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第52回 無機質

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 もうすぐ、俺たちは学校ダンジョンをクリアできる。それまで、あとほんの僅か数秒だ――

「――よくもやってくれたなぁ、佐嶋ぁ……」

「えっ……?」

 の弾んだ声が耳朶を撫でるように伝わってきて、俺は全身の毛が逆立つような感覚を味わうことになった。

「…………」

 もう、その声の持ち主のほうを見なくても誰なのかはわかりきっていた。

 なのに、俺は引き寄せられるように見てしまった。

 シャツか何かを包帯代わりにしたのか、白い布で顔をグルグル巻きにした男――虐殺者の羽田京志郎――が宙に浮かんでいたのだ……。

 やはり、俺の思っていた通りだった。あんな人間離れした化け物があっさり火葬されて昇天するわけがないんだ。

 ボスが炎の息吹を仕掛けてくるまであと23秒。それさえも、今では永劫のときのように感じられた。

 だが、まだ望みを捨てるのは早い。やつの念力がこっちに届くまで、ほんの少しだけだが猶予がある。それまでにボスを倒せばいい。この場面だったら羽田も迂闊に手を出せまい。なんせ、楽の顔の対処法を知っているのは俺たちだけなのだから……。

「……簡単には殺さんぞ、佐嶋ぁ……」

 やつの口から飛び出したその嬉しそうな台詞は、俺たちにとっては絶望でもあり、希望でもあった。騙した俺をなるべく苦しめて殺すつもりだろうが、まだ生きていられる分チャンスがあるからだ。

「は……羽田京志郎っ! やるなら佐嶋ではなく、わしのほうから殺せえぇっ!」

「か、風間さん……」

 羽田の登場によって風間は震え上がっているかと思いきや、真逆の自己犠牲的な発言をした。そういえば、彼は慎重かつ臆病に見えて、やるときはやる人だったな。本性を現した黒坂に反抗して最初に殴られたのは彼だったし……。

「フンッ、雑魚で時間稼ぎをしようという腹積もりだろうが、そうはいかん。私が今のところ興味があるのは佐嶋、お前だけだぁ……」

「……き、気色の悪いストーカー、だな……」

 俺はなんとか声を絞り出そうとしたものの、ほとんど声が出せなかった。

 羽田の放つ殺気が噎せ返るように物凄くて、内心恐怖のあまり吐きそうだったんだ。だからこそ、風間がどれだけ勇気のある発言をしたかがわかる。

 それに比べて俺はなんだ……。偉そうに羽田に対して怒りがどうの言っていたが、実際に命の危機に直面すればこんなものだ。実力の違いすぎる相手に対して子犬のように吠えるくらいなら、もっと別のところに矛先を向けるべきだ。自分のどうしようもない弱さに対して……。

「風間さん、ボスの攻撃が来ますっ!」

「なぬっ!?」

「…………」

 驚きによるものか、包帯から覗く羽田の充血した目が少し大きくなるのが見える。

 実際は炎のブレスが来るまであと7秒あるんだが、すぐに来ると言ったのはやつを足止めするための虚言だった。一度あの苦痛を経験したことがあるなら、ボスの攻撃が来ると知って尚更迂闊には動けないだろう。

 どうやら俺の作戦は上手くいったらしく、羽田が何かしてくる気配は今のところなかった。よし、そろそろカウントダウンの数字が0になりそうだ。

「風間さん、あとのことはよろしくお願いします……」

「さ、佐嶋よ、どうするつもりだっ!?」

「風間さんは何も考えず、ここで無になっていてください」

「お、お前さん、まさか、死ぬ気なのか……」

「…………」

 俺は何も答えなかったが、死を覚悟するべきだとは考えていた。本来なら、この場面では無の境地になる必要があるわけで、じっとしているのが賢明だ。それでも、こうして虐殺者の羽田が来てしまった以上、ここで何もしないなんていう悠長な考えは捨てるべきだと思うんだ。

「――フシュウウウゥゥッ……」

 ボスの吐いた息とともに、俺は薄目で無を意識しながら高く跳び上がった。

 頼む、これが最後のチャンスなんだ。そう思うだけで全身が焼け付くように熱くなってしまう。

 無、虚ろ、空っぽ……。ここからはもう、ひたすら何もない世界をイメージするしかない。数秒後には自分がただのロボットになっていることをイメージしていたこともあって、今の俺は、ボスが迫ったら何も考えずにただ規則的に手を出してやろうと思っているだけの状態なんだ。

「…………」

 まもなく炎の中で信じられないような激痛が走り、両腕の前腕部分がねじ切られたのがわかるが、何かを意識するだけで体が熱くなることもあって、なるべく考えないようにする。

 というか、想像を絶する痛みと吐き気が襲ってきて、頭の中が真っ白になりそうなのが逆に幸いした。

 それに、俺にはまだ足があるし、炎の息吹の影響か羽田の攻撃も止まったから問題ない。

 これは想定内だった。やつはすぐに殺すとは言ってなかったから、ボスに攻撃しようとしたら絶対にそれを阻止してくると思っていた。俺はデスマスク直前でクルッと体を半回転させると、ランニングの如く交互に足を動かした。

 たとえ無になりきれなくても、漠然としたイメージだけは保つ。それでも息苦しいほどの熱を感じたが、俺は足元にある仮面をただひたすら蹴り続けていた。

 ん、今一層大きな悲鳴がこだましたような……? まもなく、大型のウィンドウが表示される。

 何々……おめでとうございます、あなたは学校ダンジョンを見事クリアし、報酬のレア武器である死神の大鎌――デスサイズ――を獲得しました、だって……。

「っ……!?」

 俺は無に近い状態から我に返った。死ぬ間際に見る幻かとも思ったが、足の爪先から頭の天辺までヒリヒリするし、これは紛れもなく現実のようだ。そうか、本当に攻略できたんだな……。
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