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★愛里のお部屋
しおりを挟む夏休みになりました。
T大学も夏休みに入ったそうで、近々兄さんが大阪から帰省して来るそうです。
それってつまり、勇者さまもそうなんじゃないのかしら?
K大寮で、スライムおじさまをやっつけた勇者さま――、違う、やっつけたのはあたしでした。
勇者さまはセナお姉ちゃんを置いてけぼりにして、あたしのピンチに駆けつけ、寮の人たちの制止を無視して、頑丈なドアを何度も何度も蹴りまくったと聞きました。
これってただの正義感からかしら?
恋人だと思っていたセナお姉ちゃんは、結局付き合ってなかったわけだし。
ただ心配だっただけなら、あたしを抱きしめたりしないんじゃ……。
周りに住人がいたからですが、もしあたしと二人っきりだったなら、キスとかされていたりして……。
助けて貰った日以来、勇者さまとお会いしていません。
夏休みで帰省され、あたしと二人っきりになったりしたら、何かが起きるかも。
つまり何が言いたいかといえば、チャンスなのです。
勇者さまの心をゲットする大チャンスなのです。
あたしは、プレゼントしてもらったマムちゃんを引き寄せ抱きしめました。
マムちゃんはへびのぬいぐるみ。勇者さまがK大学の受験で大阪に行った時に、あたしの為にわざわざお土産を買ってくれたのです。
嫌なことがあったり、嬉しかったりいたら、このマムちゃんを勇者さまだと思って、はむはむしたり、すりすりしたり、振り回したりして、思いをぶつけているのです。
気の毒なのは、何も悪くないマムちゃん。あたしのあくしょんばいおれんす被害を受けて、身も心もボロボロです。
◆
しかし。
「ぷは――――っ!!」
帰省を心待ちにしていたのですが――――。
マムちゃんに言いようのないストレスをぶつけた後、カルピスを濃い目に作り一気飲みしました。
「アハハハ! 酔っ払いみたいだな、愛里」
酔ってはいません。焼けカルピスです。
兄さんが帰省してきました。それはいいのです、それは。
勇者さまも呉地に戻って来たものと思って、あたしは毎日プチメイクをし、お洋服も下着も一番のお気に入りを着て、何もかも準備万端にしていたのに、さっき兄さんがポツリと言ったのです。
「山柿か? あ~あ、アイツは帰ってこないな」
うそ!
「え、でも。大学は夏休みじゃ……」
「母さんの仕事の手伝いだそうだよ」
マ……ママ。
「なんでも、A∨じゃなくてドラマに出るらしいぞ。母さんのサスペンスドラマ」
「そ、そうなんだ……」
「アイツの怖い顔を生かして、悪役だそうだ。ははは」
目眩がして、うなだれました。
何がおもしろいの? 勇者さまが帰ってこないんだったら意味ないのに。
このやるせなさ、カルピス二杯目にぶつけるしかありません。
冷蔵庫からカルピス原液を取り出しコップに注ぎます。
ぴんぽーん、とチャイムが鳴りました。兄さんが玄関へ向かっていって、誰かと会話しているみたい。
「おおーっ! 悪いなー」
珍しく兄さんのご機嫌な声がします。
「少し背が伸びたんじゃないのか?」
はて。兄さんが親しく話せる相手は限られているんだけど。まさか勇者さま?! いや、そんなわけは……。
「愛里っ! 彼氏が来たぞーっ!」
お水をドバッと入れ過ぎ、溢れたコップを持ったまま固まっているあたし。
「おーい。早く来いよ」
彼氏とはブラック。
スライムおじさまを退治したのより少し前、夢の出来事だったみたいなキス事件。
ブラックが桃カルピスがあるからと、あたしを誘惑してキスしたアレです。(ぼやーっとを覚えているくらい)
キス事件であくしょんばいおれんす女優をしてやったのに、あたしを嫌うどころか余計に懐いてきて、でもまあ、頼んだ事は素直に何でもきいてくれるようになったから、いいんだけどね。
キス事件以来、ブラックはこの家にやって来るようになりました。
《岩田家に他人を招いてはいけない》決まりなのですが、ママが何故かブラックに限り公認してしまったのです。
後で聞いたあたしは、ダメだって、取り消してとお願いしたんだけど、ママには考えがあるからって笑って聞き入れてくれませんでした。
最悪かもしれない。
親友の美咲でもダメなのに、ブラックはOKなの??
岩田家の人間以外でこの家に入れるのは、当然勇者さまと、ママの片腕のセナお姉ちゃんと、兄さんがお世話になっている剣道の師匠の娘の綾部さん、そしてブラック。
あたしがブラックに怪我させた引け目があるからかもしれない。
まあ、良いかぁ……。
ほぼ水になってしまったカルピスを一気に飲み干し、仕方なく玄関に行くと、「やあ!」とブラックがブルーの瞳を無駄に輝かせ、手を上げてニコリ微笑みました。
あたしに怯えきっていたのが嘘のよう。
あのカッコ悪い姿を、きゃーきゃー騒いでいる女子たちに見せてやりたかったな。
まず顔だったら、ブラックは奇麗なだけでインパクトゼロです。
勇者さまはインパクトマックスの凶暴な造形で、怖いを通り越してもはや芸術の域。
何時間でも、カルピス片手にうっとり鑑賞することができます。
身体だって、羽沢くんはなよっとした細い体型なのに対して、勇者さまはごっつい体型。
ゴーレムみたい。力も強く瓦だと十枚くらいは平気で壊しちゃいそうです。
性格だって、羽沢くんは人を騙すインチキ魔法使い。
勇者さまはおしっこで汚れたあたしでも、嫌がらずふきふきしてくれる優しい人です。
勇者さまが軽く圧勝。
まあ、この二人を比べれば、誰だって勇者さまを選ぶでしょうけれど。
「あいりん。これ、よかったら貰って」
「良かったじゃないか愛里」
自慢げにブラックが差し出した手には、セミの抜け殻が3つ乗っかってました。
「はあ……」
――アブラゼミです。
どれも背中の亀裂がどちらかに寄っていて、足先が数本ありません。
《セミの抜け殻・愛里公式基準》を覚えてないとは、情けなくなりました。
種類ではヒグラシ蝉の価値が一番高く、品質では足先まで奇麗に残して脱皮したもの、しかも亀裂が中央に真っ直ぐあるもの、殻が大きいものが良質とされています。
あれだけ一緒に収集をして、丁寧に教えてあげたのに、ブラックは遊び半分だったのでしょう。
しかもたった3つで自慢されても返す言葉がありません。
勉強してきなさい、と追い返したいところですがそうも出来ず、だからといってニコニコで『ありがとう』と感謝したら、ブラックが調子に乗りそうで嫌です。
「羽沢くん。なかなか気が利くねえ」などと兄さんが褒めています。やれやれ。
◆
◆
「じゃ、また来まーす!」
「ありがとう」
2時間ほどでしょうか、ブラックはあたしのお部屋にいたのですが、今日の用事も終わったので帰ってもらいました。
しばらくして兄さんが部屋に入ってきて見回しました。
兄さんが妹の部屋に来るのは珍しいことなので少し緊張します。
「……羽沢くんはもう帰ったのか?」
ブラックに何かご用があったのでしょうか。
「彼氏じゃないのか?」
「そうだけど……」
仲良く遊んでいると思ったのでしょう。同じ剣道の趣味を持ち、兄さんを慕っているブラックは、兄さんの数少ないお気に入りのひとりです。
兄さんは知らないのです。
あたしが法律で縛られているのを、そしてキスの一件以降に、断り辛くなっているのを。
ママがブラックとブラックのママに謝罪し終えた時に、ブラックが言ったそうです。
『愛里さんとお付き合いしているのを認めて欲しい。将来、お嫁さんに下さい。宜しくお願いしまーすっ!!』
皆んなのいる前で、宣言しちゃったのです。
『うちの娘にこんな事をされてもか?』
『僕は怪我なんか、ぜんぜん気にしません。もっとやってもらってもOKです』
『ほう……変わった子だな、キミは』
『うちの愛ちゃんもかなり変わっているぞ。それでも良いのか?』
『はい。もっと凄くても平気です』
『お母様もご子息が私の娘と仲良くなっても宜しいのですか?』
『あっ、それはもう。岩田監督さまの愛里ちゃんでしたら、こちらが光栄なくらいで。オホホホ』
ブラックの言い分を完全に呑んだわけではないのですが、《健全な付き合いなら許す》となったのです。
『実はウチの息子もトキメキTVのオーデションを受けていまして』とブラックママが言い出し、ママは益々ブラックに興味を持ってしまったのです。
だから岩田家も出入り自由。特別待遇なのです。
兄さんが再び周囲に眼をやります。
「どうしたの?」
「いや、……こんな季節なんだな、と」
「おかしい? 変?」
「いや、そんなことはないさ。愛里らしい……。とくに今年は……凄いな……と……」
「まだまだ殻が足りないもん」
「そうだな。ここまで密度が濃いと……」
「羽沢くんは油絵を描いているだけあって作業は丁寧、悔しいけどもセンスがある」
「そうだな……」
兄さんは理解できないのです。残念……。
あぁ、勇者さまに見てもらいたい。
きっと『凄い! 素敵だ!』って褒めてくれると思うのです。
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