ノブさん

ヤン

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第3話 事故

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 その日の夜勤中、ノブさんがもう一度現れることはなかった。思い詰めたような表情をしていたのが気になるが、そもそも生きている人ではないから、命を断つとかそういうことにはならないので、それだけは安心だ。

 夜勤が終わった後、少し残業をしていると、昼からの勤務の白井しらいさんが出勤してきた。私は挨拶をするとすぐに、

「教えてください」
「は?」

 私の切羽詰まったような口調に呆気に取られている風の白井さん。心の中で謝罪する。

「白井さん。ノブさん……いえ、相田あいだノブさんって方の担当だったんですよね」
「え……。ノブさん? 何で早川はやかわさんが……」
「知ってるのか、ですか? だって、夜勤の日に必ず会うんですよ。どこからともなく現れて、スッと消えるんです。いえ。それは置いといて」
「置いとくの? それ、すごく怖い話なんだけど」
「もう慣れました」

 私が言うと、白井さんは、

「慣れるもの? 早川さん、すごいね」

 褒められたようだ。私は素直に「ありがとうございます」とお礼を言ったが、白井さんは変な物でも見るような目付きで私を見ただけだった。私は構わず、

「その相田さんですけど、亡くなったのはいつ頃ですか」
「五ヶ月前……かな」
「心残りがあって、ここから離れられないらしいんですけど、一体何があったんですか?」

 白井さんは私から視線を外し、俯いた。余程言いにくい何かがあったに違いないと思わせるような顔つきをしていた。ノブさんも白井さんも、何で隠そうとするんだろうと思ったが、訊いてみるしかないことはわかっている。

「白井さん。教えてください。相田さんとシノちゃん。何があったんですか?」

 ノブさんが亡くなったのが五ヶ月前。それと同じ頃、シノちゃんは異動になっていると思われる。何か関係があるのだろう。

 白井さんは、しばらくしてようやく口を開いた。

「夜中の一時頃だった。ノブさんが、台に上がって、棚の上の方に置いてあるカゴを下ろそうとした。そう。利用者さんの家族から預かってるお菓子を入れてるあのカゴ」
「あれ、結構重いですよね?」

 では、何故それを取りにくい棚の上に置いているかというと……つまりそういうことだ。取りにくいようにしておかないと、人の物を間違って食べてしまったり喉に詰まってしまったりと、事故が起きてしまう可能性があるからだ。やむを得ず、そういう対応をさせてもらっている。

「そう。その日もあのカゴ、重かったんだけど、ノブさんはそれを取ろうとした。バランスを崩して、台から落ちた。救急車で運ばれて入院。認知症がある人で、人のご飯も食べようとしちゃう、あの食いしん坊の……あ。失言だった。食べるのが好きなノブさんが、少しでも食べ物を口に入れて飲み込もうとすると、ひどくむせる。痰もからむようになって。食事が摂れる状態じゃなくなって、ターミナルケアを行うことになって、ここに帰って来た。良くはならなかったよ。ここでお看取りした。オレが看取った」

 暗い表情の白井さん。その時を思い出しているのだろうか。

 話を聞いてみて、何となくわかった。ノブさんが台から落ちた日の夜勤者。それが、シノちゃんだったのだろう。その考えを伝えてみると、白井さんは頷き、

「そう。シノちゃんが夜勤者だったよ。で、責任感じちゃったみたいで、異動を希望して。引き留めようとして主任やホーム長も頑張ってくれたみたいだけど、もう無理ですってシノちゃんが泣き出して……って聞いただけで、その場にいたわけじゃないけど」
「相田さんのご家族は何て……?」

 事故を施設の責任にしてきたか、それとも……。

 白井さんは顔を上げると、軽く頷き、

「それは、大丈夫だった。あそこの家族は理解してくれた。むしろ、謝られたよ」
「そうなんですか」
「家にいる時から、同じようなことをしてました。ご迷惑をおかけして……みたいなことを言われた。それから……」

 その後白井さんが話してくれた内容に、私は涙を浮かべないではいられなかった。
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