上 下
3 / 8

3

しおりを挟む

   三

 クッカの子分になってから半月が過ぎた。三日ほど人通りの多い場所で芸をしてからまた別の町へと移動する。その日もジャグリングが盛況に終わり、近くの酒場で飲むことになった。ぬるくなったエールを飲んでいると、目の前のクッカが値踏みするような顔をした。

「ジャグリングのほかにはどんな芸ができるんだ?」
 同じ芸ばかりではいずれ飽きられる。興行主であるクッカとすればもっと芸の種類を増やしたいようだ。

「わかりま……ちんぷんかんぷんです」
 芸をしたのが初めてなのだ。芸の種類も分かっていない。

「体が頑丈なのが取り柄なんで、たいていのことはいけると思います」
「だったら、こんなのはどうだ?」

 翌日、隣町に来るとクッカはマイルズを連れて広場に来た。ここも街道沿いの宿場町なので、人通りは多い。傭兵や流れの戦士といった無頼漢の姿が目立つ。『魔王』との戦争が終わり、行き場をなくして職にあぶれた連中のようだ。

「さあさ、お立ち会い」
 クッカは自分の背丈ほどもあるような帽子をかぶると、高らかに口上を述べる。

「『魔王』どもは倒れ、世界は平和になったと言われちゃあいるが、消えたものは多すぎる。金に若さに旦那の髪の毛。なくならないのは貧乏神と駄目亭主。右も左もヤな事ばかりで行き詰まり。そこで、ちょいとここらで憂さ晴らし。ご覧のこの男、何を隠そう『魔王』の手下の生き残り。親分は『勇者様』に倒されて哀れ一匹ワンチャン行き倒れ。金も食い物も尽き果てるが、ねぐらに帰れば待っているのはおんなじ顔した犬の夫婦と子供が七人。上は九つ下は乳飲み子ってんだからたまらない。こうなりゃヤケだと人間様へのお詫びを兼ねたこの商売。銀貨一枚でこの砂時計が落ちるまで好きなだけ殴り放題好き放題。いくらやってもこんな感じで無抵抗」

 ここでクッカがマイルズの腹に拳を入れる。

「ポカリとやっても向かってこなけりゃ逃げもしない。さあさ、一発と言わず二発三発。見事ひっくり返した奴には賞金として金貨十枚だ。さあ、この犬男に挑もうって『勇者』はいないか、さあどうだ」

 クッカが思いついた商売というのが『殴られ屋』だった。金を取って時間内に殴られ放題。芸と呼べるかどうかはわからなかったが、親分の言うことは絶対だそうだ。反撃をしないという証として、手首を背中の方に回した上に、鎖で縛っている。おまけに上半身は裸である。

 故郷では人前で裸になるのは下品だとされていたが、マイルズは気恥ずかしいとは思わなかった。クッカの流暢な口上にすっかり聞き入っていた。よくあれだけ口が回るなあ、と感心していた。同じ事をやれと言われてもまず出来そうにない。『魔王』退治の方がまだ楽だ。

「そいつを倒したら金貨十枚ってのは本当か?」

 さっそく客が食いついて来た。傭兵風の大男だ。赤銅色の肌に無精髭、禿頭で背丈はマイルズより頭半分は大きい。腕の筋肉もタルのように盛り上がっている。

「へえ。二言はございやせん」
「よし」
 銀貨をクッカに投げつけると、拳を鳴らしながらマイルズの方に歩み寄ってくる。

「悪いな兄ちゃん。こっちも金欠なんだよ」
「……」
 マイルズは微動だにしなかった。何も喋るな、とクッカから言い含められている。

「では、はじめ」

 クッカが砂時計をひっくり返すと同時に大男の拳が飛んできた。腹にまとも入ったのだが、マイルズはびくともしなかった。ミノタウロスの『魔王』に比べたら撫でられたようなものだ。『魔王』の能力を使うまでもない。反対に大男が拳を押さえながらうずくまった。それから何度か胸や顔も殴られたが屁とも思わなかった。

「ちくしょう!」

 殴るのはムリだと悟ったか蹴りを入れてきた。体重を乗せた勢いで吹き飛ばす算段だろう。ダメージを入れられなくても倒せば大男の勝ちなのだ。けれどマイルズの体は大木のようにびくともせず、逆に大男の方が反動でひっくり返った。背中を打ち付けて痛がっているところで砂時計の砂が落ちきった。

「はい、終了。残念だったね、旦那」
 クッカが勝ち誇ったようにマイルズの腕を上げる。

「さあ、ほかにはいないか、いないか。金貨十枚だよ」

 その後も次々と腕自慢が名乗りを上げたが、成功した者は誰もいなかった。たまに足払いを掛けたり、投げ飛ばそうとした者もいたが、倒すには至らなかった。

 時折よろめいたり、後ずさったりはしたが、全て演出である。クッカから「たまには弱ったところ見せねえと、ムリだってんで客が離れちまうからな」と小声で言い含められたからだ。痛くはないし、盛況なのはいいのだが退屈である。

 次の日は趣向を変えることにした。追加料金を払えばこちらで用意した棍棒を使えるようにした。樫の木を削って作った本物の武器だが、マイルズにとってはオモチャ同然である。

 素手では諦めた者たちも武器ならばチャンスがあろうかと昨日と同じ者も挑んだが、当然結果は変わらなかった。多少ダメージを受けた(振りをした)ものの、大木のようにその場に立ち続けた。稼ぎはすでに金貨十枚近くになろうとしていた。

 異変が起こったのは三日目である。朝からクッカが呼び込むものの、評判が知れ渡っているらしく、挑んでくる者は十人に満たなかった。早めに店じまいして次の町に移ろうかと相談していると、いきなり十人を超える男に囲まれた。あっという間に建物の陰に引きずられる。大半が『殴られ屋』の客である。

「テメエらのせいで契約を切られちまったじゃねえか。どうしてくれる」

 話しかけてきたのは初日に挑んできた大男だ。隊商で護衛の仕事をしていたが、雇い主が例の商売を見ていたらしい。芸人一人殴り倒せない傭兵などお呼びではない、と放り出されたという。

「体の方はちょいと頑丈にできているようだが、これならどうだ?」

 懐から取り出したのは、短剣である。使い込んであるようだが、切れ味は良さそうだ。少なくとも人を刺すのに不都合はないだろう。おまけに先程まで『殴られ屋』をしていたので、マイルズの両手首はまだ鎖で縛られている。

「ぶすりとやられたくなけきゃあ、稼ぎ全部出しな。それとも、そこのチビスケともども死体になりてえか」
 マイルズはせせら笑った。

「なんだ、物取りか」

 この時勢にクビにされたのは同情するが、恨むのは筋違いだ。その上、芸人から金を奪い取ろうなど、物取り以外の何だというのか。

「てめえ!」

 短剣を振りかぶる。この程度なら刺されたところでどうということもない。首を刎ねられても再生できるのだ。かわそうか受け止めようかどうしようか迷っていると、いきなりクッカが間に割って入ってきた。

「ちょ、ちょっと待っておくんなせえ!」

 マイルズが目を丸くしていると、地面に平伏し、奴隷のように額を地面にこすりつける。

「どうか勘弁しておくんなせえ! 決して兄さん方の面子に泥を塗るつもりなんざこれっぽっちもございやせん。子分の不始末は親分の責任。どうか、どうかここは一つ穏便に!」
 懐から売上げの入った袋を差し出す。

「どうか、どうか……」

 マイルズは動けなかった。クッカの行動に意表を突かれていた。クッカにしてみれば、マイルズなどたかが金づるであろう。それを体を張ってかばうのが信じられなかった。傭兵たちの爆笑も後ろから冷やかすように小突いてくる拳もどこか他人事のように遠かった。

 大男がにたりと笑うと、袋を拾い中身を確認すると口笛を吹いた。クッカは顔を上げ、愛想笑いを浮かべる。その途端、大きな足がクッカの頭を踏みつけた。顔が地面に埋まる。

「どうした。そのよく回る口を開いてみろよ。口の中に泥が入って喋れねえか? え、石なし・・・のチビ妖精が」

 体重を込めて、燃えかすのように踏みにじる。爆笑が沸き起こる。

 その瞬間、マイルズの背筋が震えた。それが悪寒でも恐怖でもなく、怒りによるものだと気づいた時には鎖を引きちぎり、傭兵どもを全員、地面に叩きのめしていた。

「うちの親分に何しやがる」

 言った瞬間、すっと腑に落ちるものがあった。自分は今、クッカのために怒り拳を振るったのだ。
 クッカはまだ顔を地面に付けた状態でうずくまっていた。マイルズはクッカを助け起こすと、服の埃を払い、顔の泥を丁寧に拭き取る。

「お怪我はありませんか、親分」
「え、あ、これは、オメエがやったのか?」
「はい」

 傭兵たちは倒れたまま呻いている。誰もが一撃で動けなくなっていた。殺しはしない。町中で人を殺めたとなればお尋ね者になってしまう。

「鎖はどうしたんだ?」
「こんなこともあろうかと、いざという時には自分で外せるようにしておきました」
 無論デタラメである。怪力で引きちぎったのだ。

 あまり突っ込まれてもボロが出る。マイルズは大男の方に行って金の袋を奪い返した。

「おい、チンピラ」
 腹を殴られ、小間物をぶちまけていた大男の顔を強引に持ち上げる。

「今度ばかりは見逃してやるが、次に手を出したらたたじゃおかねえ。テメエら全員、八つ裂きだ」

 マイルズは短剣を拾い、見せつけるようにして刃の部分を思い切り握り締めた。手を開くと、粉々に砕けた金属のカケラがこぼれ落ちる。

「わかったか」
 大男は顔を蒼白にしながら何度もうなずいた。
 その哀れな姿を一瞥するとクッカを抱き抱え、その場を後にする。

「お前何もんだ?」
 クッカが目をしばたたかせながら聞いた。人間離れした頑丈さに、さしものクッカも信じられなかったようだ。

「ただの駆け出しの旅芸人ですよ」
 マイルズは言った。
「それでアンタの子分だ」

 むしろマイルズの方が問い質したかった。

「親分こそ、どうして俺をかばったんですか? 金を差し出してまで」
「そりゃあ、オメエ……。親分だからな。子分守るのは当たり前だ」
 照れ臭そうにそっぽを向く。マイルズは微笑した。

「当たり前、ですか」

 そういえば、誰かに庇われるなんてのはいつ振りだろうか。少なくとも『勇者』になってからは守ってばかりで、守られた経験など思い出せない。この能力があれば一人でも何とかなったし、足手纏いをかばいながら戦うのも御免だった。

 けれど、そういうのも悪くないかも知れない。時と場所と目的によって人の価値は変わる。誰もが常に足手纏いとは限らない。『魔王』相手の戦いでは最強でも、芸人としては駆け出しな奴もいる。

「いいから降ろせよ」

 手足をばたつかせてクッカが抗議する。マイルズは聞こえないふりをした。もう少しこの柔らかい温もりを感じていたかった。
しおりを挟む

処理中です...