川向こうのアトリエ喫茶には癒しの水彩画家がいます

津月あおい

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第一章 帰ってきた幼馴染

紫織さんと菫ちゃんと、ぶどうのムースケーキとジュース(2)

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 二杯目の紅茶を淹れながら、青司くんが口を開く。

「そういえば、旦那さんからは連絡が来たんですか?」
「いいえ、まったく。メールも電話も何もないわ。ほんとに、こんな風に家出されても変わらないなんて……どうかしてる」

 憤慨しながら、紫織さんはまた熱い紅茶を飲んでいる。
 わたしはそんな紫織さんに訊いてみた。

「あの……紫織さん。旦那さんとは、なんで喧嘩しちゃったんですか? あ、いえ、差し支えなければなんですけど……良かったら教えてもらいたいなって」
「ああ、真白ちゃんにはまだ言ってなかったわね。理由は……あの子よ」
「あの子? すみれちゃんですか?」
「ええ」

 遠くを見つめるような目つきで、紫織さんは語る。

「あの子、軽度自閉症って発達障害がある子なの。普通の子よりも言葉が遅くて、他人の考えにあまり興味を持てない。だから、コミュニケーションがとても難しい子なのよ」
「発達障害……」

 それは、近年よく聞かれるようになった障害名だ。
 たしか生まれつき脳の特性の違いがあって、健常者との考え方にズレがあるとか……だったような気がする。大人になっても、社会生活が困難なままの人も多いらしい。

「私はあの子のために、早くからいろいろな支援を受けさせようとしているの。だけど……私の両親も主人の両親も、そんなわけない、菫が障害者なわけがないって頭から否定してくるのよ。主人も最初は理解してくれてたのに……最近はだんだん親たちの意見に染まってきちゃって」
「そう、だったんですか……」

 自分の身内が障害者だったと知らされて、ショックを受けない人はいないだろう。
 でも、否定したってその事実は変わらない。
 受け入れるのを拒み続けていたら、問題を解決するどころか、さらに悪い方向へ行ってしまいそうだ。

 そんな祖父母たちと、その態度を、諌めようともしない旦那さん。
 それは、とても辛いことだと思う。

 紫織さんは菫ちゃんを一番に思って行動してるのに。
 旦那さんは、親たちの方を優先して行動してるんだろうか。

「私もさすがに我慢の限界が来てね、もう知らないって、出てきちゃったの。行き先を告げずに来たから、ここにいることをきっとあの人は知らないわ。でもそれっきり。さっきも言ったけど、心配すらされてないみたい。ほんと……あんまりよね」
「これから、どうするんですか?」
「そうね、しばらく距離を置いて……っていうか、私たちがいなくなったことであの人が目を覚ましてくれればって思ってたんだけど、どうやら難しそうね」
「そんな……。ご家族に、どうにか理解してもらう方法はないんですか」

 否定するだけなんてひどすぎる。
 家族だったら、理解して支え合わなきゃいけないのに。
 その反対のことをするなんて。

「あ……」

 そう思った所で、気が付いてしまった。

 それはわたしも同じだった、って……。
 わたしは、今の青司くんを否定してしまっている。昔と変わってしまった青司くんを、まだ受け入れられないでいる。
 同じだ……。

 そう思ったら、紫織さんにこれ以上何を言っていいかわからなくなった。

「どうしたの、真白ちゃん」
「い、いえ……」

 わたしは……ちゃんとできているのだろうか?
 青司くんに対して。
 良き友人として。

 幼馴染だったら、好きな人だったら、否定なんかしてないでちゃんと支えようとしなきゃいけないんじゃないの?
 いつまでも、昔のことを引きずってないで。
 今の青司くんを早く、受け入れなきゃいけないんじゃないの?

 でも、こういうのってその人のペースによるはず。
 すぐに受け入れられる人もいれば、ものすごく時間がかかる人もいる。
 どんなに頭ではわかってても、無理して相手に合わせようとすれば自分がひどいダメージを負ってしまうことだってある。

 今のわたしが、そうであるように。
 きっと旦那さんも、その他のご家族も……その受け入れる時期がまだ来てないだけなんじゃないだろうか。

「あの。たぶん、なんですけど……」
「ん?」
「皆さんは……たぶん、怖いんだと思います」
「怖い?」
「はい。旦那さんも、それぞれの御両親も……その……菫ちゃんの発達障害がどんなものかっていうのが、まだよくわかってないんじゃないですか? だから、怖くなっちゃったんじゃないでしょうか。未知のものを人は恐れます。だからきっとご家族は……その恐怖からただ逃げたかっただけなんだと思います」
「あ……」

 紫織さんはハッと何かを思い出したようだった。
 次いで、窓の外の菫ちゃんを振り返った。

「そっか。それは……そうかもね。私は初めから否定されるばっかりで……きちんと周りに説明する機会を得てこなかった。だから、きっと相手を不安な状態にさせつづけてしまったのね。主人も主人で、親たちよりは理解できてると思ってたんだけど、どうやら違ったのかも。あの子の将来を悪い方に悪い方に考えて……いろいろ心配しすぎていたのかもしれないわ」
「紫織さん……」

 紫織さんはさきほどからティースプーンをカップの中に入れて、くるくるとかきまぜ続けている。
 きっと今気付いたことを反すうしているのだろう。

 気が付くと、青司くんがわたしをじっと見つめていた。
 さっきの「怖い」という言葉で気付かれたかもしれない。
 わたしが、自分の状況を紫織さんたちのことと重ね合わせてる、って――。

 青司くんは自分の分の紅茶を淹れると、こちらを向いて言った。

「真白、じゃあその恐怖をなくすには……いったいどうしたらいいと思う?」
「……え」

 わたしは少し考えたあと、きちんと青司くんの目を見て言った。

「そうだなあ。それには……怖いと思う対象をもっとよく知ることしかないと思う。知ればたいていのものは怖くなくなるから。だから、紫織さんにはもう一度、ご家族にイチから菫ちゃんの障害のことを説明……してほしいかも」

 紫織さんはわたしの言葉に大きくうなづいた。

「そうね。私、もう一度ちゃんと向き合ってみるわ。一度は逃げ出してしまったけれど……もう逃げない。菫のためにきちんと理解してもらえるよう、頑張るわ」

 にっこりと笑って、そう誓う。
 紫織さんは本当に真面目で、努力家だ。わたしはそんな彼女を素直に尊敬した。

 きっと、青司くんが憧れたのもこういうところだったんだと思う。
 ダメなことはダメってすっぱり諦める決断の速さだったり、目標に向かってまっすぐ突き進む意志の強さだったり。
 こんな素敵な人を大事にしないなんて、本当に旦那さんはバカだ。
 菫ちゃんのためにも、早く紫織さんと仲直りしてほしいと思った。

 そうこうしていると、突如店のドアが開く。
 現れたのは背の高い眼鏡の男性だった。

「紫織! 菫!」

 突然、その名を男性が叫んだので、紫織さんは弾かれたように席を立った。

「あ、あなた!? どうしてここに……。てか私たちのこと心配してないんじゃ……」
「バカ、そんなわけないだろう! 今まであちこち探し回って、ようやく……紫織のおばあさんにここにいるって訊いて、それで飛んできたんだよ」
「だって連絡が……。し、仕事は……?」
「そんなのお前たちの方が大事だろ! 菫は?」
「そ、外で遊んでるけど……」
「はあ~~~」

 旦那さんは長いため息を吐くと床にしゃがみこんだ。

「ほんと、どれだけ心配したと思ってるんだよ! 急に書き置きだけ残していなくなるなんて。たしかに、最近親たちがいろいろ言ってきて、うるさかったよ? けど、菫の件は僕たちだけでどうにかしていこうってそう話してたじゃないか」
「そ、そうだけど……あなた最近、全然菫の支援のこと考えてくれてなかったし。そう思ってるんなら、もっと協力してよ!」
「……」

 旦那さんは周囲をちらと見回すと、青司くんとわたしに軽く頭を下げてきた。

「すみません。あの……お騒がせして」
「あ、いえ。いいんですよ。俺たちは紫織さんとは昔からよく知っている仲なので」
「そうですか。でも、こんな内輪のこと、むやみに人に聞かせるお話じゃないですよね。お恥ずかしい」
「……」

 旦那さんの弁に、紫織さんはムッとして言った。

「お恥ずかしい? だったらこんな家出とか私にさせないでよ。周囲に理解されないからって、今までいろいろと諦めてきすぎたったわ、私たち……。さっき、ようやくわかったの。一回ダメでも、何度でも諦めないで挑戦するべきだったって。ねえ、もう一度、それぞれの親に障害のことちゃんと説明しない?」

 旦那さんは眉根を寄せながら、それはとても難しいことだ、だから早く諦めた方がいいと言った。
 それでも、紫織さんはなかなか引き下がらない。
 言い合いが十分ほどつづいていたその時。

 ようやく娘の菫ちゃんが戻ってきた。
 仕事がひと段落したらしい森屋さんとともに、サンルームの方から出てくる。

「あ、お父さ……!」

 父親の存在に気が付いた菫ちゃんは、すぐに森屋さんの後ろに隠れる。
 紫織さんの旦那さんは、ガーンとわかりやすいショックを受けているようだった。

「あ、ああ……菫~!」
「菫、どうする? もうお父さんが私たちを連れ戻しにきたみたいだけど、一緒に帰る?」
「……う、ううう~~~っ!」

 菫ちゃんは森屋さんの後ろで、ぶんぶんと首を真横に振っていた。
 顔がどんどん赤くなっていって、今にも泣きだしそうな表情になる。 
 場は、そのままこう着状態となった。

「えーと……みなさん、一旦休憩にしませんか?」

 そこに、低く穏やかな青司くんの声が通る。

「あ……えっと……」
「……そうね」

 戸惑う旦那さんに、しぶしぶうなづく紫織さん。

「じゃ、そちらのテーブル席へどうぞ!」

 わたしは席を立って、うろたえている一同をフロアのテーブル席へとご案内する。
 こういうのは普段やってることだからだろうか。
 ウェイトレスとして、自然に体が動いてしまう。

 カウンターに一番近いテーブルには、森屋さんと菫ちゃん、紫織さん、そして紫織さんの旦那さんの四名が、ちょうど顔を突き合わせるかたちで着席した。

 青司くんを見ると、ちょうど彼もわたしの方を見ていて「よくやった」とばかりににっこりしていた。
 わたしはまた黙ってカウンター席に戻る。

 青司くんは冷蔵庫を開け、先ほどのムースケーキを取り出した。
 どうやら完成したようだ。
 お湯で包丁を温めて、綺麗に八等分に切り分けていく。

 今日はお客さんがたくさんだ。
 青司くんがこの家に帰ってきてから過去最多の人数になっていた。
 わたしも青司くんも、このとききっと同じくらいワクワクしていた。

「はい。まずは真白の分」

 わたしの目の前に、とん、と紫色のムースケーキがひとつ置かれる。
 続いて同じケーキが四つ載ったお盆と、セットの飲み物が四つ乗ったお盆がカウンターに置かれる。

「真白。そっち、ケーキの方、運ぶの手伝ってくれる?」
「うん」

 わたしは嬉しくなった。
 今度は青司くんの方から、ちゃんと仕事を振ってくれたからだ。
 どうせやるなら自発的にじゃなく、やっぱり青司くんに必要とされてから動きたい。

 わたしはケーキの乗ったお盆を持ち、青司くんと共に意気揚々とみんなの待つテーブル席へと向かった。
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