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番外編
キングの憂鬱-待てば海路の日和あり-中
高槻果梨は一度だって藤城康晃を疑ったことはなかった。
いや、ただ単に自分が康晃を騙していた負い目から、彼は間違いなど起こさない人間だと勝手に思い込んでいた。
それにかなりのハイスペック、ハイクオリティ、ハイエンドな人間だったからそんな……人として間違ったことなどしないようにも思えたし。
だから微塵も疑っていなかったのだ。
自分の兄を、あろう事か果梨の部屋の果梨のベッドに押し倒しているのを見るまでは。
(………………な…………)
何をしてるのだろうかなんでここにいるんだろうかていうかなんで兄と婚約者が有ろう事か私のベッドにいるんだろうかしかも押し倒してる? なんで? え?
コンマ五秒でそれを考え、引き返すことも殴りこむ事も出来ない果梨は、入り口で棒立ちとなった。
先に我に返ったのは康晃の方だった。
「ち……違うッ! こ、これは! そ、その……」
そこで絶句。
康晃は果梨の部屋に居る本当の理由を述べることが出来ない。
果梨のアクセサリーの趣味が知りたくてこっそり忍び込んだケド、見つかりそうになって二人でベッドに隠れようとしたなんて言えば「そこまでして指輪が買いたいんですか、欲しくないって言ってるのにッ!」と切り返されるのが眼に見えているからだ。
だから何か……そう何か、この状況を切り抜けられる、起死回生の一言を捻り出さなければどっちにしろ最悪の妄想をされて終わりになる。
まず第一に説明すべきは自分達が何故果梨の部屋にいるか、だ。
「き……のうの夜、ここに俺、時計忘れてなかったか?」
ぎこちなく立ち上がり、尋常じゃない冷汗を掻きながらもっともらしい発言をする。
そこでようやく「なんで」を連打して固まる脳を再起動させた果梨が、はっと我に返った。
「時計?」
「そう、時計」
そもそも果梨の部屋に行くのに時計なんぞしていくわけもないのだが、切り抜ける為に必死に言葉を繋ぐ。
「そう言えば見当たらないなぁ、と思って。で、探してたらハルちゃんが来て、な」
必死に振れば、晴人が「そうそう」と上ずった声で答えながらベッドから起き上がった。
「ゆ、床とかベッドの下に紛れてないかとか探してたんだよな! そしたらふ……二人とも……えー、こ、転んだ? みたいな?」
「へ……へぇ」
明らかに不信がっている表情そのままに二人を交互に見る。
「で、見つかった?」
「あ、ああ……ほ、ほら」
潜入時の時間を計るために付けていた腕時計を見せて、康晃は無理やりな笑みを浮かべた。
「そ……そう、よ、よかった」
「あ、ああ」
二人揃ってぎこちない笑みを交わしたのち、果梨はそそくさと本棚から英語の辞書を取ると「お客さん、結構入って来たからお兄ちゃんも早く戻ってね」と視線を合わせずに告げた。
「お……おう」
そのままそそくさと出て行く果梨の、その軽い足音が消えるのを待って二人のダメンズはがっくりと肩を落とした。
「なんだこれ……なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ」
膝に両手を当てて苦悶の表情で晴人が告げれば。
「誤解された誤解された誤解された誤解された」
康晃が頭を抱えて嘆く。
(これはもう……)
この想定外の失敗を覆すには、この指輪ミッションを成功させるしかない。
「で」
しばらくして立ち直った晴人が切り出す。
「果梨の好みは分かったのか?」
「果梨ちゃんどうしたの?」
なんか……目が死んでるよ?
心配そうに尋ねる彩萌に、なんとか昼を乗り切り、午後ののんびりした時間帯にたどり着いた果梨は、「ああ、コーヒーお代わりね」と機械的な返事を繰り返す程度に死んでいた。
脳内では衝撃的映像と嘘くさいセリフがエンドレスワルツを踊っている。
(―――婚約者と自分の兄が一緒にベッドに居た場合ってどう考えたらいいんだろうか……)
もちろん、彼等の説明を頭から信じる程馬鹿ではない。
昨日の夜忘れた時計? ちゃんちゃらおかしいだろう。
(じゃあ……なんで二人で私の部屋に居たの? きちんとした理由ならその場で話せるだろうし、そうしないのには何か意味があるってことよね? つまり……私には話せない理由……)
もともと思考がポジティブではない果梨の妄想は、どんどん泥沼に陥って行く。
(か……考えた事なかったけど……もしかして……いや、だって康晃さんは私の事……愛してくれるからきっと……ううん、でももしも……もしも……もしかして男の人でもいけるんだとしたら……それで……あ! うちのお兄ぃ、最後に彼女居たのいつ!? も、もももしかしてお兄ちゃんッ!)
晴人が家にやって来た妹の婚約者のイケメンに道ならぬ恋をする……!?
「果梨ちゃん? だ、大丈夫?」
急激に真っ青になった果梨に気付いた彩萌がこわごわと尋ねる。
「ごめん……彩萌ちゃん……私……ちょっと……」
ふらふらした足取りで奥へと引っ込みながら、果梨は考えたくもない結論に飛びつきそうになる自分を叱った。
そう……康晃さんはもしかしたら、お兄ちゃんの毒牙に掛かったのではないだろうかという、超々極論に。
(ううん……まず最初にお兄ちゃんに事情を訊こう。お兄ちゃんが康晃さんの事好きになっちゃったんだとしたら、それは仕方ない事だと思う。でも、康晃さんは私のなんだから、早々に諦めて貰うように説得しないと……だからまず、本当に本気なのか聞かな―――)
そこで不意に果梨の心臓が痛く鳴った。
(でももし……お兄ちゃんが本当の本当に康晃さんの事本気だったら……)
ふと果梨の視線が、自分のまっさらな左手薬指に注がれた。
心の繋がりさえあれば、問題無いと思っていた。
身体は彼を求めて全力疾走をするし、つながると溶けていく。そこに愛は確かにあると確信もしている。
でも……もう一度初めから出会い直そうとした。その気長な我儘を彼はぶち破って探し出し、ここまで来てくれた。
全部―――彼、から。
(なにやってんだろ……)
康晃さんはいつだって、ただ真っ直ぐに果梨が欲しいと言ってくれるのに。
私はちゃんとそれに応えたことがあった?
(指輪……)
よりによって実の兄に取られるかもと思った瞬間、心の繋がりも身体の繋がりも無視した「目に見える繋がり」が欲しくなるなんて。
ほんのちょっと。ほんの少し、恥ずかしいのを我慢して……強請ってみようか。
一緒に指輪、買いに行こうって言ってみようか。
(きっと喜んでくれる―――)
その瞬間、タイミングよくエプロンのポケットに入れたスマホからメロディが流れ出した。
「麗奈?」
それは、羽田麗奈からの不幸のメールだった。
「なんで俺を連れて来るんだよ!」
「結局好みがわからなかったから仕方なく、だ」
「自分の婚約者なんだから自分で選べばいいだろ!?」
果梨のお部屋訪問から何一つ正しい情報を拾い上げられなかった康晃は、自分一人では心もとないにプラスしてこれ以上の失敗をしない予防策として高槻晴人を連れて、某ブランド宝飾店へと来ていた。
「言っておくが、世の兄貴は妹の好みなんかにこれっぽっちも興味はないんだからな」
「それでも気休め程度にはなるだろう。あ、これなんかよくないか?」
「あ?」
腕組みをして、そこはかとない居心地の悪さを噛みしめていた晴人は楽しそうに跳ね上がった康晃の声に興味を惹かれてケースを覗き込んだ。
イケメン(その実態はダメンズ)二人が真剣に指輪を選ぶ姿に、贈られる女に嫉妬しかかっていた女性店員は、本日の売り上げが跳ね上がる事を期待して目を煌めかせた。
「こちらのデザインは当店でも一、二を争う人気デザイナーの最新作でございます」
「……どう思う?」
真剣な表情で尋ねる康晃に、晴人はうーんと眉間にしわを寄せた。
「果梨にしてはちょっと……派手じゃないか? どっちかっていうと果穂のが好きそうだろ」
「なんだよ、果梨は派手じゃないっていうのか? まあ……派手じゃないけど」
なんていうかこう、果梨は可愛い中に絶対曲げたくない頑固なところがあって……そこがまた可愛くもあるんだけど、変な意地とか見栄を張ったりする悪い癖があってさぁ、またまたそれも可愛いよな、うんうん、つまりは可愛いって事だ。それをこう体現している指輪を俺は贈りたいんだが―――
「そういうキャプションは心の中で言え、心の中で」
どこか遠い所で店員がなにやら商品説明をしているが、康晃も晴人も聞いちゃいない。右から左へと聞き流しながら、ふと康晃はアームがVラインを描き、両端に小さなピンクダイヤが付いたリングを見付けた。ハートや星のようなデザインとは違うし、ダイヤです、というあからさまなデザインとも違うそれは、なんとなく小さく咲く花の様だ。
「これ」
直感で指をさして自信ありげに晴人を見れば、彼はちょっと目を見張った後。呻き声のような物を漏らした。
「確かに控えめで……でもちょっと可愛くていいかもな」
値段も馬鹿みたいに高いわけではない。まあ、もっとカラットを大きくすると馬鹿みたいに高い金額になるのだが。
「よし」
これにする。
即断即決、が信条の康晃にしては兄という切り札を握り、普段の商談よりもややガードを上げて慎重になったつもりだった。それくらい絶対に失敗したくなかったのだ。
―――が。
(あ、晴人と部長)
たまたま中心街へと買い物へ来ていた麗奈は、本当に偶然、宝飾店から並んで出て来る晴人と康晃を目撃した。
これはもう、白石巧の一刀両断アドバイスが効いて、遂に果梨への指輪購入へと踏み切ったとみて間違いないだろう。
(てか……まさか晴人を連れて来るとは……部長、よっぽど果梨に嫌われたくないのね)
ちくしょう、リア充爆発しろ!
なんかムカつく。もう一波乱あってもいいんじゃない? そんなイケナイ感情が溢れ、麗奈は徐にスマホをかざして二人で仲良く(?)宝飾店前で談笑する二人を激写した。
(先に果梨にばらしてやる……そしてこっぴどく怒られればいいのよ)
うふふ、と暗い笑みを浮かべながら麗奈はぽちっとなと画像付きのメールを送信した。
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