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☆不必要
しおりを挟む呉地駅に到着した僕たち。夕日がまだまだ寒い冬空を茜色に染め上げていた。
「あぁ~。帰ってきたーって感じねーっ!」
僕の横、綾部さんが「んーっ」と両手を伸ばして背伸びをすると、艷やかな黒髪がさらりと揺れた。後方から岩田が無言でやって来る。
そうなのだろう。たった三日間だけ大阪に行っていただけだが、懐かしく感じられるものなのだろう。何となく分かる。
「そうそう、山柿くんは今朝ここに居たんだっけ。往復しちゃったわけなのね」
くすくす笑う綾部さん。
「はいはい。どーせ僕はバカですよ」
「違うわよ。バカだけじゃなく、正直が付くのよ」
「へいへい」
僕たちの楽しそうな雰囲気とは別に、岩田だけはポーカーフェイスを貫いていた。
僕としてはこのまま岩田家にお邪魔したいわけで、――正確には岩田家の裏庭のプールだけど――、早く綾部さんと別れて岩田と二人っきりになりたいわけだった。
さり気なく綾部さんと距離をとり、岩田に接近して歩調も合わせてみる。
「さーてと……」
なあ岩田よ――と言いかけた所で、「ちょっとちょっと山柿くん?」
間が悪いことに綾部さんに呼び止められた。
「なんだよ?」
「貴方の彼女が個人的に話しがあるんだけど、一緒に歩かない?」
一瞬岩田の眉がピクリと痙攣した。
綾部さんが自分を僕の彼女だと言い切り、岩田抜きに限定したわけになる。
岩田が居るこの場で言う必要があるのか? 意地悪く岩田の反応を楽しんでいるようにも思えた。
「えっ? あ、その……」
仮にも岩田と綾部さんは婚約中(確定はしていないが)だろうに、ケンカがしたいのか? 僕との話しなら電話かメールじゃダメなのかよ。
「あ、悪いが、僕これから岩田の家にちょっと……」
僕の最重要項目として、まずはこのパンツを隠滅しなくてはならない。岩田と綾部さんのややこしい関係についての修復はそれからだ。
「来る必要はない」
「へっ?」
余りにも意外なセリフだったので、抜けたような声を発してしまった。
振り返ると、岩田が感情を押さえているように見えた。
怒っているのか……?
それより、どうリアクションしていいか分からない。
黙ったまま背中を見せて歩き出す岩田を、このまま一人で帰すわけにはゆかない。追いながら、
「いや、あの、愛里ちゃんにお土産でもと……ははは」
下心なんか無い。喜んで貰いたくて選んだ見上げだ。
渡してから、僕のパンツ隠滅作戦は始まる。
「不必要だな」
岩田が立ち止まって振り返る。
「えっ?」
ピキリと両足が絶対零度に固まった。
驚いたのは簡単にあしらわれたからではない。
「不必要って……意味が分からん」
「言ったはずだ。愛里にはおかしなマネはするなと。つまり愛里に近よるなと言っている。分からないのか?」
お見上げを渡すことが、おかしなマネだと?
マジで二度と愛里に会うなと言うのか?
そこまで線を引っ張っちまうのか?
「えっ、そ……そうか……いや、お前がそう言うんだったら、そうするけど……」
ここで岩田に言い返し、堂々と愛里に会いに行く……。
それはもう岩田と絶交するつもりでなら出来るだろうよ。
だけど……。
それに愛里は兄さんの決めた事を絶対に守る。岩田は帰宅早々に愛里を呼び寄せ諭(さと)すだろう。
そしたら、愛里と外で偶然会ったとしても、愛里は逃げるように去ってゆくだろう。
そして、つまり、それって、
「うむ。ならここで、山柿」
「ああ、岩田」
サヨナラってこと……。
愛里のパンツがどうとか以上に、重く心に伸し掛かる物があった。
側にいた綾部さんが僕の肩をひとつ叩いて言い放った。
「お土産を断るなんて、人の好意を断るなんて、聞いたことがないわ。やっぱり岩田くんは酷い男だわ。最低の男だわ。血も涙もない男だわ」
岩田が一人ですたすた帰ってゆく後ろ姿を一瞥している。
「あそこまで妹さんを囲って何が嬉しいのかしら。愛情を通り越して異常よ。卑猥よ。下劣よ。そう思わない山柿くん?」
「そうだな……確かに異常だとは思う。だけど……」
「だけど?」
「……岩田らしい」
「え?」
「本当に……岩田らしいと思う」
岩田家の母親しか居ない事情、母親が芸能関係の仕事で家事がし難く、ずっと前から岩田が父親として愛里に接していた事情があったわけで……。
小さい頃からあの二人は生きてきたんだと思う。寄り添って大きくなったんだと思う。心を成長させたんだと思う。
愛里が小学三年生だというのに、あんなにしっかりしているのは岩田のお陰だ。
ぽっと好きになった僕の感情なんか、岩田の強大な愛情に比べたら、それはもう……。
「何に言ってるの? 折角山柿くんがお土産(みやげ)を買ってきたのに、断るだなんて、おかしいわよ絶対に」
「そうだな」
「ちょっと、どうしちゃったの? 私可笑しな事言ったかしら?」
綾部さんは不満気に両手を腰にあてて僕を睨んでいる。
「いや、ごめんごめん。綾部さんの言う通りだと思うよ。だけどね、僕はそんな岩田が気に入っている。無口なポーカーフェイスの、兄バカの岩田がやっぱり良いと、改めて思ったよ」
「分けわからないわ。さっぱり分からないわ。貴方たちってふたりとも変人?」
いつものように両手でWの文字を作ってみせる綾部さんに、いちいち説明するのも煩わしくて、「どうだろうね」とだけ返してよそを向いた。
すると、どうだろう、意外な人物と目が合った。
その見慣れたヤクザ風の姿は、紛れなく高野さん。僕に凄みを利かせてくるじゃないか。
ここまで綾部さんを尾行中なのか。大阪へも来てたし、僕が交際相手に相応しいか調べるにしては大袈裟すぎる。
「ご苦労様ですー」
一石を投じてみるつもりで、取り敢えず聞こえるような大きな声で言ったら、すっ飛んで来て僕のお尻に蹴りを入れた。
「小僧、見つけるんじゃねぇ!」
「見たらダメなですか?」
「ったりめーだろっ!」
「聞いてませんって!」
「こら! 暴力はダメでしょ。さっさと散って散って」
綾部さんがハエでも追い払うように手を扇ぐ。
「……トモコ様」
すたこらと元の定位置なのだろ、約十五メートルほど後方に移動しよそを向いてタバコを吹かす。
モブキャラのように背景と同化しているつもりだ。
わけわからん。
「あの……以前から不思議だったんだけど、どうして高野さんが綾部さんを尾行しているんだ?
僕が彼氏に相応しいか調べるにしても、異常じゃないか?」
さあ、いい加減に教えてもらおうじゃないか。
娘の受験先まで付いてくる見張りってどうなの?
しかも刑事っていうじゃないか。国の税金を貰って見張りさせるのはおかしいだろう。
「そうね……」
綾部さんは腕を組んで少し考えていたけれど、「帰りながら話しましょう」と歩き出した。
高野さんも距離を置いたまま付いてきている。
心の準備をしないと言えないほど重大な内容が秘められていたのだろうか、綾部さんはやや俯き気味に何かを考えているようだった。
「高野さんが見張っている本当の理由はね……」
駅前の横断歩道を渡って少し進んだ時だった。
「恥ずかしいのだけど、私のパパって愛が強いの」
「愛が強い……」
綾部さんが盗み見るように僕の顔を伺っているのだが、どうも、なんとも、ピンとこない。
「分からない? あのね……、パパは私への愛が強すぎて強すぎて、私の事が心配でたまらないのよ」
言い難い事だったのだろう、直ぐにまた俯いてしまった。
「そうか……」
似た人物をよ~く知っている。そいつも妹への愛情が強すぎて防御壁を築きすぎているところだ。
あまりの過保護は逆に負担になるのを知らないのだろう、気の毒に……。娘としては煩わしいだけなの――。
「あぁ、パパ。嬉しいわ……」
綾部さんが両手を組み、お願いポーズで何もない空に向かって話している。
撤回させて貰おう。この娘は、煩わしいとかでなく喜んでいると。しみじみ感動していると。
ファザコン……。
危ない単語が浮かんだ。
非常に危ない。
将来愛里もこの手のタイプに育ってゆくんじゃないだろうな、そうあって欲しくないんだけど。
「以前に綾部さんから聞いていたのは、僕のチエックだったよね。僕が綾部さんの彼氏に相応しいかどうかのチエックだと」
「そうよ」
どうもこれ事態が違う。刑事を私物で使うわけない。高野さんが監視するのは別の何かがある。
「あぁ――、綾部さんのパパが、高野さんに報告させていたわけだね」
「そうなの……。私の事が心配なのよパパは」
「それもう聞きました、はい」
ちょうど四つ角に差し掛かった。良かった。話しを切り上げられる。
「じゃ、僕こっちの道なんで。ここで」
「あらあら、勝手に帰ってもらっては困るわ。送ってくれるんじゃないの?」
「え? 送るって……家までか?」
「当たり前じゃない。貴方は彼女を危険にさせる気なの?」
危険って大袈裟な。家まで帰るのに何にがあるんだ?
それに高野さんがガードしているじゃないか!
「もう冗談は、いい加減止めてくれよ……」
「そう……。そう思っているんだ……。
あ、でもどうしても嫌なら、無理にとは言えないけれど。
ひとりっきりで歩いて帰るしかなさそうだけど。
私可愛いから、何処かの変態に細い路地に引っ張り込まれてイタズラされたりするかも……。
明日の朝、私からメールがなかったら何かあったと思ってね……」
なにこの無理矢理感。
寂しそうに俯いたりして、一緒について来いオーラーが凄すぎるんですけど……。
僕を自宅に連れ込んで何を企んでいるんだ?
だがまあ、いいだろう。
「もーっ! 分かったよ」
「あら本当に付いてくるわけ? いやらしい想像は止めてよね」
「……、……」
綾部さんが、けろりと顔色を明るくして言った。
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