ポーンの戦略 -三十六計逃げるに如かず-

千石かのん

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番外編

キングの憂鬱-待てば海路の日和あり-上




「指輪を買わせて貰えないんだが」
「打ち合わせ中ずっとそんなこと考えてたのか?」

 驚いて告げる白石巧の台詞に藤城康晃は胸を張った。

「悪いか」
「まあ……悪くはないか」
「だろ」

 時は二十一世紀。不況だなんだと騒がれる日本のとある都市。その中心街にビルを構える建設会社ICHIHAは優良企業だ。大手ゼネコン……とまではいかないが、地方の駅前開発や有名企業の社屋建て替え、銀行建設など立派な業績を上げている

 そんなICHIHAの小会議室には、美術館建設の打ち合わせをしていた建築の白石と営業の藤城の二人が居る。

 白石はICHIHAの子会社たる東野設計に所属する建築家で、某大学教授と最新の耐震構造を開発した優秀な人材。
 藤城は三十代という若さで営業部部長に駆け上がった才の持ち主で、会議や部署内での容赦ない冷徹過ぎる発言が「氷の営業部長」と囁かれた程だ。

 加えて二人とも見栄えがする。

 白石はスポーツでもやっているのかがっしりした体型に肌は浅黒く、短く切った黒髪の下から覗く逞しい首筋をうっとりながめる女子社員も少なくない。
 藤城はすらりとした体型ながらも、立っているだけで威圧感があり、長い腕を組んで真剣な表情をしているのを見るだけで胸ときめかせる女子社員が居たりする。
 その二人が雁首揃えて真剣に打ち合わせをする様子を、なんとか一目でも見たいと、「お茶です~」「コーヒーです~」と討ち入りを画策した肉食女子も腐女子も少なくない。

 が、それは全て。

「なにこの、突っ込み不在の不毛な会話は」

 営業部の典型的腰かけOL・ぶれない、ぶれさせない、そもそもぶれるって何ですか? でお馴染みの羽田麗奈が華麗に阻止し、「二人の会話が愉しそう」という不純すぎる理由でこうしてコーヒーを手にやって来たのだが、ボケ二人を目の前に戦慄を覚えていた。

「何の用だ」
 嫌そうな顔で振り返った藤城に、麗奈は首を振った。
「コーヒーお持ちしました~ってか、悪いでしょ。真剣な打ち合わせの様子を心待ちにしてる女子社員が山と居るのに何情けない事考えてんですか」
 呆れたと全身で訴えながら二人の前にコーヒーを置く麗奈に、藤城がすっと目を細めた。
「お前こそ、部署内や合コンで被ってるネコどうした」

 この女は全面的に『ちょっと可愛くて仕事の出来ないOL』を演じている。
 語尾が大抵媚びるように甘くなるのだが、現在の彼女はいたって普通……というか、どこか冷たくもある。

 その点を指摘すると、麗奈がにっこり笑った。

「なんの利益も見込めないのにぃ、商品薦める営業がどこに居るのかぁ、優秀な営業部長さまにお伺いしたいですぅ」
「悪かったよ」
「で、指輪、まだ買えないんですか?」

 笑顔のままそう尋ねる麗奈に、康晃はここ最近ずっと考え続けている悩みを思い出した。

 そう、指輪だ。

「……俺ってそんな甲斐性なしに見えるか?」

 酒はそれなりに飲むが、煙草もギャンブルもやらない。女は一人に絞った。収入は同年代に比べたら高い方だろうし、会社の業績もまあまあだ。
 どう考えても高物件だという自負もある。

 だが。

「お前は順序がめちゃくちゃなんだよ」
 書類をまとめてファイルにしまい、コーヒーを手にした白石が告げる。
「お前に言われたくない」
 すかさず返すも。
「いえ、部長の方がどちらかというと可笑しいです」
 麗奈に切り返され眉間にしわが寄った。

「何が悪い? 俺は将来を設計した結果、まずは二人で暮らす場所を確保するのが最優先だと結論付けただけだ」
 堂々と宣言する康晃に、呆れたように麗奈が両手を上げた。

「そんなもんいきなり貰って喜ぶ女なんて、億単位のお金転がす社長の愛人位なもんですよ。最初に指輪でしょうが」
「最初に妊娠の方がおかしだろ」
「妊娠は一人で出来るもんじゃないでしょうがッ」

「康晃」

 ここから不毛なやり取りが始まるのを察知したのか、白石が待ったをかけた。

「取り敢えず指輪を買ったらどうだ?」

「え?」

 コーヒーを一口飲んだ巧が、間抜け面でこちらを見る康晃に淡々と続ける。

「強引に渡せば良いだろう。そういうのが好きなんだろ? 女子は」

 ちらっと見られて、ぽかんとしていた麗奈もはっと我に返る。

「ええ、ええ、そうですそうです、その通り! ついて行き甲斐があるな~と思えば女子は喜んでついて行きますよ~。何やかんや言った所で、守られたいものなんです、女子は」

 頬に人差し指を当てて、麗奈は可愛えらしく小首を傾げる。
 対してここ数日、ようやっとまともなアドバイスという名の福音を貰った康晃が椅子を蹴立てて立ち上がった。

「そうか……そうだよな! 素晴らしい演出の元で果梨に指輪をくれてやろうじゃないか!」

 なんか趣旨違ってるけど面白そうだからいいか、と麗奈は人の悪い笑みを浮かべるのだった。







「ただ俺としては果梨と一緒にガラスケース覗いて、周りのカップルみたいにイチャイチャしながら買うのが楽しみだったんだけどな……」
「何故それを今ここでいう」

 今年の春からICHIHA敷地内で、許可を貰って営業しているケータリングがある。

 ここのコーヒーや軽食がやたらと美味しいと、ICHIHA内で徐々に評判が立ち、昼間はなかなかの賑わいを見せていた。
 だがランチタイムが終わった二時過ぎには人がおらず、主に会議用のコーヒーとちょっとしたお菓子なんかの注文が入る程度。ケータリング車内でのんびりと遅めの昼でも食べようかと考えていた店主は、ICHIHA社屋からわき目もふらず一直線にやって来た営業部長が、何のためらいも見せずにスツールに腰掛けてコーヒーを頼み、間髪入れずに切り出した内容に半眼になった。

「またあれか。果梨との指輪の件か」
 呆れたように告げる店主、高槻晴人にちらと視線をやった後、康晃は深い溜息を洩らした。
「俺としては合意に達してから行動に移したかったが、果梨から可愛らしくおねだりして貰える可能性が限りなくゼロに近い現状、やや強引にでも事を進めた方が良いという結論に達したんだ」
「…………理性と本能の満場一致で?」
「与党が本能だがな」
「…………限りなくアウトな発言だな」

 まあでも仕方ないかと、去年の年末からの騒動を考えて晴人は溜息をついた。

 詳細は聞いていないが、彼の双子の妹は二人そろってこの男にトンデモナイ事をしでかしたようなのだ。訴えられても仕方ない事……だったようだが……。

「まあ、果梨に対する脳内議会はほぼほぼ『より良い明日の理性党』も『未来永劫子孫繁栄本能党』も同じ結論に達するんだがな」
「アウトだな」

 この男自体がどういう訳か果梨を、彼なりの方法で愛しているようなので結果オーライだ。

「そこでだ、ハルちゃん」
「いきなりどうした」

 距離を縮めるには名前から、という妙な成り行きでハルちゃんとやっすんで呼び合う義兄弟(予定)だが、こう呼ばれると何やら嫌な予感しかしない。

 カウンターから身を乗り出すイケメンは、女子には冷徹過ぎるその眼差しを、超レアにもきらきらさせて両手を合わせた。

「果梨のアクセサリーの好みを教えて欲しい」

 この世のどこに、妹のアクセサリーの好みを知っている兄貴が居るんだと晴人は遠い所で思うのだった。






 作戦は単純だ。

 果梨の部屋に忍びこみ、彼女の持ち物から彼女の好みを推察する。時間ならいくらでもある。そう、果梨が自宅でもある喫茶店で仕事をしている間に忍び込めばいいのだ。
 なるべく二人で過ごそうと、日曜は康晃が仕事を持ち帰らない限り果梨は店番をしない。二人でなるべくゆっくり過ごす事にしている。だが今度の休日は康晃には重大なミッションがあるので「持ち込まれた企画を詰めないといけないんだ」と泣く泣く……本当に泣く泣く彼女との休日を諦めそう告げた。
 こっちは一緒に過ごす時間が減って悲しいというのに、果梨は「じゃ、私、店番してるね」と笑顔で言われるから余計に悲しい。

 思わず引き留めて「俺と一緒に過ごしたくないわけ!?」と問い詰めたい所だったが、この後に控えている「指輪を渡す」という一大イベントの為に我慢する。
 彼女が店に出て、忙しくなるランチライムが来るのを自室で待ちながら、康晃はもともと持ち込んだ仕事などないので、ノートパソコンで大手宝飾店などのサイトを検証し始めた。どの指輪が彼女に似合いそうか考える。

(シンプルなのか……それとも明らかに『宝石です』っていうのがいいのか……)

「やっすん」

 はっと我に返ると、襖から晴人が顔をだしていた。

「やるなら今だ」

 ばっと立ち上がり、「サンキュ」と短く答えて康晃は夜這いで鍛えた(……)忍び足で一直線に果梨の部屋へと向かった。






「あ、辞書忘れた」

 夜遅くまで店を開けることで獲得した常連さんの一人、高校生の時任彩萌ときとうあやめがそう呟いたのはランチタイム真っ最中だった。

 休日の昼という事で、仕事中の人が減り親子やカップルが目立つなか、カウンターのいつもの席をゲットした彩萌にミルクティーを出した果梨が彼女の一言に気付いた。

「何? 英語?」
「うん。そろそろ中間だから長文の復習しようと思ってたんだけど」

 鞄をごそごそする彩萌がしょんぼりと肩を落とした。

「忘れて来たみたい」
「なら私ので良ければ貸すよ」

 にっこり笑って告げる果梨に、彩萌がぱっと顔を輝かせた。








「緊急事態だッ」
「あ?」

 小声の絶叫でそう告げた晴人に、果梨の部屋を物色していた康晃が怪訝そうな顔で振り返る。

「何だよ?」
「果梨が戻って来るッ」
「はあ!? 今、絶好調に忙しいんだろ!?」
「彩萌ちゃんの為に辞書取りに戻って来るんだよ、ヤバイ! 撤退ッ!」

 その瞬間、軽い足音がして唯一の退路である階段に敵が進行して来るのが判った。

 階段を上がりきった所で短い廊下が左右に伸びている。左から果梨、果穂、晴人と部屋が並んでいるのだが、階段は真ん中にある。

「兎に角ここから出て果穂の部屋に……」
「もう遅いッ」

 登って来る足音に戦慄し、何故か果梨の部屋に飛び込む晴人。なんでお前まで来るんだよ、入り口付近で足止めでもなんでもしろよーッ!

「なんでハルちゃんまで来るんだよッ」
「咄嗟にはいっちゃったんだから仕方ないだろ!?」
「隠れる場所は……」

 大の大人二人が八畳の部屋の中で右往左往する。窓からベランダへ出るか、クローゼットか、そもそも土下座するか……。

 運命は残酷な足音を立てて訪れ、無慈悲にも冷たいドアノブが絶望の音を立ててがちゃりと回った。



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