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2章・チト
友だちのために・4
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剣道部に戻れなんて……、言いたくない……。
「よーしッ。準備万端!」
モエがそう言って、準備運動をはじめている。そんな彼を前に、チトはうつむいた。やっぱり、剣道部のことを話に出したくない。今、こんなにモエは楽しそうにしているのに、こんなにはつらつとしているのに、その話をすれば、きっと悲しい顔をするだろう。けれど、モエの気持ちが、本当に吉川の言う通りだったら。彼はそれによって救われるのだろうか。目を覚ますのだろうか。
そうだとしたら、なにもしないで、黙っているというのも、彼の友だち第一号のチトとしては、あまりに情けなかい。たとえ約束がなかったことになっても、チトは一肌脱ぐべきなのかもしれない。
「チトくん……? 今日どうした?」
「え……」
「なーんか元気なくねぇ?」
不意に顔を覗き込まれて、チトは焦り、くるりと背を向ける。心臓の鼓動がバクバクと高鳴って、吐き気すら感じる。いつもとは違う、ひどく心地の悪い緊張感に襲われ、チトはたまらずに言った。
「ねぇ、モエくんはさぁ……、剣道、もうやらないの?」
なんの前振りもなく、単刀直入に訊いてしまったことを、ほんの少しだけ後悔した。だが、ここで変に取り繕ってみても、モエの気持ちが変わるわけでもないだろう。モエは数秒間、なにも言わなかった。きっと、チトが突然妙なことを言ったので驚いたのだ。
「え……っと、なに……? チトくん、どうしたの、急に」
どこか訝しげにモエに訊かれ、彼からの視線を感じても、チトはモエを見れなかった。モエを見たら最後、彼の背中を押せなくなると思ったのだ。そうして、自分の身勝手な願望を彼に押しつけてしまいそうだった。
吉川に言われたことは忘れたことにして「これからも一緒に、放課後の園芸作業をしてほしい。夏休みの初日には一緒に叔父の家に行って、月下美人を見に行きたい」と。そんな暢気なことだけを言って、この話を終わりにしてしまいそうだった。
「未練とか……、もう、ないのかなぁって思ってさぁ……」
「ないない。前に話したっしょ? 俺、もう前みたいに飛べないんだって」
「でも……、まったくできないわけじゃないんでしょ?」
「まあね。フツウに動くことはできるよ。走ったり、飛んだり、できないわけじゃない。剣道の試合だってできる。でも、前の感覚とは全然違うんだ」
以前、話したときと同じように、モエはもう一度話してくれた。だが、どうしてか安心できない。脳裏には、吉川の言葉が響く。
――チトはまだモエと会ったばっかりだから、わかんないと思う。モエのヤツはたぶん、ひよってるだけだからさ。背中、押してやって。
友だちの背中を押す。思えば、そんな大役を任されたのは、生まれてはじめてだった。モエの本当の気持ちがどこにあるのか、それが言葉通りなのかわからないし、上手で優しい背中の押し方も、チトは知らない。それでも、モエのためにできることなら、チトはなんだってしてあげたかった。たとえチトが望むことと違っても、モエのためになるなら、それでよかった。
「ぼ……、僕はさ、剣道をやったことがないし、モエくんとは最近出会ったばかりだからわからないけど……、もし、モエくんがまだちょっとでも、剣道に未練が残ってるなら、みんな終わりにしちゃうのはもったいないんじゃないかな……」
「なんだよ、それ。だから、もういいんだって!」
「だって……、そんな、毎日2冊も日記つけるほど好きだったのに――」
そう言いかけて、口を噤んだ。つい、余計なことまで言ってしまった――と、チトは後悔する。強い視線を感じて、おそるおそる振り返り、モエに目を向けると、見たこともないほど鋭い目をしたモエと、バチッと視線がぶつかった。
「チトくん、誰かになんか言われた?」
「いや、あの……」
「部活ノートのこと、チトくんに話したことないよね?」
「そ、そうだっけ……」
「そうだよ。もしかして、吉川のヤツがなんか言ってきた?」
モエに言われて、チトはこく、と頷く。途端に、モエは深いため息を吐いた。
「やっぱりそうか……。ったく、やめてほしいんだよなぁ。せっかく最近、チトくんと楽しく園芸やってたのに」
「だけど、剣道のことはほんとにもういいの? 九州の大会がまだ残ってるって、吉川くんが言ってたけど――」
「行かないって! もう剣道部は辞めたんだから」
その声色が、やけに悲しげに、そしてひどく投げやりに、苛立っているように聞こえた。モエは珍しく感情的になっている。チトは思った。彼が剣道に本当に未練がないのなら、もっと冷静に返すのではないか。感情的になんか、ならないのではないか。苛立ちが起こるのは、まだ彼の中で迷いがあるからではないか――と。
「よーしッ。準備万端!」
モエがそう言って、準備運動をはじめている。そんな彼を前に、チトはうつむいた。やっぱり、剣道部のことを話に出したくない。今、こんなにモエは楽しそうにしているのに、こんなにはつらつとしているのに、その話をすれば、きっと悲しい顔をするだろう。けれど、モエの気持ちが、本当に吉川の言う通りだったら。彼はそれによって救われるのだろうか。目を覚ますのだろうか。
そうだとしたら、なにもしないで、黙っているというのも、彼の友だち第一号のチトとしては、あまりに情けなかい。たとえ約束がなかったことになっても、チトは一肌脱ぐべきなのかもしれない。
「チトくん……? 今日どうした?」
「え……」
「なーんか元気なくねぇ?」
不意に顔を覗き込まれて、チトは焦り、くるりと背を向ける。心臓の鼓動がバクバクと高鳴って、吐き気すら感じる。いつもとは違う、ひどく心地の悪い緊張感に襲われ、チトはたまらずに言った。
「ねぇ、モエくんはさぁ……、剣道、もうやらないの?」
なんの前振りもなく、単刀直入に訊いてしまったことを、ほんの少しだけ後悔した。だが、ここで変に取り繕ってみても、モエの気持ちが変わるわけでもないだろう。モエは数秒間、なにも言わなかった。きっと、チトが突然妙なことを言ったので驚いたのだ。
「え……っと、なに……? チトくん、どうしたの、急に」
どこか訝しげにモエに訊かれ、彼からの視線を感じても、チトはモエを見れなかった。モエを見たら最後、彼の背中を押せなくなると思ったのだ。そうして、自分の身勝手な願望を彼に押しつけてしまいそうだった。
吉川に言われたことは忘れたことにして「これからも一緒に、放課後の園芸作業をしてほしい。夏休みの初日には一緒に叔父の家に行って、月下美人を見に行きたい」と。そんな暢気なことだけを言って、この話を終わりにしてしまいそうだった。
「未練とか……、もう、ないのかなぁって思ってさぁ……」
「ないない。前に話したっしょ? 俺、もう前みたいに飛べないんだって」
「でも……、まったくできないわけじゃないんでしょ?」
「まあね。フツウに動くことはできるよ。走ったり、飛んだり、できないわけじゃない。剣道の試合だってできる。でも、前の感覚とは全然違うんだ」
以前、話したときと同じように、モエはもう一度話してくれた。だが、どうしてか安心できない。脳裏には、吉川の言葉が響く。
――チトはまだモエと会ったばっかりだから、わかんないと思う。モエのヤツはたぶん、ひよってるだけだからさ。背中、押してやって。
友だちの背中を押す。思えば、そんな大役を任されたのは、生まれてはじめてだった。モエの本当の気持ちがどこにあるのか、それが言葉通りなのかわからないし、上手で優しい背中の押し方も、チトは知らない。それでも、モエのためにできることなら、チトはなんだってしてあげたかった。たとえチトが望むことと違っても、モエのためになるなら、それでよかった。
「ぼ……、僕はさ、剣道をやったことがないし、モエくんとは最近出会ったばかりだからわからないけど……、もし、モエくんがまだちょっとでも、剣道に未練が残ってるなら、みんな終わりにしちゃうのはもったいないんじゃないかな……」
「なんだよ、それ。だから、もういいんだって!」
「だって……、そんな、毎日2冊も日記つけるほど好きだったのに――」
そう言いかけて、口を噤んだ。つい、余計なことまで言ってしまった――と、チトは後悔する。強い視線を感じて、おそるおそる振り返り、モエに目を向けると、見たこともないほど鋭い目をしたモエと、バチッと視線がぶつかった。
「チトくん、誰かになんか言われた?」
「いや、あの……」
「部活ノートのこと、チトくんに話したことないよね?」
「そ、そうだっけ……」
「そうだよ。もしかして、吉川のヤツがなんか言ってきた?」
モエに言われて、チトはこく、と頷く。途端に、モエは深いため息を吐いた。
「やっぱりそうか……。ったく、やめてほしいんだよなぁ。せっかく最近、チトくんと楽しく園芸やってたのに」
「だけど、剣道のことはほんとにもういいの? 九州の大会がまだ残ってるって、吉川くんが言ってたけど――」
「行かないって! もう剣道部は辞めたんだから」
その声色が、やけに悲しげに、そしてひどく投げやりに、苛立っているように聞こえた。モエは珍しく感情的になっている。チトは思った。彼が剣道に本当に未練がないのなら、もっと冷静に返すのではないか。感情的になんか、ならないのではないか。苛立ちが起こるのは、まだ彼の中で迷いがあるからではないか――と。
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