ポーンの戦略 -三十六計逃げるに如かず-

千石かのん

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 この物語の最初は一体どこだったのか。
 高槻果穂という人間が、白石巧という人間と出会った所からだろうか。
 ICHIHA社内を出入りする白石を、彼氏募集中の果穂がロックオンするのはごく当然の成り行きだった。
 背が高く、身体は引き締まっていて健康的。話し掛けるとぶっきらぼうだがそこがまたオンナゴコロをくすぐるのだ。
 だから「声を掛けないのは失礼」とばかりに果穂は彼に声を掛けた。
 最初は「何かお探しですか?」と当たり障りなく。どの部署ですか? ああ、それでしたら誰々さんがいいですね。はい、ご案内しますよ。なんでしたらご紹介しましょうか?
 そうやって話す回数を増やし、やがて一緒に飲みに行くまでこぎつけた。
 狙ってる女子は多分多かったと思う。だが、積極性ならお手の物だ。
 学生の頃から楽しい事が大好きで、周りを巻き込んで馬鹿騒ぎをしたこともある。その所為で怒られそうになるとさっとかわして……。だから白石との事も、普段通りのちょっと刺激的な楽しい恋愛になる筈だった。
「フェアじゃないから先に言っておくが」
 そう巧が切り出したのは、果穂とのデートが五回目の時だった。初回であっさりホテルにも行けちゃう果穂にしては慎重にここまで進めて来た。トモダチからのラインを越えそうな所までようやくたどり着いた。
 だからこそ、巧はフェアじゃないからと切り出したのだろう。
「俺は君の……凄くあっけらかんとしてて、割り切ってる所や何でも面白がれる所が好きだ」
 好きだ。
 その単語をこの時の果穂は「可愛い」とか「綺麗」とかちやほや言われる時に感じる、ちょっとした優越感をくすぐる程度の物にしか捉えていなかった。貰った「褒め言葉」に誇らしくなる。
「君と付き合うのは……楽しいと思う」
(来た! 付き合ってくれって言うんだな!)
 心の中で両目を「く」の形にしながら両手をばしばしさせていると。
「だから俺と付き合って欲しいと思う。―――ただ……一番にはなれないがいいか?」
(………………ん?)
 じっとこちらを見詰める巧に、果穂はぽかんとした。
 ただ一番になれない?
「あの……?」
 どういう意味?
 そう問う果穂に、巧は苦く笑った。
「そのままの意味だ」



 唖然とする果穂に、やはり身勝手かと巧は目を伏せた。
 やっぱり自分は誰かと付き合うことなど出来ない。
 どんなに相手が好ましくても、好きでも、自分の中で「彼女」を越えることが無いと妙に冷めた所が思って居るからだ。
 そしてそれを告げれば、相手は間違いなく怒って巧の前から姿を消す。
 高槻果穂も、今ここで強張った顔でじっとこちらを見ている。恐らく、どうしてなのかと問われるのだろう。
「…………一番が居るの?」
 落ちた沈黙を、果穂の掠れた声が破った。
「ああ」
「…………もしかして既婚者?」
「婚約者がいた」
「……破棄された?」
 巧は迷った。果穂の事は好ましく思っている。だが果たしてこの女に、自分の心の扉を開ける鍵を渡していいのだろうか。不安が首を擡げるが、嘘を吐くことは避けたかった。
 それは何故なのか。
 多分、ただの直観。
「…………他の女と付き合っても良いが、一番にはしないでくれと言われた」
 その言葉に……そして言われなかった事に、果穂は心臓が痛むのを覚えた。
 膝の上でいつの間にか握り締めていた手が、力の込め過ぎで震えている。
 しん、と黙り込む果穂に、巧は苦い物を感じ俯く。
 判っている。
 色んな人に言われた。
 彼女の家族にも「もういいから、好きに生きていいのよ」と。
 だが何故か巧は……彼女よりも好きになれる相手など出来ない気がするのだ。
 だったら一生独りで居ればいい。十五年も前に亡くした相手を想い続けて、そうやって生きて行けばいい……。
「―――わかった」
 心の何かが凍って行くのを感じていた巧は、その一言に顔を上げた。
 そこには、じっと巧を見詰める女の、鏡のような瞳があった。
「え?」
 問い返す巧に、果穂がこくりと頷く。
「一番じゃなくても良いわよ」
 驚く巧に、果穂は何故か笑った。
「たまには二位に甘んじてあげるわよ」
 ただこの台詞が嘘だったと、果穂自身が気付いたのが自分が妊娠していると気付いた瞬間だった。
 避妊具の確率は九割。百パーセントではない。
 彼は「亡くした婚約者」を大事に想っている以外には普通の男なのだ。そしてきっと、果穂が妊娠したと言えば、結婚するというだろう。
 二番目として。
 それは絶対に嫌だと、果穂の純粋な部分が大声で叫んで黙らせることが出来なかった。
 彼は死ぬまで独りを貫く気だったのだ。それを果穂の理由が壊すのか? 確かに二人でした事であり、命は一人で作り出せるものではない。だが結婚となると話は別だ。それくらいなら……一番にはなれないと言い切る相手と一緒になるのなら……いっそ……。
 小さくなって震えている自分を無視して、果穂は大胆な行動に出た。
 それが藤城康晃と高槻果梨の運命の輪を、一段ずらして回らせる結果になったのである。



 藤城にプロポーズして浅はかさを突きつけられ。落ち込んでいる妹なら引き受けるだろうと巻き込んで。
 落ち始めると止まらない。誰でもいいからと、自棄になって婚活を始めて、当の本人に捕まった。
「―――子供?」
 手を放せば逃げていくと直感で悟った巧は、青い顔で俯く女の手首を、文字通り掴んだまま自分の家へと引きずって行った。
 そして問い詰めて聞き出した事実に困惑した。誰の? なんていう疑問は一切浮かばなかった。自分がちゃんと避妊していたにも関わらず、他の男の子供だとは微塵も思わなった。
「本当に?」
 掠れた声で尋ねられ、果穂はぎゅっと目を閉じた。
 しんと静かな巧のアパートは、壁が薄いはずなのに音が聞こえてこない。折りしも今日はクリスマスイヴだというのに。
 きっとみんな、大切な人と豪華なディナーを楽しんでいるんだろう。もしくは一家団欒か。大切な人の為に椅子を買う古い歌を思い出しながら、果穂はそれでもなおぐいっと顎を上げた。
「こんな事で嘘なんかつかない」
「……そうか……そうだな……」
 ああ、と二人ともが思う。
 一人は、もしかしたらこれがあの約束を違えても良い……唯一の機会なのではないかと。
 一人は、全く好きでもない男と結婚するよりも、二位以下を独占し他の部門でトップに躍り出ればいいのではないかと。
「果穂」
 それでも果穂のプライドが、彼に言わせるのを拒んだ。
 果穂を一番にしてくれないただ一点を除いて……いや、むしろそれを先に明言した点こそ正直で誠実と言えばそうなのかもしれない。そしてそんな馬鹿正直さに惹かれた自分の負けだから。
 いやそもそも、勝ち負けなんてものがあるのか?
「それで、いつ結婚する?」
 その一言と浮かべた微笑みで、ますます縮こまる小さなポーンに、果穂は無理やりナイトの鎧をかぶせて戦わせることにしたのである。



 そんな一月も半ば。電話で呼び出され、自分のマンションへと『返って』来た高槻果穂は、あんぐりと口を開けてこちらを見詰める羽田麗奈と、強張った様子でじっと自分を睨み付ける果梨に戸惑った。
 果梨から呼び出されるのは納得がいくとして、何故ここに麗奈が居るのか。
「ちょ……ちょっと!? あたしそんなに飲んでないわよね!? なのになんで……果穂が二人居るの!?」
 いい感じに麗奈の声が、外気温の所為ではない冷気で凍った空気を溶かした。
「それは私が……私達が双子だから」
 果穂から目を逸らす事無く果梨が告げる。それから、彼女は疲れたように微笑んだ。
「そして私が……高槻果穂の妹の、果梨だから」
「え?」
 ぎょっとする麗奈を他所に、果梨は果穂の目を見たまま真っ直ぐに告げた。
「お願いがあるんだケド」
 切羽詰まったようなその様子に、果穂は一つ頷くと身振りで付いて来るように示したのである。




「果梨の願いは、私達が犯罪に手を染めているわけではないとあなたに理解してもらう事でした」
 三人で一つのテーブルを囲んで座る中、ほわりと湯気を上げる湯呑を見詰めながら、果穂は康晃にゆっくりとあの日の出来事を話し始めた。


「あー……それはまた……厳しいわね」
「もとはと言えば果穂の所為でしょ」
 半眼で睨み付ける妹に、果穂は反論の余地も無い。ただバレなければ良い案だと思っていた自分がいかに愚かだったか、今ではよく判る。
 だがふと果穂は思い出した。そもそも、果梨も自分の正体を話す予定だったのだ。
 それが何故、果梨の言う所の最悪のタイミングでばれたのか。
「あなた達の突拍子もない入れ替わりの理由はこの際置いておいて」
 互いに己の迂闊さを呪っていた所に麗奈が割って入る。
「あの藤城部長がなんで果穂が果梨だって気付いた訳?」
 今まさに果穂が思っていた事を指摘される。そこでふと今の発言に引っかかった。
「あの藤城部長?」
 問い返す果穂に、麗奈が出された紅茶を一口すする。どうでも良いがテーブルには大量のほかほか饅頭がお月見宜しく三角に積んであった。
 ど深夜の茶会に相応しすぎるボリュームだ。
「そ。果梨の事しか目に入ってなくて、一日いっぱい気持ち悪いくらいでれでれしてた、あの、藤城部長ー」
 悪意がある。
「師匠……」
 恨みがましい果梨の視線とは反対に、果穂は「あの部長がねぇ」と信じられない思いだった。
 自分が藤城にプロポーズしたのは「彼なら便宜的な結婚」を了承してくれそうで……そしてお腹の子供の事を簡単に認知してくれそうな気がしたからだ。



「お前……俺の事そんな風に考えてたのか!? ていうか、お腹の子供!?」
 がたん、とテーブルをひっくり返しそうな勢いで身を乗り出す康晃を、果穂が真っ直ぐに見返した。
「確かに衝動的な選択だったかもしれません。その点は一切弁解しません。でも、私があなたに抱いていた印象はそれが全てでした」
 凍ったような果穂の眼差しを見つめ返し、康晃は渋面で溜息を吐いた。
 この女の倫理観を疑う。なんて女だと、怒鳴りつけてやろうかと視線を下げた所で、康晃は彼女が握り締めた拳が青白く、細かく震えている事に気が付いた。
(くそ……)
 怯えている相手に対して、声を荒げられるほど……残忍にはなれなかった。
「あの時私が考えていたのは……この子を育てるためには、どうしたってICHIHAには居られないと言う事だけでした。巧と……結婚できないからここを捨てるしかないと」
 彼女は顔を俯ける事無く、続ける。
「この子を育てられるのなら何でも良かった。収入も確保できるのならそれがいいと……そう思ったんです」
 震える息を吐く。
「まあ……上手く行くわけがないんですが。あの時は完全に頭に血が上ってました」
 藤城に断られ、どうにかして自分達に都合の良い事態にならないかと考えた結果。
「これしかないと……思ったんです」
 入れ替わり。
 近くに居たのは落ち込んですっかりやる気も覇気も無くした、自分の片割れだった。
「――――人間は、ほんのちょっとのきっかけで、いくらでも傲慢になれるんですね」
 そしてまた果梨も、そこに逃げ込めば……他人の人生を覗き見て、簡単に作り上げられた人間関係で満足して……自分の手にしたわけでもない栄光で泳ごうとしたのだ。
 弱さが、二人を押しやった。
「けれど私も果梨も、それが正しい事だとは思ってませんでした。だから彼女は……」



「ていうか、そんな風にあなたを信じてくれない男なんか、このまま捨ててしまえばいいじゃない」
 何事もなく入れ替わりを終わらせられなかったのなら、退職届は出しているのだからこのままバックレればいい。
 そう告げた果穂は。


「叩かれました。力一杯、果梨に」
 そっと頬に手を当てて、果穂は苦く……だがどこか嬉しそうに微笑んだ。



「果梨!?」
 驚く麗奈を他所に、振り上げた右手で相手の左頬を打った果梨は、紅茶をひっくり返しながらも仁王立ちで姉を見下ろしていた。
「彼が私を信じてくれなかったのは、完全に私の所為! 私が……弱くて、自分で手に入れたわけでもない場所を手放したくなくて縋った所為なのッ! 本当の事を言えなかったからなのッ! それが……誰の為だと思ってるの!? 全部、果穂の為じゃないッ!」
 なのに、その果穂から部長を悪く言うのは聞きたくないッ!
 耳まで赤くなって、瞳を力一杯見開き、ぎらぎらとこちらを睨み付ける果梨に、果穂は唖然とした。
 こんな彼女を知らなかったのだ。



「私が知ってたのは……いつだって私と『同じ』であることを楽しんでた彼女でした。私と同じ格好、同じ仕草、同じ生き方……そうしていれば安心安全だと、果梨は思ってたはずなんです」
 それを百八十度変えたのは、悔しいが藤城康晃だった。
 複雑な気分だった。
 妹の成長を喜ぶべきなのか……自分の浅はかさに青ざめるべきなのか……果梨を奪い取った男を怒りたい気分なのか……。
「―――彼女がそれを……?」
 負けず劣らず戸惑ったような藤城の声に、果穂は苦笑した。
「そう。全部私の所為なのに果梨が望んだからと、妹に押し付けてた事にようやく気付けたんです」



 ぽかんとする果穂に、果梨は尚も怒りをたぎらせたまま続けた。
「彼は何も悪くない。悪かったのは向き合う勇気も次の案も出せなかった私とアナタ。康晃さんはただ巻き込まれただけなのッ!」
 見詰める果穂を前に、果梨は震える息を吐きだし、それから痛むであろう右手をぎゅっと握り締めた。
 その場に、嵐のように何もかもを含んだ沈黙が落ちた。
「巻き込まれたのはアンタもじゃないの? そこの果穂に言われて」
 沈黙空間を破ったその言葉にはっと二人が我に返る。見れば視線の先で麗奈が至極冷静に、紅茶が零れたテーブルを拭いていた。
「違うの?」
 ちらと視線を上げる麗奈に、果梨がふるふると首を振った。
「私も……果穂の提案を蹴る事が出来たのに受け入れたから。だから同罪」
 しっかりとこちらを見詰めて来る果梨に、果穂は目が覚める思いだった。
「だからこそ……犯してない罪は否定したい。そこからまた……始めたいから」
 逃げないで前を向く。それをあの日実行しようとした。だが、何故かオカシナ形で暴露され、こんな状況になってしまった。
 だからもう一度、立て直して今度こそ。
「難儀な性格ねぇ」
 はうー、と溜息を吐きながらそれでも麗奈は呆れたように苦笑した。
「で、その為に何したいの?」
 再び座り直し、あろう事かアンマンに手を伸ばす麗奈。その様子をちらっと見た後果梨もまたそっとそこに座り直して、決意も新たにチョコレートマンを取り上げた。
「決着を付けたい」
 果梨と果穂の入れ替わりに終止符を打つのだ。
「どうやって?」
 のんびりした麗奈の声に、果梨が糖分補給をしながら必死に考え込む。ふと顔を上げた彼女が眉間に皺を寄せた。
「そういうわけだから、アンタも考えてよね」
 じろっとこちらを睨む果梨に、果穂は圧倒された。
 妹が……大分所ではなく、変わった。
「さっきも言ったけど、部長はなんであんた達の入れ替わりに気付いたんだろうね?」
 再びの何気ない麗奈の言葉に、果梨が思案顔で顎に手を当てた。
「そう言えば……ファイルを持ってた」
「ファイル?」
 共通の目的に辿りつくべく、三人は頭を寄せ合ったのだ。





「本当は一週間、会社に居座るのは私の筈でした。でも果梨がどうしても、始めたからには最後までやりたいって。でもまさか……そんな捨て台詞を吐くなんて思わなかったです」
 今の話を聞いて、康晃は身体から力が全て抜けるような気がした。
 逃げるために入れ替わった。ここが大切だったから壊したくなかった。でも進むために話そうとしていた。
(そうか……)
 なのに俺は何一つ聞いてやらなかった。
 騙された自尊心を護る為に、彼女の抱えたモノに気付けなかった自分が悔しくて、ガキのような感情で大切な女性に、自分の痛みを判らせようとした。
 彼女を自分の影のように使ってきた姉。
 彼女を都合の良い様に使っていた昔の男。
 その男と結託し、何も言わない果梨を馬鹿にした女。
(入れ替わった果梨の中に、彼女が居たことを全否定した俺……)
 痛みが込み上げ、夜の中で叫びたい感情が膨れ上がる。
 そうだ。
 俺だけだったんだ。
 俺だけが……彼女に言ってあげられたんだ。
 ――――果梨は果梨だよ
 その一言を。
 今まで一切視線を逸らす事無く、全てを言い切った果梨が再び頭を下げた。
「これが入れ替わった事の全ての事情です。そして、あの子は……全部をリセットした」
 はっと康晃が背筋を伸ばした。
 全部リセット?
「まて……それじゃあいつは?」
 顔を上げず、果穂は静かに果梨から言われたことを伝えた。
「……あなたの前に、あなたの知ってるあの子は二度と現れません」
 胃の腑から苦いものが込み上げる。身体の奥が冷たさに震え、喉がいがいがしてくる。
 いつか会えるんじゃない?
 ―――冗談じゃない。
「……そう、冗談じゃない」
 これで終わり? アイツに何一つ謝る事すら許されずに、終わり?
 そんな事が有ってたまるか!
「…………おい、これで幕引きなんてふざけた事抜かすんじゃねぇ」
「これがあの子の願いです」
「俺の願いじゃない」
「…………ぶっちゃけ部長の願い何てどうでも良いんですよね」
「お前なッ! 俺に……この、俺に、多大なる迷惑を掛けて置いて何言ってんだ!?」
「結局会社の迷惑にはなってないでしょ」
「そう言う問題じゃないッ!」
「部長だって果梨に酷い事したんでしょう?」
「それを謝る機会すらないのか俺は!?」
「康晃も無傷ではないからな」
 言い合いに割って入ったのは、今まで黙って聞いていた巧だった。彼はじろりと果穂を睨み付ける。途端、しょぼんと彼女の肩が落ちた。
「それは……」
 悔しそうにそっぽを向く果穂に、巧が重い溜息を吐く。それからひたりと康晃を見た。
「俺達の……いや、俺の問題にお前を巻き込んだ事は……本当にすまないと思ってる。だが、俺達は俺達で決着を付けて進もうと思うから、許して欲しい」
 深々と頭を下げる巧に、康晃は呻いた。
「俺にだって悪い点も至らぬ点もあったし、お前達だけが悪いとも言えない。だがお前達だけ謝罪の機会があるのに俺には無いのは何故だ? おかしいだろ」
 俺だってあいつに謝らなきゃならないんだ。
 そして言えなかった事を言わなくてはならない。
 切羽詰まったようなその言葉に、巧が溜息を吐いて果穂を見た。彼女はまだそっぽを向いたまま無言だ。彼女の中で果梨を変えた康晃に少なからぬ感情があるのだろう。それに苦笑する。
 だが、果梨から頼まれたことまで放棄するのはいかがなものか。
 ふーっと思い吐息を巧が漏らした。
「果梨から……預かったものがある」
「果梨? 預かる?」
 途端、康晃の眉間に皺が寄った。
「お前はどこの部分に引っかかってんだ」
 呆れた、とでも言うように肩を竦めた巧が、果穂の恨めしそうな視線をものともせず奥のダイニングテーブルに置かれていたランチボックスを取って持ってきた。
「消費期限は明日まで出そうだ。だから早めに喰えと」
「………………」
 言葉が出てこない。
 最後に彼女からお弁当を受け取ったのはいつだったろうか。
 彼女が気になり始めた頃、昼に誘えばあの手この手で拒否をする果梨に半ば強引に弁当を作って来いと申し渡した。
 不機嫌面で出されたのは、某弁当屋の唐揚げ弁当の完コピ品で。
 それから何故か国民的髭の配管工のおにぎりが特徴的なキャラ弁に発展していたのを思い出した。



「なんか勿体な」
 い、と言いながら康晃は果梨を見る。
「ってお前! いきなり頭から喰うか普通!?」
 もっしゃあぁと髭のおっさんの頭(おにぎりになっている)に齧りついている果梨を見てぎょっとした。
 口から髭が覗いている。
「お……おま……」
「単なるおにぎりれふよ」
 もぐもぐする果梨の目が座っている。
「確かにそうだが……」
「いがいれふね。ぶちょーがそういう……じょしっぽいはつれんふるの」
「喰ってから喋れ」
「………………」
 座った眼でもぐもぐする果梨を見ながら、康晃は溜息を吐いた。
「なんって勿体ない女子力なんだか……」
「わ~~~~。勿体ない~~~~超かわいいから食べられません、ぶちょぉぉう。こわい~~~」
「………………。」
「…………ご自分で振って置きながら気色悪いもの見る目で見ないで貰えます?」
「お前に女子力を期待した俺が馬鹿だった」
「女子力ならありましたよ」



(トンデモナイ女子力もってやがったな、あの女……)
 堂々とした立ち居振る舞い。
 容赦なく香月を糾弾した態度。悪女然とした笑い。追撃追撃追撃。
 仁王立ちする彼女が持ってたパラメーターは既に、攻撃力カンストの女子力(物理)だった。
 そう考えながら、目の前にあるランチボックスに指先で触れる。
 開けると煙が出て来て、俺は鶴にでもなるのだろうか……。
 そんなアホな事を考えながら、康晃はそっと蓋を開けた。
 シンプルなお弁当だった。
 ジャンル分けするなら、のり弁だろう。
 ただし、綺麗に切られたのりでお米の上に描かれていたのはモノクロのクリスマスカードだった。
 ツリーとプレゼントと、小さな男の子と女の子。二人は背を向け合っていて、手には大事そうにプレゼントを抱えていた。
 文字は無し。黒の切り抜きのそれを康晃はじっと眺めた。
「牧歌的な弁当だな」
 巧の評価が耳をすり抜けていく。
「おかず無しね」
 果穂の現実的な言葉が、受け取り手もなく床に落ちていく。
 貰った康晃の視線は、背中合わせの少年少女に注がれていた。
 プレゼントを貰って喜んでいるように見える。大事に抱えて、満面の笑顔で。
 けど、今の状況を考えると康晃はそれほど楽観視できなかった。どちらかというとこれは……。
(渡せないでいる?)
 大事に抱えたそれを、互いに渡せずにいる……そう見えるのは俺の心理状況の所為だろうか。
 じっと果梨の作ったお弁当を見詰める康晃に、ギャラリー二人は不安になった。この男はそれをどうする気なのか……。
「って、いきなり食べるわけ!?」
 むっしゃああ、と少年に箸を突き立てて食べ始める康晃に果穂が仰天した。そんな果穂の、いつぞやの自分と同じ反応を眺めながら、彼はもぐもぐする。
「たんなる……ごはんだろ」
「お前、情緒とかないのか」
 呆れ返る巧に、康晃は久々に……本当に久しぶりに自分らしく笑った。
 こんな弁当一つに感傷的になる俺ではない。こんなご飯の塊に。
「これがアイツの答えだって言うのなら、お粗末だな」
 口に詰め込みながら康晃は淡々と告げた。
「こんなもん……喰っちまったら終わりだろ」
 それからむっとする果穂と呆れ返る巧をひたと見詰める。
「い、い、か。俺がこんなものに感傷的になって身を引くと思ったら大間違いだからな。果梨の居場所を探すなって言うんなら、この弁当に下剤でも仕込んどけ」
 ただし腹を壊したくらいで諦めると思うなよ。
「お前……」
 目を見張った巧が、感心したように告げた。
「意外と面倒な奴なんだな」
「ほっとけ」
 そう。こんなもので俺の感情を宥めようと考えるなんて、ロマンチックも甚だしい。
(仮にも俺は営業部の部長だぞ)
 冷静、冷徹、冷淡……そんな評価が有ったなと、今の自分を思って苦笑する。
 相手の感情を先回りして、どうして欲しいのか読み取る。顧客のニーズを率先して聞き出す。尚且つ、それを叶えられる答えの最善を用意する。
 目の前に提示されている課題は、『探さないで欲しい』だ。
 だがどうだ? この米の塊は食べれば無くなるし言葉も無い抽象的な絵があるばかりだ。
 決定打が無い。嫌いだから会いたくない―――その決定打が。
 プレゼントを渡せないでいる、なんてそんな感傷的なメッセージなぞクソクラエだ。
 空になったランチボックスを押しやり、康晃は背筋が寒くなるような笑みを二人に向けた。
「果梨からのメッセージは確かに受け取った。だが、それに対して俺がどうするかは俺の自由だ」
 その瞬間、果穂は思った。多分きっと恐らくだが……果梨はトンデモナイ人間に目を付けられたなと。
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父の再婚で、義姉ができた。 血は繋がっていない。でも——家族だ。そう言い聞かせながら、涼介はずっと沙耶から距離を取ってきた。 夏休み。田舎への帰省。甥っ子にせがまれて始まったかくれんぼ。急いで飛び込んだ押し入れの中に、先客がいた。 「……涼介くん」 薄い水色の浴衣。下ろした髪。橙色の光に染まった、沙耶の顔。 逃げ場のない暗闇の中で、二人分の体温が混ざり合う。 夜、来て。 その一言が——涼介の、全部を壊した。 甘くて、苦しくて、止まれない。 これは、ある夏の、秘密の話。