絶対零度女学園

ミカ塚原

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氷晶華繚乱篇

リリィ

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「さて、アイスフォンの問題についての説明はこんなところだが」
 ディウルナは、「何か質問は」と無言で促した。リベルタが、自身の魔力を切ったアイスフォンを持ったまま訊ねる。
「つまり、アイスフォンは今後使わない方がいい、っていう事ですか」
 その質問は当然だった。リベルタたちレジスタンス少女は、連絡の多くをアイスフォンで行っている。それが何者かに傍受されているとすれば、危険極まりない。ディウルナは、ビードロと目線を合わせたのち答えた。
「正直に答えよう。対策ができるまでは使うべきではない。いや、使ってはならない、と決めるべきだな」
「対策?」
「そうだ。ビードロが現在、苦心して研究を続けてくれている」
 苦心、という表現に憤慨したのか、ビードロは咳払いして言った。
「もう完成の目処は立っています」
「それは頼もしい」
 ディウルナが皮肉なのか賛美なのかわからない返答をすると、リベルタが訊ねた。
「対策って、なんですか」
「簡単なことだ。アイスフォンからの情報漏洩を防ぐ仕組みを、いまビードロが研究してくれている」
 それを聞いてリベルタたちは、先程の爆発もひょっとしてその研究のためだったのだろうか、と考えた。ビードロは胸を張る。
「もうすぐよ。アイスフォンの呪文を書き換えるか、何かを物理的に付け加えるか、どっちの方式になるかはわからないけど、基礎はとっくにできてる」
「完成したら、伝えさせる。それまでは、申し訳ないがアイスフォンは使用しないように、リベルタ君の同志諸士らにも伝えて欲しい」
 ディウルナに言われて、リベルタは頷いた。
「そういう事であれば、了解しました」
「けっこう」
 ディウルナはハットの傾きを直しつつ、今度は百合香に向き合った。
「さて、おおかたの話は終わったが、百合香くん。特に君にとって、悪い話と、考えようによっては悪くない話がある。どちらから聞きたいかね」
 なんだその探偵小説にありそうな切り出しは、と百合香は思った。
「…つまり、地上の現状ということね」
「相変わらずの察しの良さだ。そのとおり。聞きたくなければ、それで構わない。任せるよ」
 そう言われても、いまさら聞かないというのも無いだろう、と百合香はディウルナに強張った表情を向けた。
「…悪い方の話からお願い」
「いいだろう」
 例によって、勿体ぶった様子で手を後ろに組みながら、ディウルナは語り始めた。
「百合香くん、君が主に生活していたであろう都市の範囲まで、魔力による凍結が進行している。人間や動物はもちろん、建造物、交通機関、その他都市機能すべてが凍結、停止したそうだ」
「!!」
 百合香は、一瞬心臓が止まるかと思うほどのショックで後ろに倒れかけた。リベルタが慌てて支える。
「百合香、しっかり」
「…ごめん」
 蒼白の表情で、百合香はディウルナを見た。
「どれくらいの範囲なの」
「君達のいうメートル法に換算すると、この城を中心として、半径25から30km圏内、といったところだろう」
 それは、百合香が住む県のかなりの範囲である。当然、母親もすでに学園の生徒たちと同じように、凍結してしまったはずだ。
 百合香の全身は震えていた。リベルタが、倒れないようにしっかりと支える。ディウルナは続けた。
「たぶん君も知っているだろうが、この範囲は拡大していく。どの程度の速度なのかはわからないが、君の住む列島、周辺の島、さらに周辺の国々。最終的には、この星の地上全てが凍結した世界になる」
 ディウルナの淡々とした解説は、百合香のみならず、氷の世界で生きるリベルタ達にも戦慄をともなって聞こえた。
 ビードロの研究室に、重い沈黙が訪れる。それを破ったのは、百合香の中にいる瑠魅香だった。
『そして、生命のエネルギーを吸収し、この氷巌城は安泰となる。もはや、いちいち武力で攻め入る必要さえないわ』
「そのとおりだ」
 ディウルナの声色も、さすがに重みを伴っていた。
「それを、我々は阻止しようというわけだ」
『間に合うと思うの?』
 瑠魅香の問いは、そのまま百合香の不安に直結していた。だが、ディウルナの解答は意外なものだった。
「それはさっき言った、もうひとつの『考えようによっては悪くない話』に繋がってくる」
 そう語るディウルナに、百合香は訝るような視線を向けながらも黙って聞く事にした。
「百合香くん、君はすでに、君の学園の人間たちが凍結しているのを見てきたね」
「…ええ」
「あれは、正確に言うと自然の温度変化による凍結ではない。魔力によって操作された凍結現象だ。凍土に眠るマンモスの死骸、あるいは氷河に何千年も眠っていた古代の登山家の死体との違いは、まだ『生きている』という事だ」
 その言葉に、百合香の目がほんの少しだけ輝いた。
「私の言う意味がわかるね。そう、魔力によって凍結させられた人々や生物は、まだ生きている。というより、生きていなくてはならないのだ。死体では、氷巌城はその生命エネルギーを吸い上げる事ができないからだ」
「……」
 百合香は無言だった。捉えようによっては、殺されるよりも酷い話である。意識を眠らされた状態で、生命だけを吸い取られてゆくのだ。
「それが残酷な話である事は間違いない。尊厳という観点からも、許されない事だ。だが、それでも氷巌城は、氷巌城であるがゆえに、人間を即座に殺す事ができないのだ」
「…魔力による凍結状態である限り、寒波に襲われて生命が維持できなくなる心配はない。そう言いたいのね」
「そう捉える事もできる、ということだ。これが、氷巌城のジレンマだ。つまり、人間たちが凍結して生命を吸い尽くされるまでが、我々が氷巌城から世界を救うための、タイムリミットという事になる」
 世界を救う。ディウルナがそう明言した事に、百合香は軽い驚きを覚えていた。どこか善悪の概念から離れた、超然とした存在にも思えていたディウルナも、はっきりした正義感を持っていたらしい。
「もちろん、人間を救うという目的を無視すれば、我々にタイムリミットは存在しない。だが、少なくともここに集まっている者とその同志たちは、そう考えてはいないはずだね」
 すると、リベルタが進み出て叫ぶように言った。
「当たり前です!私達はただの憤りだけで戦っているわけじゃない。氷魔も人間も、等しくこの星に生きる存在であるなら、一方が一方を滅ぼすような在り方は間違っています。私達は、正義のために戦っているんです」
 リベルタの宣言に、マグショットとオブラも頷いた。
「俺は正義なんて言葉は信じてはいないが、この城のやり方は気に食わん」
「そうです。もっと違う在り方があるはずです」
 全員が口を揃えるのを、百合香は背中で聞いていた。
『だってよ、百合香』
 瑠魅香は、わざとらしく励ますように語りかけた。百合香は、いくらか元気づけられたのか、振り向いて弱々しく微笑んだ。
「そうだね。心配は心配だけど、私達のやるべき事は変わらない」
「そのとおりだ。迷いや不安は、戦いのカンを鈍らせる。前に進む事を考えろ」
 いつものようにマグショットは、腕を組んで無責任に仁王立ちしてみせた。それが、百合香には頼もしかった。
「ありがとう、みんな」

 ひと通り話が終わったところで、ビードロは見覚えのある小瓶を6本ばかり持ち出してきた。
「はい、氷魔用の補修剤。使い切ったって聞いたから。今用意できたのは、ここにある分だけだから大事に使ってね」
「効き目があるとは思っていなかったが、助かった」
 マグショットの軽口まじりの礼に、ビードロはジロリと睨みをきかせた。
「なんならその首をちょん切って、この場で改めて効果を検証してもいいのよ」
「お前の冗談は冗談に聞こえん」
 そう言うと、マグショットは小瓶をひとつふんだくって懐に仕舞った。百合香以外全員分が入った箱をリベルタが受け取ると、ディウルナは改まって背筋を伸ばす。
「さて、そろそろ私も執務室に戻る。連絡は今までどおり、オブラ君の仲間たちにお願いする。頼んだよ」
「お任せください!」
「何ならこのまま第三層まで一緒に行くかね」
 それは、ディウルナの笑えない冗談であった。百合香は半笑いを浮かべて返す。
「今日あなたが言った中では一番面白いわ」
「それはどうも」
「私、ようやくわかったわ。必要なのは"組織"だと」
 それは、百合香のひとつの宣言であった。
「私一人が強くなっても、この城は落とせない。今までの戦いで痛感した。これは私の戦いだと思っていたけど、そうじゃない。みんなの戦いなの」
「それを解っているのなら、安心だ。任せたよ、"斬り込み隊長"くん」
 その肩書きに、百合香は「またか」という顔をした。ディウルナは、研究室の奥にある鏡の前に立つと、全員を振り向いた。
「それでは、また会おう。レジスタンスの諸君」
 そう言うと、ディウルナの姿は鏡の中に溶けるように、すっと消えて行った。ディウルナが消えたあとの鏡に映る、真っ白な自分の姿を百合香は見た。
「どうやって移動してるのかと思ってたけど、どういう仕組みなのかしら」
「ディウルナは曲者よ。私達に隠してる事がたくさんあるわ」
 意地悪く笑うビードロに、百合香も苦笑した。
「さて、話は終わったけれど。ここからどう動くべきかしらね」
 百合香は、残された面々の顔を見た。すると、リベルタが手を上げた。
「提案。まず、一連の戦闘のダメージが残ってる人達は、アジトで回復を優先する」
 異論をはさむ者はいなかった。ロードライト戦からのディジット戦という激戦の連続で、蓄積されたダメージは相当なものである。百合香もそれに頷いた。
「賛成よ。私は比較的動けるけど、どうする?」
 百合香は腕を振り回して、復活してピンピンしている様子を示した。何やら百合香の参謀じみてきたリベルタは、少し考えて再び提案した。
「そうね。じゃあ、まだ顔を見せてないレジスタンス仲間に挨拶しておきましょうか」


 氷巌城第二層、ロードライトやディジットのエリアから少し空間を隔てた区域に、リベルタの知己が潜むアジトがあった。いわゆる少数精鋭タイプのチームで、メンバーは4人である。ストラトスから奥義を受け継いだリベルタほどではないが、氷騎士配下の戦力を削ぐなどの実績を誇る。
「ちょっと、マジ?ディジットが謎の氷魔に倒されたって」
 アイスフォンに流れてきた速報に、おかっぱ頭の制服少女氷魔が驚いて、暗い室内を見渡した。部屋の真ん中にはビリヤードの台があり、コインやダイスが転がっている。
「謎の氷魔って何?」
 奥の椅子に座っている、ベリーショートヘアにイヤリングをした少女が、ダーツを的に放って言った。その先端が、的の中央を見事に射留める。
「裏切り者という事でしょうか」
「ディジットを倒せるような実力者、名が知られていない筈はありませんが」
 床に座ってチェスに興じていた、標準的に切り揃えたロングヘアの少女二人組が、ボードから目を離さず言った。ただしそれぞれ、左耳と右耳を出している。おかっぱ少女は速報記事を隅から隅まで読んで、アイスフォンを置いた。
「まだ詳細はわからないみたい。ただ、銀髪の謎の少女氷魔だって」
「そんな奴知らないな」
 ショートヘア少女は、自分もアイスフォンを取り出して記事をチェックした。速報記事の見出しは次のとおりである。

【訃報】氷騎士ディジット謎の氷魔に殺害される。銀髪の氷魔目撃情報も

「裏切り者なのは間違いありません」
「ここから現場はそこまで遠くないようですし、調べてみますか?フリージア」
 左耳を出したロングヘア少女にそう呼ばれたおかっぱ少女、フリージアは剣の柄を弄びながら思案した。
「うーん。裏切者なら、私達と目的は同じはずだよね」
 その言葉に、ショートヘア少女が反応した。
「どうかな。中には、一匹狼気取りの奴もいるらしいじゃない」
「あの、猫レジスタンスの変わり者とかいう奴?」
「そう。仮にスゴ腕だからって、味方になってくれるかは怪しいよ」
 アイスフォンを置くと、両手で二本のダーツを投げる。今度は的の両端に命中し、真ん中のダーツと並んで水平にきれいな一直線を描いた。
「でも、会ってみる価値はあるかも知れません」
「私もそう思います」
 ロングヘア二人組がそう言ったところで、フリージアは指を立てて「しっ」と言った。
「静かに。誰か来た」
 そう言って、ゆっくりと出入口のそばにフリージアは立ち、聞き耳を立てた。ドアの向こうから、かすかに足音が二つ近付いてくる。リズムは少女氷魔のそれと同じだ。
 足音がドアの前で止まると、不規則なリズムでノック音がした。
「ご予約は入れておいでですか」
 フリージアが訊ねると、すぐに返事があった。
『午後2時に予約を入れた、リベルタと申します』
「お待ちしておりました」
 フリージアが魔法で施錠されたドアを開けると、立っていたのは巨大な弓を背負ったリベルタと、見慣れない銀髪の、剣を握った制服氷魔だった。
「リベルタ、久しぶりね」
「あなたもね。無事で何よりだわ」
 二人は、握手をして再会を喜んだ。フリージアは、リベルタと同行してきた少女にも顔を向ける。
「見ない顔ね。リベルタのお知り合い?」
「偶然知り合ったの」
「ふうん。けど、珍しい髪の色してるわね。銀髪なんて…」
 そこまで言って、フリージアと奥にいた三人に衝撃が走った。
「銀髪…!」
「まさか、あなた!?」
 フリージアは、アイスフォンに流れてきた速報記事を思い出した。確かにその記事には、謎の銀髪氷魔が氷騎士ディジットを倒した可能性が示唆されているのだ。
「ディジットを倒した氷魔って、あなたなの!?」
「その、まさかよ」
 リベルタは、銀髪少女の背中をポンと叩いて紹介した。
「新しく、レジスタンスの仲間になってくれたリリィ。ものすごい腕前よ。頼りになるわ」
 リベルタの紹介に、リリィは謙遜するように微笑んだ。
「初めまして、リリィよ。よろしくね」
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