侍乙女婚活譚 ~拙者より強い殿方を探しています~

十三岡繁

文字の大きさ
9 / 37

第8話 髷狩り

しおりを挟む
 そこには全身あざだらけで……いや、全て累がやった事だが、顔もところどころ膨れ上がった水野十郎の姿があった。
「累殿、なぜそなたが我が道場に!?」
「我が道場?」
 そう言って累は新之助の方を見る。
「兄の斎藤丈一郎です」
 訳は分からなかったが新之助は兄の丈一郎を紹介した。

「水野十郎殿では無かったのか?」
 累は聞く。
「いや、それは通り名の様なもので、本名はそういう事になっておる」

 なるほど昨日の剣筋に少し自分に近いものがあると感じたのはこの為だったかと累は合点がいった。兄弟弟子の子供同士であればそれは納得がいく。しかし粗削りにも程がある。
 そうして落ち着きを取り戻した丈一郎は累の耳元でこうささやいた。
「昨日の果し合いに関しては父や弟にはご内密に願いたい」
 まぁそれはそうだろうと思いつつ、丈一郎に耳元に口を寄せられて、累は少々動揺した。

 そこに斎藤師範も寄ってきた。
「珍しいな、お前が道場に顔を出すとは……」
「いや、父上これからは少し武術の修練にも励もうかと思いましてな」
「どういう風の吹き回しかは分からんが良い心がけだ。精々励むが良い」

 それを聞いて少々累は不思議に思った。確かに丈一郎の技も動きも荒いものではあったが、本気で戦えばその強さは若さと体力も加わって、斎藤師範を超えているかもしれないと感じたからだ。道場に顔を出さないのは、彼には彼で思う所があるのかもしれない。そうしてこの荒削りな男を、昨日も門下生に対して考えたのと同様に、武術を徹底的に叩き込んでいけば、いつかは自分を超えてくれるかもしれないなと思った。そうしてすぐにまた彼が長男である事を思い出し、累は一人落胆した。

 それからまた数日が過ぎた。精進すると言っていた割には丈一郎が道場に現れるのは何日かに一度くらいだった。精進したうえで自分に再挑戦するのではなかったのかと、累は少々腹立たしかった。
 当時の旗本武士の勤務時間は一日四時間程度で、勤務日数も月の半分もなかった。どうも休みの日は全て道場に来ているというわけでは無さそうだ。これではいつになっても、累を超える程の武には辿り着けないであろう。

 そんな中で丈一郎が道場に顔を出していたある日の事だった。午後の稽古が終わる頃に道場が面している庭に一人の若者が現れた。
「水野殿! 昨晩貫太郎が髷狩りにあった。遂に我らにも矛先が向いたようです。貫太郎は組を抜けると言っています」
「おい! ここでは水野という呼び方はやめろと言っているだろう」
 丈一郎は慌ててそう返して周囲を見まわす。幸いにしてその場には斎藤師範と新之助の姿は無かった。累はそのやり取りを見てくすくすと笑う。

「丈一郎殿、髷狩りというのは何なのですかな?」
 累がそう聞くと、丈一郎はしばらく何かを考えた後
「少々この後お付き合いいただけますかな」
 と累に言った。

 稽古が終わり丈一郎に連れられて行った茶屋には、既に先ほどの若者ともう一人が席に座して待っていた。一人は頭巾を被っている。茶屋で頭巾を被っているというのは異様である。悪目立ちをしているが、そこは旗本奴なのでいで立ちもかぶいているから、いつもの事かとそれほど周囲は気にしていない様だ。机を挟んだ向かいの席に丈一郎と累はかけた。

「貫太郎、髷狩りにあったそうだな」
「はい。昨晩での事でした。あれは化け物です。周囲が暗いのもありましたが、最初髷を切られた事にも気が付かなかったくらいです。組を抜けなければ今度はその首を落とすと言われました」
「ふむ、その者はどのような風体だったのだ?」
「暗かったのではっきりとは分かりませんが、たっつけ袴を着用していました。そうしてなにやら線香臭かった。もしかするとこの世のものではないのかもしれない」
 たっつけ袴というのは、ひざから下が細く絞られた袴で、動きやすいという特徴はあるが、実際にそう動く事の無い江戸の武士で普段から好んで着るものは少ない。

「髷とはいえ人の体を斬るのであればこの世の者で間違いなかろう。大方我らに敵対する町奴の連中がどこぞの浪人でも雇ったのであろう。既に六方組の一つは解散に追い込まれたと聞いたが、遂にうちの組にも手を出してきたか……」
「丈一郎殿、町奴とは?」
「うむ、累殿はまだ江戸に出てこられて間もないのでご存知ないと思うが、我らの様な武士の集まりの旗本奴と言われる集団がある様に、町民の若者が集まった町奴という集団もいてな。これと事あるごとにいさかいが絶えないのだ。力で言えば当然武士の我らが上回るが、それを面白く思っていないのであろう」

「他の組のやつから聞いた話でも。髷を切られたものは、その後も組でつるんでいると今度は命をとると言われたそうです。貫太郎は長男で家督を継ぐ必要があります故、組を抜けるというのも致し方ないかと……」
 先ほど道場に駆け込んできた男がそう続けた。累はそれを聞きながら黙ってお茶を飲んでいる。
「……ところで水野殿、隣にいらっしゃる女性は先日果し合いをされた中沢累殿とお見受けいたしますが、精進の上昨日の今日でもう勝利されたのですかな?」
 それを聞いて累は飲んでいたお茶を吹きだした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

後宮なりきり夫婦録

石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」 「はあ……?」 雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。 あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。 空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。 かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。 影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。 サイトより転載になります。

お姫様は死に、魔女様は目覚めた

悠十
恋愛
 とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。  しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。  そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして…… 「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」  姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。 「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」  魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

あまりさんののっぴきならない事情

菱沼あゆ
キャラ文芸
 強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。  充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。 「何故、こんなところに居る? 南条あまり」 「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」 「それ、俺だろ」  そーですね……。  カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

処理中です...