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第三章 兜を脱ぐは脱兎の如く
第22話 裸馬の捨て鞭 上
しおりを挟む第22話 裸馬の捨て鞭 上
諭吉は崖の上まで這い上がる。リリーが待っていて、引き上げてくれた。
「やあ、助かった。ありがとう」
「あの、それより」と、急いた様子で諭吉の腕をつかむ。
「一体何が起こったんですか? さっきまで池の側にいたはずなのに。あと一瞬、池の底にもいたような」
自体が掴めず、目を白黒させている。無理もない。
「まあ、そうだな」
頭の後ろをかきながらどうやって説明したものか、と思考を巡らせる。
「実際に見せた方が早いか」
諭吉は『クローゼット』から二体のぬいぐるみを取り出した。赤い服を着た犬と、青い服を着た猫だ。下宿先である古着屋の買取で入荷したのを譲ってもらったものである。
「かわいい」とリリーが物欲しそうに目を輝かせるが、別にプレゼントするためではない。
犬を諭吉たちから見て右側、猫を左側に置くと少し距離を取る。
「よーく見てて」
指を鳴らした。犬が青い服に、猫が赤い服に入れ替わる。
「あ、これ『早着替え』ですか?」
「まあね。今のが『交換』、見ての通り互いの服を取り替えたんだ」
リリーには『早着替え』の基本的なことしか説明していなかったし、『交換』を見せるのも初めてなので興味深そうにぬいぐるみを見つめている。
「へえ」
「で、次にやるのが、これだ」
諭吉は指を鳴らした。次の瞬間、犬と猫の服が元通りになる。リリーが声を上げた。
「ぬいぐるみが、入れ替わって……」
青い服を着た猫が右側に、赤い服を着た犬のぬいぐるみが左側に来ていた。
「『衣替え』っていってな、中身の方を入れ替えたんだよ」
服が移動出来るのなら人間の方も入れ替えられないか、と試行錯誤した結果である。
この力を使い、ドナルドと諭吉そしてリリーの位置を入れ替えたのだ。
「口で説明するより図で説明した方が早いよな」
と、諭吉は人形と地面に図を書いて解説する。
〇初期配置
諭吉・諭吉服・池の底
リリー・リリー服・池の上
ドナルド・ドナルド服・崖
「まず最初に『衣替え』で俺とリリーの位置を入れ替える」
本来なら直接ドナルドと入れ替えれば手っ取り早いのだが、池の底からではドナルドの位置は掴めなかった。そのため前段階としてまずリリーと諭吉の位置を入れ替える。この時点で修道女のような服を着ることになってしまい、端から見れば色々誤解を招きそうな格好になったのだが今は考えない事にする。
〇一回目(『衣替え』)
諭吉・リリー服・池の上
リリー・諭吉服・池の底
ドナルド・ドナルド服・崖
「次にドナルドとリリーの位置を入れ替える」
池の上に来れば、崖の上にいたドナルドの本体も見える。これでドナルドを池の底にまで引きずり下ろした。このままでもドナルドは自身の召還したサラマンダーに焼き殺される。
〇二回目(『衣替え』)
諭吉・リリー服・池の上
リリー・ドナルド服・崖
ドナルド・諭吉服・池の底
「でもこのままじゃあ俺の服までサラマンダーに真っ黒焦げになってしまう。だから次は『交換』で俺とドナルドの服を入れ替えたかったんだけど」
それではドナルドがリリーの服を着る羽目になる。それはリリーもいい気はしないだろう。寸前で気づいて良かった、と諭吉はひそかに安堵する。
そのため先に『交換』でリリーの服を元に戻すことにした。
〇三回目(『交換』)
諭吉・ドナルド服・池の上
リリー・リリー服・崖
ドナルド・諭吉服・池の底
「あとは俺とドナルドの服を入れ替えればそれで終わり」
〇四回目(『交換』)
諭吉・諭吉服・池の上
リリー・リリー服・崖
ドナルド・ドナルド服・池の底
「要するに、『衣替え』と『交換』二回ずつ使って俺とドナルドの位置を取り替えたんだ。サラマンダーの炎に焼かれたのは、ドナルド本人ってわけ」
「それじゃあ、ドナルド先生は……」
「炎に巻かれて、そのまま黒焦げだ。もう死んでいる」
リリーがはっと息を呑む。
「ああ、すまない。無神経だったな」
「いえ、そういうことではなくって」
リリーが取りつくろうように首を振る。
「あの人が死んだのはもう自業自得というか、むしろ当たり前なので特に何も」
さっぱりした物言いだった。薄情とか無関心と言うよりは、日本より死が身近なせいだろう、と諭吉は思った。いたましい出来事ではあっても日常に起こりうるため、厭う気持ちが薄いのだ。実際、諭吉が学院に入学してからも栄養失調による病気と水難事故で二人の学生が亡くなっている。
「それより、ユキチさんがなんだか辛そうで」
「俺が?」
「……優しいんですね」
「そんなことはないよ」
責任を感じていない、といえばウソになるがドナルドの死に罪悪感はなかった。諭吉とて、殺そうとした相手を気遣えるような余裕も広い心も持ち合わせていない。殺さなければこちらが殺されていた。警告もした以上、法律的にも倫理的にも責められる謂われはないと思っている。正当防衛だ。
それでも諭吉が気に掛けているとしたら、つい先程まで会話をしていた人間がもう物言わぬ死体に変わっているという寂寥感であり、諭吉自身がそうなってもおかしくないという事実を突きつけられたからだ。
「あの、それより」
重苦しい雰囲気を振り払うように、リリーが自身のポケットを指さす。
「さっき、私のポケットにメモが入ってたんですけど、これも『早着替え』ですよね」
「ああ」
名付けて『神秘的なポケット』、由来はお察しの通りだ。
「でも、あの時ユキチさん指を鳴らしていなかったのに」
「言ってなかったっけ? 指を鳴らさなくっても『スキル』は使えるんだよ。鳴らした方が上手く使えるってだけ。まあ、使うときの構えというか儀式みたいなものかな。魔法でいうところの呪文みたいな」
「呪文ってことは……指を鳴らす以外にも動作があるんですか?」
「まあ、ね」
「どんなのがあるんですか? 見てみたいです」
諭吉は気まずそうに顔をしかめた。
「また今度な」
「今はダメなんですか?」
「なんというか、『切り札』みたいなものだから。めったに使うものじゃない」
せっかく使わずに済んだのだ。改めて人前で使うのは恥ずかしい。素面の時に使いたくなかった。
「それより早く戻ろう。ケイト先輩も心配しているだろう。課題も放りっぱなしだ」
「そうですね。帰って無事だって知らせて……」
気もそぞろな様子のリリーの後方で何かが光るのが見えた。
「危ない!」
諭吉は指を鳴らした。手元に樫の木の杖が現れる。先端には水晶玉が嵌め込まれている。
「魔法の杖、か」
白く光っていた水晶玉の輝きが徐々に薄れていく。諭吉はリリーを庇いながら前に出る。
「ユキチさん?」
「そこにいるんだろう、出て来いよ」
生い茂る木立に向かって呼びかける。返事はなかった。黒い影が山の奥へと消えていく。
「リリー、先に戻っていてくれ」
そう言い置いて諭吉は指を二回鳴らした。『衣替え』と『交換』で、先程までリリーの居た場所には耳の長いウサギが座っていた。
崖の下で座り込んでいるリリーの元へ、ケイト先輩が駆け寄っていくのを見届けながら諭吉は森の中へと入っていった。
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