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第五章 異世界人は手套を脱す
第34話 裸で物を落とした例なし 上
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第34話 裸で物を落とした例なし 上
衝突の勢いで、足が抜ける。胸に大穴を開けられたまま『タナトス』は地面を滑り、大木に背中を打ち付けられる。ハラハラと落ち葉の降り注ぐ中、白き狼男の胸からはいつしか血ではなく白い光の粒がこぼれ落ちている。『リターナー』の消滅の合図だ。本物の死を迎えると肉体は徐々に、あるいは一瞬にして光の粒へと変わり、消滅する。
「やだよ、これ。あり得ないよ。死にたくねえよ……」
狼の口から漏れたのはひどく幼げな響きだった。
「残念だったな。死ぬんだよ、俺もお前も」
死刑執行は既になされた。冥王は永遠を許さない。偽りの不死を断罪し、あるべき世界へと連れて行く。死という虚無の世界へ。
「『死はいつか訪れる』」
「…………!」
声にならない叫び声を上げて、『ロストナンバー』は消滅した。
光の粒が空へと舞い上がり、虚空に消えていく。これでケイト先輩も浮かばれるだろうか、と思ったところで首を振る。所詮は感傷だ。意味はない。死者は何も思わない。感じない。
光の粒が完全に消滅したのを見送ると『タナトス』は湖の上に浮かぶ黒い渦……『リターナー』を閉じ込めた牢獄を見つめる。光を飲み込む冥府魔道の門。もう少しすれば、あの中から不死身の怪物が飛び出してくる。
門を開けること自体は、計画のうちだった。だが、出て来られては困るのだ。
『タナトス』は助走を付けると地を蹴り、黒い渦の中に飛び込んだ。
そこは真っ暗な空間だった。足場もなく、入ってきたはずの渦もいつの間にか消えている。海の中を漂っているような感覚に似ているが、手足を動かしても抵抗はさほど感じない。時折目の前を黒い霧のようなものが漂い、時折、渦を巻いて虚空へと消えてまた生まれる。
あいつはどこだ、と辺りを見回す。光のない世界でも『冥王の鎧』の能力で、視界は昼間のように良好だった。
やがてはるか底にわずかな光を見つける。鬼火のように青白い光の中に、道化師はいた。『タナトス』は一瞬迷ったが、体を上下反転させ、闇の底へと潜っていく。あと十メートルほどのところで『クラウン』は今更気づいたかのように顔を上げ、馴れ馴れしく手を上げる。
「やあ、遅かったね」
「また会ったな」
忘れもしないあの日。トムからいじめを告白されたその前夜。すでに『タナトス』と『クラウン』は戦っていた。
反『リターナー』の力で圧倒したものの、もう少しのところで湖に叩き落とされ、見失ってしまった。おかげで諭吉はびしょ濡れになり、裸でベッドに潜り込む羽目になった。
進行方向を変え、少し離れた場所に降り立つ。闇の中で不死者と冥王が対峙する。
「今までどこに隠れていたんだ? 便所の中か? それとも、母親のスカートの中か」
「君は存外に口が悪いな」呆れたように言って、首を傾げる。
「それでも本当に教師?」
おそらく外の会話を聞いていたのだろう。
「こう見えても生徒からの評判は良かったんだ。先生方ともうまくやっていた」
その分、学年主任に教頭や校長、PTAからの評判は最悪だったが。
「とんだ暴力教師だね。君にやられて僕は、ずっとケガの治療につとめていたんだ。湖の中でね」
「あ……」
その言葉に『タナトス』……諭吉は自分のうかつさを悟った。そうだ、何を勘違いしていたんだ。『リターナー』は呼吸などしないというのに。
「この体は酸素なんて必要ないからね。皮膚だって人間とは違うんだ。いくらでも潜っていられるよ」
ヴィンセントの『スキル』なら見つけられたのだろうが、さすがに湖の底までは想定外だったのだろう。嫌みの一つも言ってやりたいが、気づかなかったのは諭吉も同じなので責めるに責められない。
「素潜り選手権なら世界一だな」
「そんなのはいらない」
道化師の仮面が静かに揺れる。
「僕が欲しい称号はこのゲームの一位。それだけさ。なのに、君のせいで、僕はたくさんの仲間を失った。『錬金術師』、『狂気医神』、『月面歩行』、『魔術師』、『魔神甲冑』、『不死者王』、『大虐殺者』、そして『失われた数』」
「お前にとってはその方が都合がいいだろう。ライバルがいなくなった上に、時間稼ぎを果たしたんだ」
「そいつはひどいなあ」
『クラウン』はのどを鳴らして笑った。
「『ロストナンバー』のことなら僕は確かに友情を感じていたよ。彼とは友達と言ってよかった。こことは別の世界で、何千人と殺したこともある。僕と彼とでワンツーフィニッシュだ。どっちが上かわかる?」
「さあな」
「二度と会えないのはさびしいさ。でも戦いってそういうものだろ。負けることもある。けれど、彼はいなくなっても彼の記録は残り続ける。彼が打ち立てた累計三百四十五万九千四百十六人という記録は、歴代でもベストテンに入る。いずれ時間が経って後進に追い抜かされることもあるだろう。けれど、彼の労力と費やした時間は失われるものじゃない。僕と、君たちの歴史の中で永遠にね」
「クソくらえだ」
この世に永遠などありはしない。宇宙ですらいずれ消滅するのだ。
「そんな記録、すぐに消し去ってやるよ」
『タナトス』は半身になり、わずかに体を前屈させる。
「服を脱ぐみたいにな」
衝突の勢いで、足が抜ける。胸に大穴を開けられたまま『タナトス』は地面を滑り、大木に背中を打ち付けられる。ハラハラと落ち葉の降り注ぐ中、白き狼男の胸からはいつしか血ではなく白い光の粒がこぼれ落ちている。『リターナー』の消滅の合図だ。本物の死を迎えると肉体は徐々に、あるいは一瞬にして光の粒へと変わり、消滅する。
「やだよ、これ。あり得ないよ。死にたくねえよ……」
狼の口から漏れたのはひどく幼げな響きだった。
「残念だったな。死ぬんだよ、俺もお前も」
死刑執行は既になされた。冥王は永遠を許さない。偽りの不死を断罪し、あるべき世界へと連れて行く。死という虚無の世界へ。
「『死はいつか訪れる』」
「…………!」
声にならない叫び声を上げて、『ロストナンバー』は消滅した。
光の粒が空へと舞い上がり、虚空に消えていく。これでケイト先輩も浮かばれるだろうか、と思ったところで首を振る。所詮は感傷だ。意味はない。死者は何も思わない。感じない。
光の粒が完全に消滅したのを見送ると『タナトス』は湖の上に浮かぶ黒い渦……『リターナー』を閉じ込めた牢獄を見つめる。光を飲み込む冥府魔道の門。もう少しすれば、あの中から不死身の怪物が飛び出してくる。
門を開けること自体は、計画のうちだった。だが、出て来られては困るのだ。
『タナトス』は助走を付けると地を蹴り、黒い渦の中に飛び込んだ。
そこは真っ暗な空間だった。足場もなく、入ってきたはずの渦もいつの間にか消えている。海の中を漂っているような感覚に似ているが、手足を動かしても抵抗はさほど感じない。時折目の前を黒い霧のようなものが漂い、時折、渦を巻いて虚空へと消えてまた生まれる。
あいつはどこだ、と辺りを見回す。光のない世界でも『冥王の鎧』の能力で、視界は昼間のように良好だった。
やがてはるか底にわずかな光を見つける。鬼火のように青白い光の中に、道化師はいた。『タナトス』は一瞬迷ったが、体を上下反転させ、闇の底へと潜っていく。あと十メートルほどのところで『クラウン』は今更気づいたかのように顔を上げ、馴れ馴れしく手を上げる。
「やあ、遅かったね」
「また会ったな」
忘れもしないあの日。トムからいじめを告白されたその前夜。すでに『タナトス』と『クラウン』は戦っていた。
反『リターナー』の力で圧倒したものの、もう少しのところで湖に叩き落とされ、見失ってしまった。おかげで諭吉はびしょ濡れになり、裸でベッドに潜り込む羽目になった。
進行方向を変え、少し離れた場所に降り立つ。闇の中で不死者と冥王が対峙する。
「今までどこに隠れていたんだ? 便所の中か? それとも、母親のスカートの中か」
「君は存外に口が悪いな」呆れたように言って、首を傾げる。
「それでも本当に教師?」
おそらく外の会話を聞いていたのだろう。
「こう見えても生徒からの評判は良かったんだ。先生方ともうまくやっていた」
その分、学年主任に教頭や校長、PTAからの評判は最悪だったが。
「とんだ暴力教師だね。君にやられて僕は、ずっとケガの治療につとめていたんだ。湖の中でね」
「あ……」
その言葉に『タナトス』……諭吉は自分のうかつさを悟った。そうだ、何を勘違いしていたんだ。『リターナー』は呼吸などしないというのに。
「この体は酸素なんて必要ないからね。皮膚だって人間とは違うんだ。いくらでも潜っていられるよ」
ヴィンセントの『スキル』なら見つけられたのだろうが、さすがに湖の底までは想定外だったのだろう。嫌みの一つも言ってやりたいが、気づかなかったのは諭吉も同じなので責めるに責められない。
「素潜り選手権なら世界一だな」
「そんなのはいらない」
道化師の仮面が静かに揺れる。
「僕が欲しい称号はこのゲームの一位。それだけさ。なのに、君のせいで、僕はたくさんの仲間を失った。『錬金術師』、『狂気医神』、『月面歩行』、『魔術師』、『魔神甲冑』、『不死者王』、『大虐殺者』、そして『失われた数』」
「お前にとってはその方が都合がいいだろう。ライバルがいなくなった上に、時間稼ぎを果たしたんだ」
「そいつはひどいなあ」
『クラウン』はのどを鳴らして笑った。
「『ロストナンバー』のことなら僕は確かに友情を感じていたよ。彼とは友達と言ってよかった。こことは別の世界で、何千人と殺したこともある。僕と彼とでワンツーフィニッシュだ。どっちが上かわかる?」
「さあな」
「二度と会えないのはさびしいさ。でも戦いってそういうものだろ。負けることもある。けれど、彼はいなくなっても彼の記録は残り続ける。彼が打ち立てた累計三百四十五万九千四百十六人という記録は、歴代でもベストテンに入る。いずれ時間が経って後進に追い抜かされることもあるだろう。けれど、彼の労力と費やした時間は失われるものじゃない。僕と、君たちの歴史の中で永遠にね」
「クソくらえだ」
この世に永遠などありはしない。宇宙ですらいずれ消滅するのだ。
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