巻いた。
「君の髪から漂うシャンプーの香りが混じった……」
と文頭につければ、嘘偽りの無い言葉にはなるんだが。
抜けるような青空を仰ぎ見ながら、俺は誰に遠慮するでもなく、特大のあくびで顔の形を変えた。
ある目的があって、いつもよりも早めに家を出て学園に向かってはいるのだが、体のほうはまだしっかり起きていないようだ。
「よお、なに眠そうにしてんだ?」
「ぅん?」
聞き覚えの無い声に名前を呼ばれた気がして思わず振り返る。
……だが、声の主が呼んだ「眠そうにしてる奴」は、どうやら俺ではないらしい。
「あ、おはよう。今日早いねー」
「オマエも早いじゃん。何? 朝練?
でけーアクビしてさ」
「ヤダ……見てたの? もー、恥ずかしーなァ」
俺もアクビの大きさじゃ決して負けてはいなかったはずだが。
そんな俺の密かな対抗心を余所に、名も知らぬ二人の男女は楽しげに俺の視界から消えていった。
(…………はぁ)
朝っぱらから知らない男に声掛けられるって勘違いだけでも気が滅入るのに、女と仲良くご登校か。
こちとら、昨晩は遅くまでエロ動画のサンプル落としで、ロクに寝てないことを思い出して、更に憂鬱になってたってのに、まったく良い身分だ。
着ている制服も通う学園も性別も同じだと言うのに。
「ま。今更だな」
もっとも、別にそこで世の中がおかしいとか平等ではないとか、まして俺は可哀想な人間だなんて喚くつもりは毛頭無い。
今の俺がこうなったのは全て、俺が選び、行動してきた結果なのだから。
――――空気キャラ。
極めて端的に俺という人間を表すなら、その一言で事足りる。
様々な「俺」になれる可能性を全て放棄して、行き着いた今の俺の姿だ。
けれど、別に後悔は無い。
下手に悪目立ちしてイジメの標的になることもないし、面倒を押し付けられることも無い。
空気キャラってのも、極めれば案外いいもんだ。
それでも時折、今みたいに他人との接触をどこかで望んでいるようなリアクションを取ってしまうのは、まだまだ空気道の精進が足りないせいだな。
(失敗、失敗。今日も何事も無く、ただ過ぎていく一日であればそれでいい)
多くは望まない。
それが俺の選んだ生き方――――
「あっ、佐伯君っ」
「……っ!」
……のハズだった。
「あ……お、おはよ……祐天寺」
「んっ。おはよう。佐伯君」
屈託の無い笑みが、真っ直ぐ俺にぶつけられる。
受け流そうと思っても、それは俺の胸の中に浸透して、心臓の動きを早めてしまう。
今俺の目の前に立つ女子生徒、祐天寺 未来はクラスメートであり、絵に描いたような優等生であり、おまけに架空の存在だと思われていた学園のアイドルってやつだ。
本来なら接点なんて無いであろう彼女が声をかけてくるのは俺がクラスメートで、彼女が絵に描いたような優等生という奇跡が重なっているだけに過ぎない。
だから過剰な期待なんかしない。
してはいけない。
サラッと挨拶だけ済ませば、それでもういいんだ。
それで、もう……
「あ、え……と」
しかし――――
つい数秒前の目標が音を立てて崩れ、彼女との接触を一秒でも長く計るにはどうすればいいか、俺の脳が小賢しい計算を始めている。
「うん?」
が、あいにく経験値不足だ。
何気ない挨拶の後に続く小粋なトークなんて、対人コミュニケーションが極端に足りてない俺に出来るはずもない。
「え……っと。は、早いな、祐天寺」
俺はつい今しがた、記憶の中を通り過ぎてそのまま忘れるはずだった、名も知らぬ男女の会話を借りてみた。
「うん。部活の朝練があるからね」
おお、繋がった。
繋がりはした……けど。
俺の事前予習トークはそこまでだ。
「へえ……部活、ねえ。え、と……何だっけ?
新体操?」
「あ……佐伯君、知ってたんだ。うん、そうだよ。
新体操部」
内心、俺は「しまった」と唇を噛む。
いくら同じクラスメートだからって、普段ろくに話もしない相手の部活を俺が知ってるってのは、気持ちが悪いことか。
「あ、ああ。有名だからな、祐天寺は」
ここは「学園のアイドル」という肩書きに頼ってしまおう。
別に特別、祐天寺だから調べたってワケじゃない。
新体操部の朝練が今ぐらいの時間だということを知って、登校中の彼女と会えたりしないかな……?
なんて下心で眠い目をこすって、それ以外の用も無く無駄に学園に早く来ているなど、あるはずもない。
「んー、ちょっと照れるかな、有名なんて言われると」
居心地が悪そうにはにかむ祐天寺。
けれど実際、そうなのだから仕方が無い。
そんな、自分と対極の存在である彼女が、今こうして話しかけてきて、結果として一緒に登校しているという事実。
会話こそ途切れてしまったが、今日はもうそれだけで十分すぎる。
「そか……じゃあ、まあ、なんだ。
頑張って、部活」
俺はこれ以上の接近で自分という人間の薄さを彼女に
悟られないよう、離脱を試みるが。
「うん。でも大丈夫、まだ全然間に合うから」
「あ、そ……うなんだ」
「それより佐伯君、いつも来るの早いよね?」
「……えぁっ?」
「いつも……とは、どういう?」
という言葉が、表情に思いっきり出てしまっていたのだろう。
「ん? この時間に良く見かけるなぁ、って」
「あ、ぇ、あ……そう……かな?」
見られていた。
いつも見られていた。
いつも祐天寺に見られていた。
それが
「いつも祐天寺が、俺のことを見てくれていた……」
ってところまで解釈が飛躍するのに二秒ほど。
「何か学園に用事でも? 例えばー……
誰かと待ち合わせてる、とか」
「い、やぁ……まさか」
待ち合わせはしてないが、待ち伏せはしてるかもしれない。
もちろん、正直には言えないけど。
「なんていうか、さ……好きなんだよね」
「えっ?」
「…………朝の空気」
俺はおおよそキャラではないセリフを吐いて、彼女を煙に巻いた。
「君の髪から漂うシャンプーの香りが混じった……」
と文頭につければ、嘘偽りの無い言葉にはなるんだが。
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