10 / 81
2
鎮まり給え~衛人~(2-3)
しおりを挟む
昼ごはんはふたりで縁側に座り、スーパーで買ってきたおにぎりを二つずつ、並んで食べた。みんなたいらげてしまうと、冷たい麦茶で食休みをとる。それから、衛人は再び家の掃除に取り掛かった。風呂や台所、洗面所にトイレ。千里も一緒になって手伝ってくれて、家じゅうの掃除は、この一日でほとんど終わってしまった。
夕方、掃除が終わったあとには、ふたりでアイスを食べた。衛人がさっき、スーパーで買ってきたアイスを「ご褒美タイムだよ」と言って千里にあげると、千里はそれを喜んで食べていた。
「冷たくて、甘くて……、おいしいですねぇ」
「そうだな」
「僕、これなら毎日でも食べられそうです」
アイスといったって、一本百円もしないソーダアイスだ。決して珍しいものでも、高価なものでもない。しかし、千里はそれを本当に嬉しそうに、そしてあっという間に食べてしまった。まるで、はじめて食べたかのような、その喜びようを見れば、やはり彼はひどく風変りで、少なくとも三十歳の男らしくはなかった。
「じゃあ、また買ってくるよ。今度はもっとたくさん」
「本当ですか……! 楽しみです!」
けれど、やはり途方もなく可愛らしい。衛人は不思議と、彼に見惚れてしまう。千里とのご褒美タイムはひどく心地よくて、衛人はわずかに甘さが残るアイスの棒を咥えながら、日が暮れかけた縁側にごろんと寝転がる。すると、千里も衛人を真似るようにして並んで寝転がった。
それから、思いつくままにいろんなことを話した。徳治との思い出や、家族のこと。仕事のこと。大学時代の思い出。千里はそれを楽しそうに相槌を打ちながら聞いていたが、そのうちに母の話になると、途端に悲しげな目をして、衛人の手を取り、そっと握ってくれた。優しい手つきに、衛人の心臓がドキッと跳ねたのは言うまでもない。だが、衛人は必死に平静を装った。
「母親のことは、正直言って、もうあまり覚えていないんだ……」
「そうなんですか……」
衛人の母、蕗子は、幼い頃に重い病で亡くなっていた。彼女は美人で、亡くなる最期まで美しかったそうだ。――というのも、母の顔を思い浮かべるとき、衛人はもう記憶の中よりも、遺影のほうが先に頭の中に浮かぶ。藤治が時々、酔ったときに決まって話す、思い出話を聞いても、正直なところ、ピンとこない。それほど、衛人は当時、まだ本当に小さかった。だから、亡くなってしまう最期の最期まで美しかったという蕗子の顔を、衛人はもう思い出せない。どちらかというと、知らない、といったほうが正しいかもしれなかった。
その話を聞きながら、千里はまるで、自分のことのように目を潤ませる。
「今も、つらいですか……」
そう訊かれて、頬を緩め、かぶりを振った。今日出会ったばかりの他人の思い出話を聞いて、そんな顔をするなんて、彼は呆れるほどに優しい男なのだとわかる。
「小さいときは、寂しいと思ったこともあったよ。でも、大人になってからは、むしろよかったって思うようになった。治療の過酷さが理解できるようになったからね。変に長引かなくて、本当によかったなって」
蕗子が患っていたのは、急性白血病。いわゆる、血液のがんだった。骨髄移植の話も進んでいたが、適合者がなかなか見つからず、蕗子は本当にあっという間に帰らぬ人となってしまったのだ。
衛人が母の話をひと通り話し終えると、千里は手をまたきゅっと握り直す。そうして、衛人の腕にすがるようにして、そこに額をひたりとつけた。
「衛人さんは、優しいんですね……」
「え――……、いや、べつにフツウだと思うけど……」
優しいのは衛人じゃない。他人の母親の思い出話に目を潤ませる千里のほうがよほど優しいと思う。心の中でそんなセリフを返しながら、手を握られていることも、照れくさくて声にはできず、代わりにそっけない言葉を返すしかなくなってしまった。だが、それでも千里は、柔らかく微笑んでくれる。
「優しいですよ。だって、僕にこんなに優しくしてくれる人は、衛人さんがはじめてですし……。お母さんのことだって、きっととても寂しかったはずなのに……」
「千里……」
ドクン――と、心臓が震えた。たちまち、体が火照ってくる。千里の声と言葉が耳から体内に入り、血液に乗って、全身をめぐっていくような感覚があった。覚えのある、その感覚があまりに心地よくて、泣きたくなる。だが――。
違う。だめだ。やめろ。
心臓が高鳴るのと同時に、体じゅうがそう訴えかけ、ドクドクと脈打っている。千里の体温が、触れているところから伝わってきて、彼から視線を逸らせなくなる。どうしようもなく、惹かれているのだ。しかし、これだけ体が反応しているのに、心はひどく抗っていた。
千里は半妖。人間をたぶらかす妖力を持っている。その妖力は、妖怪からすれば、ごくわずかなのだろうが、人間にとってはきっと、十分すぎるほどの効果がある。だから、衛人が彼に好意を持ったところで、それは本当の恋じゃない。ただ、千里の妖力にあてられているだけ。そもそも、衛人はもう恋をしないと決めていた。感情など、とうに死んでしまったはずなのだ。
夕方、掃除が終わったあとには、ふたりでアイスを食べた。衛人がさっき、スーパーで買ってきたアイスを「ご褒美タイムだよ」と言って千里にあげると、千里はそれを喜んで食べていた。
「冷たくて、甘くて……、おいしいですねぇ」
「そうだな」
「僕、これなら毎日でも食べられそうです」
アイスといったって、一本百円もしないソーダアイスだ。決して珍しいものでも、高価なものでもない。しかし、千里はそれを本当に嬉しそうに、そしてあっという間に食べてしまった。まるで、はじめて食べたかのような、その喜びようを見れば、やはり彼はひどく風変りで、少なくとも三十歳の男らしくはなかった。
「じゃあ、また買ってくるよ。今度はもっとたくさん」
「本当ですか……! 楽しみです!」
けれど、やはり途方もなく可愛らしい。衛人は不思議と、彼に見惚れてしまう。千里とのご褒美タイムはひどく心地よくて、衛人はわずかに甘さが残るアイスの棒を咥えながら、日が暮れかけた縁側にごろんと寝転がる。すると、千里も衛人を真似るようにして並んで寝転がった。
それから、思いつくままにいろんなことを話した。徳治との思い出や、家族のこと。仕事のこと。大学時代の思い出。千里はそれを楽しそうに相槌を打ちながら聞いていたが、そのうちに母の話になると、途端に悲しげな目をして、衛人の手を取り、そっと握ってくれた。優しい手つきに、衛人の心臓がドキッと跳ねたのは言うまでもない。だが、衛人は必死に平静を装った。
「母親のことは、正直言って、もうあまり覚えていないんだ……」
「そうなんですか……」
衛人の母、蕗子は、幼い頃に重い病で亡くなっていた。彼女は美人で、亡くなる最期まで美しかったそうだ。――というのも、母の顔を思い浮かべるとき、衛人はもう記憶の中よりも、遺影のほうが先に頭の中に浮かぶ。藤治が時々、酔ったときに決まって話す、思い出話を聞いても、正直なところ、ピンとこない。それほど、衛人は当時、まだ本当に小さかった。だから、亡くなってしまう最期の最期まで美しかったという蕗子の顔を、衛人はもう思い出せない。どちらかというと、知らない、といったほうが正しいかもしれなかった。
その話を聞きながら、千里はまるで、自分のことのように目を潤ませる。
「今も、つらいですか……」
そう訊かれて、頬を緩め、かぶりを振った。今日出会ったばかりの他人の思い出話を聞いて、そんな顔をするなんて、彼は呆れるほどに優しい男なのだとわかる。
「小さいときは、寂しいと思ったこともあったよ。でも、大人になってからは、むしろよかったって思うようになった。治療の過酷さが理解できるようになったからね。変に長引かなくて、本当によかったなって」
蕗子が患っていたのは、急性白血病。いわゆる、血液のがんだった。骨髄移植の話も進んでいたが、適合者がなかなか見つからず、蕗子は本当にあっという間に帰らぬ人となってしまったのだ。
衛人が母の話をひと通り話し終えると、千里は手をまたきゅっと握り直す。そうして、衛人の腕にすがるようにして、そこに額をひたりとつけた。
「衛人さんは、優しいんですね……」
「え――……、いや、べつにフツウだと思うけど……」
優しいのは衛人じゃない。他人の母親の思い出話に目を潤ませる千里のほうがよほど優しいと思う。心の中でそんなセリフを返しながら、手を握られていることも、照れくさくて声にはできず、代わりにそっけない言葉を返すしかなくなってしまった。だが、それでも千里は、柔らかく微笑んでくれる。
「優しいですよ。だって、僕にこんなに優しくしてくれる人は、衛人さんがはじめてですし……。お母さんのことだって、きっととても寂しかったはずなのに……」
「千里……」
ドクン――と、心臓が震えた。たちまち、体が火照ってくる。千里の声と言葉が耳から体内に入り、血液に乗って、全身をめぐっていくような感覚があった。覚えのある、その感覚があまりに心地よくて、泣きたくなる。だが――。
違う。だめだ。やめろ。
心臓が高鳴るのと同時に、体じゅうがそう訴えかけ、ドクドクと脈打っている。千里の体温が、触れているところから伝わってきて、彼から視線を逸らせなくなる。どうしようもなく、惹かれているのだ。しかし、これだけ体が反応しているのに、心はひどく抗っていた。
千里は半妖。人間をたぶらかす妖力を持っている。その妖力は、妖怪からすれば、ごくわずかなのだろうが、人間にとってはきっと、十分すぎるほどの効果がある。だから、衛人が彼に好意を持ったところで、それは本当の恋じゃない。ただ、千里の妖力にあてられているだけ。そもそも、衛人はもう恋をしないと決めていた。感情など、とうに死んでしまったはずなのだ。
6
あなたにおすすめの小説
俺以外美形なバンドメンバー、なぜか全員俺のことが好き
toki
BL
美形揃いのバンドメンバーの中で唯一平凡な主人公・神崎。しかし突然メンバー全員から告白されてしまった!
※美形×平凡、総受けものです。激重美形バンドマン3人に平凡くんが愛されまくるお話。
pixiv/ムーンライトノベルズでも同タイトルで投稿しています。
もしよろしければ感想などいただけましたら大変励みになります✿
感想(匿名)➡ https://odaibako.net/u/toki_doki_
Twitter➡ https://twitter.com/toki_doki109
素敵な表紙お借りしました!
https://www.pixiv.net/artworks/100148872
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
聖女を演じた巻き添え兄は、王弟殿下の求愛から逃げられない
深嶋(深嶋つづみ)
BL
谷口理恩は一年ほど前、妹と一緒に異世界に転移してしまった。
聖女として魔術の才を開花させた妹・世奈のおかげもあって、二人はアルゼノール王国の大教会に保護され、不自由のない暮らしを送ることができている。が、最近は世奈の奔放さに理恩は頭を抱えることもあった。
ある日、世奈の仕事を肩代わりした理恩は、病に臥せっている幼い第二王子・イヴァン王子のもとに参じることに。
――「僕が大人になったら、僕の妃になってくれませんか」。
何度も謁見を重ねるうちに理恩に懐いた彼は、目の前の聖女が偽者であることに気付かぬまま、やがて理恩に求愛する。
理恩は驚き、後ろめたい気持ちを抱きながらも、「大人になっても同じ気持ちでいてくれたなら」と約束を交わした。
その直後、何者かの陰謀に陥れられた世奈の巻き添えとなり、理恩は辺境の地へと飛ばされてしまい……。
――数年後、アルゼノール王国を出て世界中を巡っていた理恩は、とある国で偶然、王弟・イヴァンと再会する。
傷心の旅をしているのだという彼は、どういうわけか理恩との交流を持ちたがって――?
妖精です、囲われてます
うあゆ
BL
僕は妖精
森で気ままに暮らしていました。
ふと気づいたら人間に囲まれてました。
でもこの人間のそばはとても心地いいし、森に帰るタイミング見つからないなぁ、なんて思いながらダラダラ暮らしてます。
__________
妖精の前だけはドロ甘の冷徹公爵×引きこもり妖精
なんやかんやお互い幸せに暮らします。
入社1ヶ月のワンコ系男子が、知らずのうちに射止めたのはイケメン社長!?
monteri
BL
CM制作会社の新入社員、藤白純太は入社1ヶ月で教育係の先輩が過労で倒れたため、特別なクライアントの担当を引き継ぐことになる。
そのクライアントは、女子禁制ミーハー厳禁の芸能事務所だった。
主人公の無知で純なところに、翻弄されたり、骨抜きにされるイケメン社長と、何も知らない純太がドキドキするお話です。
※今回の表紙はAI生成です
※小説家になろうにも公開してます
異世界転移した元コンビニ店長は、獣人騎士様に嫁入りする夢は……見ない!
めがねあざらし
BL
過労死→異世界転移→体液ヒーラー⁈
社畜すぎて魂が擦り減っていたコンビニ店長・蓮は、女神の凡ミスで異世界送りに。
もらった能力は“全言語理解”と“回復力”!
……ただし、回復スキルの発動条件は「体液経由」です⁈
キスで癒す? 舐めて治す? そんなの変態じゃん!
出会ったのは、狼耳の超絶無骨な騎士・ロナルドと、豹耳騎士・ルース。
最初は“保護対象”だったのに、気づけば戦場の最前線⁈
攻めも受けも騒がしい異世界で、蓮の安眠と尊厳は守れるのか⁉
--------------------
※現在同時掲載中の「捨てられΩ、癒しの異能で獣人将軍に囲われてます!?」の元ネタです。出しちゃった!
異世界オークションで売られた俺、落札したのは昔助けた狼でした
うんとこどっこいしょ
BL
異世界の闇オークションで商品として目覚めた青年・アキラ。
獣人族たちに値踏みされ、競りにかけられる恐怖の中、彼を千枚の金貨で落札したのは、銀灰色の髪を持つ狼の獣人・ロウだった。
怯えるアキラに、ロウは思いがけない言葉を告げる。
「やっと会えた。お前は俺の命の恩人だ」
戸惑うアキラの脳裏に蘇るのは、かつて雨の日に助けた一匹の子狼との記憶。
獣人世界を舞台に、命の恩人であるアキラと、一途に想い続けた狼獣人が紡ぐ、執着と溺愛の異世界BLロマンス。
第一章 完結
第二章 完結
【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】
彩華
BL
俺の名前は水野圭。年は25。
自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで)
だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。
凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!
凄い! 店員もイケメン!
と、実は穴場? な店を見つけたわけで。
(今度からこの店で弁当を買おう)
浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……?
「胃袋掴みたいなぁ」
その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。
******
そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています
お気軽にコメント頂けると嬉しいです
■表紙お借りしました
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる