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「止まれ」
町の門前まで来ると数名の兵士が立ちはだかる。戦闘の直後だけあって、体中傷だらけだ。その顔にはいずれも職務としての使命感より困惑や警戒感が勝っている。あれだけの異変の後なのだから当然か、と同情しながらもエクスは腹に力を込め、毅然として名乗る。
「我らはメレディス王子殿下の命により王都から慰問のために来た、聖女のドロシー様とその護衛の者だ。辺境伯様にお目通り願いたい」
王都を出る前に手紙で訪問の旨を伝えているはずだが、兵士たちは警戒を緩めなかった。
「聖女? あののろまの?」
「『酒樽聖女』様なんかに来られてもなあ」
ドロシーの汚名は辺境にまで届いていたか、とうんざりする。
「無礼であろう! 結界の果てを越えて貴公らを助けるためにはるばる来られたのだ。今すぐ通してもらいたい」
「こちらは今しがたまで戦の最中だったのだ。役立たず聖女様の相手をしているヒマなど、町の誰にもない。また今度にしてくれ」
戦いで血が上っているのか、一兵士の分際で遠慮がない。
「だから、その町を助けるために来たのだ。ここで押し問答をしている間にも大勢のケガ人が苦しんでいるのだろう。聖女様ならば助けられるのだ!」
「ドロシー、ですよ」
呑気な声とともに幌馬車の中から現れる。
「聖女様ではなく、ドロシーです。前にも言いましたよ」
すねたように頬を膨らませる。指先で二の腕をつついてくる姿は子供のそれだ。
唖然とする兵士たちに向かって、ドロシーは優雅に一礼する。
「どうも、王都から参りました。ドロシーと申します」
兵士たちの顔が赤く染まる。
「あら、みなさんお怪我をされていますね」
ドロシーが今気づいたかのように驚いた顔を作ると、短く呪文を唱えると指を鳴らす。
兵士たちの傷がみるみるうちに癒えていく。腕の切り傷も足の噛み傷も全てふさがってむきだしの肌が露わになる。
「まさか今のは『治癒』の奇跡か?」
「だが、こんな短時間でなんて、そんな……」
出血だけでなく痛みもあっただろう。それが消え失せて信じられないという顔をしている。
「ほかにお怪我をされた方は?」
「え、あの」
戸惑っている兵士たちが急に足を押さえ出す。
「もったくさしているヒマあんならとっとと聖女様をお連れしろ、ぼけが!」
クリスティーヌ婆さんが兵士たちの足を杖で叩いたのだ。ご丁寧にすね当ての隙間を狙って。
「お願いしますね」
ドロシーの微笑みが決め手となり、町の門は開かれた。
案の定、兵士をはじめ負傷者は数百人に上っていた。それをドロシーは呪文一つで一度に治療したのだ。手足を失ったり、死ぬ寸前だった者も元通りに回復した。
大勢の住人が聖女様の奇跡を讃え、命の恩人に感謝し、その偉業に涙した。数万の魔物を消滅させた件についてはドロシーたちと事前に相談して曖昧に濁しておいた。力を見せすぎるとかえって災いを招く。
その夜、辺境伯の屋敷で盛大なもてなしを受けた。規模も料理も王都に比べれば質素なものだが、ドロシーに向けられる熱量は比べものにならなかった。
「全く、噂など当てにならぬものだな」
マッキンレイ辺境伯は五十に手が届こうかという大男である。白髪混じりの赤髪に赤銅色の肌はまるで赤い獅子を思わせる。背丈はエクスと同じくらいだが、腕の筋肉や胴回りといった厚みが一回り大きい。長きにわたり西の辺境を魔物や隣国のミレニアム皇国から守り抜いてきたのだ。歴戦の勇士である。
「無能だなんだと聞いていたが、なかなかどうして。どうせ陛下か宰相あたりが辺境に奪われまいと、下らぬ風評を流したのであろう」
出し惜しみしおって、と吐き捨てる。
「さあ皆の者。今日は聖女様歓迎の宴だ。大いに食って飲むがいい」
辺境伯の掛け声とともに宴は始まった。誰もが生き延びた喜びに歌い踊る。王都の舞踏会と違って洗練されておらず、礼儀も何もないが、情熱や躍動感ははるかに勝っている。
エクスはワインを傾けながら壁の花ならぬ壁のしみとなって宴を見物する。誰もが聖女様に夢中だ。青のマーメイドラインのドレスにエメラルドの首飾り。ドレスなど持っていないから、辺境伯夫人から借り受けたのを手直ししたものだ。以前なら嘲笑の的でしかなかっただろうが、しなやかな肢体にほっそりとした腰回りが強調されて、男女ともに目を輝かせている。
曲が始まると踊りたがる者が殺到した。曲ごとに入れ替わり立ち替わり、ドロシーとダンスを踊っている。
「ダンスなんて踊れたんだな……」
何度か舞踏会で見かけたはずだが、踊っているのを見た記憶がない。エクス自身、新婚時代に妻と踊ったが、お世辞にも上手いとは言えない。ドロシーからも誘われたが固辞した。晴れの舞台で恥をさらしたくない。
「ばかこくでねえ。習ったに決まってるだろが」
気がつくと、クリスティーヌ婆さんが隣でワインを片手に骨付き肉をかじっている。まるで山賊の女親分だな、とどうでもいいことが頭に浮かぶ。
「おめ、世が世ならどこぞの王子か貴族とパーティだって出なくちゃなんねえだぞ。踊りくれえ踊れなくってどうするよ。たわけが」
聖女として結界を維持しながら王子の妻としての見識や礼儀作法も求められていたのだ。どれほどの努力が必要だったのだろう。
「よく知っているな」
「本人からに聞いた決まってるだろうがよ、ほんにおめは底なしのアホだな」
そういえば『アプデの泉』以来、馬車の中で色々喋っているようだ。話し好きの年寄りだけでなくドロシーも今までの口下手を取り返すように話し続けている。詳しい内容は定かではないが、時折花が咲いたような笑い声が聞こえる。
「ほれ、あんな風によ」
と顔を上げれば、ドロシーは見知らぬ美丈夫と踊っていた。赤い髪を後ろで束ね、赤銅色の肌をした若者だ。獣のような逞しさを感じさせる反面、踊りも作法に則っている。ただの荒くれでないのは明らかだった。
「辺境伯様のわらしだとよ。ほれ、昼間の戦でも外に出て、一つ目と戦ってただろうが」
「ああ」
あの決死隊を率いていたのがあの息子殿だったようだ。確か名前は、サミュエルだったか。
「さっそく色目使ってよ。へっ、鼻の下伸ばして踊りながら色々くっちゃべってるな。ありゃ多分、口説いてるだぞ。ほんにとんだスケコマシだ」
「それ絶対本人に言うなよ」
仮にも辺境伯殿のご子息を侮辱すれば、間違いなく首が飛ぶ。
「今更そったらこと気にすんねえよ。どうせ老い先みじけえ命だ。好きなこと言って首はねられんなら、それまでよ」
残った骨で自分の首を叩きながら呵々大笑する。俺より長生きしそうだ、とエクスは乾いた笑いが込み上げる。
「こんなババアの命より聖女様だろ。放っておいていいのけ」
「今のところはな」
サミュエルはドロシーの腰に手を回し、抱き寄せながら熱心に喋っている。声は聞こえないが、見当は付く。クリスティーナ婆さんの言う通り、自分の妻にと口説いているのだろう。
人並み外れた美貌に加えてあれだけの能力を見せつけたのだ。愛情などなくても自分の物にしたいと願っても無理はない。サミュエルには妻がいたはずだが、貴族が複数の妻を持つなど当たり前である。力ずくでもものにしようと息巻いているようだ。
一方のドロシーは表情を変えず、適当に受け流しているようだ。あの手の強引な男はお好みではないのだろう。
曲が終わった。次こそは自分が、と男たちが目の色を変えてドロシーの元に集まってくる。辺境伯配下の騎士たちだ。が、サミュエルは手を握ったままで、離れようとしない。次に譲るつもりはないと言外に宣言している。
出番か、とエクスは辺境伯配下の騎士や近隣貴族をかき分け、前に出る。
「お楽しみのところ申し訳ございませんが、視察の件についてご相談が」
明日から辺境伯の領地を巡りながらドロシーに付いて魔物退治とケガ人の治療をして回る予定だ。とはいえ今更相談することなど何もない。ただの口実である。
「ああ、そうだったわね。ごめんなさい、エクス」
ドロシーも話を合わせる。
「サミュエル様、申し訳ございませんが、この辺りで……」
「後にしろ」
赤毛の辺境伯子息は、はねつけるように言った。
「貴公はドロシーの護衛だったな。見ての通りだ。今は俺が守っている。無用に願おうか」
手を離すどころか、ドロシーを自分の胸に押しつけるように抱き寄せる。かなり力任せにやったらしく、ドロシーが苦しげに顔をしかめる。
「ご無体はそのくらいで。御名に傷が付きます故」
エクスはやんわりとたしなめる。
「ほう」
サミュエルが剣呑な空気を漂わせる。お互い帯剣していないが、サミュエルの方が頭半分近くも高い。腕っぷしもあれば、エクスにはない若さも家柄もある。若者らしい傲慢さや全能感がにじみ出ている。こんな時期が俺にもあったな、と我が身を思い返しながらエクスはドロシーに向かって親密そうに手を振った。
「何のつもりだ!」
サミュエルが突き飛ばそうと腕を伸ばしてくる。大きな動作で向かってきた腕を紙一重でかわすと、つまずいた格好でサミュエルの腰にしがみつく。
「これは失礼しました」
頭を上げた途端、強い衝撃を感じた。狙いどおり、あごにぶち当たったのだ。
思い切り突き上げられ、サミュエルは白目を剥きながら仰け反っていく。ドロシーの手をつかみながら。
「おっと」
倒れそうなところを間一髪、その腕から救い出す。入れ替わりにずん、とサミュエルは尻もちを付いて倒れた。
「重ね重ねご無礼を。お怪我はありませんか?」
「え、あ、お……」
気絶はしなかったようだが、頭を強く揺さぶれて意識が朦朧としているようだ。膝をついて立ち上がろうとするものの、すぐにまた尻もちを付く。
「しばらく安静にされた方がよろしいかと。下手に動けば長引きます故」
「き、さ……」
「貴様! サミュエル様に何という事を!」
騎士たちが色めきだちながら詰め寄ってきた。
今にも剣を抜きそうな騎士の腕をつかみ、関節とは反対側にねじり上げる。悲鳴が上がった。背後からつかみかかる気配がした。エクスは素早く反転すると、腕をつかんでいた騎士を突き飛ばした。真正面からぶつかり、同僚と二人もつれ合うように倒れ込む。
「勘違いされては困るな」
騎士たちが動揺したのを見計らって、エクスは胸を張って言った。
「私はサミュエル様をお救いしたのだ。聖女様へ無体を働けばこんなものでは済むはずがない。七日七晩、穴という穴から血を吐き、体中に緑色の斑点を浮かび上がらせながら死に至る。大事な御身にもしもの事があればそれこそ辺境伯様の……引いては王国の一大事。それ故に体を張ってお止めしたのだ」
「何をバカな……」
「本当ですよ」
反論しかけた騎士に向かい、ドロシーは笑顔を作って言った。
「お疑いでしたら、試してみますか?」
その場にいた者たちが一斉に青ざめる。
何もそこまで合わさなくてもいいのに、とエクスは内心冷や汗をかく。
「では、皆様ごきげんよう」
エクスの手を取りながら会場を後にする。そこへ先程の騎士の一人が追いかけてくる。
「あの、出来ますればサミュエル様に治癒を……」
「ああ」
ドロシーは振り返るとにっこりと笑った。
「大丈夫ですよ。あのくらいなら少し寝ていれば元に戻ります」
それでは今度こそご機嫌よう、とドロシーはエクスを引き連れて会場を後にした。
町の門前まで来ると数名の兵士が立ちはだかる。戦闘の直後だけあって、体中傷だらけだ。その顔にはいずれも職務としての使命感より困惑や警戒感が勝っている。あれだけの異変の後なのだから当然か、と同情しながらもエクスは腹に力を込め、毅然として名乗る。
「我らはメレディス王子殿下の命により王都から慰問のために来た、聖女のドロシー様とその護衛の者だ。辺境伯様にお目通り願いたい」
王都を出る前に手紙で訪問の旨を伝えているはずだが、兵士たちは警戒を緩めなかった。
「聖女? あののろまの?」
「『酒樽聖女』様なんかに来られてもなあ」
ドロシーの汚名は辺境にまで届いていたか、とうんざりする。
「無礼であろう! 結界の果てを越えて貴公らを助けるためにはるばる来られたのだ。今すぐ通してもらいたい」
「こちらは今しがたまで戦の最中だったのだ。役立たず聖女様の相手をしているヒマなど、町の誰にもない。また今度にしてくれ」
戦いで血が上っているのか、一兵士の分際で遠慮がない。
「だから、その町を助けるために来たのだ。ここで押し問答をしている間にも大勢のケガ人が苦しんでいるのだろう。聖女様ならば助けられるのだ!」
「ドロシー、ですよ」
呑気な声とともに幌馬車の中から現れる。
「聖女様ではなく、ドロシーです。前にも言いましたよ」
すねたように頬を膨らませる。指先で二の腕をつついてくる姿は子供のそれだ。
唖然とする兵士たちに向かって、ドロシーは優雅に一礼する。
「どうも、王都から参りました。ドロシーと申します」
兵士たちの顔が赤く染まる。
「あら、みなさんお怪我をされていますね」
ドロシーが今気づいたかのように驚いた顔を作ると、短く呪文を唱えると指を鳴らす。
兵士たちの傷がみるみるうちに癒えていく。腕の切り傷も足の噛み傷も全てふさがってむきだしの肌が露わになる。
「まさか今のは『治癒』の奇跡か?」
「だが、こんな短時間でなんて、そんな……」
出血だけでなく痛みもあっただろう。それが消え失せて信じられないという顔をしている。
「ほかにお怪我をされた方は?」
「え、あの」
戸惑っている兵士たちが急に足を押さえ出す。
「もったくさしているヒマあんならとっとと聖女様をお連れしろ、ぼけが!」
クリスティーヌ婆さんが兵士たちの足を杖で叩いたのだ。ご丁寧にすね当ての隙間を狙って。
「お願いしますね」
ドロシーの微笑みが決め手となり、町の門は開かれた。
案の定、兵士をはじめ負傷者は数百人に上っていた。それをドロシーは呪文一つで一度に治療したのだ。手足を失ったり、死ぬ寸前だった者も元通りに回復した。
大勢の住人が聖女様の奇跡を讃え、命の恩人に感謝し、その偉業に涙した。数万の魔物を消滅させた件についてはドロシーたちと事前に相談して曖昧に濁しておいた。力を見せすぎるとかえって災いを招く。
その夜、辺境伯の屋敷で盛大なもてなしを受けた。規模も料理も王都に比べれば質素なものだが、ドロシーに向けられる熱量は比べものにならなかった。
「全く、噂など当てにならぬものだな」
マッキンレイ辺境伯は五十に手が届こうかという大男である。白髪混じりの赤髪に赤銅色の肌はまるで赤い獅子を思わせる。背丈はエクスと同じくらいだが、腕の筋肉や胴回りといった厚みが一回り大きい。長きにわたり西の辺境を魔物や隣国のミレニアム皇国から守り抜いてきたのだ。歴戦の勇士である。
「無能だなんだと聞いていたが、なかなかどうして。どうせ陛下か宰相あたりが辺境に奪われまいと、下らぬ風評を流したのであろう」
出し惜しみしおって、と吐き捨てる。
「さあ皆の者。今日は聖女様歓迎の宴だ。大いに食って飲むがいい」
辺境伯の掛け声とともに宴は始まった。誰もが生き延びた喜びに歌い踊る。王都の舞踏会と違って洗練されておらず、礼儀も何もないが、情熱や躍動感ははるかに勝っている。
エクスはワインを傾けながら壁の花ならぬ壁のしみとなって宴を見物する。誰もが聖女様に夢中だ。青のマーメイドラインのドレスにエメラルドの首飾り。ドレスなど持っていないから、辺境伯夫人から借り受けたのを手直ししたものだ。以前なら嘲笑の的でしかなかっただろうが、しなやかな肢体にほっそりとした腰回りが強調されて、男女ともに目を輝かせている。
曲が始まると踊りたがる者が殺到した。曲ごとに入れ替わり立ち替わり、ドロシーとダンスを踊っている。
「ダンスなんて踊れたんだな……」
何度か舞踏会で見かけたはずだが、踊っているのを見た記憶がない。エクス自身、新婚時代に妻と踊ったが、お世辞にも上手いとは言えない。ドロシーからも誘われたが固辞した。晴れの舞台で恥をさらしたくない。
「ばかこくでねえ。習ったに決まってるだろが」
気がつくと、クリスティーヌ婆さんが隣でワインを片手に骨付き肉をかじっている。まるで山賊の女親分だな、とどうでもいいことが頭に浮かぶ。
「おめ、世が世ならどこぞの王子か貴族とパーティだって出なくちゃなんねえだぞ。踊りくれえ踊れなくってどうするよ。たわけが」
聖女として結界を維持しながら王子の妻としての見識や礼儀作法も求められていたのだ。どれほどの努力が必要だったのだろう。
「よく知っているな」
「本人からに聞いた決まってるだろうがよ、ほんにおめは底なしのアホだな」
そういえば『アプデの泉』以来、馬車の中で色々喋っているようだ。話し好きの年寄りだけでなくドロシーも今までの口下手を取り返すように話し続けている。詳しい内容は定かではないが、時折花が咲いたような笑い声が聞こえる。
「ほれ、あんな風によ」
と顔を上げれば、ドロシーは見知らぬ美丈夫と踊っていた。赤い髪を後ろで束ね、赤銅色の肌をした若者だ。獣のような逞しさを感じさせる反面、踊りも作法に則っている。ただの荒くれでないのは明らかだった。
「辺境伯様のわらしだとよ。ほれ、昼間の戦でも外に出て、一つ目と戦ってただろうが」
「ああ」
あの決死隊を率いていたのがあの息子殿だったようだ。確か名前は、サミュエルだったか。
「さっそく色目使ってよ。へっ、鼻の下伸ばして踊りながら色々くっちゃべってるな。ありゃ多分、口説いてるだぞ。ほんにとんだスケコマシだ」
「それ絶対本人に言うなよ」
仮にも辺境伯殿のご子息を侮辱すれば、間違いなく首が飛ぶ。
「今更そったらこと気にすんねえよ。どうせ老い先みじけえ命だ。好きなこと言って首はねられんなら、それまでよ」
残った骨で自分の首を叩きながら呵々大笑する。俺より長生きしそうだ、とエクスは乾いた笑いが込み上げる。
「こんなババアの命より聖女様だろ。放っておいていいのけ」
「今のところはな」
サミュエルはドロシーの腰に手を回し、抱き寄せながら熱心に喋っている。声は聞こえないが、見当は付く。クリスティーナ婆さんの言う通り、自分の妻にと口説いているのだろう。
人並み外れた美貌に加えてあれだけの能力を見せつけたのだ。愛情などなくても自分の物にしたいと願っても無理はない。サミュエルには妻がいたはずだが、貴族が複数の妻を持つなど当たり前である。力ずくでもものにしようと息巻いているようだ。
一方のドロシーは表情を変えず、適当に受け流しているようだ。あの手の強引な男はお好みではないのだろう。
曲が終わった。次こそは自分が、と男たちが目の色を変えてドロシーの元に集まってくる。辺境伯配下の騎士たちだ。が、サミュエルは手を握ったままで、離れようとしない。次に譲るつもりはないと言外に宣言している。
出番か、とエクスは辺境伯配下の騎士や近隣貴族をかき分け、前に出る。
「お楽しみのところ申し訳ございませんが、視察の件についてご相談が」
明日から辺境伯の領地を巡りながらドロシーに付いて魔物退治とケガ人の治療をして回る予定だ。とはいえ今更相談することなど何もない。ただの口実である。
「ああ、そうだったわね。ごめんなさい、エクス」
ドロシーも話を合わせる。
「サミュエル様、申し訳ございませんが、この辺りで……」
「後にしろ」
赤毛の辺境伯子息は、はねつけるように言った。
「貴公はドロシーの護衛だったな。見ての通りだ。今は俺が守っている。無用に願おうか」
手を離すどころか、ドロシーを自分の胸に押しつけるように抱き寄せる。かなり力任せにやったらしく、ドロシーが苦しげに顔をしかめる。
「ご無体はそのくらいで。御名に傷が付きます故」
エクスはやんわりとたしなめる。
「ほう」
サミュエルが剣呑な空気を漂わせる。お互い帯剣していないが、サミュエルの方が頭半分近くも高い。腕っぷしもあれば、エクスにはない若さも家柄もある。若者らしい傲慢さや全能感がにじみ出ている。こんな時期が俺にもあったな、と我が身を思い返しながらエクスはドロシーに向かって親密そうに手を振った。
「何のつもりだ!」
サミュエルが突き飛ばそうと腕を伸ばしてくる。大きな動作で向かってきた腕を紙一重でかわすと、つまずいた格好でサミュエルの腰にしがみつく。
「これは失礼しました」
頭を上げた途端、強い衝撃を感じた。狙いどおり、あごにぶち当たったのだ。
思い切り突き上げられ、サミュエルは白目を剥きながら仰け反っていく。ドロシーの手をつかみながら。
「おっと」
倒れそうなところを間一髪、その腕から救い出す。入れ替わりにずん、とサミュエルは尻もちを付いて倒れた。
「重ね重ねご無礼を。お怪我はありませんか?」
「え、あ、お……」
気絶はしなかったようだが、頭を強く揺さぶれて意識が朦朧としているようだ。膝をついて立ち上がろうとするものの、すぐにまた尻もちを付く。
「しばらく安静にされた方がよろしいかと。下手に動けば長引きます故」
「き、さ……」
「貴様! サミュエル様に何という事を!」
騎士たちが色めきだちながら詰め寄ってきた。
今にも剣を抜きそうな騎士の腕をつかみ、関節とは反対側にねじり上げる。悲鳴が上がった。背後からつかみかかる気配がした。エクスは素早く反転すると、腕をつかんでいた騎士を突き飛ばした。真正面からぶつかり、同僚と二人もつれ合うように倒れ込む。
「勘違いされては困るな」
騎士たちが動揺したのを見計らって、エクスは胸を張って言った。
「私はサミュエル様をお救いしたのだ。聖女様へ無体を働けばこんなものでは済むはずがない。七日七晩、穴という穴から血を吐き、体中に緑色の斑点を浮かび上がらせながら死に至る。大事な御身にもしもの事があればそれこそ辺境伯様の……引いては王国の一大事。それ故に体を張ってお止めしたのだ」
「何をバカな……」
「本当ですよ」
反論しかけた騎士に向かい、ドロシーは笑顔を作って言った。
「お疑いでしたら、試してみますか?」
その場にいた者たちが一斉に青ざめる。
何もそこまで合わさなくてもいいのに、とエクスは内心冷や汗をかく。
「では、皆様ごきげんよう」
エクスの手を取りながら会場を後にする。そこへ先程の騎士の一人が追いかけてくる。
「あの、出来ますればサミュエル様に治癒を……」
「ああ」
ドロシーは振り返るとにっこりと笑った。
「大丈夫ですよ。あのくらいなら少し寝ていれば元に戻ります」
それでは今度こそご機嫌よう、とドロシーはエクスを引き連れて会場を後にした。
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〖完結〗聖女の力を隠して生きて来たのに、妹に利用されました。このまま利用されたくないので、家を出て楽しく暮らします。
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