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第二話 OLと先輩
後編
しおりを挟む「この馬鹿女!くそ忙しいのにどこ行ってやがった!てめえは一ヶ月無給で働く事になったからな!とっとと仕事しやがれ!!」
どこをどう歩いたのか見慣れた景色が見えて、重い足を引きずりながら会社に戻った。
戻った直後、パソコンマウスが飛んできた。
ゴッと鈍い音と共に、頭に痛みが走る。
だがそれを見ても周りはクスクス笑うだけだった。
「部長がお前をクビにしたらどうだと言ってたが、俺が庇ってやったおかげで居られるんだからな!俺に感謝してとっとと仕事しろ!」
「──はい、申し訳ありません」
私が素直に従った事に少し驚いた顔をした先輩だったが。
すぐに自分のデスクに戻って携帯をいじりはじめた。
私はまたも山積みになってる仕事を目の前に、そっと溜め息をつくのだった。
※ ※ ※
「ち、なかなかSRが出ねえでやんの」
俺はいつものように、仕事を浜野に押し付けて優雅に携帯ゲームをしていた。
馬鹿な浜野はこの仕事を辞めたくないとかで必死だし。
馬鹿な上司は俺がちょっと持ち上げれば簡単に信じるし。
なんか部長の娘がいい歳だから~とかで、今度紹介してもらう事になった。
ああ、俺の将来は安泰だなあ。
とにかく次の仕事も浜野にしっかりやらせないとな。
そして手柄は勿論俺のもの……。
そう思いニヤニヤしていたら、生理現象を感じて俺は立ち上がった。さすがにこれは浜野に押し付けられる事じゃねえからな。
俺が携帯いじってばかりだろうと、俺が浜野に仕事を押し付けていようと、誰も何も言わない。そりゃそうだ、あいつらも俺のお陰で甘い汁吸えるわけだしな。
俺がちょっと浜野の悪口を言いふらせば、連中は簡単に信じてくれる。
お灸をすえる為にやってるんだと仕事を押し付けてるのをさも当然のように言えば、それを真似する連中。
笑えるよなあ、馬鹿ばっかで。
特大級に馬鹿なのは、勿論浜野だけどな。
あいつは最初から気に食わなかったんだ。最初の仕事がうまくいったからと調子に乗って上司に気に入られやがって。
だから俺がその鼻をへし折ってやった。俺の方が先輩だしな、社会の大変さを教えてやってる俺って優しいぜ!
トイレを済ませて部署に戻ろうとして。
そこで部長と出くわした。
「おや、お疲れさん」
「部長こそお疲れ様です。出張からお戻りになってたんですね」
「ああ、話がトントンとうまく進んでね。予定より早く戻れたんだ」
「さすが部長!」
そうやっていつものようにヨイショの言葉を口にする。それだけで気分良さそうになるんだから、ちょろいよなあ。
「ああそうだ。私の娘との顔合わせなんだが……」
「あ、はい、私はいつでも……」
好青年を演じるのは大変だが、逆玉のためだ、我慢するさ。
俺はキリッと顔を真面目にして部長を見た。
のだが。
「あれ、部長、口から血が出てますよ」
「ん?何だって?」
タラリと部長の口から血が垂れる。
次いで、鼻から。
そして目から。
「な、何だ!?部長、どうしたんですか、大丈夫ですか!?」
気持ち悪くて後ずさりそうになるが、そこはグッとこらえてハンカチを差し出した。汚れるがこの際仕方あるまい。
だが部長は不思議そうに口や鼻を触って見るが、首を傾げるばかり。
「何を言ってるんだね、血なんてどこにも……」
「うわあああ!!!!」
部長の言葉を最後まで聞く前に、俺は耐え切れずに叫んでしまった。
なぜって、なぜって……!
部長の右目の眼球がボロリと落ちたから!
「おい、どうし……」
「ひいいい!近づくな、気持ち悪い!」
右目が落ちた後、左目が落ちて……何の線維か分からないような線でかろうじてつながったまま落ちない!
更に髪の毛がボロボロと抜け落ち、ついには皮膚がただれ落ちる!
さながらスプラッタ映画に出てくるようなゾンビの様相で、部長は同じく皮膚がただれた手で俺の肩を掴んで来た。
「ぎいやあああ!触るな、馬鹿野郎!」
その鼻をつく異臭に耐え切れず、俺はバッとその手を振りほどいた。
「無礼な!キミは一体何を……!」
その時だった。
騒ぎを聞きつけてあちこちから扉が開き……
「うわあああああああああああ!?」
出てきたのは、やはりゾンビだった!
皆が皆、皮膚がただれ眼球の無い者もそこかしこに。
むき出しの歯がカタカタと音を鳴らして、骨となった手が俺に伸びる。
「やめ!やめろ!近づくなああ!!」
「先輩!?」
その時だった。
背後から俺を呼ぶのは──よく知ってる声。浜野の声だった。
「浜野!?」
振り返れば、そこには同じく真っ青な顔をした浜野。ちゃんと人間の姿をした浜野がそこに立って居たのだ。
「浜野!これは一体──」
「分かりません!とにかく早くこちらへ!」
そう言って浜野が走り出す。
俺は伸びるゾンビの手を払いながら、もつれそうになる足をどうにか動かして走って付いて行った。
どこをどう走ったのか分からない。
だがあちこちからどんどんゾンビは増えていき。
追いつめられるように、俺たちは上へと向かった。
「はあ、はあ、はあ……!も、もう駄目だ、これ以上は!」
「先輩、こちらへ!」
もう足が動かない。息ももたない。
そんな状態になった時、浜野が俺の手を引いて扉の向こうへと押しやった。
バタン!
背後で扉が閉まり、ようやく静寂が訪れた。
突風を感じて、そこが屋上で有る事にようやく気付いた。
「はあ、はあ、はあ……な、何なんだよ一体!」
「大丈夫ですか、先輩」
「大丈夫なわけあるか!なんなんだよあれは!!」
俺とは違って妙に冷静なのが気に障る。
俺はグイと浜野の胸元を引っ掴んで叫んだ。
「分かりません」
「ざけんな」
八つ当たり気味にその体を床に投げる。浜野は簡単に屋上の地面に転がった。
「どうにかしろ、俺を助けろ!」
「でも先輩」
「でもも糞もあるか!俺はお前の先輩だぞ、偉いんだぞ!俺を助けるのがお前の仕事だろうが!」
いつも通りに俺の踏み台になれ!
そう叫んだ瞬間だった。
とてつもない風が屋上に吹き、俺は思わず目を閉じる。
そして目を開けた次の瞬間──
「ひい!?」
足がすくんだ。
すくみながら、咄嗟にそばのフェンスにしがみつく。
「な、なんで……」
なんでこんな事になってる!?
さっきまで俺は確かに屋上のフェンスの内側に居たってのに!
なのにどうして今、目を開けた瞬間、フェンスの外に立ってるんだ!?
遥か遠い眼下に、どうして地面が見えるんだ!?
豆粒のような人や車が見える!
「ひ、ひいいいい!」
わけが分からないまま、俺は戻る為に目を動かした。だが、このフェンスはよじ登らないと向こうへは行けそうになかった。
風が吹くだけで飛ばされそうになりながら。
ゴクリと俺は喉を鳴らして、努めて下を見ないようにしてフェンスにかけた手に、力を込めた。
「先輩……」
「うお!驚かすな馬鹿野郎!」
不意に、浜野の声がしてビクリと体が震えた。
見ればフェンスを挟んだ目と鼻の先で、浜野が居たのだ。俯いていて、その表情は見えない。
「何してるんだ、俺を助けろ!どこか上りやすそうなところは……」
「先輩はどうして私を虐めるんですか?」
「──は?」
こんな時に何を言ってやがるんだ!俺は頭に血が上りそうになるのを必死で押さえながら、フェンスにしがみついた。
「どうもこうもあるか!あれは全部お前の為なんだよ!」
「ほとんど徹夜で会社に残って仕事する事がですか?私の仕事を全て自分がやった事にすることがですか?不倫だとかなんだとか私の悪口を言いふらすのがですか?」
「──い、今はそんなことどうでもいいだろうが!」
俺は今死にそうになってるんだ!
早くどうにかしろよ!
もはや俺は半泣き状態だ。
足場は狭く、少しでも滑ったら一巻の終わりだ。
フェンスを上ろうにも、その網目は細かすぎて上手く足を引っかける事が出来ない。
「網を切る道具でもなんでも用意して、とにかく通れるように……」
「先輩のせいで、私は苦しんでるんです」
いい加減、鬱陶しくなってきた。
俺の状況が分かってるのか、この馬鹿は!?
俺は死にそうになってるんだ!お前のことなんぞ知ったことか!
「うるせえ!お前のことなんぞどうでもいいんだよ!俺が死んだら社会の損失になるんだ!お前が死ねよクソ女!」
怒りが頂点に達して、俺がそう叫んだ瞬間。
「ぜんばい、ひどい……」
「ひい!?」
浜野が顔を上げたその瞬間!
目があるはずのそこは、暗闇のようにポッカリと穴を空け。
ただれた皮膚にはウジが湧いており。
ボロボロの歯が見え隠れする口からは、血なのか何なのか分からない黒い液体が垂れて──
化物になった浜野が俺を見据えていた。
「ひいいいい!?」
「ぜんばい、じんで……」
先輩、死んで。
その言葉と同時に。
ドンとフェンスの向こうから受ける衝撃。
その瞬間。
俺は足を踏み外し、宙へと舞っていた。
舞って、落ちる。
物凄い勢いで俺は落ちていき。
闇に呑まれた──
※ ※ ※
「ねえ聞いた、●▼さんのこと」
「ああ、なんか発狂して屋上から飛び降りたんだって?」
「そうそう。死んだあと、色々やらかしてたことが発覚したみたいなのよ」
「あ~経理の誤魔化しとか?」
「そう!かなり会社のお金使い込んでたらしいよ!しかも全然仕事してなくって後輩にやらせてたとか」
「私もその話聞いた!全部自分の手柄にしてたとかなんとか……」
「同じ部署の他の人たちもかなり叩かれたみたいよ。みんなしてその後輩にパワハラしてたとかで……」
「う~わ~最悪だね!」
ガヤガヤと賑やかな社食で。
私はちゃんともらえた昼休憩を味わっていた。
部署の人は皆、移動か退職となった。
新しく入って来た人たちはとても優しくて、仕事もちゃんとしてくれる人ばかりだった。
私の仕事も認められ、上司からはこちらが恐縮するくらいに謝罪された。
部長に至っては、私を直属の部下にしたいとまで言われたのだが。
今の仕事が好きだから、それは丁重にお断りした。
先輩が発狂して全てが良い方向へと動いた。
先輩が何に怯えて屋上に向かい飛び降りたのか、私には分からない。だがとても心がスッキリしている事から、何となく予想がついた。
私はポーチからとある物を出した。
「なあに、それ?」
仲良くなった同僚が、興味深げに私の手元を覗き込んで来た。
私はそれにニッコリと微笑んで。
「お守りだよ」
そう言って。
私は空よりも青いハンカチを、ギュッと握りしめた。
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