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Ⅲ.志貴の過去話
クラスのボッチが恋愛する話。12
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その後、男性恐怖症になった美咲は、遂には志貴以外の男を視界に入れるだけでも激しい嘔吐感に襲われるようになり、学校では保健室から出る事も無くなってしまった。
──でも、ある意味で彼女はそれが嬉しかったのかもしれない。
勿論、男性を視界に写す事すらできないというのは不便極まりない。将来的に考えてもあまり楽観視できるものでもないだろう。けれど、それ以上に彼女は志貴以外を見なくていいという状況に喜んでいた。
それほどまでに、美咲の志貴に対する想いは強いのだ。それこそ、彼を最も愛しているのは自分だと豪語するくらいには。
しかし、そんな彼女も最初から志貴の事を愛していたわけではない。
美咲が兄を溺愛するようになった理由──それは、数年前にまで遡る。
◇
「なあ、大丈夫か? 手伝おうか?」
「……お兄様には、関係ないですよね」
とある家の一室から、そんな声が聴こえた。
水野小学校からそれなりの距離を取ったある場所に聳え立つ、些か絢爛に過ぎる家だ。
そこの家主は若くして企業を起こし、そして大成功を収めた今をときめく社長なのだ。私生活においても、妻と二人の子供に恵まれ、まさに幸せの絶頂期にいる。
そんな男の長男──それこそが、かつての志貴だった。
志貴は、仕事で家を空けがちな両親に変わって妹の世話をしているのだが、これが七難八苦。男子の志貴には、どうしても女子の好みというのが理解しづらいところがあり、どうしても摩擦が生まれてしまう。
今回だって、リビングで宿題をする妹を助けようと思って言ったのだが、すげなく断られてしまった。
実の兄妹だというのに、ここまで寒々しい冷えた関係になってしまい、志貴にとってはどうすればいいのか分からなかった。
学校では特に自分の家がお金持ちだという事は話してないので、友人に相談しようにも、まず前提を説明するのに苦労しなくてはならない。
しかし志貴としては、生まれつき病弱な妹の事は気掛かりだし、万が一何かあったらと思うとぞっとしない話だ。
「はぁ……でも、どうすればいいんだろう……」
──父には頼れない。言ったところで、結局放任されるのが関の山だろう。あの男は、そういう男なのだ。
──母には言えない。妹に味方するあの女に言ったところで、もっと関係が悪化するのは目に見えている。
そうして彼と妹の関係がギクシャクしたままに時は進み、その年の彼の誕生日から数日が経ったある日の事だった。
「なあ、良ければ一緒に遊ばないか?」
「良くないので結構です」
「なあ、良ければ一緒に遊ばないか?」
「ですから結構だと……」
「なあ、良ければ一緒に遊ばないか?」
「……しつこいですよ」
「なあ、良ければ一緒に遊ばないか?」
「…………分かりました」
「よーし、それじゃあ何をして遊ぼうか?」
「はぁ、承諾した途端にこれなんですから……。しょうがないですね、付き合ってあげます」
「テレビゲーム、スポーツ、アナログゲーム、昔の遊びなんかもあるぞ」
「い、いつの間にそんなに用意していたんですか……」
「いやー、我が妹と遊ぶ為と思って色々と用意したんだよ」
そう言って微笑む志貴の姿を見た妹は、「ふふ……」と小さく笑って口を開いた。
「私、テレビゲームなどには疎いので……オセロでもしましょうか」
「オセロだな。ならこっちにあるから付いてきてくれ」
「いえ、めんどくさいのでお兄様が持ってきてください。私はここで待ってますので」
「お、横暴だぁ……」
「あ、ついでに飲み物もお願いします」
「酷い⁉︎」
そうしてオセロ盤と、ジュースとコップの乗ったトレーを一緒に持ってくるという中々なミッションをクリアした志貴は、改めて妹と向き合う。
窓から差し込まれる陽光を受けて煌めく黒髪を相当に伸ばしており、床に座っている現状では、その床に髪が流れるほどだ。
「何をしているんですか? 早く準備をしてください」
「はいはい。かしこまりました、お嬢様」
怪訝そうな目つきで志貴を見つめる黒い双眸は、半眼になっており、(本人は認めたがらないだろうが)可愛らしさが滲んでいる。
「それじゃ、始めようか。……一応聞くけど、オセロのルールは知ってるよな?」
「バカにしないでください、それくらいは知っています。というか、それ以前にオセロを提案したには私ですよ? その私が知らないわけないじゃないですか」
「確かに言われてみれば、それもそうだな。あ、先攻どうぞ」
「それはどうも。では遠慮なく」
そうして妹が盤上にパチッという音と共に盤を少しだけ白に染めたのと同時に、彼等は歓談を交えながら、遊戯に時間を費やすのだった──。
「い、妹よ……もう少しくらい手加減してもいいと兄は思うぞ……」
「はぁ、お兄様が弱すぎるだけです。なんですか、全戦全敗って」
「う……いや、まさかここまで実力差があるとは思わなくて……。オセロ、将棋、囲碁、チェス、トランプ、ウノ、果ては五目並べとか挟み将棋ですら負けるとは、さすがに……」
力尽きたかのように床に寝転ぶその姿は、とても兄の威厳とかそういったものは感じられなかった。
──でも、妹はそれがどこか心地よかった。
「お兄様、そんなところに寝転がってはいけませんよ。行儀が悪いです」
「ああ、悪い。すぐちゃんと座るから……⁉︎」
一旦立ち上がろうとした志貴は、まず軽い浮遊感を覚えた。それが妹に頭を持たれたからだと気づいたその直後に、彼はさらなる驚きに見舞われる。
側頭部には人肌の柔らかい感触。上を見上げれば、頬を朱に染めた愛しの妹の顔がある。つまりこれが、噂に聞く──膝枕だ。
「な、なんですか……そんなに呆気に取られたような顔をしなくてもいいでしょう」
「い、いやいや、だってまさか、こんな、え、いや、だってまさか、こんな……」
「落ち着いてください。驚きがループしてます」
やれやれと肩をすくめる妹を見上げた志貴は、少しの間だけ口を閉ざし──そして、冷静さを取り戻すと、改めて言葉を発した。
「悪い、取り乱してしまって……。思えば、今日は情けない姿しか見せていないな。こんな不甲斐ない兄で、失望したか……?」
恐る恐るといった様子でそう聞いてくる彼の顔には、不安が滲み出ていた。
「お兄様って、本当にバカですよね」
「……はは。実際に言われると、結構キツイな……」
「そういうところがバカだって言っているんです。そもそも、貴方の妹は失望した相手に膝を貸すほどはしたない女でしたか?」
「………それって……」
「──私だって、楽しかったんですよ。こうしてお兄様と一緒に遊ぶ事ができて……久々に、笑った気がします」
「…………ぁ…………」
「ですから、その、なんと言いますか…………よ、よろしければ、これからも、たまにでいいですから、こうして遊んで頂けると……う、嬉しいです…………」
「──────────」
「あ、あの、何か言ってくれませんか……?」
「…………か…………」
「か?」
「──可愛いなあ、もう!」
そう言って、志貴はガバッと妹へと抱きついた。
「きゃっ! な、何をしているんですか⁉︎」
ギューッと力強く抱きしめてくる兄に、妹も言葉だけは嫌そうにしているが、声色は少し弾んでいるし、口角はヒクヒクと上がっている。しかし流石に恥ずかしいのか、髪の隙間からチラリと覗く耳までもが赤くなっている。……一応、本人は必死に隠そうとしているけど、全く隠せていない。
「あぅ…………」
抱きしめられるのに加えて頭を撫でられて、遂に顔から煙が出てきそうなほどに真っ赤になった、志貴の愛する妹は、恥ずかしさからか彼の胸板に顔を押し付けている。
──その行為が、果たして恥ずかしさからだけで行ったなのかは、本人のみが知るところではあるが。
「お、お兄様……私、そろそろ羞恥で死にそうです……」
ともあれ。プシュ~と顔から湯けむりを出し始めた妹を解放するために、志貴は彼女を離した。
「…………ぁ…………」
「え?」
「い、いえ、なんでもありません」
志貴が彼女から離れた瞬間、その小さな口からほんの微かにだが、惜しむような声が聞こえたような気もしたが、本人がなんでもないと言っているしそうなんだろう。と納得する事にした彼は、改めて妹と向き合う。
窓から差し込む夕日を受けて美しく煌めく黒髪も、見ているだけで吸い込まれそうになる黒き双眸も、淡い桜色が儚くすらあるプリッとした唇も、彼女の魅力のごく一部でしかない。
「お、お兄様……」
両手を背中に回しながら、モジモジとしながら妹は志貴に話しかけた。視線は泳いでいるし、顔は真っ赤になっており、普段からは考えられない様子だ。
彼女の呼び声に「どうした?」と彼が答えれば、彼女は暫く押し黙り──そして、数秒が経過すると、意を決したかのように小さく深呼吸をして、背中にあった両手を前に突き出した。
「こ、これ! 受け取ってくださいっ!」
激しく緊張しているのか、普段ならば出さないような大声でそう言った彼女の両手のひらには、小さな箱が乗せられていた。
「えっと、開けていいか?」
「……良いですけど、笑わないでくださいね」
妹の言葉に首肯で返した彼は、ゆっくりと純白の小箱を開ける。するとそこには、
「──これって、指輪か?」
彼の言う通り、箱の中には指輪が入っていた。
「はい、見ての通りです……。か、勘違いしないでくださいね、変な意味じゃなくて……その、先日の誕生日に私、ロクにプレゼントも渡してなかったから、それで……」
バツが悪そうに彼女は言うが、確かにそうだ。つい数日前の志貴の誕生日に於いても、終始仏頂面をしていた彼女はこれといったプレゼントを渡す事もなかったのだ。
「はは。そっか、ありがとう、凄く嬉しいよ。ただまあ、流石に学校に指輪は着けていけないし、チェーンを通してネックレスとして持っているようにするよ」
「そうですか……。いえ、それでも嬉しいです。こんな妹から受け取った物をそんな風に大事にしてくださって」
「そんな事言うなよ。俺は愛しの妹から受け取った物なら、なんだって嬉しいんだから」
「はあ……つまり、チョロいと」
「うん、まあ、その通りなんだけど、もうちょっとオブラートに包んでほしいな」
「善処しますね」
「それしないやつだ…………。というか、この指輪どうやって買ったんだ? 多分、今日用意したんだろ?」
閑話休題して話を変えた志貴は、チラリと自らの右手に握られた白銀の指輪を見やる。
「お兄様が席を外した隙間に、お母さんに頼んだです。お兄様には何度も席を外させて、受け取りなども滞りなく行えました」
「あーなるほど。道理で、後半になって妙にパシリをさせたのか」
「ええ。少々心苦しかったですけど、そこは心を鬼にしました」
「そっか……。しかし、本当に俺達って兄妹なんだな」
「? 何を言っているのですか? そんなの当たり前でしょう」
そう言いながら首を傾げる妹を見ながら、苦笑した志貴は立ち上がって彼女に言った。
「ちょっと待っててくれ。ある物を部屋から持ってくる」
「分かりました。ですが、なるべく早くしてくださいね。もしも遅くなったりしたら、怒っちゃいますからね」
多分、昨日までの妹に言われれば怖いんだろうけど、今の妹に言われても微笑ましいだけだな……。なんて事を考えながら、彼はその部屋を後にする。
そしてその部屋から少し歩いた先にある自分に部屋──そこに置いてある学習用の机の上から二番目の引き出しに入っているそれを取り出した彼は、駆け足気味に元いた部屋へと戻る。
彼が急ぎながらも音を立てずに扉を開けると、そこには涙目になった妹の姿があった。
「…………………………え?」
「あ、お兄様……これはその、違うんです。目にゴミが入っただけで……」
全く状況の分からない志貴だったが、それでも何らかの要因が彼女を悲しませたのは間違いない。そう考えた彼は、その手に持っていた物をそっと近くの机に置くと、妹の元へと近寄りギュッと彼女を抱きしめた。
「ふわぁ………不思議ですね。昨日まであんな態度とっていたのに、今ではお兄様と少し離れるだけで悲しくて、こうしてお兄様に抱きしめられると、安心するんですから」
それから数秒すると、彼女は「もう大丈夫です」とだけ言って彼から離れた。その彼女の鼓動が凄まじい速さで刻まれていたのは、彼女しか知らない。
「まあ、何はともあれ元気になってくれて良かったよ。それじゃ、本題に戻ってもいいか?」
目元を指で拭った彼女は、小さく首肯した。それを見た志貴は、近くの机に置いておいたそれを妹へと見せる。
「…………………………これって」
「今回のプレゼントのお返しって事で……どうだ?」
そう言った彼の手のひらの上には、純白の小箱が乗っていた。それを受け取った彼女がチラリと志貴を見やると、彼もそれに頷く。
「…………あ」
「な? 俺達って本当に兄妹なんだよな」
恐る恐る小箱を開けた妹は、小さく声にもならない声を上げた。何故ならば、そこには彼が握りしめる指輪と瓜二つの指輪が入っていたのだから。
「いつか、なんかの機会に渡せればなって昨日買ったんだけど……まさか同じのを買うとわな。まあ、その指輪を選んだのは母さんなんだろうけど……」
「それでも。指輪にしてほしいとお願いしたのは、他でもない私自身です。だからこれは、私達が兄妹という証なんです」
そう言って受け取った指輪を心底大事そうにギュッと握る彼女の表情は、安堵に染まっていた。
「お兄様、お願いがあるんです」
「ああ、何でも言っていいぞ」
「……この指輪を、私の指に嵌めてほしいです。他ならない、お兄様自身の手で」
「──分かった。ならちょっと貸してくれ」
そう言われて、躊躇いなく兄に指輪を渡した妹はそのまま真っ白な左手を差し出してきた。
シミどころか黒子一つ存在せず、彼女自身の病弱さと合わせて、まるで雪原のようなヒンヤリとした手にそっと自らの手を添えた彼は、そのまま指輪を持った手を近づけていく。
「──────────」
そして、自らの左手の薬指に嵌められた指輪を見た彼女は、絶句しながらも指輪から目を離す事はなかった。
「……お兄様、左手の薬指に嵌められる指輪の意味──ご存知ですか?」
「え、なんか意味あったのか? なんとなく、指輪のサイズで決めただけだったんだが……」
「はぁ……まあそんな事だろうとは思いましたけど」
その時、少しだけ彼女の心の中に『残念』という気持ちがあった事に、本人ですらまだ気付いていない。そしてそれ以上に、なんだかんだ文句を言いつつも彼女は、指輪を動かそうとする事は無かった。
──でも、ある意味で彼女はそれが嬉しかったのかもしれない。
勿論、男性を視界に写す事すらできないというのは不便極まりない。将来的に考えてもあまり楽観視できるものでもないだろう。けれど、それ以上に彼女は志貴以外を見なくていいという状況に喜んでいた。
それほどまでに、美咲の志貴に対する想いは強いのだ。それこそ、彼を最も愛しているのは自分だと豪語するくらいには。
しかし、そんな彼女も最初から志貴の事を愛していたわけではない。
美咲が兄を溺愛するようになった理由──それは、数年前にまで遡る。
◇
「なあ、大丈夫か? 手伝おうか?」
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そこの家主は若くして企業を起こし、そして大成功を収めた今をときめく社長なのだ。私生活においても、妻と二人の子供に恵まれ、まさに幸せの絶頂期にいる。
そんな男の長男──それこそが、かつての志貴だった。
志貴は、仕事で家を空けがちな両親に変わって妹の世話をしているのだが、これが七難八苦。男子の志貴には、どうしても女子の好みというのが理解しづらいところがあり、どうしても摩擦が生まれてしまう。
今回だって、リビングで宿題をする妹を助けようと思って言ったのだが、すげなく断られてしまった。
実の兄妹だというのに、ここまで寒々しい冷えた関係になってしまい、志貴にとってはどうすればいいのか分からなかった。
学校では特に自分の家がお金持ちだという事は話してないので、友人に相談しようにも、まず前提を説明するのに苦労しなくてはならない。
しかし志貴としては、生まれつき病弱な妹の事は気掛かりだし、万が一何かあったらと思うとぞっとしない話だ。
「はぁ……でも、どうすればいいんだろう……」
──父には頼れない。言ったところで、結局放任されるのが関の山だろう。あの男は、そういう男なのだ。
──母には言えない。妹に味方するあの女に言ったところで、もっと関係が悪化するのは目に見えている。
そうして彼と妹の関係がギクシャクしたままに時は進み、その年の彼の誕生日から数日が経ったある日の事だった。
「なあ、良ければ一緒に遊ばないか?」
「良くないので結構です」
「なあ、良ければ一緒に遊ばないか?」
「ですから結構だと……」
「なあ、良ければ一緒に遊ばないか?」
「……しつこいですよ」
「なあ、良ければ一緒に遊ばないか?」
「…………分かりました」
「よーし、それじゃあ何をして遊ぼうか?」
「はぁ、承諾した途端にこれなんですから……。しょうがないですね、付き合ってあげます」
「テレビゲーム、スポーツ、アナログゲーム、昔の遊びなんかもあるぞ」
「い、いつの間にそんなに用意していたんですか……」
「いやー、我が妹と遊ぶ為と思って色々と用意したんだよ」
そう言って微笑む志貴の姿を見た妹は、「ふふ……」と小さく笑って口を開いた。
「私、テレビゲームなどには疎いので……オセロでもしましょうか」
「オセロだな。ならこっちにあるから付いてきてくれ」
「いえ、めんどくさいのでお兄様が持ってきてください。私はここで待ってますので」
「お、横暴だぁ……」
「あ、ついでに飲み物もお願いします」
「酷い⁉︎」
そうしてオセロ盤と、ジュースとコップの乗ったトレーを一緒に持ってくるという中々なミッションをクリアした志貴は、改めて妹と向き合う。
窓から差し込まれる陽光を受けて煌めく黒髪を相当に伸ばしており、床に座っている現状では、その床に髪が流れるほどだ。
「何をしているんですか? 早く準備をしてください」
「はいはい。かしこまりました、お嬢様」
怪訝そうな目つきで志貴を見つめる黒い双眸は、半眼になっており、(本人は認めたがらないだろうが)可愛らしさが滲んでいる。
「それじゃ、始めようか。……一応聞くけど、オセロのルールは知ってるよな?」
「バカにしないでください、それくらいは知っています。というか、それ以前にオセロを提案したには私ですよ? その私が知らないわけないじゃないですか」
「確かに言われてみれば、それもそうだな。あ、先攻どうぞ」
「それはどうも。では遠慮なく」
そうして妹が盤上にパチッという音と共に盤を少しだけ白に染めたのと同時に、彼等は歓談を交えながら、遊戯に時間を費やすのだった──。
「い、妹よ……もう少しくらい手加減してもいいと兄は思うぞ……」
「はぁ、お兄様が弱すぎるだけです。なんですか、全戦全敗って」
「う……いや、まさかここまで実力差があるとは思わなくて……。オセロ、将棋、囲碁、チェス、トランプ、ウノ、果ては五目並べとか挟み将棋ですら負けるとは、さすがに……」
力尽きたかのように床に寝転ぶその姿は、とても兄の威厳とかそういったものは感じられなかった。
──でも、妹はそれがどこか心地よかった。
「お兄様、そんなところに寝転がってはいけませんよ。行儀が悪いです」
「ああ、悪い。すぐちゃんと座るから……⁉︎」
一旦立ち上がろうとした志貴は、まず軽い浮遊感を覚えた。それが妹に頭を持たれたからだと気づいたその直後に、彼はさらなる驚きに見舞われる。
側頭部には人肌の柔らかい感触。上を見上げれば、頬を朱に染めた愛しの妹の顔がある。つまりこれが、噂に聞く──膝枕だ。
「な、なんですか……そんなに呆気に取られたような顔をしなくてもいいでしょう」
「い、いやいや、だってまさか、こんな、え、いや、だってまさか、こんな……」
「落ち着いてください。驚きがループしてます」
やれやれと肩をすくめる妹を見上げた志貴は、少しの間だけ口を閉ざし──そして、冷静さを取り戻すと、改めて言葉を発した。
「悪い、取り乱してしまって……。思えば、今日は情けない姿しか見せていないな。こんな不甲斐ない兄で、失望したか……?」
恐る恐るといった様子でそう聞いてくる彼の顔には、不安が滲み出ていた。
「お兄様って、本当にバカですよね」
「……はは。実際に言われると、結構キツイな……」
「そういうところがバカだって言っているんです。そもそも、貴方の妹は失望した相手に膝を貸すほどはしたない女でしたか?」
「………それって……」
「──私だって、楽しかったんですよ。こうしてお兄様と一緒に遊ぶ事ができて……久々に、笑った気がします」
「…………ぁ…………」
「ですから、その、なんと言いますか…………よ、よろしければ、これからも、たまにでいいですから、こうして遊んで頂けると……う、嬉しいです…………」
「──────────」
「あ、あの、何か言ってくれませんか……?」
「…………か…………」
「か?」
「──可愛いなあ、もう!」
そう言って、志貴はガバッと妹へと抱きついた。
「きゃっ! な、何をしているんですか⁉︎」
ギューッと力強く抱きしめてくる兄に、妹も言葉だけは嫌そうにしているが、声色は少し弾んでいるし、口角はヒクヒクと上がっている。しかし流石に恥ずかしいのか、髪の隙間からチラリと覗く耳までもが赤くなっている。……一応、本人は必死に隠そうとしているけど、全く隠せていない。
「あぅ…………」
抱きしめられるのに加えて頭を撫でられて、遂に顔から煙が出てきそうなほどに真っ赤になった、志貴の愛する妹は、恥ずかしさからか彼の胸板に顔を押し付けている。
──その行為が、果たして恥ずかしさからだけで行ったなのかは、本人のみが知るところではあるが。
「お、お兄様……私、そろそろ羞恥で死にそうです……」
ともあれ。プシュ~と顔から湯けむりを出し始めた妹を解放するために、志貴は彼女を離した。
「…………ぁ…………」
「え?」
「い、いえ、なんでもありません」
志貴が彼女から離れた瞬間、その小さな口からほんの微かにだが、惜しむような声が聞こえたような気もしたが、本人がなんでもないと言っているしそうなんだろう。と納得する事にした彼は、改めて妹と向き合う。
窓から差し込む夕日を受けて美しく煌めく黒髪も、見ているだけで吸い込まれそうになる黒き双眸も、淡い桜色が儚くすらあるプリッとした唇も、彼女の魅力のごく一部でしかない。
「お、お兄様……」
両手を背中に回しながら、モジモジとしながら妹は志貴に話しかけた。視線は泳いでいるし、顔は真っ赤になっており、普段からは考えられない様子だ。
彼女の呼び声に「どうした?」と彼が答えれば、彼女は暫く押し黙り──そして、数秒が経過すると、意を決したかのように小さく深呼吸をして、背中にあった両手を前に突き出した。
「こ、これ! 受け取ってくださいっ!」
激しく緊張しているのか、普段ならば出さないような大声でそう言った彼女の両手のひらには、小さな箱が乗せられていた。
「えっと、開けていいか?」
「……良いですけど、笑わないでくださいね」
妹の言葉に首肯で返した彼は、ゆっくりと純白の小箱を開ける。するとそこには、
「──これって、指輪か?」
彼の言う通り、箱の中には指輪が入っていた。
「はい、見ての通りです……。か、勘違いしないでくださいね、変な意味じゃなくて……その、先日の誕生日に私、ロクにプレゼントも渡してなかったから、それで……」
バツが悪そうに彼女は言うが、確かにそうだ。つい数日前の志貴の誕生日に於いても、終始仏頂面をしていた彼女はこれといったプレゼントを渡す事もなかったのだ。
「はは。そっか、ありがとう、凄く嬉しいよ。ただまあ、流石に学校に指輪は着けていけないし、チェーンを通してネックレスとして持っているようにするよ」
「そうですか……。いえ、それでも嬉しいです。こんな妹から受け取った物をそんな風に大事にしてくださって」
「そんな事言うなよ。俺は愛しの妹から受け取った物なら、なんだって嬉しいんだから」
「はあ……つまり、チョロいと」
「うん、まあ、その通りなんだけど、もうちょっとオブラートに包んでほしいな」
「善処しますね」
「それしないやつだ…………。というか、この指輪どうやって買ったんだ? 多分、今日用意したんだろ?」
閑話休題して話を変えた志貴は、チラリと自らの右手に握られた白銀の指輪を見やる。
「お兄様が席を外した隙間に、お母さんに頼んだです。お兄様には何度も席を外させて、受け取りなども滞りなく行えました」
「あーなるほど。道理で、後半になって妙にパシリをさせたのか」
「ええ。少々心苦しかったですけど、そこは心を鬼にしました」
「そっか……。しかし、本当に俺達って兄妹なんだな」
「? 何を言っているのですか? そんなの当たり前でしょう」
そう言いながら首を傾げる妹を見ながら、苦笑した志貴は立ち上がって彼女に言った。
「ちょっと待っててくれ。ある物を部屋から持ってくる」
「分かりました。ですが、なるべく早くしてくださいね。もしも遅くなったりしたら、怒っちゃいますからね」
多分、昨日までの妹に言われれば怖いんだろうけど、今の妹に言われても微笑ましいだけだな……。なんて事を考えながら、彼はその部屋を後にする。
そしてその部屋から少し歩いた先にある自分に部屋──そこに置いてある学習用の机の上から二番目の引き出しに入っているそれを取り出した彼は、駆け足気味に元いた部屋へと戻る。
彼が急ぎながらも音を立てずに扉を開けると、そこには涙目になった妹の姿があった。
「…………………………え?」
「あ、お兄様……これはその、違うんです。目にゴミが入っただけで……」
全く状況の分からない志貴だったが、それでも何らかの要因が彼女を悲しませたのは間違いない。そう考えた彼は、その手に持っていた物をそっと近くの机に置くと、妹の元へと近寄りギュッと彼女を抱きしめた。
「ふわぁ………不思議ですね。昨日まであんな態度とっていたのに、今ではお兄様と少し離れるだけで悲しくて、こうしてお兄様に抱きしめられると、安心するんですから」
それから数秒すると、彼女は「もう大丈夫です」とだけ言って彼から離れた。その彼女の鼓動が凄まじい速さで刻まれていたのは、彼女しか知らない。
「まあ、何はともあれ元気になってくれて良かったよ。それじゃ、本題に戻ってもいいか?」
目元を指で拭った彼女は、小さく首肯した。それを見た志貴は、近くの机に置いておいたそれを妹へと見せる。
「…………………………これって」
「今回のプレゼントのお返しって事で……どうだ?」
そう言った彼の手のひらの上には、純白の小箱が乗っていた。それを受け取った彼女がチラリと志貴を見やると、彼もそれに頷く。
「…………あ」
「な? 俺達って本当に兄妹なんだよな」
恐る恐る小箱を開けた妹は、小さく声にもならない声を上げた。何故ならば、そこには彼が握りしめる指輪と瓜二つの指輪が入っていたのだから。
「いつか、なんかの機会に渡せればなって昨日買ったんだけど……まさか同じのを買うとわな。まあ、その指輪を選んだのは母さんなんだろうけど……」
「それでも。指輪にしてほしいとお願いしたのは、他でもない私自身です。だからこれは、私達が兄妹という証なんです」
そう言って受け取った指輪を心底大事そうにギュッと握る彼女の表情は、安堵に染まっていた。
「お兄様、お願いがあるんです」
「ああ、何でも言っていいぞ」
「……この指輪を、私の指に嵌めてほしいです。他ならない、お兄様自身の手で」
「──分かった。ならちょっと貸してくれ」
そう言われて、躊躇いなく兄に指輪を渡した妹はそのまま真っ白な左手を差し出してきた。
シミどころか黒子一つ存在せず、彼女自身の病弱さと合わせて、まるで雪原のようなヒンヤリとした手にそっと自らの手を添えた彼は、そのまま指輪を持った手を近づけていく。
「──────────」
そして、自らの左手の薬指に嵌められた指輪を見た彼女は、絶句しながらも指輪から目を離す事はなかった。
「……お兄様、左手の薬指に嵌められる指輪の意味──ご存知ですか?」
「え、なんか意味あったのか? なんとなく、指輪のサイズで決めただけだったんだが……」
「はぁ……まあそんな事だろうとは思いましたけど」
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