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新しい目覚め
瑕疵(2023/06/25文章改変)
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夜の帳が落ち、星が瞬く頃にようやく戻ってきたヘルメティアとオラトリオの姿が、エメラルデラの視界に映り込む。
途端、エメラルデラの持ち直し始めていた気分が、一気に地に沈み込んでいく。
心を苛む重さは身体にまでのし掛かるようで、オラトリオとの距離が縮まる程にエメラルデラの頭は下がっていった。そして、ついには膝に顔を埋めてしまう。
竜の姉弟二人の足の行方だけが、膝と腕の合間から伺えた。
ヘルメティアはごく自然にシエスの横を腰を下ろし、オラトリオはエメラルデラの正面に座を占めている。
そのせいで、エメラルデラは余計に顔を上げることができなくなってしまった。
本来であれば竜やピカイアと会話を交わし、明日以降、各々がどうしていくのか…そんな話をしても良かったのかもしれない。
しかし今のエメラルデラには、微塵の余裕もなかった。
俯いていても分かる、目の前の男から注がれる眼差し。
片時も離れようとしない視線が、エメラルデラを追い詰める。…しかも、こいつはただの男ではないのだ。
神々しいまでの整い過ぎた美貌を持つ、自分を番いと定める竜。
─────そして、自分の瑕疵を知る存在
途端にエメラルデラの肌に嫌な汗が滲んだ。
忘れようとしていた記憶が、閉ざした蓋を抉じ開けて一気に噴き上がる。
ピカイアやシエス、ヘルメティア達が交わす談笑が遠ざかり、姿が歪んで消えていくような錯覚に陥った。
エメラルデラは思わず、抱えていた膝を強く抱きしめる。
あれはエメラルデラが、竜を始めて見た日の出来事だった。
竜の争いに巻き込まれたあの日、エメラルデラは養父のテオドールとはぐれてしまっていた。
火から逃れて彷徨う森の中で、不意に茂みから伸びる腕。
そして、複数の男に剥ぎ取られる服と、暴かれたエメラルデラの変異体としての肉体。
男達は一瞬だけ怯えたような顔を見せ、口汚く罵ったかと思えば、好奇心のまま未成熟な身体を弄ぼうとしたのだ。
勿論、エメラルデラも抵抗しようとに暴れた。
滅茶苦茶に手を振り回し、足で懸命に男たちを蹴り上げようともした。
しかし、幼い身体を殴り付けられる痛みは恐怖を生み、口を塞ぐ汚い手が力を奪っていったのだ。
戦争の最中に起こる悲惨な事件を語って聞かせ、注意するよう促してくれてた養父のことを、後悔と共に思い出す。
幼いエメラルデラの思考は酸欠と暴力によって朦朧とし、意識を手離し掛けていた。
目蓋が閉じる、その瞬間。篝火も持った養父の鬼人のような形相が目に入った気がした。
エメラルデラが次に目覚めた時に見たのものは、火に焼かれて爛れたテオドールの顔と、血に濡れながら優しく抱き締めてくれる腕の温かさだった。
テオドールの顔が犠牲になったこと、自分を襲った暴力…未遂であったが────に泣きじゃくった記憶は癒えたように見せかけて、ことあるごとに膿み爛れた内側を覗かせる。
あの時の記憶が、エメラルデラから人を遠ざけさせる。
壁を作らせる。
思い出すと、気分が悪かった。
それも、酷く。
俯くエメラルデラの肩に、不意に何かが触れた。
反射的に思い切り叩き落し、弾かれたように顔を上げると、そこには赤くなった手を庇って握るシエスの驚きに見開かれた眸があった。
額や蟀谷から汗を滴らせ、蒼白となっているエメラルデラの顔色から、更に色が失われていく。
「あ…、…すまない…シエス」
エメラルデラは震える唇を隠すと、ようやく謝罪を絞り出した。
いつもなら考えの読めない紅の眸が、優しく細められる。
柔らかく低められたシエスの声は、エメラルデラを受け止めた。
「大丈夫ですよ、エメラルデラさん。今日は色々ありましたからね、お疲れなのでしょう」
腰を上げたシエスの後に続くよう、ヘルメティアも立ち上がる。
まだ竜の力を上手く制御できていない、生まれたばかりの竜騎に叩かれた手がどうなっているか…内心の心配を押し隠し、ヘルメティアは晴れやかに笑って見せた。
「あたしとシエスはもう寝るわ。あなた達も寝なさいね、ピカイアもこちらにいらっしゃい」
「あ、え…でも…」
エメラルデラとシエスの間を不安そうに行き来していたピカイアの瞳が、ヘルメティアを見上げる。
躊躇するピカイアが ちらり、とオラトリオを振り返ると、鷹揚に頷き、行くように促す姿が見えた。
「で、では行って参ります。何かあればいつでも呼んで下さいね」
「ああ…」
低く穏やかな声で応じるオラトリオへと、ヘルメティアが片手を軽く上げる。
頑張りなさい。
そう声を出さず、唇の動きだけで伝えるとヘルメティアはシエスを伴って歩き出した。
遅れて飛び立つピカイアが時折オラトリオとエメラルデラを振り返っていたが、しばらくすれば足音と気配は完全に遠ざかっていく。
そこでようやく、エメラルデラは平静を取り戻した。
同時に、オラトリオと二人きりになった事実が、一気に現実として迫ってくる。
落ちる沈黙。
空気は重く、肺と胃袋を押し潰すようだった。
焚き火の枯れ枝がはぜて、火の粉を散らす音だけが静寂の中で響く。
しかし、いつまでもこうしてはいる訳にはいかないだろう。
エメラルデラが意を決して口を開こうとした瞬間、オラトリオの声がぽつり、と静寂に波紋を投げかけた。
「すまなかった、主よ」
告げれば、頭を深々と下げるオラトリオの姿が目に止まった。
途端、エメラルデラの持ち直し始めていた気分が、一気に地に沈み込んでいく。
心を苛む重さは身体にまでのし掛かるようで、オラトリオとの距離が縮まる程にエメラルデラの頭は下がっていった。そして、ついには膝に顔を埋めてしまう。
竜の姉弟二人の足の行方だけが、膝と腕の合間から伺えた。
ヘルメティアはごく自然にシエスの横を腰を下ろし、オラトリオはエメラルデラの正面に座を占めている。
そのせいで、エメラルデラは余計に顔を上げることができなくなってしまった。
本来であれば竜やピカイアと会話を交わし、明日以降、各々がどうしていくのか…そんな話をしても良かったのかもしれない。
しかし今のエメラルデラには、微塵の余裕もなかった。
俯いていても分かる、目の前の男から注がれる眼差し。
片時も離れようとしない視線が、エメラルデラを追い詰める。…しかも、こいつはただの男ではないのだ。
神々しいまでの整い過ぎた美貌を持つ、自分を番いと定める竜。
─────そして、自分の瑕疵を知る存在
途端にエメラルデラの肌に嫌な汗が滲んだ。
忘れようとしていた記憶が、閉ざした蓋を抉じ開けて一気に噴き上がる。
ピカイアやシエス、ヘルメティア達が交わす談笑が遠ざかり、姿が歪んで消えていくような錯覚に陥った。
エメラルデラは思わず、抱えていた膝を強く抱きしめる。
あれはエメラルデラが、竜を始めて見た日の出来事だった。
竜の争いに巻き込まれたあの日、エメラルデラは養父のテオドールとはぐれてしまっていた。
火から逃れて彷徨う森の中で、不意に茂みから伸びる腕。
そして、複数の男に剥ぎ取られる服と、暴かれたエメラルデラの変異体としての肉体。
男達は一瞬だけ怯えたような顔を見せ、口汚く罵ったかと思えば、好奇心のまま未成熟な身体を弄ぼうとしたのだ。
勿論、エメラルデラも抵抗しようとに暴れた。
滅茶苦茶に手を振り回し、足で懸命に男たちを蹴り上げようともした。
しかし、幼い身体を殴り付けられる痛みは恐怖を生み、口を塞ぐ汚い手が力を奪っていったのだ。
戦争の最中に起こる悲惨な事件を語って聞かせ、注意するよう促してくれてた養父のことを、後悔と共に思い出す。
幼いエメラルデラの思考は酸欠と暴力によって朦朧とし、意識を手離し掛けていた。
目蓋が閉じる、その瞬間。篝火も持った養父の鬼人のような形相が目に入った気がした。
エメラルデラが次に目覚めた時に見たのものは、火に焼かれて爛れたテオドールの顔と、血に濡れながら優しく抱き締めてくれる腕の温かさだった。
テオドールの顔が犠牲になったこと、自分を襲った暴力…未遂であったが────に泣きじゃくった記憶は癒えたように見せかけて、ことあるごとに膿み爛れた内側を覗かせる。
あの時の記憶が、エメラルデラから人を遠ざけさせる。
壁を作らせる。
思い出すと、気分が悪かった。
それも、酷く。
俯くエメラルデラの肩に、不意に何かが触れた。
反射的に思い切り叩き落し、弾かれたように顔を上げると、そこには赤くなった手を庇って握るシエスの驚きに見開かれた眸があった。
額や蟀谷から汗を滴らせ、蒼白となっているエメラルデラの顔色から、更に色が失われていく。
「あ…、…すまない…シエス」
エメラルデラは震える唇を隠すと、ようやく謝罪を絞り出した。
いつもなら考えの読めない紅の眸が、優しく細められる。
柔らかく低められたシエスの声は、エメラルデラを受け止めた。
「大丈夫ですよ、エメラルデラさん。今日は色々ありましたからね、お疲れなのでしょう」
腰を上げたシエスの後に続くよう、ヘルメティアも立ち上がる。
まだ竜の力を上手く制御できていない、生まれたばかりの竜騎に叩かれた手がどうなっているか…内心の心配を押し隠し、ヘルメティアは晴れやかに笑って見せた。
「あたしとシエスはもう寝るわ。あなた達も寝なさいね、ピカイアもこちらにいらっしゃい」
「あ、え…でも…」
エメラルデラとシエスの間を不安そうに行き来していたピカイアの瞳が、ヘルメティアを見上げる。
躊躇するピカイアが ちらり、とオラトリオを振り返ると、鷹揚に頷き、行くように促す姿が見えた。
「で、では行って参ります。何かあればいつでも呼んで下さいね」
「ああ…」
低く穏やかな声で応じるオラトリオへと、ヘルメティアが片手を軽く上げる。
頑張りなさい。
そう声を出さず、唇の動きだけで伝えるとヘルメティアはシエスを伴って歩き出した。
遅れて飛び立つピカイアが時折オラトリオとエメラルデラを振り返っていたが、しばらくすれば足音と気配は完全に遠ざかっていく。
そこでようやく、エメラルデラは平静を取り戻した。
同時に、オラトリオと二人きりになった事実が、一気に現実として迫ってくる。
落ちる沈黙。
空気は重く、肺と胃袋を押し潰すようだった。
焚き火の枯れ枝がはぜて、火の粉を散らす音だけが静寂の中で響く。
しかし、いつまでもこうしてはいる訳にはいかないだろう。
エメラルデラが意を決して口を開こうとした瞬間、オラトリオの声がぽつり、と静寂に波紋を投げかけた。
「すまなかった、主よ」
告げれば、頭を深々と下げるオラトリオの姿が目に止まった。
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