除夜の鐘を聞きながら

ヤン

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第20話 除夜の鐘を聞きながら

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 しばらくは、少し距離を保ったまま歩いていた。先生の背中を見ながら、胸がドキドキしている。今まで何度も見てきたはずなのに。

 僕は先生の隣まで急いで行くと、先生の手を握った。冷え切った指は、ほっそりしていて長い。僕はあまり指が長くないから、こういう指を持つ人に憧れる。

 先生は僕に手を握られて驚いたようで、僕の顔をじっと見た。僕は言い訳がましく、

「先生。手袋もしてないから、こんなに冷えちゃって」

 目が泳いでしまう。自分もしていないのに、人に言うことではなかった。先生は僕から目をそらすと、「そうですね。慌ててしまって、つい……」と呟くように言った。

「慌てて……? 何に慌てたんですか?」
「君のコンサートですよ? 慌てるに決まってるじゃないですか」

 やっぱり先生の言葉は、理解するのが難しい。先生は、そうと察したのか、「わかってもらえなかったようですね」と言って息を吐き出すと、

「好きな人のコンサートなんです。心が弾むと同時に、君は僕の愛弟子ですから演奏の出来も心配です。いろんな意味で落ち着かなくなって、慌てて家を出たので忘れた訳です」

 少し伝わった。僕は先生の手を握ったまま、コートのポケットに手を入れた。先生が僕を見る。

「こうしたら、温かいかと思って……」
「そんなことをされたら、何だか体温が上がってしまいます」
「それはどういう意味でしょう?」
「ま、そんな意味です」

 どんな意味だろうと思ったが、訊くのは止めておいた。

 お寺の門の近くへ来ると、すでに人がいっぱいだった。僕はちょっとうんざりしながら先生を見た。先生は僕に視線を向けると、

「ま、いいじゃないですか。ゆっくり行きましょう。それとも、諦めて帰りますか?」

 一瞬迷ったが首を振った。もう少し先生と一緒にいたい。そう思っていた。これは、恋愛感情なんだろうか。僕は心の中で、死んでしまった恋人に言った。

 ──ごめん、和寿かずとし。いい加減な僕を許してね。

 先生に気持ちが動いているのを認めるしかない。ずっとそばで僕を見守ってくれて、大きな愛で包んでくれている。そんな人を好きにならない方法を、僕は知らない。

 行列が少しずつ短くなっている。とっくに百八回の鐘は突かれたと思うのに、除夜の鐘はまだ終わらない。僕たちはそれを横目に通り過ぎ、参拝の列にいる。周りの人たちは楽しそうに何かを語り合っているみたいだ。そんな中で、僕たちは黙り合って、一つのポケットに手を入れている。暗いからわからないけど、明るかったらどう思われるだろうと思わなくもなかった。でも、やめたくない。そんな気持ちだった。

 どれくらい経ったのか、とうとう僕たちの番が来た。僕たちはポケットから手を出して、五円玉を投げ入れた。手を合わせて祈る。

 横の階段を下りて行く途中で、

「先生。何をお祈りしてたんですか?」

 訊いてみると先生は、

「君ね。そういうことは、人に言わないものですよ」

 冷静に言われて、「あ、すみません」と謝った。それはそうだ。僕も、訊かれたら困る。そう思っていたら、

「それで? 吉隅よしずみくんは何を祈っていたんですか」
「え……? 先生。今、僕に何て言いましたっけ?」

 相変わらずな先生の発言に、つい笑ってしまった。先生は首を傾げて不思議そうな顔をしている。そんな様子を見ても、鼓動が速くなるとは。僕は、ちょっとおかしいと思う。

「先生。僕、ドキドキして落ち着かないんですけど」
「どういう意味でしょう?」
「自分でも、よくわかりません」
「そうですか。また期待してしまいましたよ。僕にドキドキしてくれているのかと……」

 僕は大きく息を吐き出してから、先生の手を握った。先生の顔は見ず、正面を向いたまま、

「先生。この先も、ずっと、一緒にいてくれますか?」

 返事がない。聞こえなかったのかと思い、もう一度言おうとしたその時、先生が「え?」と言った。

「ずっと? いていいんですか? 君のそばにいていいんですか? 僕、油利木ゆりきくんに怒られますね」

 僕は先生の横顔を見ながら、「怒られてください」と言い返す。先生は、「怒られるのなんか嫌ですよ」と言って、笑った。

「ずっと、一緒に、ですね。覚悟してくださいよ。僕はね、君のことを離しませんからね」

 静かな声で情熱的なことを言う。先生への気持ちが溢れ出して、僕は先生の腕に掴まる。

「僕が死ぬまでですよ」

 僕の言葉に先生は、

「君ね。僕の方が二十四歳も上なんですよ。普通に考えたら、僕が先でしょう」
「じゃあ、わかりました。どちらかが死ぬその日まで、にしましょう」
「いいでしょう」

 先生が了承してくれたので、それに決まった。しばらく黙り合って歩いていたが、

「死んだらきっと、油利木くんに怒られるんだろうな」

 呟くように言った先生が可愛くて、僕は先生の頬に軽くキスをした。

(完)
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