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第5話 勝負
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「おお、堀内殿がいらっしゃっているのですか、それは是非ともお手合わせを願いたいものだ」
累の目が輝く。彼女の出身である古河藩から宇都宮藩は目と鼻の先だ。堀内の評判は累も聞き及んでいた。
「累殿、堀内殿は我が天流剣術に道場破りに参られたのですぞ。まずは私が手合わせをするというのが筋で御座ろう」
そう言って斎藤はニヤリと笑う。
「これは失礼いたしました」
累がそう答えると、三人は座敷を出て道場の方へと向かった。道場の中央には薄汚れた着物を着た男が仁王立ちしていた。斎藤の姿を見ると男は話しかけてきた。
「我が名は堀内鉄舟と申す。天流剣術師範、斎藤伝次郎殿とお見受けいたします。いざ尋常に勝負されたし!」
「うむ、良い目をしていらっしゃいますな。少々お待ち下され」
そういうと斎藤は羽織を脱いで新之助に預けると、木刀を持って道場の中央に進み、堀内の眼前に立った。両者は共に晴眼に構える。
道場の門下生たちは二人を取り囲むように壁際に座してその様子を見守る。累と新之助もそこに並んで同じくその様子を正座して見ていた。
道場の中央で両者は構えたまま、しばしの間動かない。しかしその足先は細かく前後に摺り足を繰り返している。
にらみ合い派が続く中、堀内の額には汗が浮かんできた。そうして一筋の汗が額から右目の横を通って頬の方へ流れ落ちた。対する斎藤の方は全く平然としている。眼光こそ鋭いが涼しい顔をしている。
静寂を先に破ったのは堀内の方だった。素早く振りかぶると気合一閃斎藤の面を狙って木刀を振り下ろしてきた。しかしその剣は宙を斬る。斎藤は軽く後ろに下がるとその剣筋をギリギリのところで躱していた。体勢は全く変わることなく後ろに下がったので、多くの門下生には堀内の木刀が斎藤の体をすり抜けたように見えた。
「凄い!!」
累は思わずそう口に出していた。
「一の太刀を躱されて堀内は二の太刀三の太刀と連続して繰り出した。しかし斎藤はそれを自分の木刀で受けることなく、体捌きのみで次々と躱して行った。時には後ろに下がって躱すので、いつしか斎藤は道場の壁際まで移動していた。そこに座していた門下生たちは避けてスペースを空ける。斎藤の背中が道場の壁に着いたところで、堀内は突き技を斎藤の喉元を狙って放ってきた。もう後ろに下がってそれを躱すことはできない。横に動いて躱すかと思えば、斎藤の持つ木刀が上に動いて堀内の木刀を擦り上げた。その勢いで木刀は堀内の手を離れ宙を舞う。それを一瞬目で追いかけた堀内をしり目に斎藤は彼の背中の方へと体を移動させた。
宙を舞っていた木刀は道場の床に音を立てて落ちた。堀内は斎藤の方を振り返ると
「参りました!!」
と、大声で叫んで頭を下げた。
「一振りもせずに勝負がついてしまいましたね」
新之助の隣でそう言った累の声は震えていた。それは恐怖によるものではない。素晴らしい剣技を見た後の高揚感によるものだった。
まだ経験の浅い新之助にも、父の強さがどれ程のものなのかは理解できた。しかし彼は同時にその父親の勝負の様子を嬉々とした目で見つめる累に寒気を覚えた。
門下生も帰って、道場に残っているのは師範の斎藤伝次郎とのその息子新之助、累の三人だけになった。
累と斎藤伝次郎は道場の中央に向かい合わせに正座をしている。
「それで累殿、確認なんですが私は今も亡き妻を愛しておりまして、どの様な女性であっても、再び所帯を持つつもりは御座いませんが……」
それを聞いて累は笑う。
「斎藤殿、それはご心配なく。お手合わせをお願いしたのは、私の武術家としての興味に依る所です。ただ私が勝った場合、ここで指南役として雇って頂けると助かるのですが……」
斎藤は安心した面持ちでこう返す。
「それは願ってもない話だ。ここは天流剣術を掲げているが、もちろんその元になっているのは、拙者がそなたの父上と学んだ緒方流剣術だ。最近門下生も増えてきているのに、長男の恭一郎も不在で人手がほしかったところですからな」
「それは大変ありがたい。ただまずは斎藤殿に勝たなければなりませんね」
累がそういったあと、二人は正座を崩し木刀を持つと互いに蹲踞(そんきょ)してから立ち上がった。
昼間の道場破り、堀内の時と同じように二人は青眼に構えて向かい合う。そうしてしばらくはお互いに一歩も動こうとはしない。しかし昼間と違うのは両者ともに顔には汗一つかいていない所だろう。
不意に累は、無造作に一歩進み出て間合いを詰めてみた。斎藤はそれに合わせて一歩下がった。すると累は更にもう一歩進み出る。斎藤はまた一歩下がったが、次の瞬間摺り足で今度は前に出た。木刀は小さな動きで累の右手首を狙ってきた。
今度は累が一歩下がって振りかぶる。そうして斎藤の頭を狙って振り下ろす。その累の打ち込みを、斎藤が自分の木刀を寝かせて頭の上部で受ける。すると累はもう一度振りかぶって今度は斎藤の左胴を狙って振り下ろした。
斎藤は今度は木刀で受けることなく、一歩下がってそれを躱した。空を切ったと思った累の木刀は途中でその動きを止めると、今度は斎藤の木刀を下から叩きあげた。斎藤の木刀は上にはじかれる。しかし斎藤はそれでも体勢を崩すことなく、後ろに下がりながら、上から木刀を振り下ろす。引き面だ。しかし累はそれを一歩下がって躱した。
そうしてしばらくまた、お互いに構え直して相対する。両者はまたしばらくは動かない。静かなにらみ合いが続く。しかしその静けさを破る様に累の怒涛の打ち込みが始まった。静から動へと動きが変わる。その動きに合わせて長い黒髪が揺れる。しかし斎藤はこれを全ていなしながら、時折自分もまた返し技を放つ。そうして激しい打ち合いが続いたあと、また二人は構えなおした。道場の隅でこの戦いを見ていた新之助は、二人のあまりに激しい攻防に暫し息をするのを忘れてしまっていた。
累の目が輝く。彼女の出身である古河藩から宇都宮藩は目と鼻の先だ。堀内の評判は累も聞き及んでいた。
「累殿、堀内殿は我が天流剣術に道場破りに参られたのですぞ。まずは私が手合わせをするというのが筋で御座ろう」
そう言って斎藤はニヤリと笑う。
「これは失礼いたしました」
累がそう答えると、三人は座敷を出て道場の方へと向かった。道場の中央には薄汚れた着物を着た男が仁王立ちしていた。斎藤の姿を見ると男は話しかけてきた。
「我が名は堀内鉄舟と申す。天流剣術師範、斎藤伝次郎殿とお見受けいたします。いざ尋常に勝負されたし!」
「うむ、良い目をしていらっしゃいますな。少々お待ち下され」
そういうと斎藤は羽織を脱いで新之助に預けると、木刀を持って道場の中央に進み、堀内の眼前に立った。両者は共に晴眼に構える。
道場の門下生たちは二人を取り囲むように壁際に座してその様子を見守る。累と新之助もそこに並んで同じくその様子を正座して見ていた。
道場の中央で両者は構えたまま、しばしの間動かない。しかしその足先は細かく前後に摺り足を繰り返している。
にらみ合い派が続く中、堀内の額には汗が浮かんできた。そうして一筋の汗が額から右目の横を通って頬の方へ流れ落ちた。対する斎藤の方は全く平然としている。眼光こそ鋭いが涼しい顔をしている。
静寂を先に破ったのは堀内の方だった。素早く振りかぶると気合一閃斎藤の面を狙って木刀を振り下ろしてきた。しかしその剣は宙を斬る。斎藤は軽く後ろに下がるとその剣筋をギリギリのところで躱していた。体勢は全く変わることなく後ろに下がったので、多くの門下生には堀内の木刀が斎藤の体をすり抜けたように見えた。
「凄い!!」
累は思わずそう口に出していた。
「一の太刀を躱されて堀内は二の太刀三の太刀と連続して繰り出した。しかし斎藤はそれを自分の木刀で受けることなく、体捌きのみで次々と躱して行った。時には後ろに下がって躱すので、いつしか斎藤は道場の壁際まで移動していた。そこに座していた門下生たちは避けてスペースを空ける。斎藤の背中が道場の壁に着いたところで、堀内は突き技を斎藤の喉元を狙って放ってきた。もう後ろに下がってそれを躱すことはできない。横に動いて躱すかと思えば、斎藤の持つ木刀が上に動いて堀内の木刀を擦り上げた。その勢いで木刀は堀内の手を離れ宙を舞う。それを一瞬目で追いかけた堀内をしり目に斎藤は彼の背中の方へと体を移動させた。
宙を舞っていた木刀は道場の床に音を立てて落ちた。堀内は斎藤の方を振り返ると
「参りました!!」
と、大声で叫んで頭を下げた。
「一振りもせずに勝負がついてしまいましたね」
新之助の隣でそう言った累の声は震えていた。それは恐怖によるものではない。素晴らしい剣技を見た後の高揚感によるものだった。
まだ経験の浅い新之助にも、父の強さがどれ程のものなのかは理解できた。しかし彼は同時にその父親の勝負の様子を嬉々とした目で見つめる累に寒気を覚えた。
門下生も帰って、道場に残っているのは師範の斎藤伝次郎とのその息子新之助、累の三人だけになった。
累と斎藤伝次郎は道場の中央に向かい合わせに正座をしている。
「それで累殿、確認なんですが私は今も亡き妻を愛しておりまして、どの様な女性であっても、再び所帯を持つつもりは御座いませんが……」
それを聞いて累は笑う。
「斎藤殿、それはご心配なく。お手合わせをお願いしたのは、私の武術家としての興味に依る所です。ただ私が勝った場合、ここで指南役として雇って頂けると助かるのですが……」
斎藤は安心した面持ちでこう返す。
「それは願ってもない話だ。ここは天流剣術を掲げているが、もちろんその元になっているのは、拙者がそなたの父上と学んだ緒方流剣術だ。最近門下生も増えてきているのに、長男の恭一郎も不在で人手がほしかったところですからな」
「それは大変ありがたい。ただまずは斎藤殿に勝たなければなりませんね」
累がそういったあと、二人は正座を崩し木刀を持つと互いに蹲踞(そんきょ)してから立ち上がった。
昼間の道場破り、堀内の時と同じように二人は青眼に構えて向かい合う。そうしてしばらくはお互いに一歩も動こうとはしない。しかし昼間と違うのは両者ともに顔には汗一つかいていない所だろう。
不意に累は、無造作に一歩進み出て間合いを詰めてみた。斎藤はそれに合わせて一歩下がった。すると累は更にもう一歩進み出る。斎藤はまた一歩下がったが、次の瞬間摺り足で今度は前に出た。木刀は小さな動きで累の右手首を狙ってきた。
今度は累が一歩下がって振りかぶる。そうして斎藤の頭を狙って振り下ろす。その累の打ち込みを、斎藤が自分の木刀を寝かせて頭の上部で受ける。すると累はもう一度振りかぶって今度は斎藤の左胴を狙って振り下ろした。
斎藤は今度は木刀で受けることなく、一歩下がってそれを躱した。空を切ったと思った累の木刀は途中でその動きを止めると、今度は斎藤の木刀を下から叩きあげた。斎藤の木刀は上にはじかれる。しかし斎藤はそれでも体勢を崩すことなく、後ろに下がりながら、上から木刀を振り下ろす。引き面だ。しかし累はそれを一歩下がって躱した。
そうしてしばらくまた、お互いに構え直して相対する。両者はまたしばらくは動かない。静かなにらみ合いが続く。しかしその静けさを破る様に累の怒涛の打ち込みが始まった。静から動へと動きが変わる。その動きに合わせて長い黒髪が揺れる。しかし斎藤はこれを全ていなしながら、時折自分もまた返し技を放つ。そうして激しい打ち合いが続いたあと、また二人は構えなおした。道場の隅でこの戦いを見ていた新之助は、二人のあまりに激しい攻防に暫し息をするのを忘れてしまっていた。
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