恋し、挑みし、闘へ乙女

米原湖子

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第十一章 哀しき人々

4.

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「そんなの分かりませんよ。男装は単なる趣味? いや、出版社の宣伝だと思っていたので」

「出版社の何の宣伝だというの」と吹雪が大笑いする。
 乙女も、万が一、宣伝だったら逆効果ではないだろうかと思っていた。

「離婚は……だからだったんですか?」
「そう、我慢の限界だったの」

 人の性癖にとやかく言えるほど人間が出来ていると思っていないが……と乙女は初めて目にするレズビアンな人にムクムクと好奇心が沸く。

「今日は貴女の取材を受けるつもりはないわ」

 だが、吹雪は先手必勝とばかりに乙女の好奇心を撥ね除ける。
「えー」と唇を尖らせる乙女を無視して吹雪が言う。

「貴女の小説に必要とあらば日を改めて答えるわ。でも、今はダメ」

 ションボリと肩を落とす乙女だが、ハッと思い直す。
 吹雪はこう見えて仕事一筋人間だ。仕事に関することになら我が身を削ってでも協力は惜しまない。

「了解しました。速攻でプロットを仕上げてお持ちします」

 乙女が敬礼する勢いで言うと吹雪がニヤリと笑った。

「ええ、素敵なプロットをお待ちしているわ」

『よし!』と心の中でガッツポーズを取り、乙女が食事を進めようと小鉢に手を伸ばしたところで吹雪が尋ねる。

「ところで、貴女、騙されてあのお屋敷に行ったのよね?」

「そうなんですよ」と乙女は口を尖らせる。

「私、もう少しで不貞女になるところでした」
「それ、糸川公爵の奥方、糸子夫人がかかわっているって本当?」

 どうして知っているのだろうと思い、そうだったと乙女は龍弥を思い出す。

「あの声は確かに糸子様でした。でも……糸子様はそれを否定されたんです。おかしな話ですよね?」

 たった一度会った相手に嫌がらせを受ける筋合いはない。

「乙女は彼女の噂話、知ってる?」

 ミミから聞いたスキャンダラスな内容だろうと乙女は頷いた。

「彼女に恋人がいたことも?」

「はい」と乙女が頷くと、吹雪がフッと自嘲めいた笑みを零す。そして、「その恋人……私なの」と呟くように言った。

「はい?」乙女は耳を疑い、尋ね返す。

「糸子様の恋人が黄桜編集長?」
「そう、私」

 あまりのことに「うっそぉぉぉ!」と声を張り上げたまま、乙女は固まってしまった。

「編集長! 何度私を驚かせたら気が済むんですか……?」
「あの子とは彼女が十八歳になる二年前に出逢ったの」

 当時を思い出したのだろう、吹雪が遠くを見る。

「今は見る影もないけど、当時のあの子はふっくらとして、とても肉感的だったのよ」

 あの虞美人草ぐびじんそうを思わす儚げな人が……肉感的? 全然想像できないと乙女はフルフルと頭を振る。

「当時、私は別居していたけど既婚者に違いなかったの。だから、糸子と私はお互いに好き同士だったけど、ずっとプラトニックな関係だったのよ」

「でもね」と吹雪が顔を歪める。

「あの子の見合い相手が糸川公爵だと知ったとき、渡したくない、と思ったの」

 糸川公爵の派手な色恋は周知の事実だったらしい。

「私の離婚について何か知っている?」

 突然、吹雪が質問をする。

「いえ、全く」
「そう、実は私と彼、カモフラージュ結婚だったの」

 またしても意味不明な言葉に乙女の頭は爆発しそうになる。

「そうね、ストレートなら意味が分からないのも当然ね」

 吹雪の説明では、吹雪と元旦那殿は嗜好が似ていたらしい。吹雪は女性が好きで、旦那殿は男性が好き。お互い同性愛者だったらしい。
「本当はね」と当時のことを思い出したのか吹雪がクスクス笑う。

「見合い当日、破談を目論んでカミングアウトしたの。お互いに。笑っちゃうでしょう。で、話し合って利がありそうだったから、好都合とばかりに偽装結婚したの」

 驚愕の事実に最初こそ驚いていた乙女だが、次第に見開いていた瞳を輝かせ始める。

「それで! なのにどうして離婚したのですか?」

 前のめりに話を聞こうとする乙女に吹雪は苦笑いを浮かべる。

「やっぱり思っていた通りだったわ。貴女はこんな私を奇異な目で見ない」
「えっ、何を言っているんですか? 当然です、愛に男女の垣根はありません!」

 吹雪は眩しい者を見るように目を細めて、「ありがとう」と乙女に頭を下げた。

「離婚したのは、お互い真の愛を貫きたいと思ったからなの」
「真の愛……」

 ハートの目をした乙女が、両手を組み合わせ祈りのポーズで「素敵!」と発熱したように呟く。

「そう、真の愛」

 吹雪はゆっくり息を吐き出した。
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