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第二章 新たな道
第19話 不安
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「そういえば、谷さん。僕の左斜め後ろにいた人は?」
僕が訊くと、谷さんはお冷グラスを軽く揺すって中の氷をカラカラと鳴らしながら、
「それがさ。オレに状況を伝えたら、『じゃあ、僕は急ぎますので』って言って、駅に入って行っちゃったんだ」
「どこの誰だかわからないってことですね?」
「わかんないなー」
それから少しして、料理が運ばれてきたので食べ始めた。食後、谷さんはデザートを注文した。イチゴのショートケーキだった。谷さんは、微笑むと、
「実はさ、明日オレの誕生日なんだ」
僕と大矢さんは、同時にお祝いの言葉を贈った。谷さんは、「ありがとう」と言った。大矢さんは谷さんを見ながら、
「何か欲しい物、あるか?」
大矢さんの問いに、谷さんは考えるような顔になったが、「欲しい物はあるんだけど……」と言った。
大矢さんは、僕と顔を見合わせてから首を傾げ、
「何が欲しいんだ? 高い物か?」
「いや、別に高くはないんですけど、手に入れるのは大変かもです」
谷さんが、笑顔を引っ込め神妙な顔つきになって続けた。
「オレ、あのコンビニ、明日で辞めるんです。自分が悪いんだけど。ほら。オレってさ、お客に近寄り過ぎでしょ? それが、後輩たちにも『良いこと』として広まっちゃったっていうか……。オレみたいな態度の奴が増えちゃったというか……。責任取って、辞めるんです」
「ま、確かにおまえは客に近寄り過ぎだけど。でも、それはおまえの長所だって、オレは思ってた。最初は、何だこいつ、と思わなくもなかったけどさ」
大矢さんの言葉に、谷さんが小さく笑った。
「だからね、大矢さん。オレは、職業が欲しい。オレの特長が活かせるような、そんな仕事、ないですかねー?」
冗談めかして言っているが、目は真剣だった。少なくとも、僕にはそう見えた。大矢さんは、少し考えるような表情をした後、
「ま、なくもない」
「あるんですか?」
「食いつく」というのは、きっとこういうのを言うんだろう、と思った。谷さんは身を乗り出して、大矢さんの次の言葉を待っているようだった。
「履歴書送ってくれ。うちの事務所宛に」
「オレ、芸能人?」
「違う。ごめん。おまえがやりたいなら、そっちもありだけど。マネージャーとかどうかなと思ってさ」
「マジですか? オレ、向いてそうですか?」
二人の話は、まだまだ続いた。それを聞いていた僕は、嫌なことから逃げ出して、大矢さんという大事な人のそばでぬくぬくと暮らしている自分を責めてしまった。
大矢さんが、手帳を取り出して予定の確認をしている。具体的な話が進行しているようだ。心がざわついてきた。
僕には何もない……。
その現実が、僕を苦しめずにはいられなかった。僕は、スプーンを置くと、ふらっと立ち上がった。二人が僕を見る。
「僕、帰ります」
僕が背中を向けようとしたら、大矢さんに腕を掴まれた。振り返ると、そこには哀しそうに顔を歪める大矢さんがいた。それを見せられて、僕は胸が痛んだ。
「聖矢は聖矢だろ? おまえは今まで頑張り過ぎたから、休憩してるだけだ。思い詰めるなよ」
我慢しようとしていたのに、涙がこぼれ落ちてしまった。
「僕は……何もないんです。何も……」
僕は、大矢さんに抱きついてしまった。お客さんは他にもいたから、きっと見られてるんだろうな、と思ったが、そうせずにはいられなかった。大矢さんは、僕の頭をそっと撫でてくれる。
「いつかは絶対に、おまえも見つけられるさ。今は無理せずに、休め」
休め。その言葉が、僕の心の傷を癒やしてくれる。ますます泣けてくる。
その日の約束は果たされ、谷さんは面接を受けて大矢芸能事務所で働くことになった。もちろん、それは僕にとっても嬉しいことだったが、一人取り残されたような気持ちになって、不安定になってしまった。
僕が訊くと、谷さんはお冷グラスを軽く揺すって中の氷をカラカラと鳴らしながら、
「それがさ。オレに状況を伝えたら、『じゃあ、僕は急ぎますので』って言って、駅に入って行っちゃったんだ」
「どこの誰だかわからないってことですね?」
「わかんないなー」
それから少しして、料理が運ばれてきたので食べ始めた。食後、谷さんはデザートを注文した。イチゴのショートケーキだった。谷さんは、微笑むと、
「実はさ、明日オレの誕生日なんだ」
僕と大矢さんは、同時にお祝いの言葉を贈った。谷さんは、「ありがとう」と言った。大矢さんは谷さんを見ながら、
「何か欲しい物、あるか?」
大矢さんの問いに、谷さんは考えるような顔になったが、「欲しい物はあるんだけど……」と言った。
大矢さんは、僕と顔を見合わせてから首を傾げ、
「何が欲しいんだ? 高い物か?」
「いや、別に高くはないんですけど、手に入れるのは大変かもです」
谷さんが、笑顔を引っ込め神妙な顔つきになって続けた。
「オレ、あのコンビニ、明日で辞めるんです。自分が悪いんだけど。ほら。オレってさ、お客に近寄り過ぎでしょ? それが、後輩たちにも『良いこと』として広まっちゃったっていうか……。オレみたいな態度の奴が増えちゃったというか……。責任取って、辞めるんです」
「ま、確かにおまえは客に近寄り過ぎだけど。でも、それはおまえの長所だって、オレは思ってた。最初は、何だこいつ、と思わなくもなかったけどさ」
大矢さんの言葉に、谷さんが小さく笑った。
「だからね、大矢さん。オレは、職業が欲しい。オレの特長が活かせるような、そんな仕事、ないですかねー?」
冗談めかして言っているが、目は真剣だった。少なくとも、僕にはそう見えた。大矢さんは、少し考えるような表情をした後、
「ま、なくもない」
「あるんですか?」
「食いつく」というのは、きっとこういうのを言うんだろう、と思った。谷さんは身を乗り出して、大矢さんの次の言葉を待っているようだった。
「履歴書送ってくれ。うちの事務所宛に」
「オレ、芸能人?」
「違う。ごめん。おまえがやりたいなら、そっちもありだけど。マネージャーとかどうかなと思ってさ」
「マジですか? オレ、向いてそうですか?」
二人の話は、まだまだ続いた。それを聞いていた僕は、嫌なことから逃げ出して、大矢さんという大事な人のそばでぬくぬくと暮らしている自分を責めてしまった。
大矢さんが、手帳を取り出して予定の確認をしている。具体的な話が進行しているようだ。心がざわついてきた。
僕には何もない……。
その現実が、僕を苦しめずにはいられなかった。僕は、スプーンを置くと、ふらっと立ち上がった。二人が僕を見る。
「僕、帰ります」
僕が背中を向けようとしたら、大矢さんに腕を掴まれた。振り返ると、そこには哀しそうに顔を歪める大矢さんがいた。それを見せられて、僕は胸が痛んだ。
「聖矢は聖矢だろ? おまえは今まで頑張り過ぎたから、休憩してるだけだ。思い詰めるなよ」
我慢しようとしていたのに、涙がこぼれ落ちてしまった。
「僕は……何もないんです。何も……」
僕は、大矢さんに抱きついてしまった。お客さんは他にもいたから、きっと見られてるんだろうな、と思ったが、そうせずにはいられなかった。大矢さんは、僕の頭をそっと撫でてくれる。
「いつかは絶対に、おまえも見つけられるさ。今は無理せずに、休め」
休め。その言葉が、僕の心の傷を癒やしてくれる。ますます泣けてくる。
その日の約束は果たされ、谷さんは面接を受けて大矢芸能事務所で働くことになった。もちろん、それは僕にとっても嬉しいことだったが、一人取り残されたような気持ちになって、不安定になってしまった。
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