絶対零度女学園

ミカ塚原

文字の大きさ
上 下
86 / 90
氷晶華繚乱篇

エレクトラ

しおりを挟む
 氷巌城第2層、外周部の南東エリアを、ヒムロデの隠密エレクトラとその部下4人が進んでいる時だった。エレクトラだけでなく全員が、かすかに異様な気配を感じ取り、立ち止まった。
「エレクトラ様」
「わかっている」
 エレクトラは、どこからともなく間断なく響いてくる、怨念のような低い唸りに眉をひそめた。
「これは、物理的な振動ではない。といって魔力によるものでもない。思念のような何かだ」
 エレクトラはそう結論づけた。
「第2層は我々も把握し切れないエリアだ。何が起きるかわからない。気をゆるめるな」
「はっ」
 後ろの4人は頷くと、ふたたびエレクトラに従って第2層の通路を進み始めた。窓の外には、人間たちが生活していた幾何学的な建物の影が見える。エレクトラは、奇妙な突起物や柱状の何かが突き出したその建造物群を見て、とても醜いと思った。

 ◇

 突然、エリア全体を覆っていた薄暗いモヤのようなものが晴れたと思ったとたん、今度はさらに得体の知れない鳴動のようなものが響いてきて、リベルタは困惑しつつも、百合香たちを捜して歩き続けた。
「この通路…よく見たら」
 リベルタは壁の腰の高さあたりに走る装飾を見て、それに見覚えがあると思った。そして改めて、百合香とヒオウギが手合わせした広間から、さほど離れていない場所だと気付いたのだった。
「それでも、飛ばされたのは間違いなさそうだな」
 何者かの手で、リベルタは離れた場所に飛ばされた。ということは、他の面々も同じようにどこかに飛ばされたのだろうか。敵のしわざには違いないだろうが、何のためにそんな事をしたのか。
 そこでふと、リベルタはひとつの案を思いついた。ここがもし思っているとおりの通路なら、決して近いとも言えないが、行こうと思えばサーベラスやマグショット達が身を潜めているアジトに戻れる位置にいる。
「どれくらい回復したかな、あのふたり」
 サーベラスとマグショットの戦闘力は頼もしい。だが逆にそのせいで、矢面に立つため毎回ダメージを負っている。ビードロという錬金術師から預かった回復薬も、すぐに使い果たしてしまう。
 そんなことを考えながら歩いていると、やはり思ったとおり、すぐに百合香とヒオウギが戦った空間に出た。
「やっぱりか」
 ふたりが戦ってできた床面の跡も残っている。リベルタは、ここからどうするべきか考えた。
 どうやら敵は、相当に得体の知れない相手らしい。いま響いてくる不気味な鳴動も、おそらくその敵が関わっているに違いない。そうなると、たとえ全員が合流したとしても、また同じ事になる可能性はないか。
「…敵は間違いなく、こちらの動向を把握している」
 リベルタはそう確信した。しかも、敵はどこにいるのかもわからない。ただ、さっきまでと異なる点が、ひとつだけあった。
「どうして、敵の兵士が現れなくなったんだろう」
 リベルタ達も目撃した、城の正規の兵士。百合香によると、彼女達もまた遭遇したらしい。それは件の、何者かに操られた抜け殻ではなく、明らかに城の上層部から派遣されたレジスタンス討伐部隊だった。それがまったく現れなくなった、その理由は何か。
 そこでリベルタは、百合香の説を思い出した。この氷巌城には城とレジスタンスだけではない、第3、第4の勢力が存在する可能性だ。現にリベルタは、何者かによって正規兵が倒されているのを見た。つまり、いまリベルタ達が対峙しているのは、レジスタンスと城側の双方を”敵”とする何者かなのだ。
 ふとその時、リベルタは自分の右腕を見た。この右腕は本来のリベルタ自身の腕ではない。戦闘で失われ、氷騎士ロードライト直属の格闘家、アルマンドの腕を移殖されたものだ。ひょっとしたら戦っていたかも知れない相手の右腕が、いま自分の右肩から伸びているのは、奇妙な気分である。
「そういえば、まだお礼は言ってなかったわね」
 複雑な笑みをリベルタは浮かべ、右手の甲にキスをした。
「迷惑かも知れないけど、あなたの腕を借りるわね。そのかわり、ロードライトを護りたい時は、私の身体を使ってちょうだい」
 もう、自分の腕としか思えない右手を、リベルタは強く握った。
「ここからどうすればいいか、あんたも考えてよ」
 応えない相手にリベルタは訊ねた。百合香の中には常に瑠魅香がいる。それはどんな感覚なのだろう。
 リベルタは、いま戦っている得体の知れない敵に対処するには、どうすればいいか考えた。そして考えるのが面倒になると、たたんで背負っていた巨大な弓を展開した。

 ◇

 同じ頃フリージアは、ナイフを手にしてひとり、どことも知らない通路を進んでいた。どういう理屈か知らないが、とにかく飛ばされたという事はわかった。
 通路に、いくらか見覚えがある気はする。おそらく外周部に近いエリアだろう、とフリージアは考えた。だがそうなると、レジスタンスのアジトが少なく、城の兵士と遭遇する危険があった。万が一、多数の敵兵士と戦う事になったら、フリージア一人で戦う事は難しい。
「…リベルタ」
 つい、仲間を求めてしまう自分をフリージアは情けなく思った。リベルタは一人でも戦える。自分もそうありたい。
 そんなことを思っていると、突然どこかで何かが爆発するような音がした。
「ひっ」
 思わず足がすくむ。爆発音のあと、かすかにガラガラと壁面か天井が崩れるような音も聞こえた。
 これは、仲間の誰かが戦っているのではないか。フリージアは加勢するのと、一人でいる状況から脱する事も合わせて、音の出どころを探った。
「派手な大技を放つとしたら、リリィ…じゃない、百合香かリベルタかな」
 リリィの方が可愛いのに、などと考えながら、通路の門を曲がった時だった。
「あっ!」
 フリージアは声をあげた。その声に、通路を曲がった先に群がっていた6つの影が、一斉にフリージアを振り向いた。それは比較的下級ではあるが、剣や槍で武装した、城の兵士達だった。
「まっ…まずい」
 どうする。フリージアは一瞬だが、判断に迷った。それが仇となり、兵士たちはガチャガチャと音を立ててフリージアに迫ってきた。そのとき思い浮かんだのは、対決するヒオウギと百合香の姿だった。
 ―――負けていられない。フリージアは意を決してナイフを構え、向かってくる兵士の群れの中に飛び込んだ。
 その自殺行為にも思える行動に、多少なりとも知能がある氷の兵士達は驚いたようだった。フリージアはその隙を逃さず、渾身の魔力をナイフにこめて、身体を一回転させた。
「ヴォーパル・エッジ!」
 圧倒的な硬度をほこるナイフの刃が、一瞬で兵士たち5体の首をはねる。残った1体が、フリージアめがけて剣を振り上げた。
「ヴォーパル・スティンガー!」
 突き出したナイフは、兵士の装甲を突き破り、胸を背中まで一撃で貫通する。力を失った手から剣が落ち、兵士の身体はその場に崩れ落ちた。
「ふうー」
 フリージアは胸をなで下ろした。もし判断が遅れていれば、今頃フリージアの身体はスクラップにされていたかも知れないのだ。最悪の光景を想像し、フリージアは身を震わせた。
 だが、その安心は一瞬で戦慄に変わった。
「レジスタンスか」
 その、研ぎ澄まされたまでに冷たい声色が、フリージアの神経を強張らせた。恐る恐る顔を上げると、そこにいるのは見覚えがない、フードとボディスーツに前垂れのようなものをかけた、黒ずくめの女氷魔5人だった。フリージアは目にするのは初めてだったが、すぐに理解した。おそらく、皇帝側近ヒムロデの配下の隠密部隊だ。中央に立つリーダー格らしき長髪の女は、湾曲した剣を無造作に握ったまま、硬直したフリージアを静かに威圧した。
「下級とはいえこの兵士どもを一瞬で斬り伏せるとは、なまなかのレジスタンスではなさそうだ」
 自らの手でフリージアに剣を向ける、その冷ややかな眼光にフリージアは戦慄した。おそらくここにいる全員が、並みの相手ではない。フリージアは、勝ち目がない事も、そして残酷な事実として逃げる事も不可能である事も、自分で嫌になるほど冷静に理解した。
「ということは、お前の仲間もそれなりの手練れである事は想像に難くない。よし、生き長らえる機会をやろう。お前達のアジトまで連れて行け。わずかだが、希望は見えるのではないか」
 皮肉をこめているものの、全く笑みを浮かべていない。冷酷という言葉をそのまま体現しているような女だった。そして、たとえフリージア達が束になってかかろうとも、返り討ちなど造作もないという自信があるのだろう。フリージアは腹を据え、毅然と言い放った。
「後悔しないことね。あなた達が倒される事になっても」
 そう言うと、フリージアはナイフを鞘に収め、丸腰で隠密のリーダーの前に進み出た。
「いい度胸だ」
 かすかに、笑みかどうか判然としない表情を浮かべると、隠密のリーダーは剣の切っ先をフリージアに突き付けて、進むよう促した。
「ついて来なさい」
 精一杯の勇気を振り絞って、フリージアは歩き出した。その後ろに隠密の5人が続く。隠密の気が変われば、フリージアの首が一瞬で宙に舞う事になる。だが、それでも構わない、とフリージアは覚悟を決めた。

 フリージアが背中に剣を突き付けられたまま、張り詰めた空気の中の行進がどれだけ続いただろうか。謎の鳴動が少しずつ大きくなってゆく。そのとき、隠密のリーダーが言った。
「止まれ」
 その冷たい声に、フリージアはぴたりと足を止める。隠密のリーダーは、フリージアの首に刃をかけて訊ねた。
「我々をどこに連れてゆく気だ」
「決まってるでしょう。アジトよ」
「嘘もそこまで白々しいと、いっそ楽しいくらいだな」
 はたしてそんな感情があるのか、フリージアには判断しかねたが、振り向かずに答える。
「どうしてそう思うの」
「この得体の知れない鳴動。お前は明らかに、その音の方向に向かって進んでいる。おおかた、我々を罠にかけようというのだろう」
「鳴動の正体がわからないのに?私にとっても危険かも知れないのよ」
 フリージアはゆっくりと振り向くと、隠密の目を見据えて言った。隠密はここで初めて、微かだがはっきりと笑みを浮かべた。
「当然だ。お前は危険を承知のうえで、自分もろとも得体の知れない鳴動の出どころに、我々を誘い込んでいる。その覚悟には敬意を払おう」
「つまり、この音の正体はあなた達にもわからないということね」
「その様子では、お前達レジスタンスも何も掴んでおらぬようだな」
 フリージアはこの緊迫した状況下で、ひとつ確認を取った事に満足した。つまり、百合香の言った”第3の勢力”が存在する事が、これではっきりしたのだ。
「どうやら、私の運命もここまでのようね」
 フリージアはゆっくりとナイフを抜き放つと、隠密のリーダーに向けて構えを取った。
「レジスタンスのフリージア、せめて城の隠密の首ひとつでも取って死んでやるわ」
「よい覚悟だ。お前のような覚悟ある者は好きだ」
 リーダーは、うしろの4人に下がるよう手で示すと、水平に剣を構えた。百合香の気迫に満ちた構えとはまるで違う、明鏡止水そのものの構えだ。
「我が名はヒムロデ様直属の剣士エレクトラ。その覚悟に敬意を表し、死に出の土産に覚えておくがいい」
 言ったが早いか、エレクトラと名乗った女は、どれほど速いのか測ることもできないほどの速度で、無音の剣をフリージアの首めがけて振るった。激しい打音とともに、フリージアのナイフと剣が噛み合う。その様子に、後ろに控えていた隠密達が、わずかに驚いたような表情を見せた。
「私の剣を受け止められる者が、レジスタンスにいたとはな」
 次の瞬間には、フリージアのナイフはいとも容易く弾き飛ばされてしまった。床に落ちる音が無情に響く。
 終わった。フリージアは覚悟を決めて微笑んだ。さよならヒオウギ、ルテニカ、プミラ、リベルタ。百合香に瑠魅香、みんなをよろしくね。あと、リリィっていう名前のほうが可愛いと思うよ。
 ゆっくりと、エレクトラの剣が振り上げられる。皇帝側近の直属の剣士と最後に戦えたのなら、まあ箔がつくかな。そんな事を考えた、その時だった。
「むっ」
 突然、エレクトラがその剣を止めた。フリージアが思ったのは、わずかに生き長らえたという安堵ではなく、純粋な疑問だった。だが、突然エレクトラは振り向いて叫んだ。
「伏せろ!」
 そう叫ぶと、自身もフリージアはお構いなしに身をかがめる。何が何だかわからず、フリージアもエレクトラと一緒になって身を低くした。
 その時だった。
「うあああーっ!」
「きゃあああ!」
 突然、壁面が何かの強大なエネルギーによって撃ち抜かれ、その正面にいた隠密の4人は飛散してきた瓦礫と、エネルギーの余波をもろに喰らうことになった。
 4人のうち2人はその場で息絶え、残りの2人も腕や脚を失うほどの大ダメージを負って動けなくなってしまった。
「何事だ」
 エレクトラはゆっくりと立ち上がり、壁面に突然開いた大穴に警戒しつつ歩み寄った。壁の厚みはゆうに2メートルはある。フリージアがナイフをこっそり拾い上げた事も、知った上でエレクトラは大穴に剣を向けた。
 足音が近付いてくる。どうやら何者かの仕業だったらしい。もうもうと舞う粉塵の奥から、足音の主が独りごとを言った。
「なんだ、これ?敵か」
 その、文字通り他人事のようにつぶやく声に、フリージアは心の底から安堵を覚えた。立ち込める粉塵の奥から現れたのは、頼もしいポニーテールの氷魔だった。
「リベルタ!」
 フリージアは歓喜し、大弓を構えるリベルタに叫んだ。リベルタはビクリとして振り向く。
「えっ?フリージア!?」
 全く状況が飲み込めていないらしいリベルタは、フリージアの姿を認めると、もう一人の剣を構えた氷魔を見据えた。
「ひょっとしてヤバイ状況だった?」
「…レジスタンスか。何者だ、きさま」
 エレクトラが、明らかに警戒する目をリベルタに向けた。リベルタもまた、相手が只者ではない事を瞬時に見抜く。
「いまフリージアが言っちゃったけど、名前も名乗らない奴に、教えてやる名前の持ち合わせはないわね」
 何ら臆することなく、リベルタは倒れた隠密の女氷魔の湾曲した剣をひとつ、足で跳ね上げると右手でキャッチした。倒れている隠密達を横目に見ると、切っ先をエレクトラに向ける。
「ふうん。ちょうどあんたのお仲間を直撃できたわけだ」
「どういうつもりで壁など撃ち抜いていたのか知らぬが、一歩間違えれば、お前の仲間のフリージアとやらを直撃していたぞ」
「その子は運がいいのよ」
「ふっ」
 微かに笑うと、エレクトラは突然、信じがたい行動に出た。一瞬、リベルタに向けて振り上げられたかに見えた剣が宙を斬ると、倒れていた自らの配下2名の首が瞬時に落ちたのだ。
「なっ…自分の仲間を!」
 リベルタが怒りの目を向ける。エレクトラは悪びれもせず答えた。
「この、壁を撃ち抜いたお前の実力はわかった。私の部下は手練れだが、負傷した状態でお前に勝つことはできまい。生き恥をさらしてから死ぬ前に、わたしの手で死なせてやった。それだけだ、リベルタ」
 挑発するかのようにその名を呼ばれ、リベルタにいよいよ怒りの色が浮かぶ。
「いいわ。攻撃した立場で言えた義理じゃないけど、いまあんたが首をはねた、そいつらの分まで私がきっちり返してやる。名乗りなさい!」
「ふっ、揃いも揃って面白い連中のようだな」
 エレクトラは、改めてその刃をリベルタに向けた。
「我が名はエレクトラ。レジスタンスのリベルタ、その首もらいうける」
しおりを挟む

処理中です...