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57 ティッシュを本郷くんにあげてくれ!
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「ちょっ、ストッープ! ストーップ!」
取り敢えず演奏を止める。みんな何があったのか分からず戸惑いの表情だ。
「大丈夫? どうした?」
かなでちゃんが羽深さんに歩み寄り、背中に手を回して顔を覗き込む。
こんな時男性陣は無力だ。できることなら僕だってああしたいところだけど、そんなことしようものなら気味悪がられるのは必至だ。
泣いて呼吸困難に陥り喋ることもままならない様子の羽深さんをキーボードの椅子に座らせて、かなでちゃんはしゃがみ込んで背中をさすってあげている。
はてさて。一体羽深さんの身に何が起こっているのだろうか。僕にはさっぱり見当もつかないのだけど、多分他のメンバーも同じじゃないだろうか。かなでちゃん以外は、一同ぽかーんとしている。
取り敢えず僕は受付に行ってティッシュをもらって戻り、かなでちゃんに手渡した。
少し落ち着いてきた様子の羽深さんはちーんと鼻をかんでいる。美女の鼻かみとはレアだがもちろんこの状況でそんなことを考えている奴などいない。
「ごべんなさい。ずいにバンド実現じだどおぼったら、いろんな感情が一気にあぶれでぎで……」
「そっか……そっかそっか」
かなでちゃんがよしよしと頭を撫でながら羽深さんを抱きしめている。うぅむ。あの役、羨ましいなどと内心では思いつつ、これまた僕がやったところで気味悪がられるだけだ。
まぁそんなことはどうでもよくて、羽深さん、要するに感極まってしまったということか。よっぽどの思いだったんだなぁ。このバンドにかける思い。
ちょっと僕は感動してしまったよ。
他のメンバーの様子を見渡してみると、メグと羅門はどうしていいか分からず気まずそうに目を逸らしている。無口な本郷君は……めっちゃ鼻水垂れ流して泣いてるじゃないか。ティッシュ! かなでちゃん、ティッシュを本郷君にあげてくれ! なんだよ、本郷君。クールな無口キャラかと思いきや、無口な感動屋さんだったのか。意外。
そんな羽深さんの思いを受けて、各メンバー思うところがあったようで、今の演奏についての意見が活発に出た。ここのダイナミズムをもっとどうだの、もうちょっと裏を強調したノリにしたいとか。よりよい演奏になるようみんな本気だ。
そういえば日本のバンドにありがちなのが、ダウンフィールでビートをカウントする演奏スタイルだ。エンヤードットーの古来より染み付いた日本人のビート感覚をポップスにも反映させてしまう。
しかし黒人のビートに由来する現代の音楽のビートは、バックビートでノリを感じるアップフィールが基本原則というか大前提なのだ。
まずポップスやロックで一般的な四拍子の場合、基本中の基本として1234の2と4を意識してビートをカウントする。その上で一小節を12345678と八分音符で刻んだ8ビートで演奏するとしたら、2468の偶数のところでノる。さらに言えばいいプレイヤーなら8ビートでもその倍の16ビートを感じて演奏している。
ところが育った環境のせいか、売れ線のJポップの多くの曲が一拍と三拍にアクセントのある唱歌や童謡、もしくは音頭スタイルのメロディ構造の楽曲が多く、そのため演奏のカウントの取り方もそうなってしまっているものが多い。ボーカルスタイルだけはなぜかやたらとソウルフルなので、僕には聴いててソウルフルな演歌に聞こえてしまう。
そういった楽曲はよく売れているので、きっとその方が馴染み深く感じるリスナーが多いのだろう。僕らの場合は、裏でビートを感じるアップフィールのリズムの取り方の方が馴染み深く感じてしまうのだけど。
さて、羽深さんも随分落ち着いてきたようだ。
「どう、羽深ちゃん。そろそろ行けそう?」
羅門が確認する。羽深さんは大きくゆっくりと頷くと深呼吸をした。
「みんな、ごめんね。もう大丈夫。わたし今バンドで歌ってるんだと思ったら、感動で胸が詰まっちゃって」
「もぉ~、かわいいこと言ってくれちゃって。うれしいねぇ」
羅門が言うように、みんな羽深さんのその思いに心を動かされたようだ。バンドメンバーが思いを一つにするって大切なことを、バンド練習の初っ端にできたことはバンドの今後にとってもとても大きなことだと思う。
その後の練習はみんな凄い集中力で臨んだため、素晴らしい演奏となった。練習状況はずっと動画に撮っていたし、マルチトラックで録音もしていたので、ミックスして後でサーバーに上げておくことになっている。演奏していると分からないのだけど、録音されたものを聴くと自分の演奏を客観的に聴くことができる。上手くなるためには実はこれが欠かせない。
「お疲れ様っ! このバンドいいね! こりゃ期待できるわ。手応えめっちゃ感じた」
メグも大絶賛だ。僕も全面同意だ。いろんなバンドのトラで叩いているけど、こんなにバランスがいいバンドにはめったに出会えない。正直このメンバーで大正解だった。羅門の奴はなかなか信用できないけど、演奏面では認めざるを得ない。本郷君は演奏も人間もいい奴だ。
「楠木君、ドラムの音いいねぇ。今まで参加してきたバンドだとドラムは力任せの奴が多かったんだけど、楠木君は音はめっちゃでかいのになんか邪魔じゃないよね。不思議だなぁ」
無口な本郷君が誉めてくれた。そう言えば音がでかいとはよく言われるから、でかいんだろうなぁ。でも邪魔じゃないのか。うーん、何でだろなぁ。
「あぁ、楠木のドラムはホント、バランスがいいんだよね。ハイハットがうるさくないんだよ」
メグの談だ。なるほど、そういうことか。
「ハイハットかぁ。なるほどなぁ、言われてみればそうかも」
本郷君が妙に納得している。
ドラムって、右利きなら通常右手でハイハットを刻む。利き腕だけに初心者は強く叩きがちだけど、金物の音ってまぁ耳障りになりがちだ。しかも通常一番細かくリズムを刻むので、とかくうるさくなりがちなのだ。
だから上手いドラマーは普通ハイハットは一番小さく、キックが一番大きくという力加減になる。音の特性として低音ほど音はボワッと広がって遠くに届かないので、キックは大きめに鳴らす必要がある。逆に高域は遠くに飛ぶ特性があるので、ハイハットは音量を加減して叩く必要がある。電子ドラムでのみ練習しているとこの辺にはなかなか気づけない。ドラムはとてもプリミティブな楽器で、叩く人の個性で音が全然違うものだ。だからできるだけ生でドラムを叩く機会を持って、録音や録画をして後で聴き直す習慣を持った方が上達への近道だ。
これはマイキング事情の面でも必要とされる基本技術だ。マイクを立てた場合にスネアとハイハットは物理的な距離がとても近いので、スネアドラムのマイクにハイハットの音が回り込んでしまうことはどうしても避けられない。ハイハットの音量が大きすぎると、たとえばミックス時にスネアの音量を上げると、回り込んだハイハットの音まで大きくなってしまってバランスを上手く取れなくなる。自分の演奏を録音して知っているドラマーは、ハイハットやキックのバランスのことも考えて叩くわけだ。
練習を終えて、羽深さんは高揚感でほんのりと頬が上気してピンクになっているようだ。いつにも増してかわいいのだが、僕はどうしたらいいのだ。いや、どうしようもないのは分かってるんだけど。ひたすら羽深さんがかわいくて堪らない。
「よっしゃ。じゃあまた打ち上げ行っちゃうか?」
羅門がいつものように軽~い調子で提案すると、今日もまたファミレスにみんなで向かうのだった。
取り敢えず演奏を止める。みんな何があったのか分からず戸惑いの表情だ。
「大丈夫? どうした?」
かなでちゃんが羽深さんに歩み寄り、背中に手を回して顔を覗き込む。
こんな時男性陣は無力だ。できることなら僕だってああしたいところだけど、そんなことしようものなら気味悪がられるのは必至だ。
泣いて呼吸困難に陥り喋ることもままならない様子の羽深さんをキーボードの椅子に座らせて、かなでちゃんはしゃがみ込んで背中をさすってあげている。
はてさて。一体羽深さんの身に何が起こっているのだろうか。僕にはさっぱり見当もつかないのだけど、多分他のメンバーも同じじゃないだろうか。かなでちゃん以外は、一同ぽかーんとしている。
取り敢えず僕は受付に行ってティッシュをもらって戻り、かなでちゃんに手渡した。
少し落ち着いてきた様子の羽深さんはちーんと鼻をかんでいる。美女の鼻かみとはレアだがもちろんこの状況でそんなことを考えている奴などいない。
「ごべんなさい。ずいにバンド実現じだどおぼったら、いろんな感情が一気にあぶれでぎで……」
「そっか……そっかそっか」
かなでちゃんがよしよしと頭を撫でながら羽深さんを抱きしめている。うぅむ。あの役、羨ましいなどと内心では思いつつ、これまた僕がやったところで気味悪がられるだけだ。
まぁそんなことはどうでもよくて、羽深さん、要するに感極まってしまったということか。よっぽどの思いだったんだなぁ。このバンドにかける思い。
ちょっと僕は感動してしまったよ。
他のメンバーの様子を見渡してみると、メグと羅門はどうしていいか分からず気まずそうに目を逸らしている。無口な本郷君は……めっちゃ鼻水垂れ流して泣いてるじゃないか。ティッシュ! かなでちゃん、ティッシュを本郷君にあげてくれ! なんだよ、本郷君。クールな無口キャラかと思いきや、無口な感動屋さんだったのか。意外。
そんな羽深さんの思いを受けて、各メンバー思うところがあったようで、今の演奏についての意見が活発に出た。ここのダイナミズムをもっとどうだの、もうちょっと裏を強調したノリにしたいとか。よりよい演奏になるようみんな本気だ。
そういえば日本のバンドにありがちなのが、ダウンフィールでビートをカウントする演奏スタイルだ。エンヤードットーの古来より染み付いた日本人のビート感覚をポップスにも反映させてしまう。
しかし黒人のビートに由来する現代の音楽のビートは、バックビートでノリを感じるアップフィールが基本原則というか大前提なのだ。
まずポップスやロックで一般的な四拍子の場合、基本中の基本として1234の2と4を意識してビートをカウントする。その上で一小節を12345678と八分音符で刻んだ8ビートで演奏するとしたら、2468の偶数のところでノる。さらに言えばいいプレイヤーなら8ビートでもその倍の16ビートを感じて演奏している。
ところが育った環境のせいか、売れ線のJポップの多くの曲が一拍と三拍にアクセントのある唱歌や童謡、もしくは音頭スタイルのメロディ構造の楽曲が多く、そのため演奏のカウントの取り方もそうなってしまっているものが多い。ボーカルスタイルだけはなぜかやたらとソウルフルなので、僕には聴いててソウルフルな演歌に聞こえてしまう。
そういった楽曲はよく売れているので、きっとその方が馴染み深く感じるリスナーが多いのだろう。僕らの場合は、裏でビートを感じるアップフィールのリズムの取り方の方が馴染み深く感じてしまうのだけど。
さて、羽深さんも随分落ち着いてきたようだ。
「どう、羽深ちゃん。そろそろ行けそう?」
羅門が確認する。羽深さんは大きくゆっくりと頷くと深呼吸をした。
「みんな、ごめんね。もう大丈夫。わたし今バンドで歌ってるんだと思ったら、感動で胸が詰まっちゃって」
「もぉ~、かわいいこと言ってくれちゃって。うれしいねぇ」
羅門が言うように、みんな羽深さんのその思いに心を動かされたようだ。バンドメンバーが思いを一つにするって大切なことを、バンド練習の初っ端にできたことはバンドの今後にとってもとても大きなことだと思う。
その後の練習はみんな凄い集中力で臨んだため、素晴らしい演奏となった。練習状況はずっと動画に撮っていたし、マルチトラックで録音もしていたので、ミックスして後でサーバーに上げておくことになっている。演奏していると分からないのだけど、録音されたものを聴くと自分の演奏を客観的に聴くことができる。上手くなるためには実はこれが欠かせない。
「お疲れ様っ! このバンドいいね! こりゃ期待できるわ。手応えめっちゃ感じた」
メグも大絶賛だ。僕も全面同意だ。いろんなバンドのトラで叩いているけど、こんなにバランスがいいバンドにはめったに出会えない。正直このメンバーで大正解だった。羅門の奴はなかなか信用できないけど、演奏面では認めざるを得ない。本郷君は演奏も人間もいい奴だ。
「楠木君、ドラムの音いいねぇ。今まで参加してきたバンドだとドラムは力任せの奴が多かったんだけど、楠木君は音はめっちゃでかいのになんか邪魔じゃないよね。不思議だなぁ」
無口な本郷君が誉めてくれた。そう言えば音がでかいとはよく言われるから、でかいんだろうなぁ。でも邪魔じゃないのか。うーん、何でだろなぁ。
「あぁ、楠木のドラムはホント、バランスがいいんだよね。ハイハットがうるさくないんだよ」
メグの談だ。なるほど、そういうことか。
「ハイハットかぁ。なるほどなぁ、言われてみればそうかも」
本郷君が妙に納得している。
ドラムって、右利きなら通常右手でハイハットを刻む。利き腕だけに初心者は強く叩きがちだけど、金物の音ってまぁ耳障りになりがちだ。しかも通常一番細かくリズムを刻むので、とかくうるさくなりがちなのだ。
だから上手いドラマーは普通ハイハットは一番小さく、キックが一番大きくという力加減になる。音の特性として低音ほど音はボワッと広がって遠くに届かないので、キックは大きめに鳴らす必要がある。逆に高域は遠くに飛ぶ特性があるので、ハイハットは音量を加減して叩く必要がある。電子ドラムでのみ練習しているとこの辺にはなかなか気づけない。ドラムはとてもプリミティブな楽器で、叩く人の個性で音が全然違うものだ。だからできるだけ生でドラムを叩く機会を持って、録音や録画をして後で聴き直す習慣を持った方が上達への近道だ。
これはマイキング事情の面でも必要とされる基本技術だ。マイクを立てた場合にスネアとハイハットは物理的な距離がとても近いので、スネアドラムのマイクにハイハットの音が回り込んでしまうことはどうしても避けられない。ハイハットの音量が大きすぎると、たとえばミックス時にスネアの音量を上げると、回り込んだハイハットの音まで大きくなってしまってバランスを上手く取れなくなる。自分の演奏を録音して知っているドラマーは、ハイハットやキックのバランスのことも考えて叩くわけだ。
練習を終えて、羽深さんは高揚感でほんのりと頬が上気してピンクになっているようだ。いつにも増してかわいいのだが、僕はどうしたらいいのだ。いや、どうしようもないのは分かってるんだけど。ひたすら羽深さんがかわいくて堪らない。
「よっしゃ。じゃあまた打ち上げ行っちゃうか?」
羅門がいつものように軽~い調子で提案すると、今日もまたファミレスにみんなで向かうのだった。
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