滅びの序曲 希望の歌

たいよう一花

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1章 新しい住まい――魔界、王宮

20. コマドリの門から王宮の外へ

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――もう、泣くまい。

そう決心しながら、レイは険しい表情で廊下を闊歩していた。
 
もともと情緒豊かな性格だが、このところ自分は泣き過ぎだ。
そう自戒し、活を入れながら速足で歩く。
集中して速度を上げないと、<運命の相手>の吸引力に、負けてしまいそうだった。
 
レイは広大な王宮の敷地内を、ひたすら北東へ、急ぎ足で向かっていた。人目を避けるため、敷地内に数多く点在する建物の外側の土道を、建物に添うように歩く。

魔王が指定した<コマドリの門>は、王宮敷地内の北東端付近、蔦にびっしり覆われたレンガ造りの塀の合間にある。木製の扉に愛らしい小鳥が彫り込まれた装飾が施してあり、素朴な風情で周囲になじむよう作られたそれは、実は王の私庭に繋がる門だ。しかしそれを知る者はほとんどいない。王宮の敷地内に無数にある、半ば放棄された庭の一つにしか見えないが、その庭の片隅に設置された小さな小屋から地下を通り、王宮の外に出られる仕組みになっている。以前レイは、魔王に連れられて、その隠し通路を通ったことがあった。

(あの時は、楽しかったな……)

魔王がお忍びで王都を案内してくれたのだ。
<コマドリの門>から王の私庭に入り、誰にも見られないように王宮の外に出て、半日ほど王都の中を巡り歩いた。
目立たないようにと、二人とも変装をして出かけたのだが、レイは魔族そっくりの長い耳をつけ、額に額瞳のように見える宝石を貼り付けて魔族に扮し、一方魔王は、「お堅い役人風」と称する変装をしていて、髪の色を一時的に茶色に染めてぴっちり後ろに撫で付け、黒縁の眼鏡をかけて、やぼったいマントを羽織っていた。それが可笑しくて、しばらく笑いが止まらなかったのを思い出す。

(今思えば……あの時、あんなに楽しかったのは、魔王と一緒だったから……)
 
二人で巡り歩いた魔導術の道具屋が並ぶ界隈、二人で食べた露店の団子や焼き串、二人で足を止めて見た街頭の大道芸……。
記憶を辿るだけでも、胸が躍る。
それと同時に、今、魔王が傍にいない寂しさが――忘れようとしていた痛みが、鋭く胸に刺さる。

(やめ、やめ! 今は、思い出すな……!)
 
レイは首を振って、前をキッと見据えた。

――その時、遠くの方、前方右手の建物の向こうから、ある人物が歩いてくるのが見えた。

(!!)

レイはとっさに進路を変えた。
急いで左手の建物の方へ回り込み、その人物から見て死角に入る。
絶対に見つかるわけにはいかない、とレイは体中を緊張させた。植木の陰に入り、彼をやり過ごすためにしゃがみ込んだ。
 
彼の名は、サフ・クラーセン。
珍しい濃紺色の長い髪を後ろに束ね、学者風の長衣を身に付けている。目が悪いらしく、いつもチェーンの付いた鼻眼鏡をかけていて、時折外しては目頭を揉み解している。
柔和な、優しい顔立ちで、若く見えるが実は120歳を超えているとか。魔族は人間よりもはるかに長寿で、外見もゆっくり年を取るが、それにしても彼の童顔には魔族でさえ騙される。しかもその外見からは想像も付かないことに、彼は学府長官という政治内の要職に付いている。

レイは、この男が苦手だった。
人には誰しも長所と短所があり、レイは相手の長所を見つけるのが得意で、滅多に人を悪く思ったりはしない。
けれどこの男――サフ・クラーセンだけは、どうしても好きになれなかった。
なぜかは分からないが、彼と相対するたび、ぞくりと悪寒がし、冷や汗が浮かんでくるのだ。
人当たりのいい柔和な笑顔の奥に、何かとんでもない醜悪な生き物が潜んでいるような、澱んだ闇の部分をにおわせている。
それなのに彼は多くの人に良い印象を与えていて、「実直な学者先生」「人柄の良い紳士」「温和な実力者」などと評されている。
自分の感覚とはかけ離れた彼の評価が、レイは不思議でならない。

(とにかく、やり過ごそう。今、彼に会うのは、まずい)

直感がそう告げている。
そうでなくても、今、彼に相対するような心の余裕はない。
絆の相手と離れ、その苦痛に震えている今は。

レイは隠れている植木の陰で呼吸を整え、緊張を解いて座り込んだ。土や植物に一体化しているような感覚を呼び覚まし、そのままじっと、待つ。

――そういえば。

しばらくして座り込んだまま、レイはあることを思い出した。
精霊たちが、<霧の宮>から誰にも見られずに出るタイミングを教えてくれたことを。
さっぱりどこにいるか分からないが、自分を守護してくれているなら、近くにいるはずだ。

(試してみるか……)

「せ……精霊、さんたち。お願いがあります。サフ・クラーセンが十分遠ざかって、俺を見つける心配がなければ、この手の平を二度押してください」

囁くような小さな声で問いかけてみたが、聞こえただろうか、と思いながら、レイは両手を差し出し、手を広げた。
ややあって、手の平が、トントン、と軽く叩かれた。レイはホッと息をつく。

「ああ……ありがとう。この先、誰もいませんか? 俺、ここから出ても、誰にも見られない? 大丈夫なら、また手の平を、二度押して」

すぐに手の平に答えが返ってきた。

「ありがとう、助かったよ、精霊さんたち」

レイは立ち上がると、<コマドリの門>に向かう歩みを再開させた。

やっと辿り着いた<コマドリの門>の手前で、ユースティスの姿をみとめると、レイはホッと息をついた。最後は半ば走っていたので、呼吸が乱れている。

「ユースティス、待たせたな。ごめんよ」

「構わないよ。走ってきたのか?」

ユースティスは<コマドリの門>の鍵を開けると、素早くレイを中に導き入れ、再び鍵をかけた。

「レイ、大丈夫か? 辛いだろう? 絆の相手と、離れるのは」

ユースティスの気遣いが、さざ波のように優しく寄せてくる。
その温かい感情に触れ、またもや涙腺が緩みそうになり、レイは慌てて表情を引き締めた。

ユースティスは今、警備兵の制服ではなく、私服に身を包んでいた。趣味の良い黒いブーツを履き、王都でよく人々が身に付けている簡素なマントを羽織っている。
レイは庭の片隅に置かれた小屋に向かいながら、傍らを歩くユースティスに話しかけた。

「ユースティス、聞いてもいいか?」

「何でも」

「君も、君の<運命の相手>のクルガーと離れるとき、こんなに苦痛を感じるのか?」

「ああ……今は、もう慣れたよ。最初のころのような、強烈な苦痛は、今はだいぶ薄らいでる。今は、こうしてクルガーと多少距離があっても、心が乱れるということはないんだ。もちろん、傍にいたいという気持ちは、いつも変わらないけどね」

「そうか……彼と出会って、何年くらい?」

「もう3年経つな。俺の方が4年先に王宮警備隊に入隊していて、あとからクルガーが入隊してきたんだ。警備隊の宿舎で、出会ってすぐお互いを<運命の相手>と認識した。あの時は、いやあ……今思い出しても赤面するくらい……」

言いながらユースティスは本当に赤面していた。そばかすの浮いた顔で、照れ笑いする。

「俺たちは、お互いに狂いそうなほど、愛し合って、他には何も手が付かず、3カ月、長期休暇をもらったんだ。笑うだろ。よく首にならずに済んだよ。クルガーなんて、入ってすぐ長期休暇だぜ」

「3カ月……その……ずっと……してた・・・のか?」

「してたんだよ、うん。王都に家を借りて、ただひたすら。絆の相手に出会うと、最初はみんなそうらしいぜ」

かなりプライベートなことを聞かれているのに、ユースティスは嫌な顔もせず、朗らかな口調で答えてくれる。それに気付き、レイは言葉を添えた。

「ユースティス、ありがとな、かなり踏み込んだことを聞いているのに、答えてくれて。もし嫌だったら、遠慮なく言ってくれよ?」

「嫌? 全然。……ああ、そうか、君は、人間界出身だもんな。俺たち魔族は、性的な話題をあまりタブー視しないんだよ。こういう話題を控えるのは、巫女さんとか神官、純潔の乙女の前だけだな。だから安心して聞いてくれていいぜ? ……っと、この小屋だ。今、開けるから」

二人の目の前、木立に埋もれるようにして、小さな物置小屋があった。ユースティスが鍵束を取り出して一つの鍵を選び出し、開錠すると、何かが「カチッ」と音を立て、物置小屋の扉の中央付近に、親指の先程の小さな小窓が開いた。

額瞳がくどう認証だ。昨日、俺の額瞳を登録してもらったんだ。警備兵の中では、俺と隊長だけだぜ。すごいだろ」

誇らしげに笑いながらユースティスが小窓に額を近づけると、中から光が額瞳に当たり、間もなく扉が開いた。

「さあ、行こう」

二人は中に入って、薄暗い隠し通路へと向かった。
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