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10 ファイルの最適化を行います 前編
男性自身を触る事に抵抗があった……元彼の場合は。強いられて……とまではいかないが頼まれて仕方なく……という感じだった。
好き好んで「そんなこと」をする女性が居るとも思っていなかったし。
さっきの瞬間まで。
ベッドから転がり落ちるように降りた藤城は、「お前……覚えとけよ」と街のチンピラのようなセリフを吐いてよろよろと寝室を出て行った。どこに行くのかと問えば「シャワー」と怒りマークの滲んだ反論が飛んで来た。
ばたんと閉じたドアを前に、果梨は藤城の温もりが残るシーツに倒れ込みばくばくする心臓と火照った身体を持て余していた。
彼が見せてくれた世界は本当に素晴らしく……うっとりするような物だった。そしてその見返りを藤城はほとんど受け取っていない。実際「辛い」と言っていたし、身体に当たった彼の腰の感触から……本当に辛いのだろうと察しがついた。
だから……。
(教えてくれればやったのに)
ふかふかの枕に頬を埋めながら、果梨はぼんやりとそんなことを考えた。元彼は……果梨に頼むくせに不服そうで、最終的には「もういい」とため息交じりに宣告された。
なので多分恐らく……下手なんだとは思う。
けれど。
(……触ってみたかったな……)
好奇心は猫をも殺す、パート二。
自分の大胆な思考に驚くも、心地よい怠さの中ではそれも致し方ない気がする。耳元で囁かれた甘いセリフのオンパレード。続く、「したい」と「いれたい」という直接的な単語。
明らかに果梨を求めて漏れた言葉だ。それが酷く凄く嬉しい。
例え、果穂という別人を模しているのだとしても。
彼に全身を晒したのだ。名前以外の全部を。
首から頬、耳へと熱が広がり果梨は呻いて藤城の枕に顔を埋めた。ほんのりと清潔そうなシャンプーの香りが洗濯糊と相まって漂う。枕カバーまで洗っているのかと、最近それを洗った覚えのない果梨はぼんやりと考えた。
不思議な男だと思う。
ただの俺様、ブリザード部長だと思っていた。女性に対する考え方は淡白で結婚なんて考えてなくて。遊んで愉しく自分の人生を謳歌出来ればそれでいいと思ってる人だと。
なのに、彼の部屋に見える生活は丁寧で、荒んだ色は無い。仕事は厳しいが暴走しがちな部下をよく見て居る。今日の香月への対応も意外と紳士だった。ちゃんとお前を買っていると告げていた。
そして何より……果穂たる果梨に対してなんだかんだ言いながらも優しくしてくれた。
(あんな風に……見詰められたことも触られたことも無かった……)
藤城が大切そうに撫でてくれた。
蔑ろにすることなく、愛おしむように触れてくれた。
見下ろす瞳は優しくて、ただただ果梨を映して温かかった。
この世にただ一つしかない、自分という存在を認めて許して受け入れてくれたような気がしたのだ。
(マズイ……)
ハイスペック・ハイエンド・ハイクオリティな男性とはこういうものか。
そこに落ちたら恐らく……這い上がれないだろう。そして二度と他の誰かを素晴らしく思えない筈だ。全ての男を彼と比べてしまうに決まっている。
だから今のうちに心に蓋をして逃げなければ。
第一に果梨は彼に嘘を吐いているのだ。決して許されないような嘘を。
ぼんやりと視界が滲み、果梨は訳も分からず泣きたくなった。このままベッドに沈んで二度と眼が覚めなかったら、それはそれで幸せな人生だと思う。だが無情にも明日は来るし、目が覚めても果梨が嘘を吐いている事実は消えない。
ああ、なんという泥沼……。
(せめてもっと……不誠実で遊びまくってるような……自分勝手な人なら良かったのに)
身体を繋いだわけでもないのに、彼がどんな風に女性を抱くのかよく判った。
元彼とは全然違う。
強引さが愛情だと……なんとなくそんな感じが漂う人だった。関白宣言と言えば聞こえはいいが、そこに相手を思いやる気持ちが無ければそれはただのエゴでしかない。
藤城康晃は違う。
強引で俺様でブリザードだが、自分と同じくらい相手を尊重してくれている。
透明な雫がほろりと目尻を零れ落ち、霞んでいた視界がクリアになる。彼と同じくらい簡潔な寝室にはやはり装飾はほぼ無い。
元彼と、例の戦闘の日々を思い出し、果梨は習慣からぼうっと室内を見渡した。
ふと奥の壁にある棚にチェスの駒が置いてあるのが見えた。
お洒落男子らしく、クリスタルと思しきその駒は全部ではなくキングとクイーンとナイトだけが飾られていた。
そのチョイスに果梨は薄く笑った。
(もちろんポーンは無いわよね)
実に藤城らしい。キングとクイーンを守るように置かれたナイト。その傍に侍らせるものは一切ない。知らず、果梨は苦笑した。
(可哀想なポーン……)
どんなに頑張っても、ナイトにはなれない。そりゃいつの日かクイーンになれるかもしれないがそんな可能性は低いだろう。特に……果梨には。
上掛けを引き上げ、そこに包まりながら果梨は目を閉じた。激しい熱さに侵された身体は、柔らかくいい香りの熱に囚われて落ちて行く。
喜ばせてあげたかった。
そんな言葉がじわりじわりと胸を占めて行く。
彼が本当に大切そうに触れてくれたのだから。同じようにしたかった。目も眩むような快感を与えることなど出来なかったとしても……その努力位はさせて欲しかった……。
「……藤城さんの……」
バカ。
そんな呟きは心地よい疲れと熱にさらわれて、誰の耳にも届かずに落ちて行った。
すやすやと心地よさげに眠る女に、康晃は脱力した。布団から覗く丸くてすべすべした頬が子供の様だ。
(一人だけ気持ちよさげに寝やがって……)
ただ苛立つと同時に康晃は何故か微笑んでしまっていた。知れば知る程この女が判らなくなる。
世慣れた雰囲気は消え、真っ赤になって縋る姿など想像していなかった。
あの日の彼女と何故ここまで違うのか。
(アルコールの所為……か?)
ぽす、とベッドに腰を下ろし、顔に掛かる彼女の髪に手を滑らせる。すべすべした手触りを楽しみながら、康晃は冷えた頭で改めて『あの時』の彼女を思い出してみた。
玄関まで送った康晃に、果穂は突然キスをしてきた。甘ったるいアルコールの香りがするキスを繰り返すうち、気付けば彼女にベッドに押し倒されていた。
後はほぼなし崩し。
だが康晃は彼女を奪うような真似をしなかった。
警戒心が働いたのだ。
自分に全く興味の無いように見えた女が、突然身体の関係を迫って来るのには危険すぎる理由が有るに決まっていると、どこか冷静な理性がはじき出したのだ。
自分に圧し掛かり、リードを奪おうとする果穂を抑え込み、康晃はなだめるように愛撫して濡れた身体を自分の手で解放させた。
どちらも衣服を着たままだ。
果穂がキスを強請って首に腕を回してくる。その耳元に、康晃は絶頂に押し上げられた瞬間放った果穂の言葉を確認した。
「さっき何て言った?」
冷たく凍るような声音に、甘えたがっていた果穂が身を凍らせる。
身を離す康晃を彼女は茫然と見上げ、それから悔しそうにそっぽを向いた。
「結婚してくださいって……いいました」
やっぱりか。
呆れたように溜息に果穂は鋭い眼差しで康晃を見た。
「部長が結婚なんて考えてないことくらい知ってます」
その台詞に思わず鼻で笑いながら、康晃はベッドから降りた。
「でもお互いにメリットが有れば受け入れるでしょう」
掠れた声はやけに断定的で、振り返った彼は果穂をまじまじとみた。ベッドに身を起こした彼女は一時の熱が引き、再び青ざめて見えた。きつく両手を握りしめている。が、康晃の視線を感じたのか彼女はぱっと両手を離すと髪をかき上げ視線を逸らした。
「違うとは言わせません」
極力感情の排除されたその口調に、康晃は苛立った。例えそうだとしても、自分の心情を勝手に推測されて話を進められるのは好きじゃない。
緩く首を振り、康晃は腕を組んでひたと果穂を見据える。
「それなら訊くが、君と結婚するメリットは?」
果穂が顔を上げる。康晃の冷たい眼差しにひるむことなく彼女は彼を見返した。
「どんな事にも従順で、何があっても目を瞑る自信が有ります」
事務的な口調で返され、康晃は何を約束しようとしているのか一瞬判らなかった。気付いて絶句し、それから怒りが湧き上がって来た。
「……つまり、俺が浮気しようがどうしようが関係ないと?」
呆れと軽蔑から口元に笑みが漂う。それを果穂は勘違いしたのか勢いよく頷いた。
「あなたが特定の女性と一緒になりたくないという気持ちは理解しています。だからこそ、社会的に妻が居るというステータスを持ちながら遊んで暮らすことが出来るよう、提案してるんです」
部長がどこで何をしていようと、私は関知しません。
そう勢い込み、ベッドから降りて背筋を伸ばす果穂に康晃が感じたのは嫌悪だけだった。
そして世間に……部下にそうみられているのかと愕然とした。確かに妻帯者であるというだけで仕事上有利になる場合が多い。誰かを養っている、というのはその人間の信頼性を高めるファクターになるのは仕方ないのかもしれない。
だが現在、康晃はそんなファクター無しでもダントツぶっちぎりで優秀なのだ。
その要因の為だけに、偽善的な結婚をする気は無い。
恋愛事に関して彼は冷淡で、抱かれたい、それだけの関係で良い、という後腐れ無い女を常に選んできていた。自分が唯一だと勘違いし、康晃の心を得られたと何の因果か思うような女性はきっぱりと切り捨てて来た。
だがそれは、結婚という制度や恋愛という感情を軽視しているわけではない。
――――その逆だ。
「部長なら、利益の為に結婚する事もいとわないのではないですか?」
こちらを真っ直ぐに見詰める瞳に媚びは無かった。
それが康晃には意外だった。秘められているのはどこか……後が無いという決意。だがそれは目の錯覚かと思うほどすぐに消え、後には艶っぽく溶けたチョコレートのような眼差しが残った。
「それに……私となら楽しめる筈ですよ?」
しなやかな身体を康晃へと向ける果穂に、彼は瞬間冷却よりも素早く冷めた。
「悪いが」
伸びて来る青白く細い腕を振り払い、康晃はふいっと彼女に背を向けた。
「他を当たってくれ」
その足で部屋を出て、それから康晃は気付いたのだ。
彼女自身がどうしてプロポーズをしてきたのか……その理由が明確ではなかった事に。
(結局、気の迷いと俺が嫌いだからというトンチンカンな答えが返って来たんだが……)
髪に飽いた手が続けて柔らかですべらかな頬を撫でて行く。ぴくりと彼女の目蓋が震え、思わず彼は手を止めた。
あんな提案をしてくる女にはどうやっても見えない。まるで別人かと思うほどだ。
そして康晃にプロポーズした本当の理由は判らずじまい。本当に酔っていた為の戯言なのか……。
一瞬だけ見えた不安そうな色を思い出し、再び思考の海に溺れそうになる。その時、軽い呻き声を上げた彼女が、康晃の手に擦り寄った。彼の手をお気に入りのおもちゃのように抱き締めようとする果穂に、康晃の不可解に思う感情がセーブされた。
―――まあ良い。
今の彼女はすごく……物凄く康晃の興味を掻き立てる。
自分をただの冷徹で愛を知らない人間のように扱わない彼女はとても……面白い。
「ったく……」
三月の日差しのような、まだ新しく淡い熱を含んだ声で呟くと、康晃はそっと彼女の身体を抱き寄せながらベッドに潜った。
女を抱き締めるだけなんて……と自分自身に信じられない思いを抱きながら。
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