ポーンの戦略 -三十六計逃げるに如かず-

千石かのん

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終章 あなたの快適なライフをサポートするOSです

「……何してるんですか」
 終電も終わった時刻は深夜一時過ぎ。あの後差しで飲んだ父親は潰れて眠りに落ち、康晃はと言うと母親に言われて布団を用意した果梨と一緒に客間に居た。
 借りたハンガーに己のジャケットを掛け、手にした鞄を床に置いていた彼は和室の襖を背にして仁王立ちしている果梨ににやりと笑った。
「寝ようとしてるんだが」
「そうじゃなくて! なんでうちが判ったんです!?」
 殺気だって睨まれるが……全く怖くない。笑みを深めると果梨の眼差しがますます険しくなるので、彼はこほんと咳ばらいをした。
「この俺を、全くいわれのない誹謗で中傷したのはどこのどなただったかな?」
「それは……」
 一月の出来事が脳裏を駆け巡る。
「―――私、全部暴露するつもりだったんです」
「俺はそれを望んじゃいなかった」
「だから……ああしたんです」
「だから、こうしてるんだ」
「私が悪いんですか!?」
 思わず詰め寄る果梨に、康晃はにやっと意地の悪い笑みを浮かべる。
「いいや」
 あっと思った時には遅かった。必要以上に間合いを詰めた所為でしっかりと腕を取られて抱き寄せられていた。
「康晃さんッ」
 何するんですか、と身を捩って逃れようとして。
「果梨」
 低く、触れ合った身体から響いたその三文字の音に、果梨の身体が強張った。びくりと震えて……それから康晃を見上げる。
 果梨。
「悪いのは俺だ」
 きつく抱き締められる。触れた温かなシャツ越しに見上げた康晃は、どこか不安そうな表情でこちらを見下ろしていた。
 不意に果梨は気付いた。腕を掴む彼の手が非常に冷たい事に。
「俺がもっと……お前を信じてやれていれば……あんなことにならなかった」
 淡々とした口調だが、そこに混じる音には熱さが有った。触れた傍から燃えて行くような錯覚に陥る熱さが。
 それがじわじわと果梨の胸を文字通り焦がしていく。
「―――すまなかった」
 そっと吐き出された言葉に込められたありったけの謝罪。
 ゆっくりと康晃の手が伸び、果梨の頬に触れるか触れないかの位置を彷徨う。指先が柔らかな肌を掠めて、それが微かに震えた事に果梨は気付いた。
 見上げる康晃が……苦しそうに眉を寄せ、泣きそうな顔をする。
 その事実に、果梨は胸が切り裂かれそうな痛みを覚えた。脳天から爪先まで、痺れるような痛みが走り、蓋をしそこなった心から、沢山の感情が溢れて零れて行った。
「康晃……さ……ん」
「本当にすまなかった。お前を……信じてやれなくて……俺は本当に馬鹿だったよ。お前に嘘を吐かれてたと思ったら……我慢できなかったんだ」
「康晃さん……」
「でも判ったんだよ。俺はお前に信じて貰えなくて……馬鹿みたいに腹が立ったんだって。なんで言ってくれなかったんだって。もし俺に言ったら俺が……お前を簡単に切り捨てるとお前に思われてたんだと、そう考えたら居てもたってもいられなかった」
「康晃さんッ」
「確かに俺は……お前を断罪しようとしたし、傷つけようとした。許してくれなくても良い。でも……頼むから……馬鹿な事考えて、二度と会わないとか言うな。なんだよ、出会うまで出会わないとか。意味が判らんぞ」
「だ……って……」
 次から次へと繰り出される康晃からの言葉に、感情は溢れに溢れ、ぽろっと、果梨の目尻を涙が零れ落ちていく。
 そんな風に言わないでほしい。そんな風に自分を責めないで。
 彼を騙したのは私なのだから。本当のことを言えなかったのは自分の弱さからなのだから。
 ぎゅっと果梨は康晃のシャツを握り締めた。
「だって……私……康晃さんに……酷い事……嘘……付いて……」
 それに、泣きそうな顔だった康晃がふっと小さく笑って首を振った。
「お前が俺にやった酷い事筆頭は、防犯ブザーだ」
「あれは康晃さんの自業自得ですぅ……」
「泣きながら何言ってんだよお前」
「そじゃなくて……だって……私……甘くて……あそこを……捨てたくなくて……」
 くしゃっと顔を歪める果梨に、康晃は小さく笑うとこつん、と額に己の額を押し当てた。
「馬鹿。捨てる必要もないし、拾う必要も無い。欲しいんなら俺が、嫌だってってもくれてやる」
 身動き取れないくらい、お前の欲しい物を、身体の奥に埋め込んでやる。
「いちいち言ってることが卑猥ですぅ……」
「だから泣きながら言うなアホ!」
「だって……だって……」
「いいから。イイ男からの謝罪は心から受け入れろ」
 それがイイ女の第一歩だ。
 言いながら、彼は流れる涙の源に唇を押し付けてキスをする。
「悪かった。すまない。申し訳ない。ゴメン。あとは……泣かないでくれ」
 目尻から頬。頬から顎。喉。鼻とキスをし、耳元にそっと顔を埋める。
「なあ……果梨?」
「ずるい……です……」
 ひっく、としゃくり上げ、緩んだ康晃の手の拘束から己の腕を取り返した果梨が縋りつくように彼の背中に腕を回した。
「私……会うつもり……なかったのに……」
「お前がそう思ってるのは知ってた。ケドな、俺はそこまで我慢が出来る男じゃないからな」
「私の……意志は?」
「知らん」
「康晃さあああんっ」
 非難めいた果梨の声に、彼は喉の奥で笑うとゆっくりと顔をあげた。潤んだ眼差しでこちらを見上げる彼女に、ゆっくりと顔を近づけていく。
「土下座して謝れって言うなら勿論そうする。一生尽くしてくれって言うのなら、お前が嫌がるまで尽くしてやるさ。けどな」
 両手で彼女の頬を包み込み、両足でさりげなく彼女を追いやって敷かれた布団の際にまで運びながら彼はイヂワルく笑った。
「俺から離れたいという願いは却下だ。全力で監禁するからそのつもりで」
「康晃さんが言うと洒落になってません~」
「洒落じゃないからな」
「真顔で言うなーッ」
 悲鳴を上げる果梨の唇を、己の唇で塞いで満足そうな呻き声が上がるまで蹂躙する。いつの間にか両腕がしっかりと果梨を抱き締め、答えるように果梨の手も、縋るように康晃のシャツを掴んでいた。
「……果梨」
(ああ……)
 甘やかすような声が、自分の名前を呼ぶ。
「果梨」
 背中を、腕を、腰を撫でる手が優しい。
 その手が触れて、形を確かめるように撫でられる自分が……誰でもない『果梨』である事に叫びたいくらいの歓喜が込み上げて来る。
「果梨」
 ゆっくりと布団の上に押し倒され、ぼんやりと見上げた先には、ただ一人の自分だけを見詰めた大事な人が居る。
「やっと……」
 彼女の来ていたブラウスのボタンを外しながら、康晃は酷く感慨深げにつぶやいた。
「お前が抱ける」
 果梨が抱ける。
 はだけた胸元に、そっとキスをして吸い上げる。肌に鈍い痛みが走った。
「康晃さん、ちょっと待っ―――」
「黙って」
 肩からシャツが抜かれ、白いブラジャーに包まれた丸い胸に視線を注ぐ。見詰められていると判り、果梨の肌が焼けるように熱く、赤くなっていった。
 慌てて隠そうとする手を、そっと掴んでやんわりと拒絶し、康晃はただじっと目の前に晒された肌を見詰めた。
「――――ふうん……なんか……感慨深いな」
「なんですか、それ! ていうか、ここ家―――」
「だから黙れって」
 しんと静かな実家の一階にある客間。両親と自分、兄、果穂の部屋は二階にあるし、ちょっと離れた和室だから誰かに聞かれる恐れはない……が、試したことは無い。当然だが。
「声、漏れたら困るだろ?」
ため息交じりに耳元で言われた台詞に赤くなる。顔を背けてぎゅっと唇をかむ果梨に、康晃が喉を鳴らして笑った。
 ここにいる女に、幸せが込み上げて来る。
「……ようやく本当のお前なんだな」
「何言ってんですか……どれもこれも私でしたよ」
「そうだが……やっと、果梨の名前を呼んで……出来るだろ?」
「しませんよ!」
 耳まで赤くなって、枕に頬を埋めながら果梨が弱々しい声で反論した。
「なんで?」
「と……当然です! ここ、私の実家ですよ!? いくらモラルが低くてもここで最後までしないでしょ!?」
 ちらっと横目で睨まれて、康晃は思案した。
 …………0・二秒で答えが出る。
「そうだなぁ……普段の俺なら、こんな所で……しかもご両親にあいさつしたその日に最後までするなんて大人げない真似はしないよなぁ」
 嫌な物言いだ。
「で、でしょ? なので……へ、部屋に戻ります……」
「―――が」
 身を起こそうとした果梨を再び布団に押し倒し、さらに上から圧し掛かりながら康晃は非常にいい笑顔を見せた。
「俺は、防犯ブザーを鳴らされる変質者だからなぁ」
 根に持ってる! 根に持ってるよ、この人ッ!
「変質者らしく、嫁の実家で、両親もお義兄さんも居る中でいたすのも悪くないと思うだが」
 やめてえええええええっ!
(ていうか、嫁!?)
 心臓が変な鼓動を刻み出し、果梨は必死に身を捩った。
「ま、待ってください……あの……ぼ、防犯ブザーの件は……やりすぎでしたと謝りますから! で、ですから、ここでは……あの……ね? ね!?」
 青ざめて懇願する果梨を前に、康晃はどの女にも見せた事のない、例の少女漫画宜しく花ときらきらした光と効果が飛び散る背景を背負った、パラメーターカンストの笑顔を見せた。
「声、出すなよ?」
 果梨の運命はこの瞬間に決まったのである。





 甘い声を必死にかみ殺し、康晃の手の中で身を震わせる。
「やーらし」
 くすっと笑って、吐息と共に耳に囁きかけると、背中を康晃の胸に預けている果梨の身体がびくんと跳ねた。楽しむように、両手の指で赤く染まった乳首をいたぶっていて男は、涙目でこちらを見上げ、眦を決する女に小さく笑う。
「文句ある?」
「おおあり……ひゃ」
 です、と言おうとして敏感になっている先端を擦られて喉を逸らす。漏れた声がまたどこかいかがわしくて、果梨は全身真っ赤にして黙り込んだ。
 後ろから自分を抱きすくめる男は、悪魔だ。じれったくなるほどゆっくりと、でも飽くことなく果梨の胸と戯れている。掌で捏ねられ形を変えるそれから目を逸らすと、執拗に乳首を弄ばれる。
 止めて欲しくて彼の手を掴もうとすれば、声を上げるよう煽られる。
 だから果梨は己の口から手を放すことが出来なかった。
「もっと……聞かせて?」
 掠れた声が肌に触れて、背筋のぞくぞくを誘発する。知っててやってるから性質が悪い。
 思わず赤く濡れた目で睨み返すと、相手は蕩けそうな笑顔を見せて来きた。
「あー……その顔反則」
 きゅっと先端を捻られて、果梨がのけぞった。震える喉に唇を押し当て、やがて飢えたような唇が果梨の唇を塞いだ。
 震えの止まらない身体をたっぷりいたぶったあと、ようやく康晃は彼女の胸から手を放した。
 荒い呼吸を繰り返す果梨を、ゆっくりと布団の上に仰向けに押し倒した。
「可愛い」
「う……煩いですッ」
 きっと睨まれるも、赤い頬が彼女の怒りを八割近く消し去っている。なので全然康晃には堪えない。むしろ……。
「気持ち良かったくせに」
「き……良くありませんッ」
 止めて欲しくてそう言ったのだろう。そう言えば康晃が引くとでも思ったのか。
 だが彼は悪魔も逃げ出しそうな笑みを浮かべ、「ほーう」と間延びした返事を寄越した。
「じゃあもっと頑張らないとなぁ」
「!?」
 違う。もう本当にこれ以上は駄目だ。本当にダメッ! だって、他の部屋には果梨の家族が――
 ぐいーっと脚を持ち上げてゆっくりと開く。
 抗議にならない声が漏れ、ぶんぶんと勢いよく果梨が首を振るが「大丈夫大丈夫」と康晃は哂うだけだ。
「鬼ッ! 悪魔ッ!」
「何とでも言え」
「全然気持ちよくない! 止めてください、馬鹿ッ!」
「――――ほほう」
 火に油だった。
「!」
 開いた脚の間に顔を埋め、舌先で彼女の蜜が溢れる場所を丁寧に舐めて行くから。果梨の太腿に力が入った。
(やめてーッ! これ以上無理―ッ!)
 ボリューム調整に自信のない果梨が、声を我慢するより先に、なんとかして脚を閉じようとするが楽しそうに果梨を責めさいなんでいる康晃は、閉じようとする脚の付け根を抑えて、執拗に舌を這わせた。
 何度も何度も……熱を込めて愛撫される。
「!」
 快感の淵まで押し上げられびくん、と果梨の身体が強張り、ゆっくりと顔を上げた男が愉しそうな表情で彼女の溶けて濡れた蜜壺へと指を沈めていく。
「感じた?」
 ゆっくり摩られ、立てた膝の裏が答えるように震える。果梨に睨まれるが、全く怖くない。
「感じるんだろ?」
 囁く声がまた……果梨の官能を誘う。ふるふると震える膝にキスをし、眼が離せないでいる果梨に見せつけるように舌を這わせてみた。
「こんな風に……されるのが、いいんだろ?」
(覚えておれ、藤城康晃ッ!)
 呪いを込め、唇を噛んで睨み付ける果梨に康晃は陶然となりながら身体を倒した。指は執拗に彼女を攻め立てている。
「果梨」
(それ……反則……)
「ふあ」
 見下ろす甘い笑顔に声が漏れ、慌てて抑える。だが、押し込まれた指は容赦なく彼女を追い込み、濡れた音が静寂が落ちた部屋に満ちていく。
(駄目ッ……ほんと、ダメッ)
 堪えようとするから、逆に甘い堪え声が漏れそれが執拗に康晃の嗜虐心を煽る。花芽を親指で愛撫されて、急激にせり上がって来る甘い波を、果梨は堪えようと必死になった。
 徐々に視界が明るく……腰から痺れるような電撃が昇って来て……。
「やすあき……さ……」
「愛してるよ、果梨」
(だああああめえええええええっ)
 反則ッ!
 身体を逸らし、もっと、と強請るように腰を押し付けながら果梨は彼の所為で絶頂へと押し上げられてしまった。
 呼吸が荒い。
 深く息を吐き、びくんと身体を強張らせる果梨を腕の中に感じながら、康晃は愛しくて愛しくて仕方ない気持ちが溢れてどうしようもなかった。
(ここで……挿入てもいいだろうか……)
 華奢な手足を震わせて、赤くなって悶える果梨と……どうしても……繋がりたい。
「果梨」
 汗で濡れた前髪を払ってやり、額にキスを落とした。
「挿入てって言って」
「な……」
 これ以上赤くなることなど無理なのに、なのに果梨の顔に熱が集中する。じっとこちらを見下ろす康晃が、もし意地悪く笑っていたなら、果梨は死んでもそんなセリフは吐かなかっただろう。
 だが、ただただ切羽詰まって……切なそうに見下ろされたら。
(~~~~~~~)
 これも反則だ。
「言われないとやらないから」
 だから、言って?
 ちう、と頬にキスされてのんびりとした手つきで胸を触られる。康晃の吐息が熱い。触れる手も、肌も焼けそうなくらいだ。
「な……果梨? 果梨を……俺に全部くれ」
 耳朶を噛まれ、押し込まれた言葉に震える。ゆっくりと果梨は手を伸ばし、そっと彼の物に触れた。びくり、と康晃の身体が震える。
「―――そ……うしたら……何をくれるの?」
「ッ」
 そーっと表面を指先で撫でられて、康晃の気分が暴力的に高まって行く。
「果梨……それ……」
「私を全部、康晃さんにあげたら……どうしてくれるの?」
 先端を指先でイタズラする。切れ切れの吐息が彼から洩れて、自分が愛しい人に及ぼす影響力の強さに果梨は嬉しくなった。
 この人を……私は一喜一憂させることが出来るんだ。
「康晃さん?」
 胸元にキスをすれば、呻くような声を上げた男が彼女の手を取り上げて頭上にひとまとめにした。
 欲望で彼の目がかすんでいる。
(ああ、彼をこうさせたのも……私なんだ……よね)
 途端、溢れるような優越感と達成感、幸福感が全身を満たした。
 この人が……私の物……。永遠に私の物……。
「何が欲しい?」
 掠れて飢えた声に尋ねられ、果梨は泣きそうなくらい嬉しくなった。
 この人は。
 私に聞いてくれる。
 誰も聞いてくれなかったのに。
 誰もが私に押し付けるだけだったのに。
 頬を涙が零れ落ちた。
「康晃さんが欲しい」
 それが性的な意味でもあるし……精神的な意味でもあることくらい、康晃にも判った。
 彼もまた、胸の内に溢れる物が……大事な物だと直感で判った。
 お互いがお互いを繋いでいるもの。
 お互いにしか与えられないもの。
 このひとにしか感じないもの。
「ああ」
 何故か泣けて来て、康晃は彼女の首筋に顔を埋めた。
「くれてやる」
 全部全部全部、丸ごと全部くれてやる。
 だから。
「覚悟しろ」
 熱く濡れた中への入り口に、更に熱く滾った物が触れる。焦らすように擦られると、誘うように果梨の腰が揺れた。
「あ―――――」
 声を飲みこむように康晃が口付ける。それとほぼ同時に、奥の奥まで一気に突きいれられ熱の塊が身体の中心を焼くのが判った。
 ぞくぞくするような、痺れるような、震えるような衝撃が波のように襲い掛かりそれだけで果梨の身体は、受け入れたものを二度と放さないとばかりに締め上げた。
「果梨……ッ……それは……」
 キスの合間に苦しそうな、でもどこかおかしそうな声が告げる。
「だって……きもちい……」
 身体が震え、しがみつく果梨に康晃は低く笑った。
 ああもう……これでは……。
「果梨……これだと……長く持たない……」
 きつくて。
 そういう康晃の声も震えている。
「い……よ」
 誘うように組み敷いた腰が揺れて、それが康晃を煽るから。
「馬鹿ッ」
「いいから……」
 泣きそうな声が、康晃の理性を焼き切って行く。呻き声を上げ、ゆっくりしようと思っていた理性が降伏し、彼はただただ無我夢中で果梨の中に己を突き立てて行った。
 がむしゃらに腰を打ち付ける。
 声は全てキスで受け止め、どちらも互いの熱を交換して溢れる想いを届けようとする。
 身体なんかなくなればいい。
 繋がっている部分から溶けて、一つになってしまえばいい。
 どちらの声なのか、どちらの熱なのか。どれが相手でどれが自分なのか。
 溢れて溢れて溢れて、いっぱいに満ちていく甘い熱量の前に、そんな感情など無意味で。
(あっあ……)
 二人とも同じものを追いかけて昇って行く。
 このひとがくれるものを、ただただおいかける。
 その先に、ゆらゆらと揺れているような……落ちて来るようなものに手を伸ばして、高い所から飛び降りるようにして。
 二人はお互いに分けた体温だけを抱き締め、爆発すような快感に身を委ねた。




 六時間強で果梨を見付けたお蔭で、康晃の有給の残り日数全てが果梨との時間に向けられることはほぼ決定事項となった。
 そこでこの男が取った行動はもちろん。
「カフェラテ一つと、お嬢ちゃんはココアね? ああ、あと今日のお勧めはこちらの水菜とサーモンのパスタなんですが、お昼にどうです? お子様には小さいサイズのオムライスもありますよ。ええ、野菜たっぷりコンソメスープ付きで栄養バランス花丸です」
 笑顔でメニューの説明をする康晃に、果梨は遠い目をした。
 お客様に自社の自信のあるものを喜んで説明し、利益を生み出すのが営業。
 そんな彼だからこそ、たったの数日でルークには「イケメン店員がいる!」という口コミ以外にも「親切丁寧」「入りやすい」「雰囲気が素晴らしい」なる評判を手にし、小さな街の喫茶店は一時的なバブルに賑わっていた。
「いや~、高槻さんは良い婿さんを貰ったねぇ」
「ほんと……今どき居ないわよ~」
 そんな茶飲み話でテーブルが盛り上がる横で、営業スマイル全開の康晃が接客にいそしむから。
(何故……こうなる……)
 彼は休暇の間中、果梨の実家に居倒し着実にご近所の評判も手にし、両親に褒めちぎられるに至っている。
 あっという間に陣地を制圧された果梨は、毎度複雑な気分で「帰れ」と苦言を呈しに客間に行くのだがトンデモナイ返り討ちに遭うのが関の山だった。
「ほら果梨。仕事だぞ」
「あ、はい……で、まんまとランチゲットしたの?」
 注文票を見て呆れる。やって来た若いお母さんと娘ちゃんにお昼を提供する運びとなった康晃はにやりと笑った。
「俺を誰だと思ってんだ?」
(くそー)
 厨房に行きながら果梨は毒づきたくなるのを我慢した。
 まったく、なんて男だ。
 ICHIHAはアルバイト禁止だろと言うと、これはボランティアだしこちらに滞在させて頂いてる恩返しです、と殊勝な態度で告げるからまた株が上がっている。
 伊達に営業部長じゃない。引退した父親と一緒にお酒を飲んで、熱くプロ野球について語れるし将棋も囲碁も対等に渡り合える。趣味の日曜大工には率先して付き合うし、相手の話をうまく聞き出し気持ちよくさせることなど朝飯前だ。
 母にはさりげなく車を出して上げたあり、ちょっとした家事のこだわりを褒めたり。ふらりと花を買ってきたりと……なんだもう、この侵略劇は止まりそうもなく果梨はほぼほぼ降参状態だった。
(なんなんだこの男……怖すぎる……怖すぎるわ)
 ふと我に返り、何故康晃が自分を好きで愛してると言ってくれたのかと不安になる。
 だって……そうではないか?
「ああ、果梨。それ終わったら休憩取ってくれないか」
 悪い癖で疑心暗鬼が溢れる心に蓋をし、ようやくランチタイムが済んだ所で康晃から声を掛けられて顔を上げた。
 彼は既にエプロンを外し、笑顔でこちらを見ていた。
「ちょっと出かけよう」
「うん……?」
 買い物だろうか。
 意図的なのか何なのか、母から康晃と二人で買い出しに行って来いと言われる回数が激増していた。ご近所さんへのさりげないアピールなのかと疑うほどだ。
 だがどうやら今日は買い物ではないらしい。
 ケータリングから戻って来た兄に店を任せて、二人は外へと出た。
 西に傾いた太陽が、金色の光を辺りにばら撒いている。春の空は色が薄く、空気は暖かくて霞んでいた。無言で歩く彼の後を着いて行きながら、果梨は深呼吸をした。
 暑くもなく寒くも無いこの季節が……気持ちいい。肌を撫でる風はヴェールのように柔らかく、土と花の香りがした。
「良い季節だな」
 同じように空を仰ぎ、家々の立ち並ぶ街路を歩きながら伸びあがる康晃が誰ともなく言った。
「そうですね」
 のんびりした住宅街を、河原に向かって歩きながら相槌を打つ。
「久々に……生き返ったよ」
「死んでたんですか?」
 揶揄うように返す。と、彼は無言だった。冗談に乗って来ない恋人に、果梨は少々不安になった。軽口の応酬はいつもの事なのに。
「康晃さん?」
「ん?」
 視線を落とし、康晃は不安そうな果梨に思わず笑ってしまった。
「康晃さんッ」
「悪い……いや、まあそうだな……死んでた、ていうのは……当たってるかもな」
 そのまま河原の土手を登ろうとする果梨の腕を掴んで康晃は引っ張った。
 どこか、目的地があるようだ。
「休暇ももうすぐ終わりだし……またいつもの毎日になるんだと思うと少し憂鬱でな」
「凄い生き生きと営業してましたもんね」
 相手が取引先ではなくご近所さんと両親相手だったが。
 その果梨の一言に、「そうだな」と康晃が感慨深げに呟く。
「久々に……なんっていうか、自分自身で考えて自分自身で提案が出来た。いや、普段がそうじゃないかと言うとそれは違うが……部長ともなると結局部下の管理が目的になって来るからな」
 積極的に学んで自分の考えを自由に追い求める事は少なくなっていた。
「自分の自由に出来る仕事で、やりがいが有ったよ」
「それは……良かったです」
 楽しそうな康晃が嬉しくて、そっと告げる。
 だがそれももう少しで終わり。康晃はやっぱりICHIHAの営業部長さんで果梨はルークの店員なのだ。
 空一杯に打ち上げられた花火の最後の大輪が夜空を彩り、炎の一欠けら一欠けらが溶けて消えていく……そんな切なさが胸に込み上げて来る。春のヴェールのような空気が急に冷たく感じられて、果梨はそっと康晃の手に自分の手を滑り込ませた。
 自分のよりも大きくてやや硬い乾いた掌が、気付いてぎゅっと締め付けて来る。
「実はな」
 不意に康晃が脚を止めた。目の前にあるのは、グレーの壁と斜めの屋根が印象的な、こじんまりとした四角い一軒家だった。玄関は階段を少し上がった先で、その階段を囲う壁の側面にはツタが這っている。小さな庭にはクロッカスやスミレが花をほころばせようとしていた。
 駐車スペース完備のその家を見上げながら、果梨は隣に立つ康晃に視線をやった。
「はい……?」
「この家を買おうと思うんだが、どう思う?」
「………………はい?」
 思わず声がひっくり返る。
 目を瞬く果梨と視線を合わせることなく、康晃は夕焼け空に映える建売住宅をじーっと見詰めていた。
「どうだ?」
「………………えーと……」
 恐る恐る家に視線をやり、果梨は言葉に詰まった。
 家を買う? この家を? なんで? どうして? ……え?
 黙り込む果梨から相変わらず視線を逸らしたまま、康晃が淡々と告げた。
「ここなら、お前の実家にも近いし。俺も会社に通うのに不便でもないからな。いいかと思うんだが」
「………………その……」
 ぎゅっと握り締める手が強くなる。遠くで話しているような、いくらかぼんやり聞こえる康晃の言葉を必死にかき集めて、果梨は胸の内から言葉を絞り出そうとした。
「……つまり……あの……」
「俺のマンションでも別にいいかと思ったんだが、お前が通うのが大変だろ? ならこの辺で……とも思ったんだが、どうせなら将来を見据えて戸建ての方が良いかと。あ、でも土地買って新築は流石に無理だぞ。まあ、もっとキャリアアップを目指したり、果梨にも別の仕事をして貰えれば問題はないだろうが、俺としては―――」
「ストーップッ!」
 言いたい事を言い切ろうとする康晃の腕を引っ張ってこちらに注意を向けさせ、しぶしぶ視線を落とした康晃を果梨は呆気にとられた顔で見詰めた。
「つまり……ここを買うっていう発言は、私と暮らすって事ですか?」
「他の誰と暮らすんだ?」
「康晃さんッ」
 更にぐいっと腕を引っ張られ、身体を傾けた康晃は、睨みあげる果梨に溜息をついた。
 空の薔薇色が彼女の頬に映えて赤に染まっているが……もしかしなくても彼女の頬の赤味だろうか。
 いや、きっと空の色だろう。
 じゃなければ……康晃自身耳まで赤くなっている理由が判らない。
 無言で睨み合う事数十秒。
 はうーっと康晃が溜息を洩らした。
「分かったよ」
 それからこほんと咳ばらいをして。
「―――一度しか言わないからな」
 前置きをすると、彼女の左手を取って跪いた。
「!」
 ぎょっとして息を呑む果梨を見上げ、取った左手の薬指にキスをする。
 長いキスで血圧が上がり、頬が、顔が、喉が、耳が、胸元が真っ赤になった果梨が「恥ずかしいからやめて」と叫び出したくなる手前でようやく顔を上げた。
 片膝はまだ付いたままだが、見上げる康晃の耳が……赤い。
「運命も恋も愛も、俺とは関係ないと思ってた。けど今は確かにそれが有るんだと確信してる」
 眼を見開く果梨を、心から愛しそうに見上げた康晃は溶けそうな笑みを浮かべた。
「果梨……君が君だったから……君の弱さが、他人の人生を覗いてみたいっていう願望が俺をここまで引っ張って来た。頭から爪先まで、俺が惚れたのは高槻果梨ただ一人だ。だからこそ、逃がしたくないし放したくない」
 立ち上がり、震える彼女を両腕で包み込んでぎゅーっと抱きしめる。
「だから俺と結婚して」
 温かな首筋に頬を押し当てて、果梨は泣きそうなくらいの幸福感にくらくらした。背中に回した腕で、しっかりと康晃を抱き締める。
「返事は?」
 促すように耳朶にキスをされ、果梨はひとつしゃくり上げると泣きそうな声で答えた。
「この家のローン計画教えてください~」






 結局客間の布団で二人並んで寝ていると、不意に康晃が果梨の左手を持ち上げてしげしげと眺めた。
「指輪、買わないとな」
「いえ、いいです」
 間髪入れずにいわれ、不満そうに康晃は果梨を見た。
「なんで」
「だって家のローンが……」
 この女は。
「俺の甲斐性を疑うのか? 指輪の一つや二つ、買ってやる」
 そう言われるとムキになるのが果梨の悪い癖た。
「甲斐性がある所を見せたいのなら、一括で家、買って下さいよ」
「ふ、ざ、け、る、な」
「じゃあ、一緒に返済計画を立てましょう」
「夢が無い! つか、俺にも好きな女に指輪を買うっていう楽しい事をさせろ」
「あっても仕舞っとくだけですよ? 落としたら嫌だし」
「落とすなよ! 俺の! 給料三か月分!」
「いやああああああ、それだけあったらどれだけローンが返せると思ってるんですか!」
「あのな……けじめだろ、けじめ! 明日買に行くからな」
「行きません」
「………………お前ッ……」
 がばっと圧し掛かり、そっぽを向く果梨の頬に指先を這わせた。
「いきたい、って言わせてやる」
「!」
「いきたい、いかせて、って懇願させてやるからな」
「ち、ちが……てか何言ってんですか! 変態! 変態部長!」
「変態上等! 俺を甲斐性なしと罵った事を後悔させてやるからな……」
「ちょっと! やだ……ね、康晃さん! ……康晃さんってばッ」
「果梨」
 最高にいい笑顔で、康晃は愛しい人に宣言する。
「今すぐ『いかせてください、お願いします』って言ってみろ? そうしたら許してやる」
 絶対言うもんか、負けるもんか、っていうか何の勝負ですかコレーッ!
 翌日、指輪を買いに行く予定だったが行けなかった。
 理由は―――推して知るべし、である。
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