絶対零度女学園

ミカ塚原

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氷晶華繚乱篇

アイスフォン

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 ディウルナが言い放ったごく短い一言は、その場の全員を驚愕させるに十分だった。
「…何を言ってるの」
 百合香は、唇を震わせてディウルナに問うた。
「言ったとおりの意味だ、百合香くん」
「私が、人間ではないですって」
 引きつった笑みを浮かべながら、百合香は立ち上がる。
「何を馬鹿な事を言っているの。私は人間よ。いちいち言うのも馬鹿らしいわ」
「こう言っては失礼だが、馬鹿な事を言っているのは君かも知れないのだよ」
「どういう意味」
「ごく単純な話だよ。君は今、こう言っているのだ。この、極低温の城で凍結する事なく自由に歩き回っているが、私は普通の人間である、とね」
「あっ」
 百合香は、それまでさほど気にも留めていなかったシンプルな事実に、ハッとさせられて口をつぐんだ。
「そうだ。この氷巌城で、生身の人間が歩き回る事などできない。君が城に来る前に目撃したであろう、魔力で凍結させられた人々のようにね」
「そっ、それは…」
「いや、君が言いたい事はわかっている。君は間違いなく人間の両親が結び付いた結果誕生した、人間だろう。生物学的にはね」
 百合香は、母親の顔を思い浮かべていた。父親は百合香が物心つく以前に母親と離縁しているが、写真で顔は知っている。金融関係の仕事をしていたらしい、紛れもない人間だ。
「君をいたずらに不安にさらす気はない。だが、そろそろその疑問について考えてもいい頃合いだろう」
「…あなたは、何をどこまで知っているの」
 いつしか、マグショットの質問が百合香の質問に変わっていた。マグショットはこれ以上自分が喋る必要もないと考えたのか、テーブルの端に下がって座り込んだ。
「さきほどマグショットにも言ったが、何もかも知っているわけではない。だが、君が何者であるのか、興味がある…それに、単なる興味だけの問題でもない。今後の戦いと、君自身の心の安定にも関わってくる」
「教えて。知っている事を」
 百合香は、強い調子で言った。ディウルナは、しばし思案したのち、静かに語り始めた。
「まず、人間の定義はわかるかな」
「定義?」
「簡単に言おう。人間は、魂と精神、そして肉体という三つの要素が合わさって出来たものだ。突き詰めればひとつの存在だが、明確に区別される三つの要素にも分かれるのだ」
 それは、癒しの間で自称女神・ガドリエルにも言われた事だった。
「このうち、君の肉体は紛れもなく人間のものだ。そして、肉体を直接的に制御する精神もまた、人間に準ずる」
 そこでディウルナは、勿体ぶるように言葉を途切れさせた。百合香は、その言葉の示すものを考える。
 その時百合香が思い至ったのは、自分の胸の内側から生まれる、あの太陽の輝きだった。
「あ…」
「何か気付いたようだね」
 ディウルナは、百合香自身が何かに気付くのを待っていたようだった。
「そうだ。君が持っている、謎の力。それは、疑いの余地なく君の魂から生まれたものだ」
「つっ、つまり…」
 百合香は、結論を口にするのが怖くて言葉を噛んでしまう。すると、別な声が代わってくれた。
『つまり、百合香の魂は人間のものではない、という事ね』
 それは、ずっと黙っていた瑠魅香だった。ディウルナは答える。
「その通りだ」
『じゃあ、何なの。百合香の魂っていうのは、どういう存在なの』
「白状しよう。それはわからない」
 ディウルナは、降参のポーズを取った。
「私が断言できるのは、百合香くんの魂は人間をはるかに超越した"何か"である、という事だ。それに疑いの余地はない」
「でも、私は生まれてからずっと、人間として暮らしてきたわ!」
「そうかな?これは私の想像、推測になるが、時々、どうして自分はこの人間の世界に馴染めないのだろう、と思った事はないかね?」
 それは、百合香が思っている以上に百合香自身の何かを揺るがした。思わず、目まいを覚えてふらつき、テーブルに膝裏をぶつけた。
「…それは」
「君のプライベートな記憶、感情を傷つけたのなら、申し訳ない。だが、集団というものは常に、異質な存在を排除する意思が働くものだ。あるいは、自分たちより高い意識、能力を持った存在をね。極端な例を挙げれば、イエス・キリストのように」
 百合香以外の面々は、イエス・キリストとは誰だ、という表情をしていた。そして百合香にとって、キリストを引き合いに出されたのは二度目である。
「実は今、ある氷魔にその問題について、調べさせている。というより、その氷魔が自発的に、百合香くんの謎について調べ始めたのだ」
「…誰」
「伏せておこう。だが、君と面識がある」
 すると、マグショットが「ふん」と言った。
「また隠し事か」
「隠している事を白状した、という事で勘弁してほしい。それに、得られた情報は百合香くん、君に伝えると約束する」
 ディウルナは、百合香に正面から向き合ってそう言った。
「自分が何者であるかを知らなければ、自分を真に制御する事はできない。人間と同じ意識のレベルで、人間を超越した力を使いこなす事など、不可能だろう」
 それは、今置かれた百合香の状況を的確に言い表していた。百合香は、自分になぜ強大な力があるのかを理解していない。
「百合香くん、不安になるのは無理もない。だから、今は私を疑ってくれても構わない。何にせよ、真実は自分の手で掴まなくては意味がないからだ」
 百合香は、突然突き付けられた真実の一端に、心が揺らいでいた。しかしまた一方で、それまでの自分にひとつの説明がつく可能性に、静かな興奮も覚えていたのだった。
「私に、今言えるのはここまでだ。あとは、君自身に真実と向き合う勇気があるかどうかだ」
 それは、何となくマグショットに言われた言葉にも通じるものがあった。百合香は、どう気持ちを整理していいかわからず、へたり込むように椅子に腰を下ろした。
「…わかった」
 何がわかったのか自分でもわからないが、百合香はそれだけ言うと黙り込んでしまった。
「こんな所だが、納得して頂けただろうか、マグショット殿」
 ディウルナはあえて空気を読まず、強引にマグショットに話を振った。マグショットもそれを理解したのか、座り込んだまま答えた。
「わかった。調べが進んだら教えろ。俺も、弟子が不安定なままでは稽古がつけられん」
 その言葉に、百合香は少し気が楽になったようだった。ディウルナは、再びデスクに座る。
「もちろんです。さて、これでお話はよろしいですか」
「ああ」
 マグショットが手短に話を終わらせると、ディウルナは抽斗からいくつかの板状の物を取り出し、デスクに並べた。
「さて、時間もない。もうひとつの重要な問題についてです」
 そう述べるディウルナが並べたのは、魔法の通信アイテム、アイスフォンだった。オブラが身を乗り出す。
「持ってなかったのに、今度は一気に何台も揃えたんですか」
「そうじゃない。セブに伝えさせたとおり、君達のアイスフォンの魔力は切ったね」
 リベルタとオブラは頷いて、何も表示されていないアイスフォンを取り出した。
「よろしい」
「なぜ、魔力を切るように指示されたんですか」
 リベルタは不思議そうに訊ねた。すると、ディウルナの口からまたしても、衝撃的な情報が飛び出した。
「結論から言おう。このアイスフォンは、何者かによってその位置や、通信の内容が常に把握されているのだ」
「えっ!?」
 リベルタは、文字通り飛び上がるほど驚いた。椅子に立てかけてあった弓がバタンと倒れる。
「どっ、どういう事ですか!?」
「これもまた、言ったとおりの意味だ。このアイスフォンを制御している、極めて複雑な魔法のプログラムを解読した結果、位置情報を特定の何者かに送信する呪文が組み込まれていた」
 ディウルナは、取り出した1台を示して言った。
「いっ…いったい、誰が?」
「それは調査中だ」
「その…呪文を解き明かしたのは、ディウルナ様なんですか」
「私にはそんな技術はないよ。私の依頼でこれを解き明かしたのは、君達もよく知る氷魔だ」
 ディウルナはそう言って立ち上がると、さらに奥の部屋のドアを開け、一同を招き入れた。

 ディウルナの部屋の奥は、ごく短い連絡通路になっており、その奥のドアを開けると、そこは非常に既視感がある一室だった。
 壁には書棚がひしめき、並んだテーブルの上には、三角フラスコやビーカーなどの器具がひしめいている。青白いスパークが小瓶の先端に光っているが、これが炎の代わりになるのだろうかと瑠魅香は思った。
 すると突然、さらに奥の部屋からドカンという破裂音が響いて、もうもうと煙が漂ってきた。
「うわっ!」
「なにこれ!?」
 オブラとリベルタは焦って身構える。すると、煙の向こうから百合香には聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「◆▲&#x!!!」
 テレビでは放送できなさそうな罵声のあと、煙の中から逃げるようにして現れたのは、長髪の錬金術師・ビードロであった。
「ああもう!上手く行くと思ったのに!」
 爆発でさながらアインシュタインのようになった髪を力づくで直しながら悪態と溜息をついたところで、ビードロは自分に集中する視線に気付いた。
「ん?あら、百合香!」
 ビードロはまだアインシュタインが混じっている状態で、百合香に駆け寄ると肩を握った。
「無事だったのね!良かったわ」
「おかげさまで。…一体どうしてここにビードロの実験室があるの?」
 全員の疑問を百合香が代表すると、ビードロは左手でディウルナを示した。
「この新聞記者さんが、私に協力するなら上の階にも実験室を用意してくれる、っていうから」
「研究が捗っているようで何よりだ」
 軽い皮肉を言ったあとで、ディウルナは全員を見た。
「リベルタくん以外は面識があるはずだね」
「ここにいないけど、サーベラスも会っているわ」と百合香。
「さっきも言ったが、アイスフォンに仕掛けられた呪文を解き明かしたのは彼女だ。ビードロ、研究も一段落したようなので説明してやってくれ」
 ディウルナに促されて、いったい何の話だ、と考える仕草を見せたあと、ビードロは素っ気なく言った。
「ああ、あの話」

 ビードロはテーブルに置かれたアイスフォンの1台を取り上げると、ひとつの画面を表示した。それは、氷巌城の出来事をまとめたニュースのページだった。百合香には何が書いてあるのか、全く読めない。
「いま開いているこのページ。これを、誰がいつ開いたのかという情報が、常に何者かに送信されるようになっている」
 ビードロは、先程までと変わって少し険しい表情を見せた。
「何者かって、誰ですか」
 オブラが訊ねると、ビードロはディウルナと視線を合わせてから言った。
「わからない。ただ、おそらく全てのアイスフォンに、あらゆる情報をこの氷巌城の何者かに送信するための呪文、プログラムが組み込まれている」
「あらゆる情報って…」
「閲覧した記事、誰かに送ったメール、アイスフォンを持って移動した足跡、撮影した写真、そして通話の内容。全てよ」
 それは百合香にとって、まるで現代社会のスマートフォンそのものの話に聞こえた。
「…何のために?」
「知らないわ。ただ、もしこの情報を手に入れているのが、城側の管理者だったらどうなる?」
「あっ!」
 オブラはリベルタと顔を見合わせて声を上げた。
「そう。各エリアの氷騎士の配下たちの動きから外れて、誰も気付かないような場所に潜んで活動している分子、つまりレジスタンスの行動も把握できるという事よ」
 それを聞いたリベルタは、愕然としてそれまで何気なく使ってきたアイスフォンを見つめていた。今まで身を潜めてきたアジトでも、平然とアイスフォンは使って来たのだ。
「もちろん、無数に存在するアイスフォン全ての情報をチェックできるわけもないけれど。少なくともアイスフォンを所持している限り、その何者かは使用者の居場所を特定できる、という事よ」
「だから、ディウルナ様は魔力を切っておけと…」
 蒼白になるリベルタに、ディウルナは言った。
「アイスフォンは第一層ではごくごく限られた範囲でしか使われていないが、二層より上では広く普及している。上級騎士も、そして皇帝側近のヒムロデでさえもね」
「でも、ディウルナ様はアイスフォンにニュースを掲載されてますよね。あれはどこから発信されているんですか」
 リベルタの質問に、オブラとセブも反応した。
「まとめた原稿を、第三層の執務室に置いてあるアイスフォンで配信している。実は最初から何かあるのではと疑っていたので、こうしてアジトに移動する際は持って移動していなかったのだよ」
 なるほど、とオブラは感心すると同時に、その用心深さに怖さも感じていた。オブラはアイスフォンを貰った時、そんな事まで考えなかったのだ。
「アイスフォンを造っているのは誰なのか、あなたは知らないの、ディウルナ」
 百合香の質問に、ディウルナは口を濁らせた。
「情けない話だが、私の情報網でさえはっきりとは掴めていない。だが、調査を総合すると、この第二層にいる何者かである事は、間違い無いだろう」
「でも、おかしくないですか?そんな情報を得ていながら、なぜ城はレジスタンスの一斉摘発に動かないのか。私が知る限り、レジスタンスのほぼ全員がアイスフォンを所持しているんですよ」
 リベルタの言うことも尤もだと、百合香たちは思った。グレーヌたちも、他のレジスタンス達も、みんな持っている。ひょっとしたらロードライトも持っているかも知れない。
「君の疑問はもっともだ。だが、そこから見えてくる事もひとつある」
 ディウルナは、百合香を向いてわざとらしく訊ねた。
「何か推理しているような表情だね、百合香くん」
 言われて、百合香は難しい表情を見せた。まだ、自分の正体に関するショックから抜け切れていないようだったが、物事を推理するという好奇心がそこから逃避する作用をもたらしていた。
「ひとつだけ見えてきた事がある」
 百合香は、腕を組んで頭でまとめていた考えを述べ始めた。
「私、一人でこの氷巌城に上がって来て、ここまで来たけど。その間、色んな組織に会ってきたわ。サーベラスのチーム、オブラのレジスタンス、リベルタ達。もちろん、敵の氷騎士ごとにそれぞれ様々な組織が存在した。戦闘そっちのけで、音楽に熱中してる子たちもいたわ。そして当然、この先もまだ知らない組織に出会う事になるんだと思う」
 百合香の推理ショーに、もはやビードロを含めて全員が興味津々で耳を傾けていた。激しい戦闘続きだったので、こういう頭を使った会話が新鮮な事もある。
「何が言いたい」
 それまで黙っていたマグショットが訊ねると、百合香は人差し指を立てて言った。
「うん。その中には、今までの常識とはかけ離れた価値観を持った組織、あるいは個人もいると思うの。つまり、単純に戦って勝つとかじゃなく…」
「なるほど。お前の言いたい事、ようやくわかってきたぞ」
 マグショットは頷いた。百合香は、推測した結論を述べる。
「この氷巌城内にある状況は、城側とレジスタンスという単純な対立構造だけじゃない。まだ影も見えないけど、氷魔皇帝やその配下とも、私を含めたレジスタンス側とも異なる、第三の勢力がいるのかも知れない」


 氷巌城第三層、図書館に本日もやってきた上級幹部のカンデラに、図書館の司書、女氷騎士トロンペはアイスフォンを片手に声をかけた。
「カンデラ様、例の小説の推薦文、拝見しましたわ。まさか、あんな文才をお持ちだとは思いもよりませんでした」
「その、首まである前髪の陰から、よくアイスフォンの画面を読めるものだな」
 顔が見えない女氷騎士に、カンデラは感心しているのか、呆れているのかわからない返事をした。
「推薦文に文才も何もあるまい」
「ご謙遜を。あの推薦文のおかげで、小説の閲覧数が急上昇してますのよ。きっと、作家は喜んでおりますわ」
「本当か?書き手は気分を害さないものだろうか。水晶騎士である私の名に頼った、などと考えはしないものか」
 すると、トロンぺは前髪の陰から笑い声を響かせた。
「ふふふ、考えすぎですわ。カンデラ様は武人であられるせいで、尊厳というものに厳しすぎるのでしょう」
「何を言う。文人も武人も、物事にかける誇りは同じであろう」
「ほほほ。本当に面白い方ですわ」
 トロンぺの笑い声を聞きながら、カンデラは自分自身の変化に驚いていた。それまで彼にあったのは、皇帝陛下に仕えて、戦い、人類文明を制圧するという事だけだった。それが今は、戦いとはある意味で無関係の知識を求める事に熱中し、物語を読み、文章をまとめ、さらには書き手の心を慮るという所まで来た。
「これは本当に私なのだろうか」
 その呟きを、トロンぺは聞こえないふりをして仕事に戻った。
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