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獣 人

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 夕暮れの湖のほとりには、チェロクスの軍隊が野営の準備を始めていた。手には槍を持ち、兜に胴鎧、手甲にすね当てはいずれも鉄で鍛造されたものである。食糧をノーマやファーリの戦士と大きく異なるのはその外見、特に頭部だ。ネズミ、牛、猿、熊、蛇、山羊、狼、梟、蜥蜴……。二足歩行であるものの、彼らの外見は、動物の特徴を色濃く残していた。

 ノーマやファーリは、彼らをひとくくりに『獣人チェロクス』と呼ぶ。だが、彼らはその呼び方を好まない。ネズミ獣人マウザー蛇獣人ネイペントも、それぞれ自身の種族に誇りを持っていた。彼らは種族ごとにコミュニティを形成している。それぞれ仲の良い種族もあれば、敵対関係の種族もいる。

 で、あるが故に数の多いノーマには住処を追われ、ファーリにはその粗暴さを疎まれていた。

 しかし今は違う。異種族であっても、傲慢なノーマや尊大なファーリに対向すべく手を組んだ。今では逆にノーマやファーリの生活圏を脅かすまでになりつつある。

 それを成し遂げたのは、蜥蜴獣人グゼドの集落である。
 獣の皮を張った簡易なテントが湖の一角に固まって設営されている。その中央にある、一際大きなテントの中にロ・グゼドはいた。

 ロ・グゼドは失敗の報告を告げると、目を伏せながら身を縮こまらせた。
 屈辱であった。ファーリの族長を暗殺するという任務は、途中まではうまくいっていた。先日全滅させたファーリの集落の生き残りに化けた。さらに自ら体を傷つけ、怪我人を装いながら結界の外で倒れたふりをした。

 実際、あのまま発見が遅れれば失血死していたかもしれない。こんな馬鹿げた話はない。だが、そうでもしなければ、結界を越えることは不可能であった。同胞の集落が襲撃されたことであの集落のファーリたちは警戒心を強めていた。

 その甲斐あって集落に潜り込むことに成功した。先に逃れていたというファーリの生き残りの子供の面通しもかいくぐった。話せばぼろが出たかもしれない、と怪我人を装った自身の知恵に内心ほくそ笑んだものだ。ご丁寧な治療により血も止まった。

  更に好都合なことには、話を聞くためにと族長の家に運び込まれた。予想以上の幸運に、笑いをこらえるのに苦労したくらいだ。やがて護衛の数も減り、族長とファーリの子供だけになった。

 あとは族長とファーリの子供の首を刎ねればそれで終わりだった。 

 上手く行くはずだったのだ。あのノーマが飛び込んでさえ来なければ。しかも自分が偽者だと見破った。ファーリの戦士までも次々と飛び込んできて、逃げるしかなかった。

 何故、ファーリの村にノーマがいるのだ。しかもノーマのくせにファーリを助けた。あり得ない。ノーマといえばファーリを捕まえ、愛玩動物のように扱うものだ。ファーリの奴隷は貴族にも人気があるとかで、チェロクス以上にファーリ狩りに血の道を上げているのに。

「それで、お前は逃げ帰ってきたっつーわけか」
 三の長の皮肉含みの言葉にロ・グゼドはさらに頭を低くする。

 ロ・グゼドの前には木を削って作った椅子が三脚並んで置かれており、そこには三人の長が座っていた。
 チェロクスの多くは弱肉強食の世界である。強ければ上に立ち、弱ければ従うか死ぬ。特に蜥蜴獣人グゼドはその傾向が強い。

 強い順に数名の長を置き、集落を率いる。時期によって長の数は異なるが、今は三人の長がいた。いずれもすさまじい強者である。ロ・グゼドをはじめ、十名近くの蜥蜴獣人グゼドが一度に挑んでも歯が立たない。歴戦の古強者だったロ・グゼドの父ですら一の長に一撃で首をはねられた。

 太陽が百回ほど登る前、彼らはぶらりとグゼドの集落にやってきた。そして、その圧倒的な力で蜥蜴獣人グゼドの集落を支配したのだ。

 しかもただ強いだけではなかった。どこからか、ノーマの鍛冶屋をさらってくると、チェロクス用の武器や鎧を作らせた。火を噴く筒は五トラム(約八メートル)先の敵も血を吐いて倒れた。デズロヴズの花から抽出した毒は風に乗って、熊獣人ラーブの集落で死体の山を築いた。森でも最大の集落であり砦を築いていた猿獣人ズルガの集落を計略を用いて奇襲を掛け、寡兵で猿獣人ズルガの長の心臓を貫いた。

 侵略した集落を併合し、種族の枠を超え、ロ・グゼドの集落は森でも、いやチェロクスでも最大規模の集落へと急成長を遂げた。

 新しい戦い方に不満に思う者もいたが、ロ・グゼドは満足だった。要は勝てばいいのだ。勝った物が強い。強さこそチェロクスのあるべき姿だ。

「参ったよなあ。予定じゃあ族長とかを殺して混乱している隙に攻め入る計画だったのによ。完全に予定が狂っちまったじゃねえか。どうすんだよ」

 三の長の言葉にまたも平伏せざるを得なかった。そもそも今回の作戦はロ・グゼドから志願したものだ。

 チェロクスの中でもノーマやファーリなどほかの種族に擬態できるのは限られている。人狼ハイ・セイのように別の種族の中に入り込み、食らいつくすという先祖伝来の狩りの方法である。であるが故に、どちらもノーマやファーリに徹底的に刈り尽くされ、生き残りはどちらも百を超えない。ほかにもいくつか擬態する種族はいるらしいが、やはりその力のために迫害されていおり、血が絶えるのをひそりと待つしかないような有様だという。

 ロ・グゼドは蜥蜴獣人グゼドの中でも珍しい、擬態を得意とする種族である。
 三人の長もまた、人間に擬態する力を持っていた。それ自体は不思議ではないが、奇妙なのはチェロクス同士の中でも常に擬態をしていることだった。しかも全員がノーマの同じ種族の姿をしていた。何故か、と別の者が尋ねた時、三の長はやや言い訳じみた口調で言った。

「こっちの方が落ち着くんだよ」

 擬態と言っても何にでも変身できるわけではない。ノーマにも肌の白いのや黒いの、髪の黄色いのや赤いのや黒いのなど様々だ。本人の資質や相性に寄るところが大きい。たとえば人狼ハイ・セイはノーマに変身するのは大得意だが、何故かファーリには擬態が出来ない。蜥蜴獣人グゼドの中にもファーリに化ける者が得意な者、女に化けるのが得意な者、様々だ。

 三人の長もたまたまノーマの同じ種族に化けるのが得意なのだろう。ただの偶然だとロ・グゼドは思っていた。
 いずれも鎧は身につけておらず、奇妙な服装に身を包んでいた。

「なあ、聞いているのかよ、返事しろよ」
「は、はい。申し訳ございません」
 三の長の苛立った声に反射的に返事をしてしまう。

 ロ・グゼドから見て右側に座る三の長は三人の中でも一番年若でやや小太り。フードのついた灰色の上着には、見た事も無い文字が描かれている。呪術的に意味があるのだろう。藍色のズボンは左膝の辺りがすり切れて膝頭を覗かせている。

 一度集落の娘が縫おうとしたら、頭を蹴り飛ばされた。どういうわけか、破れたズボンにこだわりを持っていた。
 肌は色白で、顔には二枚の玻璃を並べた奇妙な飾りを付けている。到底、戦い向きの姿ではなく、ノーマ同士での戦でも早々と戦死しそうな風体だが、実際に戦えば、ノーマを片手で絞め殺すことができる。

「言い訳ならいいわけよ。わかる? 俺はさ、責任をどう取るのかって聞いているんだよ。責任ってのはさ、リアクションなわけよ。会社でも不祥事が起こったら賠償金払うとか社長が頭下げるとか色々あるわけじゃん。俺はそれを聞いているの」

 後半部は意味不明だったが、言わんとすることはなんとなく理解した。失敗した償いをどう取るのか、と聞いているのだ。

「もう一度私めを行かせてください」ロ・グゼドは万感の思いを込めて言った。
「必ずや、族長とやらの首を取って参ります」

「でも、内側に入り込む作戦はもうばれちゃったよな。同じ手が通用するほど向こうもバカじゃねえだろ。どうするんだよ」
「そこは万難を排し、必ずや」
 三の長は盛大なため息を吐いた。

「そういう精神論が聞きたいんじゃねえんだよ。俺が聞きたいのは具体的なプランだよ。おたくのマニュフェストはどうでもいいわけ。プランを立てて必要な予算と人員を割り出して、スケジューリングに落とし込んでそこではじめて実行なわけ。わかる?」
「申し訳ございません」

 ロ・グゼドは額を床にこすりつけんばかりに頭を下げる。彼自身、お世辞にも頭のいい男ではないが、三の長の言葉はチェロクスの中でも理解できる者はいない。だが、これだけは理解出来る。機嫌を損ねれば、待っているのは死だ。

「そこまでにしようか、テツヤ」
 割って入ったのは左側に座っていた二の長である。三人の中で一番背が高く、細身である。目は細く、長い髪を首の後ろで縛っている。上着とズボンを黒一色で統一している。温和な言葉使いをするが、手にはいつも小さなナイフを持っており、今も手の中で弄んでいる。

「君の言うことはさっぱりだ。もっとわかりやすく言ってよ」
「でもね、ミチタカさん」三の長は体を反り返らせて反論する。

「責任の所在をうやむやにしたままじゃ組織は成り立たないわけですよ。そういうのが日本社会の」
「だからどうでもいいって言っているじゃないか」
 ミチタカと呼ばれた二の長は立ち上がった。ゆっくりとロ・グゼドに近付き、手にしたナイフをその頬にひたひたと当てる。

「どうせ殺すんだから言い訳なんて聞く必要ないじゃないか、ねえ」
 ロ・グゼドは震え上がった。

「こいつは失敗した。だから処刑する。ファーリの集落には次の手を打つ。それでいいじゃないか。何をうだうだ聞く必要があるの。低脳なの?」

 二の長も三の長とは別の意味で戦える風体には見えなかったが、本来の姿に戻れば一瞬で敵対していたルオルオの首をはねて回った。血を見るのが好きな男でもあった。手の中のナイフは頬から下に移動し、今は首筋の側にある。
 ロ・グゼドは心の中でうめいた。

「その辺にしておけ」

 真ん中に座っていた一の頭が口を開いた。二の長とは対照的に白い衣に身を包み、首には金の輪っかで作った首輪を付けている。薬で固めた前髪を上げ、鋭い眼光を光らせている。三人の長の中でも一番年かさで、凄味があった。

「責任云々言い出すのなら一番上が取るのがスジってもんだろう。なら、俺が責任ってのを取らなきゃいけねえわけだ。どうする? 指でも詰めるか?」

「いえいえ、そんな滅相もない」
「ギンジさんにそんなこと」
 二の長も三の長も恐縮している。

 一の長は三人の中でも一番強い。猫科のチェロクスらしく、動きもしなやかで品というものがある。ただ強いだけではない。言葉や動き、立ち居振る舞いにの全てが自覚的であり、信念に基づいていた。素性は知らないが、間違いなく数多の戦いをくぐり抜けてきた男である。ロ・グゼド自身、いくつもの修羅場をくぐり抜けてきたからこそ彼の偉大さは理解できた。三人の長の中で一番共感を抱いていたのも一の長だった。これだけの強者の手で殺されれば、父も本望であっただろう。

「ロ・グゼド」
 唐突に一の長に名前を呼ばれ、すくみ上がった。

「は、はい」
「次はねえぞ」
「身命を賭して」

 ロ・グゼドは平伏した。もとより次に失敗すれば、集落に戻るつもりはなかった。命に替えてもファーリの集落を攻め滅ぼし、あの忌々しいノーマの首を切り落としてやるつもりだった。次の機会をいただけたことに無上の喜びを感じていた。おお、偉大なる一の長よ。

「ギンジさんは優しいですねえ」
 三の長が冷やかすように言った。

「こいつらなんて、どう見ても特撮ヒーローものの怪人じゃないっすか。七十年代あたりの」
 外見の話をしているようだが、たとえられたものがやはりロ・グゼドには意味不明だった。

「俺、昔の特撮とか好きなんですよね、ほらあるじゃないですか、チーターマン、ゲノム7、光線仮面、怪傑パンサーとか」

 何の話をしているのだろうか。三人の長は同郷らしいので郷里の話だろうとは見当が付いたが、それ以上のことはさっぱりわからない。

「ミチタカさんは何が好きでした?」
「僕はそういうのは興味なかったね。子供の頃から勉強ばかりでね、テレビなんて見せてもくれなかった」

「厳しいですねえ」三の長はうんざりした口調で言った。「ああ、だから真っ先に」
「つまらないことは言わなくていいよ」
「おおこわ」

 二の長の殺気含みの声音にも平然とおどけてみせる。
「ギンジさんは?」

「そうだな」三の長の質問に一の長は少し考え込む仕草をした。「俺は……アークセイバーだな」
「うわ、それ
 三の長が愉快そうに声を上げる。

「アークセイバーはダメでしょう。そこに入れちゃあ」
「……」

「ギンジさんが子供の頃に現れた奴っていうと……イカロスでしたっけ? それとも拳聖? いや、ヤタガラスあたりか。あーあ、また新しいのが出て来ているんですかね」

「いい加減話を戻そうか、テツヤ」二の長が面倒くさそうに話を遮る。
「向こうの族長を狙うのは手間だよ。どうするんだい?」

「人質を取っておびき寄せるってのがまあ、常套手段ではあるんですが。難しいでしょうね。いっそ森ごと焼いちゃいますか」
「僕たちも黒焦げだよ。まじめに考えてよ」

「でしたら……やはり守護獣の方を狙うしかないでしょうね」
 テツヤこと三の長は急に頬を引き締める。あごの肉を指先で引っ張りながら目を光らせる。

「結界とやらを張っているのは守護獣の方ですからね。そっちを潰すのが楽そうだ。ケダモノの分、おびき寄せるのも簡単でしょう」
「しかし、守護獣とやらは不死身って話じゃなかったのかい?」
「弱点があるんですよ」三の長はにやりと笑った。

「この前のファーリの長老ってのから聞き出したところによると、角が力の源なんだそうです。なんでも神様の世界とをつなぐアンテナみたいな働きをするそうです。そいつを失った守護獣は神の力を失い、そこらの魔物と変わりなくなってしまう。一番の武器ですが、代わりに一番の弱点でもあるんですよ」

 ロ・グゼドの脳裏にファーリの老人の姿がよぎった。三の長の拷問で命を落としたという。ロ・グゼドは直接見てはいないが、死体を片付けた者の話によると、あるべきものが全て付いていなかったという。

「向こうの守護獣は、角の生えたオオアリクイみたいな姿だそうですが、強さはこの辺りの守護獣でも一番だとか。それはいいとしても、問題は守護獣をどうやって結界の外におびき出すかですが」

「それじゃあ、その辺りは僕がやろうかか」
 二の長が立ち上がった。

「いい加減退屈していたんだよ。細かいところは僕が詰めるから、テツヤは兵隊の指揮を頼むよ」

 二の長は上着を脱いだ。すらりと締まってはいるが、ロ・グゼドからすれば貧弱な体にしか見えなかった。わずかに力んだ途端、皮膚の下に何かが這いずり回るようにうごめきながらノーマのようなぶよぶよの皮膚が少しずつ羽毛に覆われていく。

 顔も輪郭を変えていく。黒い羽毛で覆われる。特に口の辺りは前へと突き出し、くちばしへと変わっていく。数秒後、目の前にいたのはカラスの顔を持ったチェロクスだ。背中に翼を持ち、濡れたような黒々とした翼や羽根がつややかに輝いている。

 チェロクスの中でも数少ない、翼を持った種族だ。

「ああ、そこの君」二の長に声を話しかけられてロ・グゼドは反射的に身構える。
「別にとって食いやしないよ。君に頼みたいことがあるんだ。付いてきてくれるよね」
「は、はい」

 嫌も応もなかった。従うしかない。
「待て、ミチタカ」

 その背中に一の長が声を掛ける。ゆっくりと腰を上げる。
「俺も行く」
 二の長は肩をすくめた。

「ギンジさんが出るような相手とも思えませんけどね」
「お前はお前のやりたいようにやればいい。口出しするつもりはねえ」

 一の長は目を据えたまま二の長の肩に手を置いた。
「いざとなったら俺も手伝う」
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