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「『新結界』には二つの欠陥があります」

 ドロシーは窓から穴だらけの『新結界』を見ながら言った。

「一つは魔力供給源、もう一つは『おり』の排出先がないことです」
「『澱』というのは、その、ドロシー様の体に入っていたという……」
 エクスの問いにこくり、とうなずく。

「前の『結界』では魔力供給と同時に『澱』を聖女の体へ排出します。そうすることで効率的に維持していました」
「『新結界』にはそれがない、と?」
「魔物と接触すればどうしても『澱』は発生します。それを外に出せない以上、結界内に溜まり続けます」

 少しくらいならば問題はないが、量が増えれば『結界』の動作そのものに不具合が生じるという。

「本来ならば定期的に『新結界』を停止して、『澱』を浄化する必要があるのですが、それを怠っていたのでしょう」
「たった半年かそこらで……」
「むしろよく保った方かと。魔物と『結界』との接触は毎日何千回も発生しますから」

 たった一人で十年も維持し続けてきた経験者だ。言葉の重みが違う。

「魔力供給の方は何が問題なのですか?」
「膨大な魔力を節約するために、大地や空気中の魔力も取り込むようにしています。ですが『澱』はそこかしこに存在します。空気にも大地にも。そこから魔力を濾過ろかなしに取り込めば、より早く『澱』が溜まるのは当然の話です」
「つまり、ドロシー様は、『新結界』が欠点だらけだと気づいておられたのですか? いつから」
「あの方に婚約破棄された時からです」

 そんなに前から、とエクスは舌を巻いた。メレディスが自慢そうに語っていた時点ですでに見抜いていたというのか。

「確信したのは、『新結界』を間近で見てからですね。一目で分かりましたよ」
「それは、誰かに知らせましたか?」

 非難する口調にならないよう、気を配りながら問いかける。ドロシーを追放し、『新結界』に切り替えたのはメレディスであり、ウィンディ王国である。後任が独断でやってのけた不手際など、指摘する義理も義務もない。

「何回も教えましたよ」
 ドロシーはさらりと言ってのける。

「メレディス殿下にも、王太子殿下にも国王陛下にも、何通も手紙を出しましたが、この事態を見る限り、信用しなかったかそもそも読んでいないか、でしょうね」

 あの手紙は『新結界』の欠陥を知らせるためのものだったのか、とエクスは腑に落ちる。

「これは、もしもの話なのですが」
 気分を害さないように、前置きしてからエクスは問いかける。

「『新結界』から前の『結界』に切り替えることは……」
「無理です」
 即答だった。

「『アプデの泉』で更新した時点で魔力の性質も変化しました。私にはもう動かせません」

 仮に動かせたとしてもドロシーにまたその任に就かせるのは酷に過ぎる。もう一度、たった一人で『結界』を維持し、『澱』をその身に浴び続けろなど、どの口で言えるだろうか。

「魔力供給は一時停止したようですが、『澱』は増え続けているので、これからも不具合は発生し続けるでしょう。『新結界』そのものが停止するのも時間の問題ですね」

 そうなれば、王都やその周辺地域は無防備となり、民は魔物に襲われる。これまで『結界』や『新結界』の庇護下にあって、防衛対策も貧弱だ。魔物と戦った経験のない騎士や兵士もいる。

 頼れるとしたら辺境地域の貴族だが、援軍はまず来ないだろう。これまで散々、援軍要請を無視してきた中央が辺境に頼ろうなど虫のいい話だ。仮に動いたとしても軍を動かすには遠すぎる。到着するまでに大勢の人間が魔物の餌食となり、命を落とす。

「さて、この話はここで終わりです」

 ぱん、と打ち切りとばかりにドロシーが手を合わせる。乾いた音を聞きながらエクスは頭の中が空白になる。

「領主様にご挨拶して次の町へ向かいましょう。あ、その前に朝食ですね。もうそろそろでしょうから先に食堂に行っていますね」
「あ、あの……」

 外へ向かおうとするドロシーの背中におずおずと呼びかける。

「何か?」
「その」

 助けに行かないのですか、と言いかけて喉の奥に戻す。聖女ドロシーの任務は辺境地域の慰問である。王都への救援命令が出たわけでもない。向かうとしたら道義的な理由くらいだが、それこそ虫のいい話だ。これまでドロシーをこき使った挙げ句に一方的に切り捨てたのだから。

 このままでは『新結界』は崩壊する。けれど、それはメレディスやロングホーン侯爵家をはじめ『新結界』を推し進めてきた者たちの責任である。忠告はした。それを聞かなかったとしても、責められるいわれはない。『新結界』推進派の連中が解決すればいいのだ。騎士も兵士もいるのだから出来るだろう。

 いや、無理だな。
 エクスはため息とともに甘い願望を切り捨てる。

 『新結界』の壊れ具合を見れば、王都まで魔物が攻め寄せるまですぐだろう。騎士団長のキューゴをはじめ、戦える人員はいるが、防衛範囲が広すぎてとても手が回らない。

 人間相手の戦略や戦術が通用する相手ではないのだ。魔術師や賢者もエクスの知る限り儀式の専門家であって、戦闘経験のありそうな者はほとんどいないようだった。このままでは大勢の死者が出るだろう。救えるとしたら人を超えた力を持つ聖女だけだ。

「ドロシー様」
 エクスはドロシーの前でひざまずく。

「お願いします。この危機を救えるのは、あなただけです」
「……それは、ご命令ですか」
「いいえ」

 一介の騎士であるエクスに聖女へ命じる権限などない。これはただエクス個人の願いだ。

「仮に私が国の危機を救ったとして、あなたは何をして下さいますか」
「この時この場を以て、私はあなたに生涯の忠誠を誓います」

 ウィンディ王国を救えばたくさんの褒美が貰えるだろう。だがそれは、エクスが支払うわけではない。自身の懐も身も痛めずに他人を動かそうなど、思い上がりだ。エクスには与えられる対価や褒美も持ち合わせていない。差し出せるものなど己の身くらいだ。

 しばしの沈黙の後、ドロシーは深々とため息をついた。

「あなたならそう言うと思っていました」
 どこか投げやりで、諦めにも似た響きがあった。

「いや、私は軽い気持ちで言ったわけでは……」
「分かっています」
 最後まで言わせず、ドロシーはエクスの手を取り、立ち上がらせる。

「あなたの希望を叶えましょう。行きましょうか」
 二人の体が浮き上がる。

「それではまた留守にします。領主様にくれぐれもよろしくと伝えてくださいね」
 クリスティーヌ婆さんに伝言を頼むと、二人はまた窓の外へと飛び立った。
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