【完結】つやめきの半妖には抗えない

いなば海羽丸

文字の大きさ
36 / 81

九尾の狐~千里~(6-1)

しおりを挟む
 千里が寝床から起き出したのは、日付が変わる真夜中だった。ふすまの向こうからは、衛人の静かな寝息が聞こえている。呼吸を聞く限り、眠りは深そうだ。

 千里は音を立てないように、浴衣に裸足のまま、抜き足、差し足、忍び足で、玄関を出る。靴を履かずに、そうっと玄関のカギを開け、扉を開け、外に出た。

「あ――……」

 外灯のない、真夜中の庭に出て気付いた。今夜は新月だろうか。夜空には満天の星空が広がっているものの、月がない。足下は暗く、ひどく視界が悪かった。千里の目は母譲りで、暗がりでもよく見える猫目だったが、それであっても今夜は暗い。千里は目をらして、周辺を見回した。

 新月だなんて……、ツイてないな。

 だが、そんなことでおろおろしてはいられない。千里は意を決して、颯爽と駆け出し、敷地を出ると、九尾狐神社を目指して山道へ入っていった。

 山道といっても、そこはほとんど獣道のようなもので、周囲には背の高さまでクマザサが生い茂っている。登山道よりも、さらに狭いこの道を通るのは獣と妖以外にはまず、いないだろう。普通の人間なら、夜間、この道を通るなんて、まさに死を覚悟するようなものだ。

 この辺りの山にはクマが出るし、これだけ足下が暗いと、わずかでも足を踏み外せば、急な崖へ転がり落ちてしまう危険もある。だが、千里の目と足があれば、この程度の山道はわけなく登れた。見た目にはほとんど人間と変わりなくても、やはり千里は半妖。身体能力は特に、人間のレベルを大きく超えている。それに、この時間に出歩くのには、山道のほうが俄然がぜん、都合がいいのだ。

 千里は一気に山を駆け上がり、軽々と崖を登り、沢を越えていく。舗装された道路を走っていってもいいのだが、夜間、このスピードで移動していると、車の事故にいやすい。もっとも、千里は母のように猫の姿にはなれないわけだが、それでも、自分の走るスピードが人間離れしていることは確かだと自覚がある。加えて、山道はカーブが多いので余計だ。母が事故死したこともあり、千里は夜間に移動するときには、なるべく舗装された道路をけていた。

 父さん。母さん……。ずっと情けない息子でごめんね……。でも、これから僕はもっと強くなります。衛人さんのために――。

 九尾の狐だろうと、妖狐だろうと、千里は今夜、立ち向かわなければならない。そうして、認めてもらわなければ、衛人の家にはじきに棲めなくなるだろう。衛人が許しても、九尾の狐はきっと、自分の縄張りを侵す、よそ者を許さないはずだ。

 だから、今夜だけ。どうかお守りください……!


 ***


 父を亡くしてからというもの、千里は母とふたり、必死に支え合って生きてきた。母は、父と出会って恋をしてから、すぐに千里を身籠みごもったというが、三人で過ごした幸せな時間はほんの数年。父は千里がやっと物心がついた頃、重い病にかかり、若くして亡くなってしまった。

 母は未亡人となり、女手一つで千里を育ててくれたが、その暮らしは楽ではなかった。父は元々、立派な家柄の生まれだったようだが、母との結婚を許されず、生家から勘当されていたので、遺産はほとんどなく、結婚してからコツコツと貯めていてくれたお金が、それなりに手元にあるだけだったのだ。

 母は父の遺してくれた少ない遺産を持ち、一緒に暮らした思い出の借家を出て、幼い千里を連れ、東京郊外を目指した。そうして、人けの少ない、山間の住み込みで働けるペンションを見つけて、そこで世話になりながら、千里を育ててくれた。やがて、千里が働ける年齢になると、千里も母と一緒にそのペンションで働くようになったのだが、千里は妖力のコントロールができず、問題をよく起こすので、できる仕事はとても少なかった。

 千里の仕事といえば、みんなが寝静まった夜のうちにやらなければならない仕込みや掃除。施設の点検。そんなもので、収入はとても少なかった。友だちもできず、当然、学校にも行けないばかりか、母以外の人間とは、長時間接してもいられない。

 それでも、千里はその暮らしが気に入っていた。友だちがいなくても、ペンションの周りには自然が溢れていたし、動物たちに出会うこともよくあって、寂しさはさほど感じなかった。晴れた日には広い庭を散歩し、雨の日には、間借りしている部屋の中で、庭の植物や、虫や鳥、ときどき現れる野生の動物たちを絵に描いて過ごした。

 決して裕福ではない暮らし。それでも、楽しかった。ただ、自分が社会から置いてきぼりにされているはみ出し者で、厄介な存在だという感覚は少なからずあって、本来なら、年老いていく母を自分が支えなければならないと思うのに、いつまでも頼りにするばかりで、千里はそんな自分をいつも責めながら、罪悪感をかかえてもいた。

 僕はずっと……、なんの役にも立たなくて……、ずっと母さんに頼ってばかりの、情けない存在だった。

 しかし、数年前。頼りにしていた母も亡くなった。猫の姿で夜間、外へ出た際に、途中で車にはねられたのだろう。母はペンション付近の道路脇の茂みで、猫の姿のまま倒れ、息絶えていたのだ。

 妖である母の亡骸は、ひと晩で跡形もなく消えてしまい、ペンションのオーナーやスタッフは、誰もが忽然こつぜんと姿を消した母の身を案じていた。だが、その事情を、千里が彼らに話せるはずもない。やがて、千里は居場所を失い、一番動きやすい浴衣を着て、数枚の下着を入れた風呂敷包みを持ち、長く暮らしたペンションを去った。

 それからは、なんとかひとりで生きる術を探した。役立たずで、無能な半妖でも、幸いなことに職さえ選ばなければ、仕事はあった。ひどく生きづらい人間社会にも、はみ出し者を許容しようとする優しい受け皿は存在していたわけだ。しかし、誰に拾われても、妖力が影響して、すぐにうまくいかなくなる。やがては騒動を起こしてしまい、千里は結局、どこへ行っても居場所が見つからず、転々と住まいを移りながら、その日暮らしをするしかなかった。

 そんな矢先。もう、この世の中にも、自分自身にも嫌気が差し始めていたときに、千里はあの家を見つけた。そして、衛人と出会ったのだった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。 最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡) 世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。

妖精です、囲われてます

うあゆ
BL
僕は妖精 森で気ままに暮らしていました。 ふと気づいたら人間に囲まれてました。 でもこの人間のそばはとても心地いいし、森に帰るタイミング見つからないなぁ、なんて思いながらダラダラ暮らしてます。 __________ 妖精の前だけはドロ甘の冷徹公爵×引きこもり妖精 なんやかんやお互い幸せに暮らします。

異世界転移した元コンビニ店長は、獣人騎士様に嫁入りする夢は……見ない!

めがねあざらし
BL
過労死→異世界転移→体液ヒーラー⁈ 社畜すぎて魂が擦り減っていたコンビニ店長・蓮は、女神の凡ミスで異世界送りに。 もらった能力は“全言語理解”と“回復力”! ……ただし、回復スキルの発動条件は「体液経由」です⁈ キスで癒す? 舐めて治す? そんなの変態じゃん! 出会ったのは、狼耳の超絶無骨な騎士・ロナルドと、豹耳騎士・ルース。 最初は“保護対象”だったのに、気づけば戦場の最前線⁈ 攻めも受けも騒がしい異世界で、蓮の安眠と尊厳は守れるのか⁉ -------------------- ※現在同時掲載中の「捨てられΩ、癒しの異能で獣人将軍に囲われてます!?」の元ネタです。出しちゃった!

俺以外美形なバンドメンバー、なぜか全員俺のことが好き

toki
BL
美形揃いのバンドメンバーの中で唯一平凡な主人公・神崎。しかし突然メンバー全員から告白されてしまった! ※美形×平凡、総受けものです。激重美形バンドマン3人に平凡くんが愛されまくるお話。 pixiv/ムーンライトノベルズでも同タイトルで投稿しています。 もしよろしければ感想などいただけましたら大変励みになります✿ 感想(匿名)➡ https://odaibako.net/u/toki_doki_ Twitter➡ https://twitter.com/toki_doki109 素敵な表紙お借りしました! https://www.pixiv.net/artworks/100148872

聖女を演じた巻き添え兄は、王弟殿下の求愛から逃げられない

深嶋(深嶋つづみ)
BL
谷口理恩は一年ほど前、妹と一緒に異世界に転移してしまった。 聖女として魔術の才を開花させた妹・世奈のおかげもあって、二人はアルゼノール王国の大教会に保護され、不自由のない暮らしを送ることができている。が、最近は世奈の奔放さに理恩は頭を抱えることもあった。 ある日、世奈の仕事を肩代わりした理恩は、病に臥せっている幼い第二王子・イヴァン王子のもとに参じることに。 ――「僕が大人になったら、僕の妃になってくれませんか」。 何度も謁見を重ねるうちに理恩に懐いた彼は、目の前の聖女が偽者であることに気付かぬまま、やがて理恩に求愛する。 理恩は驚き、後ろめたい気持ちを抱きながらも、「大人になっても同じ気持ちでいてくれたなら」と約束を交わした。 その直後、何者かの陰謀に陥れられた世奈の巻き添えとなり、理恩は辺境の地へと飛ばされてしまい……。 ――数年後、アルゼノール王国を出て世界中を巡っていた理恩は、とある国で偶然、王弟・イヴァンと再会する。 傷心の旅をしているのだという彼は、どういうわけか理恩との交流を持ちたがって――?

入社1ヶ月のワンコ系男子が、知らずのうちに射止めたのはイケメン社長!?

monteri
BL
CM制作会社の新入社員、藤白純太は入社1ヶ月で教育係の先輩が過労で倒れたため、特別なクライアントの担当を引き継ぐことになる。 そのクライアントは、女子禁制ミーハー厳禁の芸能事務所だった。 主人公の無知で純なところに、翻弄されたり、骨抜きにされるイケメン社長と、何も知らない純太がドキドキするお話です。 ※今回の表紙はAI生成です ※小説家になろうにも公開してます

虚ろな檻と翡翠の魔石

篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」 不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。 待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。 しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。 「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」 記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。

前世が教師だった少年は辺境で愛される

結衣可
BL
雪深い帝国北端の地で、傷つき行き倒れていた少年ミカを拾ったのは、寡黙な辺境伯ダリウスだった。妻を亡くし、幼い息子リアムと静かに暮らしていた彼は、ミカの知識と優しさに驚きつつも、次第にその穏やかな笑顔に心を癒されていく。 ミカは実は異世界からの転生者。前世の記憶を抱え、この世界でどう生きるべきか迷っていたが、リアムの教育係として過ごすうちに、“誰かに必要とされる”温もりを思い出していく。 雪の館で共に過ごす日々は、やがてお互いにとってかけがえのない時間となり、新しい日々へと続いていく――。

処理中です...