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弱っていく体
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氷の刃のような冴えた目から目を逸らす事すら出来ずに硬直していると、意外にも、八鬼は何も言わずに踵を返していった。
「――――――……」
緊張感が一気に解けて、その場に崩れ落ちた。
頭にあるのは、一日でも早く帰りたい――。そればかりだった。
どんな風の吹き回しか、八鬼はその日も、次の日も僕に触ろうとしなかった。僕と噂になって、馬鹿げた真似をしたって後悔しているのだろうか。とにかく、この学校に登校して始めて、ゆっくりと体を休めることができた。
「羽鳥、先生が、校長室に来なさいってさ」
心待ちにしていた両親が訊ねてくる日、放課後に野山が僕にそう教えてくれた。
「うん、判った……。ありがとう」
普通に入学して、普通の生活を送っていくはずだったのに、ここ数週間で僕自身ががらりと変わってしまった。以前の僕だったら、高校中退なんてそれだけで人生の落伍者みたいな大変な挫折みたいに思っていたのに、今は、すぐにでも辞めたいと思う。
地味で、どこにでもいる、普通の、いや、普通よりももっと目立たない生徒のはずだったのに。どこでどう間違っちゃったんだろう。
鞄を持って、ふらふらしながら校長室へ向かう。
ろくに食べて居ない上に、連日八鬼の相手をさせられてたせいで、体力は酷く低下していた。
校長室のやたらと豪華なドアをノックする。
「どうぞ」
担任の声が低く響いてきた。
「失礼します……」
入った途端、頬を殴られ背中からドアに叩きつけられた。
「な……なに…………?」
わけもわからず呆然としていたが、頭のどこかが「最近良く殴られるな」なんて冷静に振り返る。
「お父さん、落ち着いてください!」
担任の中年の教師が、お父さんの体を掴んでソファに引き戻そうとしている。
「俺は、お前をこんなろくでなしに育てた覚えはないぞ、夏樹! この、馬鹿息子が!!」
「お父さん、やめて頂戴。先生の前で恥ずかしい」
お母さんが言うと、お父さんは興奮冷めやらぬ様子ながらもソファに腰を下ろした。
「夏樹君、そっちのソファに座って」
先生にすすめられるまま、柔らかなソファに腰掛けた。
「ご両親から聞いたんだけど、君は学校を辞めたがっているそうだね。まだ入学して一ヶ月も経って居ないのに、どうして辞めたいだなんて思うんだい?」
先生が僕の顔を覗きながら、優しい声で聞いてきた。
僕は。
しょっちゅう八鬼に殴られてたから、口の端や頬が腫れ上がってることもあった。
体操服に着替えれば、痣だって曝け出されてた。
先生達が知らないはずない。声ばかりの優しさに息が詰まって声が出なくなる。
僕を宛がっておけば八鬼が大人しいから。先生達は、見てみぬふりをしている。
八鬼は、あんな乱暴者のくせに、有名な企業家の嫡子だと誰かが噂していた。
言われて見れば、『八鬼グループ』の名は僕も聞き覚えがあった。
金融や保険関係会社を抱える一大グループだ。
彼の不興を買えば、学校側が相手だろうと、いつ裁判沙汰になってもおかしくない。それこそ八鬼側は弁護団の一つや二つ簡単に用意してくるだろう。
僕みたいな存在は学校としてもありがたいに違いない。
は。息を吐くばかりで、吸えない。呼吸が出来ない。緊張に指が震える。冷や汗が浮いてくる。説明を、しないと。
必死になって声を出すように体に命令を続けてる最中に、お父さんが大声で息巻く。
「どうせ、家が恋しくなったんだろうが。全寮制の学校だから遊びにも行けなくて不満なんだろうが!」
「お――――お父さん」
やっと声が出た。
でも――どうやって説明すればいい?
男に襲われるんです。
毎晩、犯されるんです。
だから、帰りたい。
そんなことを言って、この父が、母が、僕を受け入れてくれるだろうか?
――――無理だ。
汚いって言われて、親子の縁を切るって言われて、罵られて、終わる。
家に入れてくれるはずもない!
ドクン、って、心臓が軋んだ。
「芳雄に余計なことを吹き込まれたんだな!! その髪も、茶色に染めてチャラチャラして恥ずかしいと思わんのか」
喉の奥まで上がってきたんじゃないかってぐらいに心臓の音が激しくなる。
は、は、は、って呼吸が短く細くなる。
帰りたい理由を話せば、今よりずっとずっと悲しくなって苦しくなって、状況は何も変わらないまま――いいや、ますます酷くなる。
「何とか言わんか!」
父さんの手が僕の手首を掴んだ。
そして、ぎくりとしたように、すぐさま離す。
「なんだこの手は、女みたいに痩せているじゃないか」
ここのところ、ご飯をまともに食べた記憶がないんだから痩せていないはずがなかった。
「そうかわかったぞ。学校の飯が不味いから食えないとでもいうつもりだな? 母親の手料理じゃないと食えないなぞ情けないほど自立できていないんだなお前は。みっともない!!!」
また横面を張られ、ソファの上に倒れ込んだ。口の中が切れたのか血の味が充満してくる。
「お父さん、落ち着いて」
「いいか、もう一度辞めたいなんて言ってみろ! お前を二度と俺の息子だとは思わんからな!! 家に逃げ帰ってきても無駄だぞ、敷居は絶対に跨がせん!!」
父さんは足音高く出て行った。
のろのろと体を起こす。
「夏樹、お父さんの言い方は悪いけど、私もお父さんと同じ意見ですからね。ね、貴方は芳雄とは違うでしょう? 頑張れるわよね。高校ぐらいちゃんと出ておかないと、大学にも行けないのよ? たったの三年間なんだから頑張りなさいね」
お母さんは捲くし立て、お父さんを追っていった。
たった三年?
僕の体は一ヶ月もしない間にぼろぼろになってしまったのに、三年も持つはずないよ。
高校ぐらいちゃんと出ておかないと大学にもいけない?
今の僕にそんな先の心配をしてどうするんだろ。
命が半年持つかどうかも判らないのに。
先生がなにかいっていたけど、ぼんやりとした僕の頭には話の内容なんて聞き取れなかった。
幽霊のようにゆらりと立ち上がって、僕も生徒指導室を出た。
「――――――……」
緊張感が一気に解けて、その場に崩れ落ちた。
頭にあるのは、一日でも早く帰りたい――。そればかりだった。
どんな風の吹き回しか、八鬼はその日も、次の日も僕に触ろうとしなかった。僕と噂になって、馬鹿げた真似をしたって後悔しているのだろうか。とにかく、この学校に登校して始めて、ゆっくりと体を休めることができた。
「羽鳥、先生が、校長室に来なさいってさ」
心待ちにしていた両親が訊ねてくる日、放課後に野山が僕にそう教えてくれた。
「うん、判った……。ありがとう」
普通に入学して、普通の生活を送っていくはずだったのに、ここ数週間で僕自身ががらりと変わってしまった。以前の僕だったら、高校中退なんてそれだけで人生の落伍者みたいな大変な挫折みたいに思っていたのに、今は、すぐにでも辞めたいと思う。
地味で、どこにでもいる、普通の、いや、普通よりももっと目立たない生徒のはずだったのに。どこでどう間違っちゃったんだろう。
鞄を持って、ふらふらしながら校長室へ向かう。
ろくに食べて居ない上に、連日八鬼の相手をさせられてたせいで、体力は酷く低下していた。
校長室のやたらと豪華なドアをノックする。
「どうぞ」
担任の声が低く響いてきた。
「失礼します……」
入った途端、頬を殴られ背中からドアに叩きつけられた。
「な……なに…………?」
わけもわからず呆然としていたが、頭のどこかが「最近良く殴られるな」なんて冷静に振り返る。
「お父さん、落ち着いてください!」
担任の中年の教師が、お父さんの体を掴んでソファに引き戻そうとしている。
「俺は、お前をこんなろくでなしに育てた覚えはないぞ、夏樹! この、馬鹿息子が!!」
「お父さん、やめて頂戴。先生の前で恥ずかしい」
お母さんが言うと、お父さんは興奮冷めやらぬ様子ながらもソファに腰を下ろした。
「夏樹君、そっちのソファに座って」
先生にすすめられるまま、柔らかなソファに腰掛けた。
「ご両親から聞いたんだけど、君は学校を辞めたがっているそうだね。まだ入学して一ヶ月も経って居ないのに、どうして辞めたいだなんて思うんだい?」
先生が僕の顔を覗きながら、優しい声で聞いてきた。
僕は。
しょっちゅう八鬼に殴られてたから、口の端や頬が腫れ上がってることもあった。
体操服に着替えれば、痣だって曝け出されてた。
先生達が知らないはずない。声ばかりの優しさに息が詰まって声が出なくなる。
僕を宛がっておけば八鬼が大人しいから。先生達は、見てみぬふりをしている。
八鬼は、あんな乱暴者のくせに、有名な企業家の嫡子だと誰かが噂していた。
言われて見れば、『八鬼グループ』の名は僕も聞き覚えがあった。
金融や保険関係会社を抱える一大グループだ。
彼の不興を買えば、学校側が相手だろうと、いつ裁判沙汰になってもおかしくない。それこそ八鬼側は弁護団の一つや二つ簡単に用意してくるだろう。
僕みたいな存在は学校としてもありがたいに違いない。
は。息を吐くばかりで、吸えない。呼吸が出来ない。緊張に指が震える。冷や汗が浮いてくる。説明を、しないと。
必死になって声を出すように体に命令を続けてる最中に、お父さんが大声で息巻く。
「どうせ、家が恋しくなったんだろうが。全寮制の学校だから遊びにも行けなくて不満なんだろうが!」
「お――――お父さん」
やっと声が出た。
でも――どうやって説明すればいい?
男に襲われるんです。
毎晩、犯されるんです。
だから、帰りたい。
そんなことを言って、この父が、母が、僕を受け入れてくれるだろうか?
――――無理だ。
汚いって言われて、親子の縁を切るって言われて、罵られて、終わる。
家に入れてくれるはずもない!
ドクン、って、心臓が軋んだ。
「芳雄に余計なことを吹き込まれたんだな!! その髪も、茶色に染めてチャラチャラして恥ずかしいと思わんのか」
喉の奥まで上がってきたんじゃないかってぐらいに心臓の音が激しくなる。
は、は、は、って呼吸が短く細くなる。
帰りたい理由を話せば、今よりずっとずっと悲しくなって苦しくなって、状況は何も変わらないまま――いいや、ますます酷くなる。
「何とか言わんか!」
父さんの手が僕の手首を掴んだ。
そして、ぎくりとしたように、すぐさま離す。
「なんだこの手は、女みたいに痩せているじゃないか」
ここのところ、ご飯をまともに食べた記憶がないんだから痩せていないはずがなかった。
「そうかわかったぞ。学校の飯が不味いから食えないとでもいうつもりだな? 母親の手料理じゃないと食えないなぞ情けないほど自立できていないんだなお前は。みっともない!!!」
また横面を張られ、ソファの上に倒れ込んだ。口の中が切れたのか血の味が充満してくる。
「お父さん、落ち着いて」
「いいか、もう一度辞めたいなんて言ってみろ! お前を二度と俺の息子だとは思わんからな!! 家に逃げ帰ってきても無駄だぞ、敷居は絶対に跨がせん!!」
父さんは足音高く出て行った。
のろのろと体を起こす。
「夏樹、お父さんの言い方は悪いけど、私もお父さんと同じ意見ですからね。ね、貴方は芳雄とは違うでしょう? 頑張れるわよね。高校ぐらいちゃんと出ておかないと、大学にも行けないのよ? たったの三年間なんだから頑張りなさいね」
お母さんは捲くし立て、お父さんを追っていった。
たった三年?
僕の体は一ヶ月もしない間にぼろぼろになってしまったのに、三年も持つはずないよ。
高校ぐらいちゃんと出ておかないと大学にもいけない?
今の僕にそんな先の心配をしてどうするんだろ。
命が半年持つかどうかも判らないのに。
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幽霊のようにゆらりと立ち上がって、僕も生徒指導室を出た。
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