絶対零度女学園

ミカ塚原

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氷騎士烈闘篇

トマトとニンニクのスパゲティ

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「報告いたします。破壊された魔導柱の応急修復が完了しました」
 そう氷の兵士の報告を受けたヒムロデは、青いローブのフードから覗く、不気味な白い肌をのぞかせて言った。
「うむ」
「ご指示どおり、他の魔導柱への通路も全て遮断しました」
「それでよい。あの柱そのものは至極単純な設備だ。外部から破壊されぬ限り、異常が起きる事はない」
 ヒムロデの声は、重みと鋭さと、独特の艶めかしさを備えたものだった。
「して、紫玉が倒されたとの報告はまことか」
「はい。どうやら侵入者は、例のレジスタンスの手練れとも接触したもようです」
「面倒だな」
 小さく舌打ちして、ヒムロデは窓の外の景色を見る。
「ときにヌルダの姿が見えぬが、奴は何をしておる」
「はい、ご自分の棟にこもって何やら研究を始められたようです」
「ふん…奴の悪い癖だ。数百年…いやもっと前から、全く変わらんな」
 小さな溜息が聞こえたのを、兵士は聞こえないふりをした。
「わかった。下がってよい」
「はっ、失礼いたします」

 兵士が去るのを待って、ヒムロデはフードを下げた。
「ラハヴェ様はあのように仰るが、あの侵入者…このままにしてはおけん」
 呟いて、テーブルの上のワイングラスを傾ける。紅いワインに、空のオーロラが不気味に映っていた。




 氷巌城第1層の通路を歩く瑠魅香は、道に迷っていた。
「どっち行けばいいんだろう」
『さっき、右の方から来たんじゃない?』
 頭の中で百合香が言う。ここは、広い通路の丁字に分かれた行き止まりである。さっきも似たような丁字の分岐で、さんざん口論したあげく左に曲がったあと、同じような丁字や、十字に交差する箇所などを何度も通って、今また似たような場所に出たのだった。
「どうしろっていうんだ」
『目印を置いたら?迷った時のために』
「それより、魔法で壁をぶち抜いた方が早くない?」
『そんな事したら、私ここにいますよ、って敵に教えるのと一緒でしょ』
 呆れたように百合香は言うが、瑠魅香は”伝家の宝刀”を持ちだした。
「それ、あの柱を破壊して敵の警戒を強めた張本人が言う?」
『ごめんなさい、ちょっと聞こえなかったわ』
「あっそ」
 いい加減歩き疲れたのか、瑠魅香はサジを投げて、癒しの間へのゲートを魔法の杖で探し始めた。白い冷気のエネルギー粒子を空間に撒きながら、見逃さないように観察する。
「今更だけど、場所が限定されるとはいえ、なんで癒しの間へのゲートがこの城にもあるんだろう」
『あれじゃない?例の、”ガドリエルでも知らない”案件』
「なるほど」
 百合香たちをサポートしてくれる”自称”女神のガドリエルは、”自分に知識がある理由がわからない”という奇妙な状況にある。
「確かに、会話してるとなんか機械的な感じはあるよね」
『うん…』
 何気なく相槌を打ったとき、百合香はふと思い出した事があった。
『あっ』
 思わせぶりに声を出すので、瑠魅香もつい何事かと立ち止る。
「どうしたの?」
『いや、ちょっとね』

 百合香は、奇妙な夢を連続して見た事を瑠魅香に説明した。
「ふーん。百合香はその夢で、知らない国にいたんだ」
『そう。夢の内容はどうしても思い出せなかったんだけど、今思い出した』
「赤い髪の巫女が出て来たの?」
 瑠魅香は問う。
『巫女かどうかはわかんないよ。なんか、私の知識では巫女というか、僧侶とか、そんなイメージがあっただけ。お姫様かも知れないし』
「位が高そう、ってことね」
『ざっくり言うと、そういうこと』
 百合香は、その赤い髪の女性の姿を思い出してみた。長い髪は前で分けられており、額には金色の飾りを懸けていた。服は豪華というわけではないが、足首まである長いローブに、装飾の入った紺色のカラーを被せてあった。手には何か持っていたような気がするが、思い出せない。
「二回目の夢は怖いね。百合香、夢の中で死んじゃったんでしょ」
『うん。目が覚めたとき、なんか落ち着かない気分だった』
「で、どうしてその夢を今思い出したの」
『わかんない。どうしてだろう。ガドリエルの話をしてたら、なぜか思い出した』
 うーん、と瑠魅香は考えてみたが、百合香がわからない事を瑠魅香にわかるわけもない。仕方なく、そのまま歩くのを再開した。

 すると、瑠魅香は何か音が聞こえる事に気が付いた。
「百合香、なにか音がする」
『音?』
「水が流れるような」
 言われて、百合香も耳を澄ます。
『あっ』
 確かに聞こえた。硬い通路に水の流れる音が反響している。
「行ってみよう」
『慎重にね』
 瑠魅香は、ゆっくりとその方向に進んでみた。音はだんだん近づいてくる。

 歩いた先は、通路を横切るように右から流れる広い水路だった。幅は50mくらいはありそうだ。水路を渡った先に通路が続いている。水路そのものは通路と違って暗く、奥が見えなかった。
「どうします?お嬢様」
『また変な日本語覚えて』
「百合香は泳げるの?」
 答えを待っている瑠魅香だったが、百合香は黙っていた。
「もしもーし」
『…泳ぎはあんまり得意じゃない』
「深いのかな」
 瑠魅香は、杖をゆっくり水の中に入れてみた。すると、瑠魅香の背丈ほどある杖がすっぽり入ってしまった。
「深いな」
『ここを通るのはやめた方がいいんじゃない』
「そうだね」
 満場一致で迂回が決定したところで、瑠魅香の耳に嫌な音が聞こえてきた。
「ん?」
 瑠魅香は振り返る。すると、背後からガチャガチャと、足音が聞こえてきた。
「げっ!兵士だ!」
『気付かれたか』
「おーし」
 瑠魅香は杖に魔力を込め、やって来る敵を待ち構える。やがて、おなじみナロー・ドールズが通路いっぱいに大挙してきた。
「おりゃーっ!」
 魔女としてその掛け声はどうなのか、と百合香は思ったが、瑠魅香が放った魔法のエネルギーは、ナロー・ドールズをまとめて吹き飛ばし粉々にした。
『こういう場面だと、私よりあなたの方が強いんじゃないの』
「そうかな」
『あっ、また来た!』
 百合香は、さらに足音が続いてきた事に気付いた。
「キリがない」
 唐突に瑠魅香は、水面に向けて杖を構える。
『ちょっと、何考えてんの』
 百合香は不安げに訊ねる。足音がさらに近付いてきた。しかし瑠魅香は、敵ではなく水面に魔力を放ったのだった。
『!?』
 百合香が何事かと思っている目の前で、水が凍結して不格好なボートが形成されたのだった。
「いくよ、百合香!」
『ちょちょちょ、ちょっと!』
 百合香が不安を訴える間もなく、瑠魅香は即席のボートに乗り込む。足場が大きく揺れ、百合香は生きた心地がしなかった。
『あぶない、沈む!!』
「失礼ね」
 瑠魅香は、沈んでもいない自前のボートへの悪評レビューに憤慨しつつ、魔力でボートを発進させた。背後では、駆け付けたナロー・ドールズが次々と水路に落ち、沈んだり流されたりと散々な目に遭っている。

 百合香の心配をよそに、ボートはゆっくりではあるが進んで行った。
『絶対沈むと思った』
「どんなもんよ」
『いいから早く渡って』
 百合香は水路の反対側に見える通路を睨む。しかし、それがどこに続くのかはわからない。

 その時だった。
『ん?』
 百合香は、ボートが突然強く横に逸れた事に気付いた。
『ちょっと、逸れてるわよ』
「あ、ほんとだ。ごめん」
 言われるままに、瑠魅香は魔力で進路を修正する。
 しかし、またしても進路が左に大きく逸れた。
『どうしたの?』
「水流が強くなってる!」
 瑠魅香は魔力で必死に進路を修正した。しかし、水流はさらに速さを増していく。
『ちょっと!』
「こんにゃろー!」
 瑠魅香は、渾身の魔力を込めてボートを通路に向ける。今度こそ進路を修正できたものの、速度は水流への抵抗のせいで、非常に遅くなってしまった。
「ゆっくりだけど、これで大丈夫」
『ふう』
「何なんだろうね、この水路」
 瑠魅香は水路の奥に目をこらしてみるが、やはり暗闇で奥は見えなかった。

 そして、ようやく水路の真ん中あたりまで到達した時だった。
 ボートを取り囲む水面に、無数の影が飛び出した。
「!?」
『なに!?』
 二人が驚いたその無数の影は、奇妙な丸い頭の氷魔だった。目はまるで眼鏡のように飛び出している。
「こいつらは…」
『瑠魅香、くる!』
 百合香は即座に瑠魅香に防御を指示した。すると、氷魔は突然丸いボールを取り出し、瑠魅香にむけて投擲してきた。
「うわっ!」
 瑠魅香は、慌てて魔法で防御する。どうにか弾き返したが、他の氷魔たちも同じようにボールを持ちだして、一斉に投げるポーズを取った。
『まずい!!』
「なんなのよ、もう!」
 瑠魅香は再び杖に魔力を込め、ボートの周りに魔法の障壁を形成した。それとほぼ同時にボールが全方位から飛んできて、障壁にぶつかって激しく砕けた。
「この!」
 瑠魅香は対抗して水面から多数の氷の塊を形成し、氷魔たちに向けて発射する。氷魔たちは頭部を砕かれ、そのまま水に沈んで行った。
『ナイス!』
「どんなものよ!…って、ちょっと」
 瑠魅香は、またしても青ざめた。同じ氷魔が、さらに何十体も現れたのだ。
「しつこいな!」
『来るよ!』
 やはり氷魔たちは同じように、ボールを一斉に投擲してきた。あまり知性があるようには思えないが、逆にそれが不気味だった。
 何十というボールを一斉に受けて、さすがに魔法の障壁も軋み始める。百合香は焦った。
『いっぺんにやっつけられないの!?』
「ああもう!」
 瑠魅香は、杖に力いっぱい魔力を込めた。巨大な電撃のスパークが起きる。

「砕けろ―――っ!!!」

 瑠魅香は、水面に思い切り電撃のボールを叩きつける。すると、水路全面にスパークが起きて、無数の氷魔は一瞬で粉々に砕け散ってしまった。
「これでどうだ!!」
『片付いたの!?』
「わかんない」
 二人は、注意深く水面を見守る。しかし、それ以上氷魔が現れる様子はなかった。
「ふいー」
 瑠魅香は胸を撫で下ろし、ボートにぐったりと座り込む。
「生きた心地がしなかった」
『あれ、ひょっとして…』
 百合香が何か考え込んだ。
「なに?」
『いや、うちの学校に水球部があるから』
「すいきゅうぶ?」
『うん。水に浮かんでボールを投げるゲーム』
 それを聞いて、瑠魅香は首を傾げた。
「人間って、わけのわからないゲームを考えるのね」

 
 どうにか、瑠魅香のボートは水路を渡ることに成功した。
「疲れたわ」
『そろそろ、癒しの間のゲートを探さないと』
「どこにあるかわかんないって、色々不便だなあ」
 瑠魅香は再び、魔力を放ってゲートをサーチする。しかし、そうそうすぐには見つからない。結局、ゲートを見付けたのはそこから5分くらい歩いた所だった。

「あー」
 いつものように、百合香は癒しの間に入るなり、鎧姿のままベッドに倒れ込んだ。
「おなかすい…」
 た、と言いかけて、百合香はまたしても、見慣れないものが出来ている事に気付いた。冷蔵庫の横に、大きな棚ができている。
「!」
 まさか、と思って百合香は棚に駆け寄る。そこにあったものを見て百合香は、嬉しさと困惑が入り混じったような、複雑な表情を見せた。
「これ…」
『なに?』
 半透明の瑠魅香も、百合香の横から棚を覗き込む。そこにあるのは、スパゲティやペンネだった。茹でる前の。
「甘かったか」
『何が』
 瑠魅香をよそに、百合香は冷蔵庫を開ける。中に入っていた缶を取り出すと、ドンと置いた。
『なにこれ。トマトソース、って書いてあるけど』
「瑠魅香」
 百合香は、戦いの時と同じくらい真剣な顔を向けた。
「あなたに料理を教える」

 ご丁寧に棚の隣には調理器具やコンロ、オーブンなどが据え付けてあった。どこからエネルギーを調達してるのかは不明であるが、それを言い出したら食材からして、どうやって現れるのかも謎だった。
 ともかく、「トマトとニンニクのスパゲティが食べたい」という百合香の願いは、自分で調理するというプロセス込みで叶えられる事になった。麺、ソース、その他の材料はご丁寧に全て揃っている。
『百合香は料理できるの?』
「できる」
 力強く百合香は答える。
「お母さんが家にいない事が多かったから、嫌でも覚えなきゃいけなかった」
『ふーん。料理って、しなきゃいけないの?』
 とてつもなく根源的な問いを、瑠魅香は投げかけてきた。
『動物は自然にあるものを直接食べてるよね』
「…そういう事は知ってるんだ」
『あのね。氷魔だって地球の事はそれなりに知ってるんだよ。知らないのは人間社会の情報。人工的な文明がある場所に、氷魔はあまり好んで近付かないから』
 なるほど、と百合香は頷いた。
「そういえばそうだね。人間は、生の食材をほとんど食べない」
『どうして?』
「…さすがにそこは、私の知識の範囲外だわ。けど、長い歴史の中で、人類は”加熱して食べる”っていう習慣が身についちゃったの」
 そこから、あれこれと百合香は知っている知識の範囲で「食と人間」について語りながら、瑠魅香に「トマトとニンニクのスパゲティ」の調理過程を披露したのだった。

「お、お、お、おいしい…なにこれ」
 百合香は瑠魅香と精神を交替して、手製のスパゲティを振舞った。フォークの使い方を何度も何度も教えたあとで。
「百合香って天才なの!?」
『ネットでレシピ覚えただけだよ』
「じ、人類はこんなおいしいもの食べてたのか…おいしい、ってこういう感覚なのか」
『ちょっと、私の分残してよ!』
 けっこうな勢いで器用にスパゲティを巻いていく瑠魅香に、百合香は焦ってストップをかける。3分の2ぐらいを食べたところで、ようやく瑠魅香は身体を返してくれた。
「…満足していただけたなら、良かったわ」
 残ったスパゲティを口に運びながら、百合香は少し残念そうに瑠魅香を見る。どっちが食べてもお腹に入るのは一緒なのだが、味わうという満足感が重要なのだと百合香は改めて知った。食べるというのは、単に栄養分だけを取り込む事ではない。
「…でも、しばらくこんな食事してなかったから、嬉しい」
 百合香の目尻には、涙が浮かんでいた。
『泣いてるの?』
「ソースがちょっと辛かっただけよ」
『百合香も泣き虫じゃん』
「うるさいわね」
 久しぶりの食事を挟んで、百合香は瑠魅香と語らいながら、それまでの疲れと痛みを癒した。この時間がこのまま続けばいいのに、と百合香は心のどこかで思っていた。
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