ポーンの戦略 -三十六計逃げるに如かず-

千石かのん

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7 503サーバーエラーです 前編

 条件その一、膝から降りることは許さない。
 条件その二、機会が有れば押し倒すからそのつもりで。
 条件その三、部長と呼ぶな。
 藤城から提案されたそれを吟味し、果梨は性交渉以外の「お家デート」案を考える。一番初めに来そうなのはDVD等の映像鑑賞だろう。
 そう提案すると、藤城はあっさりと「いいぞ」と許可をくれた。
 その前にシャワーを使いたいならどうぞ、と言われ果穂の化粧ポーチを持ってバスルームに籠っていた果梨はそこに乳液だの化粧水だのメイク落としだのが完璧に入っているのに複雑な気持ちになった。
 避妊具が入っていたとしても驚かなかっただろう。
(どこまで準備が良いんだよ……)
 果梨ならそこまで準備して持ち歩いたりしない。
(イマドキのホテルにならそれくらいあるだろうし……いや、家に泊まる事も想定済みだったのか?)
 それとも誰か特定の人がいた?
 果穂の様子を思い出し、果梨は複雑な顔で髪を乾かした。
 厚手のパジャマは藤城から借りたものだ。下着類は現在洗濯機の中。
(うううう……)
 パジャマからは透けては見えない。が、武装が一枚解除されている事実に変わりはない。
(恥ずかしくて死にそう……)
 だが藤城曰く「無い方が好都合」らしい。
 そりゃそうだ。藤城が興味を持つのは下着の中身なのだから。
「どうせ貸してるもんも洗濯すんだから、履いてようがなかろうが一緒だろ」
 そう酷く合理的に藤城は言った。この上司は本当に……こういう論理的で情緒の無い判断を下すのに躊躇が無い。
 気分の問題だ、というのに「例えお前が下着を付けてようと付けてまいと俺が付けてないと勝手に妄想しても同じだろ」と真顔で言うから手に負えない。しかもあっけらかんとしているから恥ずかしがる方が可笑しい気分になってしまう。
「どれ観るんだ?」
 彼シャツならぬ彼パジャマ。冬用の温かいものなのだが手足が長くて折り返している。
 振り返った藤城は、酷く居心地悪そうにしている果梨を感慨深げに眺めた。
「使わないパジャマがいい仕事してるな」
「発想がエロ親父です、部長」
「康晃だ、果穂」
 その単語が予想外にぐっさりと果梨の胸に突き刺さった。
(意外過ぎる程ダメージデカい……)
 高揚していた気分が足元まで落ちて行く。温かかったシャワーの温度など吹っ飛ぶくらいの勢いで。
 果穂。
 そう、今の私は高槻果穂なのだ。部長の中でも。今ここ、誰も入れた事のないという部長のマンションの一室で、彼のパジャマを着ているのも。
「あの」
 古い映画の一本を取り出す藤城に果梨は考えずに言葉を発していた。
「名前では呼ばないでください」
「なんで?」
 果穂じゃないから。
「…………じょ、女子には色々……順序が有るんです」
 苦しい。
 物凄く苦しい言い訳だ。
 加えて二十代後半女子の言うセリフじゃない。絶対違う。羽田なら許される台詞だろうが……果梨が言えば痛いだけ。
 見れば藤城もぽかんとしていた。
「お前……」
 言ってから絶句。
(笑えないほど引かなくてもいいじゃないのよッ!)
 ドン引きする男性を見た事は無い。が、どうしても譲れず果梨は構うもんかと押した。
「部長に与えられた権限は、まだ高槻止まりです」
 しげしげと見詰めているであろう藤城の視線が痛い。言わなきゃよかったとは思わない。恥も外聞も関係ない。ドン引きされても譲れない。
 果穂と呼ばれるのは……多分辛い。
 唖然としていた康晃は傲然と顎を上げる果梨が、すました顔でパジャマをぎゅっと握りしめているのに気付いた。
 指先が真っ白になるほど、強く。
 途端、何言ってんだこの女、という引き潮よりも早く引いた気持ちが満潮レベルまで戻って来た。
(可愛いじゃないか、高槻果穂……)
 それと同時にその装いを引っぺがしたいような……その奥に隠れてるモノが知りたくなってくる。
 数週間前、彼女は簡単に身を委ね、間違いだと豪語するプロポーズをした。
 数週間後、彼女は彼に平身低頭し、性的交渉のみを許さず名前を呼ぶのですら順番があるという。
(どこまでも俺の好奇心を刺激してくれるよな……)
 何故、そう言うのか。何故、名前を呼ばれたくないのか。
 人間、恥ずかしくて死ねるという沈黙の中で、藤城の柔らかい……猫なで声が響いた。
「だが、俺は名前で呼んでくれ、高槻」
 じっとりと汗が滲んでいた手を解いて、果梨は恐る恐る藤城を見た。彼はDVDのケースを持って立ち上がりこちらに近づいて来る。
「…………藤城…………部長」
 ぽこん、とケースで頭を叩かれる。
「康晃」
「いえあの……いきなり名前呼び捨ては無理です」
「じゃあ、康晃くん?」
「あほですか」
「康晃さん」
「…………藤城さんで勘弁してください」
 仕方ねぇな、と文句ありげな口調で告げ、藤城は果梨を攫ってソファに座る。
「あの!?」
「条件その一」
 膝の上に果梨を落としてあっさり言われ、彼女はほとばしる文句を強引に呑み込んだ。

 クリスマスまであと一週間。そんな浮かれる街の空気に相応しく、藤城が選んだ一本は「素晴らしき哉人生」である。しかし白黒で吹き替えも無いそれを観る果梨は内容が頭に入って来なかった。
 何故なら。
「部長ッ」
「康晃」
「…………藤城さん、止めてもらえませんか」
 果梨は自分の腹を抱く腕を持ち上げ、背後に居る男を睨み付けた。睨まれた方はしかし、平然と果梨の耳朶を味わうのを止めようとしない。濡れたベルベッドのような感触が耳に触れ、果梨の背筋を本日何度目になるか判らない衝撃が走る。
「そのっ……はむはむするの止めてくださいッ」
「なんで?」
「その低音もダメッ」
 意図せず裏返った声が恥ずかしくて、果梨の顔に血が上る。
「赤くなって可愛い」
 するっと腕が持ち上がり、長くしなやかな指が愛おしそうに果梨の喉を撫でた。
「こういうのが流行ってんだろ?」
 全身総毛立って唸る猫のような反応を繰り返す果梨に、康晃は意地の悪い笑みを浮かべた。
「部長には羞恥心は無いんですか!?」
 ちうちうと喉と耳にキスを繰り返す男に、紳士的な態度とやらを解こうとする。が、彼は果梨の顎を掴んで自分の方に向けた。
「二人きりなのに何を恥ずかしがるって?」
 じっと見詰めて来る茶色の瞳に、果梨は吸い込まれそうになった。そこには揶揄いも嘲笑もなく、バカにするような雰囲気もない。ただ温かく楽しんでいるような色だけが籠っていた。
「……ふ、普通の日本男子は……あんまり甘い言葉を言いたがらないという統計が……」
 掠れた小声になる果梨に、康晃は更に低く甘く告げる。
「俺は付き合った女は甘やかしたいし、縛っておく為ならどんな事でもする」
 前半は彼氏として最高だが、後半は病んでるだろ。
 大画面の向こうでは、大切な奥さんがそっぽを向いて去って行く場面が流れている。人生に絶望した主人公に天使が見せる『あったかもしれない未来』の一部だ。
「部長なら手を尽くさなくても女の子が寄って来るんじゃないですか」
 気付けばそんな冷やかな言葉が漏れていた。
「あほ抜かせ。俺は努力しない人間が一番嫌いだ」
「恐ろしいこと言いますね……」
 この男が努力したら一体どうなってしまうのか。
「それから部長って言うな。あともう一回言ったらペナルティだからな」
「…………なんでそこに拘るんです?」
 未だに顎を掴んでいる彼が果梨に顔を寄せて来る。
「この俺がお前を甘やかしてるんだ。なら対価を寄越せ」
 結局等価交換か!
「それに彼女にだけ与える特権だぞ? 泣いて喜べ」
「全く嬉しくない特権ですねッ」
 慌てて手を伸ばし、迫る男の唇に掌を押し当てる。キスを拒まれたことなど皆無の康晃が眼を見開く。ぐいぐい相手を押しやり距離を空けると果梨は康晃の膝から弾かれるように降りた。
「藤城さんの所為で全く内容が頭に入りません」
 腰に手を当てて睨み付ける。
「当然だ。そうしてるんだから」
 しれっとそういう事を言えるから凄い。ソファに寄りかかり飢えた狼のような眼差しを注がれると、今直ぐにでも足から力が抜けそうだ。だがそれを堪えて果梨は康晃に背を向けるとサイドボードをじっと見詰めた。DVDが収納されているスペースにゲーム機がある。
 この男の膝の上に乗せられるのは避けられないのなら、果梨に触りまくる手を封印すればいい。
「黙って見てるだけだと藤城さんが退屈なようなので、これにしましょう」
 つかつかとサイドボードに歩み寄った果梨が取り出したのは、国民的ゲームキャラクターがレースを展開するゲームだった。

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