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第二合

第24話

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 炊飯に関してもど素人な俺のために小町先生が用意してくれたのは、小さなコップみたいな計量カップと、ボールと、冷蔵庫から取り出してきた米びつと水。


「手順は簡単。専用の計量カップでぎりぎりになるまで米を取り、ボールで洗う」


 小町先生はバニー姿で胸の谷間を直しつつ言う。
 忘れてはならないがずっとこの格好のままだ。着替える気配がない。
 洗米のやり方はなんとなく想像できていたがわからないこともある。


「そのカップを何杯入れればいいんですか?」
「食べたい分だけだ」
「それじゃわかりませんが」
「ああそうだったな。そこから教えないといけないか。この計量カップは炊飯器を買えば必ず付属してくるもので、一杯を一合と呼ぶ」
「一合」
「一合は150g。ちょうど一食分、茶碗一杯分ってことだ」
「そっか。なら一合はごはん一杯って憶えればいいんですね」
「話は最後まで聞くように。米は水に浸して炊飯する。そのときの水分を吸収して150gは出来上がる頃にはふっくらと膨れ上がり300gちょっとになる」
「だいたい倍ってことですか」
「そう。だから一合は茶碗二杯分と憶える」
「なるほど」


 一合は茶碗二杯分。めもめも。


「じゃあ問題だ。ふたりが一日に三杯ずつ食べたい場合は何合が必要だ?」
「えっと、六回分だから、三合ですね」
「よろしい。ただ大盛りを食べることやおかわりも計算に入れるのを忘れるなよ。余ったらラップで包んで冷凍すればあとで食べれるが、ないのはいかんともし難いからな」
「正確すぎるのは駄目ってことですね」
「節約したいならともかく、余分にいくらか炊くのが基本だ。では今回は二合としようか」
「了解」


 俺は計量カップの限界まで米を汲み取りボールに二回分しっかり入れる。


「そして水道水で洗う。正確にはとぐだけどな」
「普通に洗えばいいんですよね?」
「といで水が白く濁ったら捨てる。その繰り返しだ。ポイントはふたつ。強くやると痛むから優しく混ぜるように。と、最初に使った水はすぐ捨てる」
「最初の水はすぐ捨てる?」
「乾燥している米は水をすぐ吸収しようとする。濁った水さえもな」
「あ、だから」
「あとは好きにとげばいい」


 恐る恐る俺はやってみる。
 水で洗いすぐ捨てる。
 また水を入れて軽く洗い捨てる。
 透明な水は手を動かすほどすぐ白濁していった。
 ふとここで素朴な疑問が湧く。


「あのーこれ何回やればいいんでしょう。いくら洗っても透明になる気配がないような。キリがないような」
「完全な透明は目指さなくていい。最近の精米技術はいいからそこまでやらなくていいんだ。三回、多くても四回。やや透き通っていればそれでいい」
「ではもうこれくらいでいいんですかね」
「結構だ。ここでの備考としていくつか付け加えておく。いまお前が使ったのはボールだ。すると終わったら釜に移し替えなくてはならない。それが億劫な人は元から釜に米を入れてとぐんだが、そうすると釜のコーディングが剥がれる一因にもなるからおすすめはしない。炊飯器を長持ちさせたいなら別のボールでとぐこと。それと米は手で洗うと寒い冬や手荒れなどで困ることがある。そのときは米とぎ棒を買うか、手袋を買って使うといい。まあ一番はとがなくていい割高な無洗米を買うことだがな。それで煩わしいすべてが解決する」
「無洗米つえー。なら無洗米一択じゃないですか?」
「いや種類がまだまだ少ないし、味や風味が落ちるという人もいるからそうでもない」
「やっぱりデメリットがありますよねー」
「さあ続きだ」


 俺はボールから釜に米を移す。
 その際に移し損なった細かい米粒を集めるのにちょっと苦労した。
 おかげでひとつだけ釜のまま米を洗う人の気持ちがわかった気がする。


「おうけーっす」
「最後に水」
「ここでもミネラルウォーターですか?」
「水道水のほうがいいという人もいる。日本の水道水は海外に比べて質がいいからそれでもいいんだが、一方で塩素からくるカルキ臭という不安要素があるからそのほうがベストだろうな。空のペットボトルがたくさん出てしまうことが難点だが」
「水の量はどれくらい入れれば?」
「釜の内側には線と数字が書かれているはずだ」
「あります」


 理屈は計量カップと同じようだ。


「そのまま1なら一合、2なら二合、3なら三合という線引きになっている」
「ということは今回は二合だから2のラインまで水を入れるんですね」
「そういうことだな」


 俺は二合の米が入った釜にどぼどほと水を入れていく。
 水位は2。


「出来ました」
「あとは釜を炊飯器に戻して炊飯のスイッチを押して待つだけだ」
「やった」


 セットを完了し俺は自らの手で炊飯ボタンに触れる。
 すぐピーという音がして炊飯器が可動した。
 初体験なのでちょっとした感動がある。


「これで基本的なごはんの炊き方はマスターだな。上級テクニックを活用したければ説明書で書いてある」
「これってどれくらいで炊けるもんなんですか?」 
「通常モードなら五十分くらいが各社の平均値だな」
「通常意外にもあるんですか?」
「炊き方モードの変更でいろいろある。あまり使わないがな。だがひとつだけ頻繁に使うことになるかも知れないモードがある。それが早炊きモードだ」
「それだと早く炊けるってことですね」
「そう。どうしてもすぐ炊きたいとか、しまったスイッチ入れ忘れたーとかそういうときに活用する」
「どれくらい早くなるんですか?」
「うーん、三十分くらいで炊けたりするかな」
「え、そんなに。おかしくないですか。それが出来るなら最初からそのモードで炊けばいいじゃないですか? ちゃんと炊けるんですよね?」
「ごもっともだな。だがそううまい話もないんだ。というのも通常モードは米をゆっくり水に浸し水の温度を上げる余熱、沸騰、完成までの温度維持、蒸らしという四つの過程から成り立っている。そのうち余熱と蒸らしを省いたものが早炊きモードなんだ」
「つまり最低限の機能だけで炊いてるってことか」
「浸し、余熱、蒸らしがないとそれだけ炊きムラが出来てしまう」
「やっぱり緊急用かー」
「そうだな。でも逆に考えれば予め炊飯前に水に浸しておいて、炊きあがってから放置しておけば遜色ないレベルのものを早炊きでも作れるということだ」
「ああ、そうか。そういう使い方もあるんだ」
「もともと米を水に浸しておくと美味しくなるっていうのは有名な話なんだよ。そのせいか最近の最新機種には浸さずにすぐ炊飯ボタンを押してほしいと説明書に書いてある。難儀なことだ」
「どういう意味ですか?」
「通常モードの五十分には浸す時間も含まれているから余計なことはせんでいいって意味さ」
「したらどうなります?」
「べっちゃりしたものが出来る可能性があるな」
「よかれと思ってやったことが仇になるわけですか」
「だから自己流に走らず説明書はちゃんと読んでおけよ。保証書と一緒に渡すから」
「もちろんです。失敗したくないんでしっかり読んでおきます」
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