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第28話 ぼくの引っ越し
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*消費税が上がる!!話
平成元年(1989年)竹下登内閣の時に日本は初めて消費税を導入し、買い物をすると全ての商品に対し3%の消費税がかかることになった。その後の平成7年 (1995年)村山 富市内閣の決定で橋本 龍太郎内閣の時に消費税はさらに5%まで引き上げられた。当時、それを知ったたっちゃんから、
「けんちゃん見て見て、凄いもの買ったんだ。これで消費税が上がっても絶対に大丈夫なんだよ!!」見ると彼は、大事そうに何か小さなものを握りしめている。
「それって切符?」
「うん!500円の切符を2枚買っておいたんだ。これでどこへ行くにも安心だよ」
ぼくは“運賃が違うのでその場に応じた値段の切符を買うべきなのでは?”ということと“切符はその日しか使えない決まりがあるのでは?”ということをほぼ同時に思った。それに消費税が上がっても恐らく『10円ほど』しか運賃は違わず、“今買っておく意味は全然ないんじゃないか”とも思った。
だが、切符は購入から3日ほど経っていて、今さら交換してもらえないだろうし、たっちゃんが『あまりにも』喜んでいるので、なんだか言い出し辛くなって、
「そっかーそれなら安心だね」と言って茶をにごすことにした。
それから、たっちゃんの家に遊びに行くたびに例の切符を見せられたので、いつか彼が切符を使ってガッカリしてしまうんじゃないかと思ってヒヤヒヤしていたのであった。
*たっちゃん家にお泊りした話
3年生の3学期に、ぼくら家族にとって衝撃的な知らせがあった。それは父の仕事の都合での『転勤』であり、4年生になるタイミングで、あの『阪神淡路大震災』があった『神戸』への転校が決まってしまったのだ。
当時から日本では転居を伴う全国転勤というものが一般的に許されており、全国規模の保険会社に勤めていて、エリートであった父からすれば、会社から打診されれば従う他ないと考えたのであろう。
だが、個人的には外国では禁止している所もあるくらいだから、本人が希望していなくても転勤させるのは『凄く良くないこと』だと思っている。その代わり家を会社から貸してもらえたり、給与面では待遇が良かったりするのだが、この『転勤族』と呼ばれる人たちにとっては、辛い現実でもあった。
そして、一番仲が良かったたっちゃんにそのことを言うとかなり驚かれ、なんと後日たっちゃん家で、お別れの意味を込めて『お泊り会』をやることになった。と言っても特段何をするわけでもなく、ただぼくがパジャマと歯ブラシと、母から持たせてもらったお菓子を持って、たっちゃんの家に遊びに行かせてもらい、そのまま泊って帰るというだけのものだった。
夕飯の時にはたっちゃんのお父さんが帰って来て初めて顔を合わせ、7人で食卓を囲んだのは賑やかで凄く楽しかった。そして、たっちゃんの部屋に行き、ベットの横に敷いてもらっていた布団の上に、ぼくは寝ることになるようだった。
学校での話や、今度発売されるゲームの話などで一通り盛り上がったあと、順番に風呂に入ってから、そろそろ電気を消して寝ようかという話になった。だが、たっちゃんのお母さんから促されても、なんだか名残惜しいような感じがして、なかなか踏ん切りがつかないでいた。
「もう会えなくなるなんて寂しいよね」
「そうだね。3年生になってから、ぼくらだいたい一緒に遊んでたもんね」
あと半月もすれば、こんなに一緒にいたというのに全く会えなくなってしまうと思うと、なんだか二人ともしんみりしてしまった。
「ねえ、けんちゃん『文通』しない?」
「『文通』か~。いいね、やろう!」
この頃はまだ携帯電話が全然普及していなかった時代であり、雑誌や新聞に『文通募集の記事』があったりした。一般人やなんと有名人までも、住所や連絡先がまるまる載っていることも珍しくはなく『文通』というものがわりと普通に行われていた。
これから手紙で話せると考えると、なんだか寂しくないような気もして、その日は安心して床に就くことができた。そして次の日の朝、たっちゃんの家族にお礼を言って、日曜日だったので11時頃に、ちょっとした冒険を終えたような気分で自分の家に帰って行った。
*ぼくの引っ越しの話
3年生の3学期が終わるとぼくは転校の準備をするため、荷造りを行っていた。住み慣れた家を離れるのは寂しかったが、家族と一緒なのでそれほど不安には感じていなかった。あすみが丘ではこの時期、転校して行く子と転入して来る子が大勢いて、仲のいい子が引っ越しで出て行く時には見送りをしてあげることが多かったのだが、“まさかこんなに早く自分の番が回って来るとは”と思ったりもしていた。
父の転勤は恐らく震災と無関係ではなく、神戸で『人が足りなくなっている』ことでの移動であると考えられた。この時にちょうど盛り上がっていた『千葉市の人口が100万人を突破するかも』という話は、実は2010年代になっても達成されることはなく、“あの時もし震災が起きていなくて、千葉に残って人口100万人を一緒に迎える未来はどんなものだったのかな?”と考えたりもする。
ただ、それを一緒に迎えられないのは残念だったけれど、仲の良かった子がみんな見送りに来てくれたのは嬉しかった。みんなともう会えないと思うと、とても悲しい気持ちになって、“最後にしょうちゃんともう一度会いたかったな”とも思っていた。
はたの、かわのくん、もっちゃん、かめちゃん、つるちゃん、たっちゃん、のみやくん、やべくん、とみさんが見送りに来てくれて、みんなと一言ずつ交わして引っ越しのトラックを見送ってから、土気駅へと向かうタクシーに乗り込むときには、少し泣きそうになった。けど、みんなの前では笑って別れようと
「これで最後じゃないよ、いつかまたみんなで会おう」とだけ言って別れを告げた。タクシーの中から外の景色を眺め、これが土気を見る最後かと思うとかなり寂しい気持ちでいっぱいだった。
平成元年(1989年)竹下登内閣の時に日本は初めて消費税を導入し、買い物をすると全ての商品に対し3%の消費税がかかることになった。その後の平成7年 (1995年)村山 富市内閣の決定で橋本 龍太郎内閣の時に消費税はさらに5%まで引き上げられた。当時、それを知ったたっちゃんから、
「けんちゃん見て見て、凄いもの買ったんだ。これで消費税が上がっても絶対に大丈夫なんだよ!!」見ると彼は、大事そうに何か小さなものを握りしめている。
「それって切符?」
「うん!500円の切符を2枚買っておいたんだ。これでどこへ行くにも安心だよ」
ぼくは“運賃が違うのでその場に応じた値段の切符を買うべきなのでは?”ということと“切符はその日しか使えない決まりがあるのでは?”ということをほぼ同時に思った。それに消費税が上がっても恐らく『10円ほど』しか運賃は違わず、“今買っておく意味は全然ないんじゃないか”とも思った。
だが、切符は購入から3日ほど経っていて、今さら交換してもらえないだろうし、たっちゃんが『あまりにも』喜んでいるので、なんだか言い出し辛くなって、
「そっかーそれなら安心だね」と言って茶をにごすことにした。
それから、たっちゃんの家に遊びに行くたびに例の切符を見せられたので、いつか彼が切符を使ってガッカリしてしまうんじゃないかと思ってヒヤヒヤしていたのであった。
*たっちゃん家にお泊りした話
3年生の3学期に、ぼくら家族にとって衝撃的な知らせがあった。それは父の仕事の都合での『転勤』であり、4年生になるタイミングで、あの『阪神淡路大震災』があった『神戸』への転校が決まってしまったのだ。
当時から日本では転居を伴う全国転勤というものが一般的に許されており、全国規模の保険会社に勤めていて、エリートであった父からすれば、会社から打診されれば従う他ないと考えたのであろう。
だが、個人的には外国では禁止している所もあるくらいだから、本人が希望していなくても転勤させるのは『凄く良くないこと』だと思っている。その代わり家を会社から貸してもらえたり、給与面では待遇が良かったりするのだが、この『転勤族』と呼ばれる人たちにとっては、辛い現実でもあった。
そして、一番仲が良かったたっちゃんにそのことを言うとかなり驚かれ、なんと後日たっちゃん家で、お別れの意味を込めて『お泊り会』をやることになった。と言っても特段何をするわけでもなく、ただぼくがパジャマと歯ブラシと、母から持たせてもらったお菓子を持って、たっちゃんの家に遊びに行かせてもらい、そのまま泊って帰るというだけのものだった。
夕飯の時にはたっちゃんのお父さんが帰って来て初めて顔を合わせ、7人で食卓を囲んだのは賑やかで凄く楽しかった。そして、たっちゃんの部屋に行き、ベットの横に敷いてもらっていた布団の上に、ぼくは寝ることになるようだった。
学校での話や、今度発売されるゲームの話などで一通り盛り上がったあと、順番に風呂に入ってから、そろそろ電気を消して寝ようかという話になった。だが、たっちゃんのお母さんから促されても、なんだか名残惜しいような感じがして、なかなか踏ん切りがつかないでいた。
「もう会えなくなるなんて寂しいよね」
「そうだね。3年生になってから、ぼくらだいたい一緒に遊んでたもんね」
あと半月もすれば、こんなに一緒にいたというのに全く会えなくなってしまうと思うと、なんだか二人ともしんみりしてしまった。
「ねえ、けんちゃん『文通』しない?」
「『文通』か~。いいね、やろう!」
この頃はまだ携帯電話が全然普及していなかった時代であり、雑誌や新聞に『文通募集の記事』があったりした。一般人やなんと有名人までも、住所や連絡先がまるまる載っていることも珍しくはなく『文通』というものがわりと普通に行われていた。
これから手紙で話せると考えると、なんだか寂しくないような気もして、その日は安心して床に就くことができた。そして次の日の朝、たっちゃんの家族にお礼を言って、日曜日だったので11時頃に、ちょっとした冒険を終えたような気分で自分の家に帰って行った。
*ぼくの引っ越しの話
3年生の3学期が終わるとぼくは転校の準備をするため、荷造りを行っていた。住み慣れた家を離れるのは寂しかったが、家族と一緒なのでそれほど不安には感じていなかった。あすみが丘ではこの時期、転校して行く子と転入して来る子が大勢いて、仲のいい子が引っ越しで出て行く時には見送りをしてあげることが多かったのだが、“まさかこんなに早く自分の番が回って来るとは”と思ったりもしていた。
父の転勤は恐らく震災と無関係ではなく、神戸で『人が足りなくなっている』ことでの移動であると考えられた。この時にちょうど盛り上がっていた『千葉市の人口が100万人を突破するかも』という話は、実は2010年代になっても達成されることはなく、“あの時もし震災が起きていなくて、千葉に残って人口100万人を一緒に迎える未来はどんなものだったのかな?”と考えたりもする。
ただ、それを一緒に迎えられないのは残念だったけれど、仲の良かった子がみんな見送りに来てくれたのは嬉しかった。みんなともう会えないと思うと、とても悲しい気持ちになって、“最後にしょうちゃんともう一度会いたかったな”とも思っていた。
はたの、かわのくん、もっちゃん、かめちゃん、つるちゃん、たっちゃん、のみやくん、やべくん、とみさんが見送りに来てくれて、みんなと一言ずつ交わして引っ越しのトラックを見送ってから、土気駅へと向かうタクシーに乗り込むときには、少し泣きそうになった。けど、みんなの前では笑って別れようと
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