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第三幕(後半)
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文吾 お前はどうするんだ?
十四郎 俺は、宗助の後始末をしていく。まだ証拠が残っている。宗助が借りた、甚助の着物とかな。まだどこかに残っているはずだ。このままでは何かの拍子に宗助の仕業とばれかねない。(刀の柄を握りしめ)俺は、宗助を助けたい。
文吾 分かった。気をつけてな。
文吾、宗助を抱えたまま、上手側に移動。十四郎、下手側に移動しはじめて、
文吾 (大声で)十四郎!
十四郎、振り返る。
文吾 今日は、こんなことになったが、落ち着いたら三人で飲みに行こうな。言っただろ。御笠屋だ。鮎の干物が旨いんだ。宗助の奢りだからな。たらふく食ってこいつの財布を空にしてやろう。な。
十四郎 (大声で)ああ、楽しみにしてるよ。
文吾 (やや涙声になりながら)必ずだぞ。
文吾、名残惜しそうに上手から退場。十四郎はその場で立ちつくしている。
その時下手側から人の話し声がして振り返る。
殿と取り巻きの侍二人、笑い声とともに下手から登場。
十四郎は跪いて頭を下げる。
殿は十四郎の姿を認めると不機嫌な顔になる。
顔を背け、十四郎の前を行き過ぎる。
十四郎 (大声で)お待ち下さい、殿。
殿 (振り返って)何じゃ貴様。早う失せろ。
十四郎 (立ち上がって殿に近寄り、再び跪く)お怒りはごもっともなれど、殿に是非ともお話しせねばならぬ事がございます。
殿 わしに話すことはない。下がっておれ。
十四郎 実は、野島半次郎の遺書が見つかりましてございます。
殿 野島の?
十四郎 (頷いて)一読致しましたところ殿にとって、いえ、我が藩の存亡に関わる一大事が記されており、お怒りはごもっともなれど見過ごすことも出来ず、こうしてはせ参じてございます。
殿 (怒りに顔を歪めて)いい加減なことを申すと承知せぬぞ。
十四郎 (真剣な表情で)拙者の話が下らぬと思われるなら、お手討ちにして下さっても構いませぬ。ですからなにとぞ、なにとぞ(土下座する)。
殿 その大事とはなんじゃ? 申せ。
十四郎 (取り巻き二人を見て)なにぶん、他聞を憚ることなれば、お人払いを。
殿 (取り巻きに向かって)貴様ら、先に行っておれ。
取り巻き一 しかし、殿。
殿 (遮るように)構わぬ。何かあればすぐに呼ぶ。早う行かぬか!(しっし、と手で払う)
取り巻き二人、不服そうに命令に従い、上手側に消える。
殿 (取り巻き二人が退場したのを確かめて)して、なんじゃ。藩の存亡に関わる大事とは。早う申せ。直答を許す。
十四郎 はっ、それでは。
居住いを正す。背を伸ばし、じっと殿の顔を見据える。
十四郎 (殿の声色を真似て)一目見たときから気になっておったのだ。なかなかに良い尻をしておるとな。
殿 なっ(思わず後ろに一歩下がる)
十四郎 (同じく殿の声色で)茶屋に無理に連れ込んだはちと強引だったかも知れぬが、何、これもそちが美しいからの。まあそう固くなるな。わしが誰か知っておるだろう。
殿 貴様、どこでそれを!
十四郎 (無視して)何、逆らうか、貴様。生意気な。わしに逆らえば貴様の家を潰すなぞ蚊を払うより容易いこと。分かっておろうな。貴様の夫も路頭に迷うぞ。
殿 答えぬか、加賀!
十四郎 (更に嫌らしく)これでも道具立てはなかなかのものよ。目を瞑っておればよい。夫には分からぬ。どうせ田舎侍のこと、閨のことなど何も知らぬ堅物であろう。楽しませてやろうというのだ。大人しくせい!
十四郎、ゆっくり立ち上がる。幽霊のような力の抜けた動きで殿に近寄っていく。一歩近寄るたびに殿が一歩後退する。五、六歩近付いたところで十四郎の動きが止まる。
十四郎 本当に武家の妻が一人で出歩いていたとお思いか? ちょうどあれは夏祭りの日でしたな。隣の藩からも大勢人が集まり、この寺の境内は大変な人混みでした。(顔を上げて)その日、夫は妻を祭りに誘いました。夫の家は貧しく、妻は毎日内職で疲れ切っていました。そのような妻に何かして報いてやりたい。なれど高価な着物や簪、物見遊山など夫の家では到底敵わぬ事。ならばせめて一晩だけでも楽しい思いをさせてやりたい。そういう思いだったのです。なれど人混みは思いの外激しく、気づいたときには夫は妻とも供の者とはぐれていたのです。
殿、無言のまま、十四郎を怪訝な顔で見ている。
十四郎 無論、夫は妻を探しました。いや、その時にはたいしたことはない、供に娘を一人つけているし、どうせすぐに会えると安心しきっておりました。ですが、その日、妻は見つかりませんでした。家にも、実家にも戻っていませんでした。次の日の朝になって、妻は戻ってきました。顔を赤く泣きはらした供の娘とともに。髪も着物も、妻が己で直したとすぐに分かりました。夫の目から見ても、その態度は毅然としたものでした。(一呼吸置いて)当然、夫は妻の異変を知ります。何があった、と。(自嘲するように)分かっている癖に何度も妻を問いただしました。あるいは、妻に違うと言って欲しかったのやも知れませぬ。妻は何も言いませんでした。ですが、供の娘が泣きながら、拙者に言いました。妻は殿と取り巻きの男たちに無理矢理、水茶屋に連れ込まれたと。為す術もなく、ただ見ていることしか出来なかったと供の娘は泣きながら拙者に詫びました。(殿に視線を移す)。左様、あの日、殿が手込めにしたのは拙者の妻でござる。
殿、途方に暮れたように十四郎を見る。そして口の端を緩めて笑う。
やがて少しずつ笑い声が大きくなっていく。
殿 (笑いながら)何を大層に言うかと思えば、そのようなことか。下らぬ。
十四郎 (無言で拳を握る)
殿 (拳で口のよだれを拭いて)要するに、貴様。女房を手込めにされた恨み言が言いたいのか? 女房が捨て置いたものをほじくり返して、ご苦労だな。すっかり鼻毛まで抜かれておるな。そう言えば、あの女、わしに押し倒されながら旦那様旦那様と何遍もほざいておったが、あれは貴様のことか。(にたりと笑い)はじめは逆らっておったが、家を潰すと言ったらおとなしくなりよった。(十四郎の側を通り過ぎ、舞台中央に歩いて)どうだ。喜んでおったろう? 貴様とは道具が違うでな。それとも、子でも宿したか? いや、まだ早いか。(十四郎の肩に手を置いて)出来たら言うが良い。なにがしかの銭はくれてやるぞ。
十四郎、殿の手を振り払うとゆっくり刀の柄に手をかける。
殿が異様な気配を察し、笑顔を凍らせ、後ずさりする。
十四郎、殺意を漲らせて殿に近付く。
殿 (必死に)誰か、誰か早う来い。乱心者じゃ!
殿、上手側に後ずさりする。殿に歩調を合わせるように十四郎が無言で近付いていく。
殿 貴様、わしを誰だと思っておる。伊那川藩藩主、鹿島備前守宗篤であるぞ。貴様の。主だぞ!
その間にも十四郎が近付いてくる。殿が腰の刀を抜こうとする。
その瞬間、十四郎が大刀を抜き、すれ違いざまに殿を切っていた。
殿の絶叫が上がる。
一瞬硬直し、悶えながら十四郎の刀を指さす。
信じられないものを見た顔。
高々と掲げられた十四郎の大刀は白く鋼の輝きを放っていた。
十四郎 (皮肉っぽく)やはり両方とも竹光では心許なき故、せめて大刀だけでも、と昨日質屋より請け出しておいたのを今思い出しました。どうも近頃忘れっぽくていけませぬな。
殿の絶叫を聞き、取り巻き二人が上手より駆けつける。
異変に気づき、刀を抜いて十四郎に襲いかかる。
十四郎、取り巻き一が振り下ろした刀を弾き落とすと駆け抜けざまに斬りつける。
返す刀で斬りかかってきた取り巻き二の脇腹をなぎ払う。
そして刀を一振りするとまた殿に近付いていく。
殿 (苦しい息の中で)わしに、わしにこのような真似を、貴様の家は潰れるぞ。大事な妻も打ち首よ。
十四郎 (感情のこもらない声で)ご心配は無用にございます。
十四郎が刀を上段に構える。
十四郎 妻は………雪江は、自害致しました。(刀を振り上げ)御免!
十四郎、殿を袈裟懸けに切り捨てる。もう一度殿の絶叫。
悶えながら地面に倒れ、動かなくなる。
十四郎は殿に近付き、その背中に刀を突き立てとどめを刺す。
又右衛門 (舞台の外から)今の声は、何事でございますか!
又右衛門、上手から息を切らして登場。
殿と十四郎、取り巻きたちの死骸を見て腰を抜かす。
十四郎は顔だけ又右衛門の方を向ける。
又右衛門 (狼狽して)加賀、き、貴様。狂ったか!
十四郎 (間髪入れず)左様。狂うてござる!(刀を殿から引き抜き、肩に担ぐ)これなる野良犬は民を顧みず、飢えるも苦しむも慮外の事。一匹では糞の始末も出来ぬ駄犬なれど、百石、千石と餌をちらつかせ、群れなす手管は古今無双。馬と囲碁が好物で、特におなごと見れば噛みついて離れぬ無法ぶり。君、君たらざれば、臣、臣たらざるなり。拙者、藩に巣くう野良犬を成敗致しました。これより皮を剥ぎ、腸を裂いて犬鍋に致します故、お奉行も食されるがよろしかろう! もっとも、この野良犬、病もち故、食えば腹を壊すやも知れませぬがな。(十四郎、高らかに笑う)
十四郎、又右衛門に近付く。又右衛門、腰が抜けて動けない。刀の切っ先がその鼻先に突きつけられる。
十四郎 (挑発するように)それとも、今ここで拙者と立ち会われますかな?
又右衛門、力一杯頭を振る。腰を抜かしたまま、後ずさる。
五、六歩ほど距離をとったところで十四郎に背を向ける。
這うようにして上手側に逃げていく。
又右衛門 (舞台外へ向かって大声で)乱心じゃ。殿が、殿が。加賀が殿を、乱心者じゃあ。
這々の体で又右衛門、退場。
十四郎 (刀を下ろして)のんびりしてる暇はない、か。
十四郎、舞台中央の先生の墓前に移動する。
刀を地面に置き、墓に向かって頭を下げると客席側を向いて正座する。
ひぐらしの鳴き声。
上手から大勢の人間が足音が聞こえる。
又右衛門(舞台外から)早く、殿が殿が。
袖からを女物の帯の切れ端を取り出す。
高価そうな、鮮やかな緋色の文様。
それを手の中で愛おしそうに見つめる。
その後で逆手に持った刀身の中程を、帯の切れ端で包む。
又右衛門 (同じく舞台外から)乱心じゃ、加賀めが乱心しよった。狂った。加賀が狂いよった!
諸肌脱ぎになると刀の、切れ端で包んだ辺りを両手で握りしめる。
気合いとともに自らの腹に突き刺す。
その瞬間、舞台が溶暗。
完
十四郎 俺は、宗助の後始末をしていく。まだ証拠が残っている。宗助が借りた、甚助の着物とかな。まだどこかに残っているはずだ。このままでは何かの拍子に宗助の仕業とばれかねない。(刀の柄を握りしめ)俺は、宗助を助けたい。
文吾 分かった。気をつけてな。
文吾、宗助を抱えたまま、上手側に移動。十四郎、下手側に移動しはじめて、
文吾 (大声で)十四郎!
十四郎、振り返る。
文吾 今日は、こんなことになったが、落ち着いたら三人で飲みに行こうな。言っただろ。御笠屋だ。鮎の干物が旨いんだ。宗助の奢りだからな。たらふく食ってこいつの財布を空にしてやろう。な。
十四郎 (大声で)ああ、楽しみにしてるよ。
文吾 (やや涙声になりながら)必ずだぞ。
文吾、名残惜しそうに上手から退場。十四郎はその場で立ちつくしている。
その時下手側から人の話し声がして振り返る。
殿と取り巻きの侍二人、笑い声とともに下手から登場。
十四郎は跪いて頭を下げる。
殿は十四郎の姿を認めると不機嫌な顔になる。
顔を背け、十四郎の前を行き過ぎる。
十四郎 (大声で)お待ち下さい、殿。
殿 (振り返って)何じゃ貴様。早う失せろ。
十四郎 (立ち上がって殿に近寄り、再び跪く)お怒りはごもっともなれど、殿に是非ともお話しせねばならぬ事がございます。
殿 わしに話すことはない。下がっておれ。
十四郎 実は、野島半次郎の遺書が見つかりましてございます。
殿 野島の?
十四郎 (頷いて)一読致しましたところ殿にとって、いえ、我が藩の存亡に関わる一大事が記されており、お怒りはごもっともなれど見過ごすことも出来ず、こうしてはせ参じてございます。
殿 (怒りに顔を歪めて)いい加減なことを申すと承知せぬぞ。
十四郎 (真剣な表情で)拙者の話が下らぬと思われるなら、お手討ちにして下さっても構いませぬ。ですからなにとぞ、なにとぞ(土下座する)。
殿 その大事とはなんじゃ? 申せ。
十四郎 (取り巻き二人を見て)なにぶん、他聞を憚ることなれば、お人払いを。
殿 (取り巻きに向かって)貴様ら、先に行っておれ。
取り巻き一 しかし、殿。
殿 (遮るように)構わぬ。何かあればすぐに呼ぶ。早う行かぬか!(しっし、と手で払う)
取り巻き二人、不服そうに命令に従い、上手側に消える。
殿 (取り巻き二人が退場したのを確かめて)して、なんじゃ。藩の存亡に関わる大事とは。早う申せ。直答を許す。
十四郎 はっ、それでは。
居住いを正す。背を伸ばし、じっと殿の顔を見据える。
十四郎 (殿の声色を真似て)一目見たときから気になっておったのだ。なかなかに良い尻をしておるとな。
殿 なっ(思わず後ろに一歩下がる)
十四郎 (同じく殿の声色で)茶屋に無理に連れ込んだはちと強引だったかも知れぬが、何、これもそちが美しいからの。まあそう固くなるな。わしが誰か知っておるだろう。
殿 貴様、どこでそれを!
十四郎 (無視して)何、逆らうか、貴様。生意気な。わしに逆らえば貴様の家を潰すなぞ蚊を払うより容易いこと。分かっておろうな。貴様の夫も路頭に迷うぞ。
殿 答えぬか、加賀!
十四郎 (更に嫌らしく)これでも道具立てはなかなかのものよ。目を瞑っておればよい。夫には分からぬ。どうせ田舎侍のこと、閨のことなど何も知らぬ堅物であろう。楽しませてやろうというのだ。大人しくせい!
十四郎、ゆっくり立ち上がる。幽霊のような力の抜けた動きで殿に近寄っていく。一歩近寄るたびに殿が一歩後退する。五、六歩近付いたところで十四郎の動きが止まる。
十四郎 本当に武家の妻が一人で出歩いていたとお思いか? ちょうどあれは夏祭りの日でしたな。隣の藩からも大勢人が集まり、この寺の境内は大変な人混みでした。(顔を上げて)その日、夫は妻を祭りに誘いました。夫の家は貧しく、妻は毎日内職で疲れ切っていました。そのような妻に何かして報いてやりたい。なれど高価な着物や簪、物見遊山など夫の家では到底敵わぬ事。ならばせめて一晩だけでも楽しい思いをさせてやりたい。そういう思いだったのです。なれど人混みは思いの外激しく、気づいたときには夫は妻とも供の者とはぐれていたのです。
殿、無言のまま、十四郎を怪訝な顔で見ている。
十四郎 無論、夫は妻を探しました。いや、その時にはたいしたことはない、供に娘を一人つけているし、どうせすぐに会えると安心しきっておりました。ですが、その日、妻は見つかりませんでした。家にも、実家にも戻っていませんでした。次の日の朝になって、妻は戻ってきました。顔を赤く泣きはらした供の娘とともに。髪も着物も、妻が己で直したとすぐに分かりました。夫の目から見ても、その態度は毅然としたものでした。(一呼吸置いて)当然、夫は妻の異変を知ります。何があった、と。(自嘲するように)分かっている癖に何度も妻を問いただしました。あるいは、妻に違うと言って欲しかったのやも知れませぬ。妻は何も言いませんでした。ですが、供の娘が泣きながら、拙者に言いました。妻は殿と取り巻きの男たちに無理矢理、水茶屋に連れ込まれたと。為す術もなく、ただ見ていることしか出来なかったと供の娘は泣きながら拙者に詫びました。(殿に視線を移す)。左様、あの日、殿が手込めにしたのは拙者の妻でござる。
殿、途方に暮れたように十四郎を見る。そして口の端を緩めて笑う。
やがて少しずつ笑い声が大きくなっていく。
殿 (笑いながら)何を大層に言うかと思えば、そのようなことか。下らぬ。
十四郎 (無言で拳を握る)
殿 (拳で口のよだれを拭いて)要するに、貴様。女房を手込めにされた恨み言が言いたいのか? 女房が捨て置いたものをほじくり返して、ご苦労だな。すっかり鼻毛まで抜かれておるな。そう言えば、あの女、わしに押し倒されながら旦那様旦那様と何遍もほざいておったが、あれは貴様のことか。(にたりと笑い)はじめは逆らっておったが、家を潰すと言ったらおとなしくなりよった。(十四郎の側を通り過ぎ、舞台中央に歩いて)どうだ。喜んでおったろう? 貴様とは道具が違うでな。それとも、子でも宿したか? いや、まだ早いか。(十四郎の肩に手を置いて)出来たら言うが良い。なにがしかの銭はくれてやるぞ。
十四郎、殿の手を振り払うとゆっくり刀の柄に手をかける。
殿が異様な気配を察し、笑顔を凍らせ、後ずさりする。
十四郎、殺意を漲らせて殿に近付く。
殿 (必死に)誰か、誰か早う来い。乱心者じゃ!
殿、上手側に後ずさりする。殿に歩調を合わせるように十四郎が無言で近付いていく。
殿 貴様、わしを誰だと思っておる。伊那川藩藩主、鹿島備前守宗篤であるぞ。貴様の。主だぞ!
その間にも十四郎が近付いてくる。殿が腰の刀を抜こうとする。
その瞬間、十四郎が大刀を抜き、すれ違いざまに殿を切っていた。
殿の絶叫が上がる。
一瞬硬直し、悶えながら十四郎の刀を指さす。
信じられないものを見た顔。
高々と掲げられた十四郎の大刀は白く鋼の輝きを放っていた。
十四郎 (皮肉っぽく)やはり両方とも竹光では心許なき故、せめて大刀だけでも、と昨日質屋より請け出しておいたのを今思い出しました。どうも近頃忘れっぽくていけませぬな。
殿の絶叫を聞き、取り巻き二人が上手より駆けつける。
異変に気づき、刀を抜いて十四郎に襲いかかる。
十四郎、取り巻き一が振り下ろした刀を弾き落とすと駆け抜けざまに斬りつける。
返す刀で斬りかかってきた取り巻き二の脇腹をなぎ払う。
そして刀を一振りするとまた殿に近付いていく。
殿 (苦しい息の中で)わしに、わしにこのような真似を、貴様の家は潰れるぞ。大事な妻も打ち首よ。
十四郎 (感情のこもらない声で)ご心配は無用にございます。
十四郎が刀を上段に構える。
十四郎 妻は………雪江は、自害致しました。(刀を振り上げ)御免!
十四郎、殿を袈裟懸けに切り捨てる。もう一度殿の絶叫。
悶えながら地面に倒れ、動かなくなる。
十四郎は殿に近付き、その背中に刀を突き立てとどめを刺す。
又右衛門 (舞台の外から)今の声は、何事でございますか!
又右衛門、上手から息を切らして登場。
殿と十四郎、取り巻きたちの死骸を見て腰を抜かす。
十四郎は顔だけ又右衛門の方を向ける。
又右衛門 (狼狽して)加賀、き、貴様。狂ったか!
十四郎 (間髪入れず)左様。狂うてござる!(刀を殿から引き抜き、肩に担ぐ)これなる野良犬は民を顧みず、飢えるも苦しむも慮外の事。一匹では糞の始末も出来ぬ駄犬なれど、百石、千石と餌をちらつかせ、群れなす手管は古今無双。馬と囲碁が好物で、特におなごと見れば噛みついて離れぬ無法ぶり。君、君たらざれば、臣、臣たらざるなり。拙者、藩に巣くう野良犬を成敗致しました。これより皮を剥ぎ、腸を裂いて犬鍋に致します故、お奉行も食されるがよろしかろう! もっとも、この野良犬、病もち故、食えば腹を壊すやも知れませぬがな。(十四郎、高らかに笑う)
十四郎、又右衛門に近付く。又右衛門、腰が抜けて動けない。刀の切っ先がその鼻先に突きつけられる。
十四郎 (挑発するように)それとも、今ここで拙者と立ち会われますかな?
又右衛門、力一杯頭を振る。腰を抜かしたまま、後ずさる。
五、六歩ほど距離をとったところで十四郎に背を向ける。
這うようにして上手側に逃げていく。
又右衛門 (舞台外へ向かって大声で)乱心じゃ。殿が、殿が。加賀が殿を、乱心者じゃあ。
這々の体で又右衛門、退場。
十四郎 (刀を下ろして)のんびりしてる暇はない、か。
十四郎、舞台中央の先生の墓前に移動する。
刀を地面に置き、墓に向かって頭を下げると客席側を向いて正座する。
ひぐらしの鳴き声。
上手から大勢の人間が足音が聞こえる。
又右衛門(舞台外から)早く、殿が殿が。
袖からを女物の帯の切れ端を取り出す。
高価そうな、鮮やかな緋色の文様。
それを手の中で愛おしそうに見つめる。
その後で逆手に持った刀身の中程を、帯の切れ端で包む。
又右衛門 (同じく舞台外から)乱心じゃ、加賀めが乱心しよった。狂った。加賀が狂いよった!
諸肌脱ぎになると刀の、切れ端で包んだ辺りを両手で握りしめる。
気合いとともに自らの腹に突き刺す。
その瞬間、舞台が溶暗。
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