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番外編
黒の侵攻
「ただいま」
そう言って入って来た婚約者に、高槻果梨は眩暈を覚えた。
「おう、お帰り」
「未来の旦那のお帰りか」
「あ、藤城さん、宿題見て!」
「良かったね、果梨ちゃん。旦那さまが真っ直ぐに帰って来てくれて」
続いて聞こえて来るのが、常連達が果梨の婚約者を迎える声。
そして。
「あ、やっすん、良い所に帰って来た! 親父が明日の試合チケット手に入ったから一緒に行かないかって」
「ホントですか!? やった。果梨も行くだろ?」
カウンターから顔を出す兄の晴人と気兼ねなく会話し、鞄とコートを手に持ちながら当然の如くカウンター奥へと歩いて行く。
そう。なんのためらいもなく。
さっさと母屋に消えていく婚約者の姿を目で追った後、果梨が我に返ると慌てて彼の後ろ姿を追った。
「―――っていうか、なんでうちに帰って来るんですか、康晃さんッ!?」
この男の休暇は終わった。
そして彼は自分のマンションへと帰って行ったはずだ。
確かに家を買うとかプロポーズとか指輪を買う買わないとかいろいろあったが、結婚式の日取りや家を買う時期、引っ越す時期などはまだまだ先だ。
ようやく「康晃さんの実家にいつ伺えばいいのだろうか」という話をし始めたばかりなのだ。
果梨からしてみれば、まだ康晃との距離は「恋人」の感じだ。
なのに……何故この人はこの家に、またしてもやって来るのだ!?
慌てて追いかけると、康晃は慣れた足取りで数日を過ごしていた和室の客間へと向かう。
果梨にとっては恥ずかしい思い出が詰まった部屋だ。
思わず赤面する果梨を他所に、康晃はさっさとコートをハンガーに掛けて鴨居に吊るす。
その馴染んだ姿に、再び果梨は眩暈がした。
「なんでここに居るんですかッ」
鞄を置いて自身のノートPCを取り出す康晃に再度尋ねると、顔を上げた男が空っとぼけた顔で「ここに住むんだが」と平然とのたまうから。
「………………え?」
果梨の目が点になった。
しばし沈黙の後、恐る恐る尋ねる。
「あの……ここに……住む?」
「ああ」
「………………聞いてないんですけど」
顔面を引き攣らせながら尋ねると、康晃が超いい笑顔を見せた。
「言ってないからな。お前には」
お前には!?
「じゃあ誰には言ったんですか!?」
「お義兄さんと、お義父さんと、お義母さん」
「私以外の家族じゃないですかッ!」
「果穂には言ったが白石には言ってないぞ」
「私は姉の彼氏レベルですかッ!」
「だってお前、言ったら反対するだろ」
しれっと答える康晃に「当たり前ですッ!」と悲鳴のような声で答える。
「普通、結婚前の男女が婚約者の実家で暮らしたりしませんッ! 特に部長みたいな職にあってマンションに住んで甲斐性のある人はッ」
「普通はな。が、逃走補助の為に姉の会社に潜り込むような人間に言われたくないなぁ」
間髪入れず切り返され言葉に詰まる。と、康晃が勝ち誇ったようなとてもいい笑顔を見せた。
「ま、そもそもそんな女を嫁に貰おうとしてる男に普通を期待するな」
ああ………さらに眩暈がする……。
というか……。
「あの……」
「ん?」
ネクタイを外してYシャツのボタンを外していく康晃を見詰めながら果梨は恐る恐る尋ねた。
「一体いつまでうちにいるつもりなんですか?」
「なんでこんな暴挙許したのよッ!!!!」
自宅のリビングへと駆け込んだ果梨が喚く。それにキッチンに居た母親が「どうして?」とのんびり答えた。
「ど、どうしてって考えれば分かるでしょ!」
「あら~。でもお母さんは嬉しいわよ~」
「そうだぞ果梨。康晃くんは少しでもお前と一緒に居たいからって自宅マンション引き払って来てくれたんだ」
それがおかしいんじゃないかッ!
ふるふると怒りに震える果梨の肩を、後からやって来た康晃がぽんと叩いた。ぎろっと睨み付ける果梨に彼は溶けそうな笑顔を見せる。
「そう言う事だ。結婚式まで別々に暮らすのは俺が嫌だったし、俺のマンションで一緒に暮らしてもお前がここまで通うのは大変だろ? なら俺が合わせるまでだ」
なんて出来た答えなんでしょう、と言わずとも全身で全肯定する両親を横目に果梨は確信した。
両親は間違っている。この男が望んでいるのはそんな高尚なことじゃあない。絶対。
「―――結婚まで清く正しく交際する為に、ここに来たという事で良いんでしょうか?」
半眼の果梨の台詞に、康晃は嘲笑で答えた。
「この、俺が、清く正しく?」
と小声で囁いた後。
「お義父さんとお義母さん、さらにお義兄さんがいる状況こそ理想じゃないのか? 俺の品行方正さが試されるというか」
聞こえるように宣言するから。
(なあああああにが品行方正だッ!)
彼が滞在していた間散々な目に遭った。
そう、散々な目に、だ。
声は出すな、動くな、騒ぐな、喘ぐな、今ドアを開けたらどうなるんだろうな? 等々脅迫云々……。
まるで安っぽいエロDVDのよくあるシチュエーションで襲われ続けた日々を忘れるわけがない。
しかもこの男はそれを楽しんでる節まであって、なんだ、変態なのか? 変態なんだろうな!
それでもこの状況を脱するために、一縷の望みをかけて聞いてみる。
「康晃さんの家財道具はどうするんです? 置いてなんか置けませんよ」
今現在、ここには何もない。
これから持ってくるのだとしても、置く場所はないのだ。
自分の家に迷惑が掛かるからと説得し、なんならこの近所に部屋を借りることを提案してみてそこに彼を追い出せば……
そんな激甘な皮算用は。
「知らないのか? 今の世の中レンタル倉庫が山ほどあるんだぞ」
「………………」
「家賃よりもずっと安く借りられたから、最低限の身の回りの物だけ持ってきた」
その一言で粉砕される。
そして改めて、食卓テーブルに付く両親に深々と頭を下げた。
「しばらく……ご厄介になります」
いえいえとんでもない、もう家族なんだから、気兼ねしなくていいわよ……
にっこり笑って顔を上げた康晃が、ちらと果梨を見た。その眼に宿る悪魔に果梨はどこかに悪魔祓い師はいらっしゃいませんか、と全力で声を上げたい気分だった。
「…………このシチュエーションでするのが気に入ったとかそういう訳じゃないでしょうね」
柔らかな布団の中、後ろから果梨を抱き締めていた康晃は、その台詞にくすっと笑う。
「かもな」
「変態ッ」
「知ってる」
まだまだ防犯ブザーの件を持ち出されそうだ。
うーうー唸っている果梨をそっと促して自分の方に向かせると、康晃はちうっとキスをした。
それでも不服そうな果梨の額に、康晃がそっと自分の額を押し当てた。
「本当は、朝お前に見送られて出掛けて、帰ってきたらお前に迎えて貰いたかっただけなんだよ」
そういう康晃の目蓋の裏には、あのクリスマス・イヴの様子がありありと浮かんでいる。
あの時感じた……何とも言えない温かな幸せ。それがどうしても欲しくなったのだ。
「―――それなら私が康晃さんのマンションに引っ越せばよかったじゃない」
確かにそれも考えた。
けれど。
「お前、ここで仕事しながら調理師免許も取ろうとしてただろ? そうなると二人暮らしはすれ違いになる。けど、ここにはほかの人が居て……色々フォローして貰える環境でもあるだろ?」
甘えるわけではない。
が、協力して生活するのも悪くないのではないか?
そして何より―――
「―――この喫茶店でウエイターまがいのことをするのも楽しいしな」
「…………なんですか、それ」
むっつりした果梨の顔にくすっと笑って、康晃は心の奥深い所で考える。
何よりも。
果梨が育った所を、自分の記憶で埋めていきたいと願うのは……やっぱり独占欲が強すぎるだろうか。
(……俺が入り込めない過去まで塗りつぶせたら……なんて)
「康晃さん?」
ふっと黙り込む康晃に、果梨が怪訝そうな顔をする。それに彼は小さく笑ってみせた。
「いや、俺も大概だなと思ってな」
「どういう意味です?」
そのままぎゅーっと果梨を抱き締めて、康晃は感じたこともない幸せに目を閉じた。
「チェスだと思ってたらオセロだったって話だよ」
「???」
盤上は着実に黒一色で染められようとしているのであった。
そう言って入って来た婚約者に、高槻果梨は眩暈を覚えた。
「おう、お帰り」
「未来の旦那のお帰りか」
「あ、藤城さん、宿題見て!」
「良かったね、果梨ちゃん。旦那さまが真っ直ぐに帰って来てくれて」
続いて聞こえて来るのが、常連達が果梨の婚約者を迎える声。
そして。
「あ、やっすん、良い所に帰って来た! 親父が明日の試合チケット手に入ったから一緒に行かないかって」
「ホントですか!? やった。果梨も行くだろ?」
カウンターから顔を出す兄の晴人と気兼ねなく会話し、鞄とコートを手に持ちながら当然の如くカウンター奥へと歩いて行く。
そう。なんのためらいもなく。
さっさと母屋に消えていく婚約者の姿を目で追った後、果梨が我に返ると慌てて彼の後ろ姿を追った。
「―――っていうか、なんでうちに帰って来るんですか、康晃さんッ!?」
この男の休暇は終わった。
そして彼は自分のマンションへと帰って行ったはずだ。
確かに家を買うとかプロポーズとか指輪を買う買わないとかいろいろあったが、結婚式の日取りや家を買う時期、引っ越す時期などはまだまだ先だ。
ようやく「康晃さんの実家にいつ伺えばいいのだろうか」という話をし始めたばかりなのだ。
果梨からしてみれば、まだ康晃との距離は「恋人」の感じだ。
なのに……何故この人はこの家に、またしてもやって来るのだ!?
慌てて追いかけると、康晃は慣れた足取りで数日を過ごしていた和室の客間へと向かう。
果梨にとっては恥ずかしい思い出が詰まった部屋だ。
思わず赤面する果梨を他所に、康晃はさっさとコートをハンガーに掛けて鴨居に吊るす。
その馴染んだ姿に、再び果梨は眩暈がした。
「なんでここに居るんですかッ」
鞄を置いて自身のノートPCを取り出す康晃に再度尋ねると、顔を上げた男が空っとぼけた顔で「ここに住むんだが」と平然とのたまうから。
「………………え?」
果梨の目が点になった。
しばし沈黙の後、恐る恐る尋ねる。
「あの……ここに……住む?」
「ああ」
「………………聞いてないんですけど」
顔面を引き攣らせながら尋ねると、康晃が超いい笑顔を見せた。
「言ってないからな。お前には」
お前には!?
「じゃあ誰には言ったんですか!?」
「お義兄さんと、お義父さんと、お義母さん」
「私以外の家族じゃないですかッ!」
「果穂には言ったが白石には言ってないぞ」
「私は姉の彼氏レベルですかッ!」
「だってお前、言ったら反対するだろ」
しれっと答える康晃に「当たり前ですッ!」と悲鳴のような声で答える。
「普通、結婚前の男女が婚約者の実家で暮らしたりしませんッ! 特に部長みたいな職にあってマンションに住んで甲斐性のある人はッ」
「普通はな。が、逃走補助の為に姉の会社に潜り込むような人間に言われたくないなぁ」
間髪入れず切り返され言葉に詰まる。と、康晃が勝ち誇ったようなとてもいい笑顔を見せた。
「ま、そもそもそんな女を嫁に貰おうとしてる男に普通を期待するな」
ああ………さらに眩暈がする……。
というか……。
「あの……」
「ん?」
ネクタイを外してYシャツのボタンを外していく康晃を見詰めながら果梨は恐る恐る尋ねた。
「一体いつまでうちにいるつもりなんですか?」
「なんでこんな暴挙許したのよッ!!!!」
自宅のリビングへと駆け込んだ果梨が喚く。それにキッチンに居た母親が「どうして?」とのんびり答えた。
「ど、どうしてって考えれば分かるでしょ!」
「あら~。でもお母さんは嬉しいわよ~」
「そうだぞ果梨。康晃くんは少しでもお前と一緒に居たいからって自宅マンション引き払って来てくれたんだ」
それがおかしいんじゃないかッ!
ふるふると怒りに震える果梨の肩を、後からやって来た康晃がぽんと叩いた。ぎろっと睨み付ける果梨に彼は溶けそうな笑顔を見せる。
「そう言う事だ。結婚式まで別々に暮らすのは俺が嫌だったし、俺のマンションで一緒に暮らしてもお前がここまで通うのは大変だろ? なら俺が合わせるまでだ」
なんて出来た答えなんでしょう、と言わずとも全身で全肯定する両親を横目に果梨は確信した。
両親は間違っている。この男が望んでいるのはそんな高尚なことじゃあない。絶対。
「―――結婚まで清く正しく交際する為に、ここに来たという事で良いんでしょうか?」
半眼の果梨の台詞に、康晃は嘲笑で答えた。
「この、俺が、清く正しく?」
と小声で囁いた後。
「お義父さんとお義母さん、さらにお義兄さんがいる状況こそ理想じゃないのか? 俺の品行方正さが試されるというか」
聞こえるように宣言するから。
(なあああああにが品行方正だッ!)
彼が滞在していた間散々な目に遭った。
そう、散々な目に、だ。
声は出すな、動くな、騒ぐな、喘ぐな、今ドアを開けたらどうなるんだろうな? 等々脅迫云々……。
まるで安っぽいエロDVDのよくあるシチュエーションで襲われ続けた日々を忘れるわけがない。
しかもこの男はそれを楽しんでる節まであって、なんだ、変態なのか? 変態なんだろうな!
それでもこの状況を脱するために、一縷の望みをかけて聞いてみる。
「康晃さんの家財道具はどうするんです? 置いてなんか置けませんよ」
今現在、ここには何もない。
これから持ってくるのだとしても、置く場所はないのだ。
自分の家に迷惑が掛かるからと説得し、なんならこの近所に部屋を借りることを提案してみてそこに彼を追い出せば……
そんな激甘な皮算用は。
「知らないのか? 今の世の中レンタル倉庫が山ほどあるんだぞ」
「………………」
「家賃よりもずっと安く借りられたから、最低限の身の回りの物だけ持ってきた」
その一言で粉砕される。
そして改めて、食卓テーブルに付く両親に深々と頭を下げた。
「しばらく……ご厄介になります」
いえいえとんでもない、もう家族なんだから、気兼ねしなくていいわよ……
にっこり笑って顔を上げた康晃が、ちらと果梨を見た。その眼に宿る悪魔に果梨はどこかに悪魔祓い師はいらっしゃいませんか、と全力で声を上げたい気分だった。
「…………このシチュエーションでするのが気に入ったとかそういう訳じゃないでしょうね」
柔らかな布団の中、後ろから果梨を抱き締めていた康晃は、その台詞にくすっと笑う。
「かもな」
「変態ッ」
「知ってる」
まだまだ防犯ブザーの件を持ち出されそうだ。
うーうー唸っている果梨をそっと促して自分の方に向かせると、康晃はちうっとキスをした。
それでも不服そうな果梨の額に、康晃がそっと自分の額を押し当てた。
「本当は、朝お前に見送られて出掛けて、帰ってきたらお前に迎えて貰いたかっただけなんだよ」
そういう康晃の目蓋の裏には、あのクリスマス・イヴの様子がありありと浮かんでいる。
あの時感じた……何とも言えない温かな幸せ。それがどうしても欲しくなったのだ。
「―――それなら私が康晃さんのマンションに引っ越せばよかったじゃない」
確かにそれも考えた。
けれど。
「お前、ここで仕事しながら調理師免許も取ろうとしてただろ? そうなると二人暮らしはすれ違いになる。けど、ここにはほかの人が居て……色々フォローして貰える環境でもあるだろ?」
甘えるわけではない。
が、協力して生活するのも悪くないのではないか?
そして何より―――
「―――この喫茶店でウエイターまがいのことをするのも楽しいしな」
「…………なんですか、それ」
むっつりした果梨の顔にくすっと笑って、康晃は心の奥深い所で考える。
何よりも。
果梨が育った所を、自分の記憶で埋めていきたいと願うのは……やっぱり独占欲が強すぎるだろうか。
(……俺が入り込めない過去まで塗りつぶせたら……なんて)
「康晃さん?」
ふっと黙り込む康晃に、果梨が怪訝そうな顔をする。それに彼は小さく笑ってみせた。
「いや、俺も大概だなと思ってな」
「どういう意味です?」
そのままぎゅーっと果梨を抱き締めて、康晃は感じたこともない幸せに目を閉じた。
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「???」
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