犬鍋

戸部家尊

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第三幕(前半)

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   第三幕

 舞台は第一幕と同じく先生の墓前。日は更に傾き、西空は群青色に染まっている。

 先生の墓前で文吾と宗助が待ちくたびれた様子で立っている。

文吾  (下手奥を遠く見据えながら)やっと来たぞ。あやつ。
十四郎  (下手から走って、宗助の前で止まる)すまん、待たせたな。
宗助  何をやっているんだ。お前は。
十四郎  ああ、ちょっとな。
文吾  そんなことより、早く行こう。店が閉まる。
宗助  そうだな。今日は色々なことがありすぎて疲れた。
十四郎  ああ。殿にはお叱りを受けるしな、こいつさえしっかりしていたらな(腰の刀をぽんと叩く)、今頃は禄高も五石や十石、加増していたやも知れぬ。
文吾  (十四郎に顔を向けて)何だ。随分大きいこと言うじゃないか。珍しい。
宗助  まあ。釣り逃した魚は大きい、というしな。
十四郎  何なら、見てみるか? 先生から教わった必勝の型だ。
文吾  ほう、面白い。見せてみろ。  
十四郎  ここでか?
文吾  そうだ。先生にもご覧頂こうじゃないか。
十四郎  分かった。やってやろうじゃないか。宗助、刀を貸してくれ。
宗助  ん、ああ。(腰から大刀を鞘ごと抜いて十四郎に差し出す)ほれ。
十四郎  もう一本もだ。
宗助  (腰の脇差しに触り)こいつもか?
十四郎  この型は二刀流なんだ。

   宗助、脇差しも鞘ごと十四郎に手渡す。
   十四郎は脇差しを文吾に渡し、大刀を鞘からゆっくり抜く。
   刃を夕日にかざして矯めつ眇めつ眺め、鞘の中を覗き込む。

宗助  (やや苛ついて)早くやれよ。
文吾  そんなところまで調べてどうするつもりだ?
十四郎  色々なものが見えるんだよ。例えば、(やや間を置いて)野島半次郎を切った者とかな。

   宗助と文吾、体を強ばらせる。

十四郎  (宗助を見据え)野島殿を切ったのはお前だな。宗助。
宗助  (狼狽して)いきなり何を言い出んだ。お前は、あの男は自分で腹を切った。そうだろ。
十四郎  (首を振る)いや、別の人間が切ったんだ。その後で自害したように細工したんだ。その証拠に傷口と野島殿が持っていた刀の厚みが合わない。あれはもっと分厚い刃で切られたものだ。ちょうどこの刀くらいのな。
宗助  大刀ならどれもそのくらいの厚みはある。証拠になるか! 第一、俺は今日初めて野島と会ったんだ。死骸でな。顔も知らない人間を何故俺が殺さねばならぬ。
十四郎  お前は野島殿を知っている。二ヶ月程前からな。
宗助  なんだと?
十四郎  野島殿が殿から着物を賜ったのは二月前の滝瀬村だ。その時、野島殿は休息を取っていた。たまたま村に立ち寄っていた検見の役人に村の案内をさせてな。宗助、お前伊那川の上流辺りの村は全てお前の受け持ちだったな。つまり、お前はその時野島殿を見ている。にもかかわらず、お前は野島を知らないと言った。
宗助  (顔を左右に振って)出鱈目だ。
十四郎  (無視して)それだけじゃない。野島殿はその時殿と一緒だった。つまり、お前は野島殿だけでなく殿のお顔も、その時に着物を頂いたことも知っている筈なんだ。にもかかわらず、お前は言ったな?「殿のお顔を見たことはない」と。これはどうだ。
宗助  確かに殿と野島が滝瀬村に来たのは本当だ。だが、その時俺はいなかった。非番だったんだ!
十四郎  そんなものはお前の同僚に聞けばすぐに分かる。調べれば分かる嘘は付かない方が良い。傷口を広げるだけだ。
宗助  ふざけるな。お前こそ何だ。ろくに確かめもせずに俺を人殺し呼ばわりとは、恨みでもあるのか!
十四郎  そんなものはない。ただ真のことが知りたい。
宗助  何が真のことだ。嘘っぱちの出鱈目だらけだ。そもそも、俺が野島を知っていたとして、何故俺が野島殿を殺さねばならぬ。何故わざわざ死骸をお前らと待ち合わせているこの寺に持って来なければならぬ。死骸を運んでいるところを誰かに見つかるやも知れぬのに。それに、野島に殿の格好などさせねばならぬ理由がどこにある。答えてみろ!

宗助、呼吸を荒くして十四郎を睨み付ける。文吾は二人の間でどうして良いか分からず、ただ二人の顔を見比べている。

十四郎  ああ、まずは、お前が野島殿を殺さねばならぬ訳はおそらく、「蒼月」だ。
文吾  「蒼月」? あの殿の馬がか?
十四郎  井川様の話は覚えているな。野島殿が「蒼月」を慣らしている最中に草むらから現れた百姓を蹴り飛ばし、「蒼月」も怪我をした。その時、蹴り飛ばされた百姓が甚助だった、というのはどうだ。
宗助  なっ………。
十四郎  そのせいで甚助は大怪我をした。働ける状態ではない、と思う。で、ここからは俺の想像だ。野島半次郎という男、浪人上がりだけあってかなりふてぶてしい男のようだ。このご時世に召し抱えられ、殿のご寵愛を受けるなど富くじを当てるより難しい。ところが「蒼月」に怪我をさせたことで殿からは不興を買い、禄を失いそうな有様だ。もしお前が野島殿ならどうする? 折り目正しい武士のうちに腹を切るか? いや、まだ道はある。浪人に戻れば先立つものは金だ。多ければ多いほど良い。家財道具は売り払うとしてほかに金を搾り取れそうなところは、あった。己がはね飛ばした百姓の家だ。

   宗助 沈黙したまま、唇をかみしめる。

十四郎  (一呼吸置いて)元々こいつが草むらから出て来なければ「蒼月」は怪我をしなかった。ならば己も禄を失わずに今も殿の寵愛を受けていただろう。あの百姓のせいで。
そう考えた野島殿ははね飛ばした百姓の家に出向いた。怪我をして弱っていた百姓にこう畳みかける。「貴様のせいで殿の大切なお馬が怪我をしてしまった。どうしてくれる」とな。高くふっかけただろう。五十両か百両か。無論、そんな金はどこにもない。そこで野島は言う「金がないのであれば作るしかあるまい。娘をたたき売ってでもな」と。

   文吾が顔に手を当てる。宗助の表情が怒りに染まる。            

十四郎  あるいは、この飢饉だ。脅さなくてもおとよは身売りしていたやも知れぬ。だが、それを確実なものにしたのは間違いなく野島殿だ。お前にとって甚助は祖父で、おとよは可愛い妹だ。その二人の生活をぶち壊した野島を生かしておく道理がない。
宗助  貴様!

   宗助、十四郎を殴りとばす。よろめく十四郎。
   更に襲いかかろうとする宗助を文吾が体で制する。
   揉み合った末、文吾を突き飛ばす。宗助は肩で息をついて興奮している。
   十四郎はよろめき、殴られた頬を撫でる

宗助  勝手なことばかりべらべらと。全部根も葉もない下衆な妄想だ!
十四郎  (立ち上がって)なら、これも後で甚助に聞いてみることにしよう。

   宗助が再び拳を振り上げる。
   殴られるより早く、十四郎は刀の切っ先を宗助の胸元に突きつける。
   拳を掲げたまま、宗助の動きが止まる。

十四郎  そう何度も殴られてはたまらんからな。話を続けるぞ。(刀を引く)事の次第はこうだ。まずお前は野島殿を刺す。そして死骸を荷車か何かに載せる。途中、野島殿の家に立ち寄って殿の着物を拝借し、野島殿に着せる。そしてこの寺の裏口から入った後、元勝院様の墓前で切腹の格好をさせる。後は何食わぬ顔で、俺たちと合流する。
文吾  で、何故殿の格好をさせたんだ。
十四郎  (にやりと笑って)別に殿の必要はない。何でも良かったんだ。裸でもな。
文吾  どういう事だ?
十四郎  考えても見ろ。殿から頂いた服を普段から着ているとは考えにくい。着せられたと見るべきだ。殿の着物は野島の家から持ってきたのだろう。なら「野島殿が元々着ていた着物はどこに行った?」普通は焼くか捨てるかするだろう。しかし、それが出来ない事情があったとしたら? そう、己の着物が返り血で汚れてしまったら。家まで取りに帰っていては約束の刻限には時間がない。(十四郎、宗助の着物に視線を移す)さっきも聞いたが、もう一度言うぞ。宗助、それは本当にお前の着物か?

   文吾が宗助の着物を見つめる。宗助、抵抗するように着物の襟元を握りしめる。

宗助  これは、俺の着物だ。そうだ。この着物が野島のものなら(着物の襟を摘み上げ)これも血塗れの筈だ。そいつをどう説明する?
十四郎  (平然と)ああ、それがもう一つの疑問、何故この寺に死骸を持ってきたかの答えにもなる。埋めるでも隠すでもない死骸を移動させる、実際に殺した場所を誤魔化すために。野島を殺した場所がお前にとって不都合な場所だった。そう、「甚助の家の風呂場」とかな。

  宗助、驚愕する。声も出せずに歯を食いしばり、俯く。

十四郎  死骸の髪の毛も濡れていた。間違いなかろう。お前は風呂に入っていた野島殿に襲いかかる。その時に誤って着物に返り血を浴びてしまった。企んだものではあるまい。着物の替わりも用意してなかったようだからな。家に取りに帰っていては俺たちとの約束に間に合わない。そこでお前は野島の着物を借りることにする。だが、野島が裸のままでは風呂に入っていたことがばれてしまう。そう考えたお前は野島殿がこの寺の近くなのを幸いに、この寺に捨てることを思い立った。ただ、侍の格好で荷車を引いていたのでは目立つから、この寺までは甚助の着物を借りたんだろうがな。
文吾  なら野島殿の家に死骸を捨てれば良いのではないのか?
十四郎  違う。死骸が見つかれば、当然誰が殺したか調べられる。家でもそうだ。腹を切る殊勝な男でないのは、野島殿を知っていれば分かること。真っ先に疑われるのは遺恨のある者だ。(宗助を横目に見やる)殿の着物を着せ、歴代藩主の墓前で切腹していれば殿や我が藩への遺恨と見るだろう。野島殿の殺された理由を紛らわせることができる。あるいは、野島殿のような男を召し抱えた殿への当てつけ、もあるかも知れんがな。
宗助  (力なく)なら、墓の前で血の海はいったい何だ?
十四郎  あれは、犬の血だ。
文吾  犬の?
十四郎  どこから調達したかは知らぬが、死骸に細工した後、あの場で連れてきた犬を切る。血の海に茶色い毛が浮いていただろう。あれだ。その後、犬の死骸はこの寺の風呂釜に捨てた。寺の小者が見つけたよ。
宗助  (気弱に)分からないぞ。犬は誰かが試し切りにしたのやも知れぬ。血溜まりの毛もそこらの野良犬の毛が風で飛んできたかも知れぬ。
十四郎  刀の掃除はもっとしっかりしておくものだ、宗助。(大刀の鞘で肩を叩きながら)鞘の中に犬の毛が入っていた。血の海に浮かんでいたのと同じ、茶色い毛がな。

   宗助、沈黙したまま答えない。

十四郎  それで不服ならば今から野島殿の家に行って飯炊きの婆様に聞いてみるか? (宗助の胸元を指さし)この家の主人はこんな柄の着物を持ってないないか? と。
宗助  もういい。充分だ。

宗助、空を見上げる。

宗助  お前の言うとおりだ。俺が野島を切った。死骸に細工したのも俺だ。(十四郎に向き直り)今朝のことだ。甚助が怪我をしたというので、見舞いに行ったんだ。そしたら甚助は布団にくるまったまま何も言わないし(間を置いて)おとよは泣いていた。俺は問いつめたよ、何があったとな。ようやく甚助に口を開かせて初めて知った。怪我した理由も、おとよの身売りの話もな。そこまで追いつめた当人は今、呑気に風呂に入っている。風呂場から下手くそな端唄が聞こえたときには、俺は刀を抜いて風呂場に飛び込んでいた。
あの男は。
十四郎  (宗助の肩に手を置いて)言わなくて良い。

   宗助、上手側に歩いて距離を取る。

宗助  (急に振り返り)それで、俺をどうするつもりだ。
十四郎  言ったろう。俺はただ真のことが知りたいと。お前はどうするつもりだ。
宗助  (笑って)そうだな、藩に名乗り出るつもりだ。
文吾  (驚いて)お前、それじゃあ。
十四郎  良いのか。宗助。
宗助  構わぬよ。いずれはばれると思っていた。俺も武士だ。仮にも人一人切って許されるとも思っていない。ただ時が稼げればと思っていただけだ。
十四郎  (にやりと笑って)一月後の御前試合まで、か?
宗助  (目を丸くした後、呆れて)お前、嫌な奴だな。
十四郎  (肩をすくめて)自覚はある。
宗助  それより、(十四郎に手を伸ばして)その刀、返してくれないか。どうも丸腰だと落ち着かないんだ。

   十四郎、返事をしない。片手で刀をぶら下げもう片手で鞘で肩を叩き続ける。

宗助  どうした? まさか俺が口封じに斬りかかると思っているのか? 今更お前らを切ってどうなるものでもあるまい。それに、俺は友は切らないよ。約束する。さ、早く。(十四郎の前まで近寄り腕を差し伸ばす)
十四郎  ああ、分かった。

   十四郎、刀を鞘に納め、差し出す。
   宗助が受け取った瞬間、気合いとともに拳を宗助の腹に叩き付ける。
   地面に転がる刀。
   呻き声とともに崩れ落ちる宗助の体を十四郎が受け止める。

文吾  (宗助に掛け寄り)何の真似だ、十四郎。
十四郎  (顔だけ文吾に向き直り)察しが悪いな、文吾。宗助はな、刀を受け取ったらこの場で腹を切るつもりだったんだよ。
文吾  そうなのか? そうとは知らず、すまんな。(宗助の刀を拾う。ふと好奇心に駆られて刀を抜き、鞘の中を覗き込む)おい、犬の毛など入っておらぬぞ。
十四郎  犬の毛? (冷ややかに)あるわけないだろう。そんなもの。
文吾  え? お前さっき………。
十四郎  (宗助を見て笑う)ああでも言わないと白状しないからな、こいつは。
文吾  (呆れて)宗助の言うとおりだ。お前の性根はひん曲がっておる。
十四郎  (間髪入れず)だが友には恵まれている。

   文吾、溜息ついて、頭を掻く。その時ふと浮かんだ疑問に首をかしげる。

文吾  それと、何故、野島は甚助の家の風呂になど入っていたんだ?
十四郎  (吐き捨てるように)汗も掻いただろうからな。風呂にも入りたかろう。
文吾  ん、どういうことだ?
十四郎  女衒という奴は、娘を売る前に自分でその味を確かめるそうだ。
文吾  それじゃあ………。そうか、(俯いて)つくづく察しが悪いな、俺は。
十四郎  落ち込む暇があるなら、ほれ。

   十四郎、気絶した宗助を文吾に渡す。文吾、十四郎と宗助を交互に見る。

十四郎  さっきも言ったが、宗助は腹を切るつもりだ。そんな真似をさせぬよう、お前の家に連れ帰って見張っていてくれ。一時も目を離すなよ、いいな。
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