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弱っていく体
「なんでもいいから食え」
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僕への緩慢な死刑が始まった。
どこにも逃げられない――――。
兄さんがなぜ苦労するのを判っていて大学行きを蹴り、彼女や友達の家を放浪して回るような生活をしているのか、理解できた。
あそこは家じゃない。父と母の虚栄心で築き上げた夢の一部なんだ。
僕は真面目で良い子でなければ、あの二人の傍にいることを許されない。弱くて助けを求めようとしている僕は、いらない子で。
いつの間にか僕は、寮の部屋の前に立っていた。
僕の死刑執行場。
一日でも早く、その日が来ますように。
余り長い間苦しみたくない。
早く、開放されたい。
「おい」
後ろから声をかけられて、のろのろと振り返った。
見慣れたくもなかったのに見慣れてしまった巨体が立っている。
「酷ぇ顔だぞ」
そういえば通り過ぎる人間が片っ端から僕を振り返っていたっけ。父さんから殴られた頬が腫れてるのかな。
でも、こいつが僕の傷を気にするような台詞を吐くなんて珍しい。
「だからなんだよ。お前だって僕を何度も殴ったくせに」
殴られるのを覚悟でいい放ったのに珍しく激昂しなかった。腕を捕まれ洗面所へ連れて行かれる。コップに水を汲むと、粉を落として僕に持たせた。
「塩水だ。口を濯げ。多少染みるがすぐに傷が塞がる」
え?
驚きすぎて八鬼を凝視してしまった。
「いちいち見るんじゃねえ」
八鬼が不快そうに唇を歪める。
見慣れた表情にどこか安心して口を漱ぐ。結構な出血量で、吐き出した水は真赤だった。
痛むが、どうせ何も食べないから不便は無い。多少腫れたって男だからどうってことないし。
部屋着に着替えて布団へ潜り込む。やられるかな。そう覚悟はしていたのだが、八鬼は僕の予想を裏切って部屋から出て行った。
悲しい夢を見た。
とてつもなく悲しかった。
暗い色の絵の具を水も無くかき回したような、混沌とした渦の中に、ただ悲しさだけが溢れかえっていて、夢を見ながら僕は泣いていた。
(兄さん、兄さん)
泣きながら喚き散らす。
こうなった今(夢の中では、こうなったの意味も良く判らなかったけど)、頼れるのは兄だけだった。
でも、兄は自分が生きるので手一杯で、縋りつこうと伸ばした手を引っ込めた。
二人で堕ちる必要はない。
自由になった兄はしあわせになる権利がある。堕ちるのは、僕だけでいい――――。
「起きろ」
堕ちていく、まさにその瞬間、体を揺すぶられて飛び起きた。といっても飛び起きたのは意識だけで、衰弱した体はぐったりとベッドに埋まったままだ。
――――? 顔に違和感があった。触ってみると殴られた頬にシップが貼られてた。
誰が貼ってくれたんだろう……?
「座れ」
八鬼がまた短く命令した。まさか、八鬼が?
どこから持ってきたのか、部屋の真ん中に丸いテーブルが陣取っている。ご丁寧に、椅子もニ脚あった。
テーブルの上には晩御飯のトレイが二つ。
メニューはカレーライスと餃子とお味噌汁と、デザートの桃とパインのかけら。
油分の多い食べ物が並んでいるのを見たせいか、ただでさえ食べ物を受け付けない胃が疼きだした。
「なんでもいいから食え」
「……食欲がないんだ」
「食え」
繰り返し命令され、僕は仕方なく椅子に座った。
一番無難なフルーツをフォークで刺す。
漬物用の小皿に乗った小さな破片だというのに、口の中に痛みもあって食べるのに物凄く時間がかかってしまう。
八鬼がカレーを食べ終わるのと、僕がフルーツを食べ終わるのは同時だった。
「ほら」
八鬼の分のフルーツがトレイの端に置かれた。
「え、いらない……」
「食え」
お腹が一杯で食べられないんだ。
なんて伝えても無駄だろう。
自分でも呆れるぐらいに時間が掛かってしまったけど、どうにか全部を食べきった。
◇◆◇
翌日の朝、昨日食べたフルーツがまだそのまま胃の中を転がっているみたいな不快感があって、体を起こすのも辛かった。
どうにか起き上がり食堂で朝ごはんを受け取る。
誰とも話したくなかったから、一人で端の席に座った。
ご飯……。食べたくない。部屋に居るのが嫌でここにきたけど、胃が焼けるように痛くて何も入りそうに無かった。
辛うじて白菜のお漬物を一欠片齧る。
それだけでお腹が一杯になった。
朝ごはん無駄になっちゃったな。食べ物勿体無いから、誰か貰ってくれないかな。
カタン。いつかと同じように、僕の前の席が動いた。
八鬼だ。
「食え」
お漬物の入った小皿を僕のトレイに乗せる。
無理だ。
自分の分も食べられないのに。
いつかみたいに怒鳴る元気も無くて、首を振って無理だって伝える。
「駄目だ。食え」
睨まれて、繰り返される。
それでも無理なものは無理だった。
「ほら」
また、箸で口の前に差し出される。
白と緑が綺麗な白菜のお漬物だ。
大好きなお漬物だけど、今はどうしても食べられない。これ以上胃に入れたらパンクしてしまう。
もう一度、首を振る。
「いいから食え!」
八鬼が怒鳴り、食堂がしんと静まり返る。
八鬼が差し出した箸を見る。
口が、開かない。
僕はまた、首を振るしか出来なかった。
どこにも逃げられない――――。
兄さんがなぜ苦労するのを判っていて大学行きを蹴り、彼女や友達の家を放浪して回るような生活をしているのか、理解できた。
あそこは家じゃない。父と母の虚栄心で築き上げた夢の一部なんだ。
僕は真面目で良い子でなければ、あの二人の傍にいることを許されない。弱くて助けを求めようとしている僕は、いらない子で。
いつの間にか僕は、寮の部屋の前に立っていた。
僕の死刑執行場。
一日でも早く、その日が来ますように。
余り長い間苦しみたくない。
早く、開放されたい。
「おい」
後ろから声をかけられて、のろのろと振り返った。
見慣れたくもなかったのに見慣れてしまった巨体が立っている。
「酷ぇ顔だぞ」
そういえば通り過ぎる人間が片っ端から僕を振り返っていたっけ。父さんから殴られた頬が腫れてるのかな。
でも、こいつが僕の傷を気にするような台詞を吐くなんて珍しい。
「だからなんだよ。お前だって僕を何度も殴ったくせに」
殴られるのを覚悟でいい放ったのに珍しく激昂しなかった。腕を捕まれ洗面所へ連れて行かれる。コップに水を汲むと、粉を落として僕に持たせた。
「塩水だ。口を濯げ。多少染みるがすぐに傷が塞がる」
え?
驚きすぎて八鬼を凝視してしまった。
「いちいち見るんじゃねえ」
八鬼が不快そうに唇を歪める。
見慣れた表情にどこか安心して口を漱ぐ。結構な出血量で、吐き出した水は真赤だった。
痛むが、どうせ何も食べないから不便は無い。多少腫れたって男だからどうってことないし。
部屋着に着替えて布団へ潜り込む。やられるかな。そう覚悟はしていたのだが、八鬼は僕の予想を裏切って部屋から出て行った。
悲しい夢を見た。
とてつもなく悲しかった。
暗い色の絵の具を水も無くかき回したような、混沌とした渦の中に、ただ悲しさだけが溢れかえっていて、夢を見ながら僕は泣いていた。
(兄さん、兄さん)
泣きながら喚き散らす。
こうなった今(夢の中では、こうなったの意味も良く判らなかったけど)、頼れるのは兄だけだった。
でも、兄は自分が生きるので手一杯で、縋りつこうと伸ばした手を引っ込めた。
二人で堕ちる必要はない。
自由になった兄はしあわせになる権利がある。堕ちるのは、僕だけでいい――――。
「起きろ」
堕ちていく、まさにその瞬間、体を揺すぶられて飛び起きた。といっても飛び起きたのは意識だけで、衰弱した体はぐったりとベッドに埋まったままだ。
――――? 顔に違和感があった。触ってみると殴られた頬にシップが貼られてた。
誰が貼ってくれたんだろう……?
「座れ」
八鬼がまた短く命令した。まさか、八鬼が?
どこから持ってきたのか、部屋の真ん中に丸いテーブルが陣取っている。ご丁寧に、椅子もニ脚あった。
テーブルの上には晩御飯のトレイが二つ。
メニューはカレーライスと餃子とお味噌汁と、デザートの桃とパインのかけら。
油分の多い食べ物が並んでいるのを見たせいか、ただでさえ食べ物を受け付けない胃が疼きだした。
「なんでもいいから食え」
「……食欲がないんだ」
「食え」
繰り返し命令され、僕は仕方なく椅子に座った。
一番無難なフルーツをフォークで刺す。
漬物用の小皿に乗った小さな破片だというのに、口の中に痛みもあって食べるのに物凄く時間がかかってしまう。
八鬼がカレーを食べ終わるのと、僕がフルーツを食べ終わるのは同時だった。
「ほら」
八鬼の分のフルーツがトレイの端に置かれた。
「え、いらない……」
「食え」
お腹が一杯で食べられないんだ。
なんて伝えても無駄だろう。
自分でも呆れるぐらいに時間が掛かってしまったけど、どうにか全部を食べきった。
◇◆◇
翌日の朝、昨日食べたフルーツがまだそのまま胃の中を転がっているみたいな不快感があって、体を起こすのも辛かった。
どうにか起き上がり食堂で朝ごはんを受け取る。
誰とも話したくなかったから、一人で端の席に座った。
ご飯……。食べたくない。部屋に居るのが嫌でここにきたけど、胃が焼けるように痛くて何も入りそうに無かった。
辛うじて白菜のお漬物を一欠片齧る。
それだけでお腹が一杯になった。
朝ごはん無駄になっちゃったな。食べ物勿体無いから、誰か貰ってくれないかな。
カタン。いつかと同じように、僕の前の席が動いた。
八鬼だ。
「食え」
お漬物の入った小皿を僕のトレイに乗せる。
無理だ。
自分の分も食べられないのに。
いつかみたいに怒鳴る元気も無くて、首を振って無理だって伝える。
「駄目だ。食え」
睨まれて、繰り返される。
それでも無理なものは無理だった。
「ほら」
また、箸で口の前に差し出される。
白と緑が綺麗な白菜のお漬物だ。
大好きなお漬物だけど、今はどうしても食べられない。これ以上胃に入れたらパンクしてしまう。
もう一度、首を振る。
「いいから食え!」
八鬼が怒鳴り、食堂がしんと静まり返る。
八鬼が差し出した箸を見る。
口が、開かない。
僕はまた、首を振るしか出来なかった。
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