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第13話 弾けました
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宝生先生が言っていた閉店前に必ず弾く曲。それは、ショパンの『別れの曲』だ。
「あの曲さ、本当におまえの曲だよな。だって、何回聞いても、心が揺さぶられちゃうんだから。おまえのピアノの音、すっげー好き」
いつだったか、恋人だった油利木和寿が真剣な目で僕を見ながら、そう言った。僕は、鼓動が速くなるのを感じながらも冷静を装って、
「好きなのは、僕のピアノの音だけ?」
僕がそう言うと、彼は驚いたように目を見開いた後、満面の笑顔になって、
「ワタルくん、可愛すぎ。おまえが、大好きだよ。ピアノの音も好きだけど、おまえのことが大好きなんです、オレ」
「僕も……」
大好きだよ。そう返そうとしたのに、強く抱き締められて、キスをされて、何も言えなくなってしまった。
何度も何度も唇を重ねた後で、彼が言った。
「夏休みになったら、二人っきりでどこか行こうよ。いいよな」
「うん」
「オレ、おまえのことが好き過ぎて、やばいんですけど」
「えー。何、それ」
二人で笑い合った。あれは、夏休みに入る直前だった。約束は果たされずに、僕たちは、あの世とこの世に、離れ離れの身となってしまった。
──全然ダメかもしれないけど、弾くからさ。聞いててよ。
いつか死んだら、あの曲を弾いてほしいと言っていた。今が、その約束を果たす時だ。
ゲストの話し声が、遠くで聞こえている。僕は凪いだ心で、一音目を弾いた。その後は、もう何も考えずに、最後まで音楽を奏でた。
いつの間にかゲストはいなくなり、僕のそばには先生と店長。少し離れた所にスタッフたちがいた。僕の演奏が終わった瞬間、大きな拍手が湧き起こった。先生が、何も言わずに僕の背中に腕を回して強く抱き締めてくれた。帰って来られた、と思った。
僕は、流れ出す涙を拭いもせずに、先生に、「弾けました。弾けました」と、何度も何度も言い続けていた。
あれから五年。その間、先生はいつも僕に寄り添ってくれていた。愛弟子と言いながら、突き離すようなことを平気で言ったりする。時に、これ以上ないくらい優しい言葉を掛けてくれもする。長年の友人である店長がそう言うのだから、やはり先生は読むのが難しい人なんだろう。でも、離れたいと思ったことはなかった。
温めたはずのピラフが、再び冷たくなっていくことにも気付かず、僕は思考し続けていた。
十二月に入ると、町がキラキラし始めた。こういう、心が浮き立つような感じは嫌いではない。大好きな人と一緒なら、もっと楽しいんだろうな、と思ったりする。
大晦日のコンサートも近くなってきたある日、僕はファルファッラへ行った。仕事で遅くなったので、閉店まで一時間を切っていた。店内に入って行くと、スタッフが歓迎してくれ、店長自ら席に案内してくれた。
「こちらへどうぞ」
案内されたのは、やはりピアノのそばの席だった。そして、店長も当たり前のように僕の正面に座った。
「店長。まだ、営業中では?」
「まあ、いいじゃないか。それよりさ、大晦日のコンサート、満席になったよ。告知してから、二日で」
「二日、ですか。まるで、売れっ子みたいですね」
自分で言って、自分で笑ってしまった。売れっ子なんて言葉とは、縁なくここまで来た。ただ、自分の音楽を信じてやってきた。それでいいと思っているし、これからもこのまま行くと思う。
「吉隅くん。笑うところじゃないでしょ。すごいじゃないか、君」
「そうですね。ありがたいです。あ、それより、注文お願いします」
店長が、急に顔をしかめた。何事かと思い笑いを引っ込めると、
「また、雑炊って言うんじゃないよね? 仕事の後なんだろう? ちゃんと食べた方がいいよ」
「この前も、結局は結構食べたじゃないですか」
「そうだったね」
「でも、やっぱり雑炊をお願いします。魔法を掛けて下さいね」
おいしくなーれ。おいしくなーれ。
店長は、ハーっと息を吐き出すと、「ほらね」と言った。
「わかったよ。魔法、掛けてくる」
そう言って、奥に下がっていった。僕は、その方を見ながら、微笑みを浮かべた。
「あの曲さ、本当におまえの曲だよな。だって、何回聞いても、心が揺さぶられちゃうんだから。おまえのピアノの音、すっげー好き」
いつだったか、恋人だった油利木和寿が真剣な目で僕を見ながら、そう言った。僕は、鼓動が速くなるのを感じながらも冷静を装って、
「好きなのは、僕のピアノの音だけ?」
僕がそう言うと、彼は驚いたように目を見開いた後、満面の笑顔になって、
「ワタルくん、可愛すぎ。おまえが、大好きだよ。ピアノの音も好きだけど、おまえのことが大好きなんです、オレ」
「僕も……」
大好きだよ。そう返そうとしたのに、強く抱き締められて、キスをされて、何も言えなくなってしまった。
何度も何度も唇を重ねた後で、彼が言った。
「夏休みになったら、二人っきりでどこか行こうよ。いいよな」
「うん」
「オレ、おまえのことが好き過ぎて、やばいんですけど」
「えー。何、それ」
二人で笑い合った。あれは、夏休みに入る直前だった。約束は果たされずに、僕たちは、あの世とこの世に、離れ離れの身となってしまった。
──全然ダメかもしれないけど、弾くからさ。聞いててよ。
いつか死んだら、あの曲を弾いてほしいと言っていた。今が、その約束を果たす時だ。
ゲストの話し声が、遠くで聞こえている。僕は凪いだ心で、一音目を弾いた。その後は、もう何も考えずに、最後まで音楽を奏でた。
いつの間にかゲストはいなくなり、僕のそばには先生と店長。少し離れた所にスタッフたちがいた。僕の演奏が終わった瞬間、大きな拍手が湧き起こった。先生が、何も言わずに僕の背中に腕を回して強く抱き締めてくれた。帰って来られた、と思った。
僕は、流れ出す涙を拭いもせずに、先生に、「弾けました。弾けました」と、何度も何度も言い続けていた。
あれから五年。その間、先生はいつも僕に寄り添ってくれていた。愛弟子と言いながら、突き離すようなことを平気で言ったりする。時に、これ以上ないくらい優しい言葉を掛けてくれもする。長年の友人である店長がそう言うのだから、やはり先生は読むのが難しい人なんだろう。でも、離れたいと思ったことはなかった。
温めたはずのピラフが、再び冷たくなっていくことにも気付かず、僕は思考し続けていた。
十二月に入ると、町がキラキラし始めた。こういう、心が浮き立つような感じは嫌いではない。大好きな人と一緒なら、もっと楽しいんだろうな、と思ったりする。
大晦日のコンサートも近くなってきたある日、僕はファルファッラへ行った。仕事で遅くなったので、閉店まで一時間を切っていた。店内に入って行くと、スタッフが歓迎してくれ、店長自ら席に案内してくれた。
「こちらへどうぞ」
案内されたのは、やはりピアノのそばの席だった。そして、店長も当たり前のように僕の正面に座った。
「店長。まだ、営業中では?」
「まあ、いいじゃないか。それよりさ、大晦日のコンサート、満席になったよ。告知してから、二日で」
「二日、ですか。まるで、売れっ子みたいですね」
自分で言って、自分で笑ってしまった。売れっ子なんて言葉とは、縁なくここまで来た。ただ、自分の音楽を信じてやってきた。それでいいと思っているし、これからもこのまま行くと思う。
「吉隅くん。笑うところじゃないでしょ。すごいじゃないか、君」
「そうですね。ありがたいです。あ、それより、注文お願いします」
店長が、急に顔をしかめた。何事かと思い笑いを引っ込めると、
「また、雑炊って言うんじゃないよね? 仕事の後なんだろう? ちゃんと食べた方がいいよ」
「この前も、結局は結構食べたじゃないですか」
「そうだったね」
「でも、やっぱり雑炊をお願いします。魔法を掛けて下さいね」
おいしくなーれ。おいしくなーれ。
店長は、ハーっと息を吐き出すと、「ほらね」と言った。
「わかったよ。魔法、掛けてくる」
そう言って、奥に下がっていった。僕は、その方を見ながら、微笑みを浮かべた。
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