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第4話 捻挫
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あと少しで曲が終わる、という時になって、右足首に痛みが走った。思わず顔をしかめてしまった。あと少し。心の中で自分に言い聞かせるが、演奏が崩れていく。
「吉隅くん」
僕の手を上から押さえつける先生を少し見上げた。先生の眉間に皺が寄っている。せっかくの整った顔が台無しだ、と冷静に考えている自分がいた。
「先生。僕、コンチェルトは大丈夫だったのに、また痛くなっちゃいました」
「君ね、まだ一週間しか経ってないんですよ。そんなに急激に良くなるわけがないでしょう。馬鹿ですね」
「馬鹿……」
そんなことを先生に言われたのは初めてだったので、驚いてつい繰り返してしまった。
「そうです。馬鹿です。長田くんの言うことなんか聞かなければいいのに」
声が揺れた。先生の目に涙が浮かんでいる気がする。
先生は僕から離れると、店長の方を向き、
「長田くん。吉隅くんは、一週間前に歩道で自転車に引っ掛けられて、よろけた瞬間右足首を痛めたんです。右の足首を。右ですよ」
先生が、しつこく右、右と言う。左なら良かったのに、と言いたいのだろうか。
「自転車の人は、吉隅くんを転ばせたのに、そのままいなくなったそうです。吉隅くんは、そのまま病院に向かって、湿布をもらって帰ってきました。湿布を貼ったからと言って、すぐには良くなりません。だから、ペダルを踏まないように言いましたよ。あの動きが足首を余計に痛めることくらい、僕にもわかりますからね」
先生の話を聞いて、店長が驚いた顔になった。
「え? そんな状態で、今日オケとコンチェルトをやったの?」
僕の代わりに先生が深く頷く。
「そうです。やったんです。しかも、大成功したんですよ。この人は、本番に強いんです。昔からそうです。レッスンで弾きにくそうにしていた箇所を、試験の日には何事もなかったように弾いたりしていましたから」
言われて、そんなこともあったかもしれない、と思った。試験でも今日のような時でも、いつも演奏するのは楽しかった。それが苦痛とは思ったことがない。どんな状況でも。
「でもね、長田くん。コンチェルトを弾き切るのは、今の吉隅くんには大変だったんです。その後、一曲一人で弾きましたし。今もここまでよく弾いたと思います」
そこまで言って、僕の方に振り向いた先生は、
「でも、もうダメです。今日はもう帰りましょう。僕が送って行きます」
「あの……一人で歩けますし、ここから家までたった五分ですよ。一人で帰りま……」
「ダメです。そう言ったでしょう。それじゃ、長田くん。お会計をお願いします」
「先生。僕、大丈夫です」
訴えてはみたが、先生の冷たい一瞥で僕は頷かざるを得なかった。
「わかりました。先生。送ってください」
先生が美しく微笑む。見慣れているはずの僕すら、その顔にはちょっとドキドキさせられる。
「そんな顔で僕を見るのはやめてください」
「どんな顔ですか?」
黙らされた。僕は、ただ俯いた。先生が僕の肩をポンと叩く。
「まあ、いいでしょう。長田くん。お会計を」
バッグから、高級そうな財布を出すと、店長に告げられた金額をさっと出して、
「今日は楽しかったです。ありがとう。また来ます」
「ありがとう。待ってるよ。吉隅くんも、来てくれてありがとう。それから、さっきの話、良い返事を待ってるから」
一瞬何の話だったかと思ったが、すぐに思い出し、
「あ、はい。明日、連絡します」
「わかった。待ってるね」
店長が笑顔で言う。こうしていると、学生時代に戻ったみたいだ。
店を出ると、冷たい風が吹いていた。今夜は少し冷える。体を震わせていると、先生が自分の首に巻いていたマフラーを外して、僕の首に巻き付けて来た。驚いて先生を見ると、先生は首を傾げ、
「何ですか? さ、行きますよ」
僕の右側に立ち、僕を守るように体を寄せた。近過ぎて、緊張する。足首の痛みのせいだけでなく、歩き方がぎこちなくなっているのを感じていた。
「吉隅くん」
僕の手を上から押さえつける先生を少し見上げた。先生の眉間に皺が寄っている。せっかくの整った顔が台無しだ、と冷静に考えている自分がいた。
「先生。僕、コンチェルトは大丈夫だったのに、また痛くなっちゃいました」
「君ね、まだ一週間しか経ってないんですよ。そんなに急激に良くなるわけがないでしょう。馬鹿ですね」
「馬鹿……」
そんなことを先生に言われたのは初めてだったので、驚いてつい繰り返してしまった。
「そうです。馬鹿です。長田くんの言うことなんか聞かなければいいのに」
声が揺れた。先生の目に涙が浮かんでいる気がする。
先生は僕から離れると、店長の方を向き、
「長田くん。吉隅くんは、一週間前に歩道で自転車に引っ掛けられて、よろけた瞬間右足首を痛めたんです。右の足首を。右ですよ」
先生が、しつこく右、右と言う。左なら良かったのに、と言いたいのだろうか。
「自転車の人は、吉隅くんを転ばせたのに、そのままいなくなったそうです。吉隅くんは、そのまま病院に向かって、湿布をもらって帰ってきました。湿布を貼ったからと言って、すぐには良くなりません。だから、ペダルを踏まないように言いましたよ。あの動きが足首を余計に痛めることくらい、僕にもわかりますからね」
先生の話を聞いて、店長が驚いた顔になった。
「え? そんな状態で、今日オケとコンチェルトをやったの?」
僕の代わりに先生が深く頷く。
「そうです。やったんです。しかも、大成功したんですよ。この人は、本番に強いんです。昔からそうです。レッスンで弾きにくそうにしていた箇所を、試験の日には何事もなかったように弾いたりしていましたから」
言われて、そんなこともあったかもしれない、と思った。試験でも今日のような時でも、いつも演奏するのは楽しかった。それが苦痛とは思ったことがない。どんな状況でも。
「でもね、長田くん。コンチェルトを弾き切るのは、今の吉隅くんには大変だったんです。その後、一曲一人で弾きましたし。今もここまでよく弾いたと思います」
そこまで言って、僕の方に振り向いた先生は、
「でも、もうダメです。今日はもう帰りましょう。僕が送って行きます」
「あの……一人で歩けますし、ここから家までたった五分ですよ。一人で帰りま……」
「ダメです。そう言ったでしょう。それじゃ、長田くん。お会計をお願いします」
「先生。僕、大丈夫です」
訴えてはみたが、先生の冷たい一瞥で僕は頷かざるを得なかった。
「わかりました。先生。送ってください」
先生が美しく微笑む。見慣れているはずの僕すら、その顔にはちょっとドキドキさせられる。
「そんな顔で僕を見るのはやめてください」
「どんな顔ですか?」
黙らされた。僕は、ただ俯いた。先生が僕の肩をポンと叩く。
「まあ、いいでしょう。長田くん。お会計を」
バッグから、高級そうな財布を出すと、店長に告げられた金額をさっと出して、
「今日は楽しかったです。ありがとう。また来ます」
「ありがとう。待ってるよ。吉隅くんも、来てくれてありがとう。それから、さっきの話、良い返事を待ってるから」
一瞬何の話だったかと思ったが、すぐに思い出し、
「あ、はい。明日、連絡します」
「わかった。待ってるね」
店長が笑顔で言う。こうしていると、学生時代に戻ったみたいだ。
店を出ると、冷たい風が吹いていた。今夜は少し冷える。体を震わせていると、先生が自分の首に巻いていたマフラーを外して、僕の首に巻き付けて来た。驚いて先生を見ると、先生は首を傾げ、
「何ですか? さ、行きますよ」
僕の右側に立ち、僕を守るように体を寄せた。近過ぎて、緊張する。足首の痛みのせいだけでなく、歩き方がぎこちなくなっているのを感じていた。
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