35 / 64
第六話 少女と狼犬
5、
しおりを挟むああ遅くなってしまった。今日の父は夕方の商談があるだけで、それまでは家に居たから。
ずっと色々命じられ怒鳴られ殴られていたから遅くなってしまった。
私はようやく一人の時間を手にして、早足で裏山を進むのだった。
「竜人お待たせ!」
そうしてようやく狼犬の居る場所へ着くと、そこには既に先客が──。
「あ、正人」
正人が竜人にご飯を上げて居たようだ。今日はご飯に鰹節、魚となかなかの豪華さのようだ。
「今日は豪華なのね!」
「はい、残り物が多かったようでたくさん貰えました」
正人は真面目で仕事がよく出来るので、皆の受けがいい。だからか、犬に餌をあげたいと正直に言えば、普通に残飯を貰えるのだという。──むしろ、私のご飯より豪華かもね。そう思って苦笑してしまう。
「お嬢様?」
どうかしましたか?
そう問われて慌てて首を振った。
正人は私が虐げられてる事は当然知っている。だが私の食事に関わる事は無いので、食事内容まで知らないだろう。正直、恥ずかしいので知られたくない。
不思議そうにしながらも、それ以上追及される事がなくホッとする。
「ああそうだ」
何かを思い出したように正人が言った。どうかしたのだろうか?そう思って見ているとスッと何かが差し出された。
「え?」
「お嬢様に贈り物です」
その言葉にトクンと胸が鳴った。
元からそんなのは滅多に貰った事が無かったが、母が亡くなってからは貰うどころか奪われる事しか無かった私にとって、それは青天の霹靂だった。
「わ、私に!?」
「はい」
驚いて声が大きくなってしまった私に、正人はニコリと微笑んだ。
そっとその手に乗せられた物を見る。
それは髪飾り、だった。
綺麗な桃色の花が添えられた、とても可愛らしい……
「可愛い……」
「気に入っていただけて何よりです」
「嬉しいわ……とても嬉しいわ、ありがとう正人!……でも本当にいいの?」
見た感じ、けして安い物だとは思えなかった。まだ使用人見習いの正人が、そんなにお給金を貰ってるとは思えない。
だからそれを素直に受け取るのはためらわれた。
「貰ってください。お嬢様に似合うと思って買ったのですから。お嬢様が貰って下さらないなら捨てるしか……」
「そんな!捨てるなんて……貰うわ!絶対貰う!」
捨てるなんてとんでもない!慌てて貰う事を伝えれば、正人はとても優しい笑みを浮かべて……嬉しそうに「良かった」と言うのだった。
その笑顔に、また私の胸がトクンと鳴る。
醜い私にこんな花飾りが似合うわけはない。分かってはいても、つい顔がほころぶのを止める事は出来なかった。
「わふ!」
二人して微笑み合っていたら、「僕のこと忘れてない?」と言うようにすり寄ってくる竜人が可愛くて、私は思い切りその頭を撫でてやるのだった。
幸せな
幸せすぎる時間
もう二度とそんな日は来ないと思っていたのに。
きっとこれからも辛く苦しい日が続くだろうと理解しているのに。
だけどそれでも。
今だけは、心の底から笑顔で居たいと思った──
「里亜奈、ちょっと里亜奈!?どこに居るの!?」
けれど幸せな時間は一瞬。私のそれは本当に一瞬で崩れ去るのだ。
もう夕方だというのに、まだ何かあるのだろうか……。
私は姉の呼ぶ声を遠くに聞いて、溜め息をついて重い腰を上げるのだった。
「行かなくちゃ……」
「お嬢様……」
心配そうな顔の正人。だけど使用人……どころか見習いの彼に出来る事は何も無い。分かってるから、私は努めて明るい笑顔で「大丈夫だよ」と言って去るのだった。
ずっとこちらを見ている正人と竜人に手を振って。
大急ぎで屋敷へと戻った。
慌てて屋敷に戻った私を待っていたのは、怒りの形相の姉だった。
「里亜奈!?」
「はい、お姉様!遅くなり申し訳ありません!」
はあはあと息を切らす私に歩み寄った姉は。
パンッと大きな音を立てて私の頬をぶつ。
「どこに行ってたのよこの馬鹿女!さぼる事しか考えられないのね!お前は本当に使えない屑よ!」
「申し訳ありません……」
今日はもう何も無いと思っていたせいもあるのだが、やはり正人と竜人と共に過ごす時間は気が緩んでしまうのだ。いつもいつも気を張って、父や姉の顔色を窺っていた頃は、呼ばれればすぐに行ける場所にひっそりと待機してたものだが。
ひたすら頭を下げて謝るしかない私。だが姉も何か用があるのか、それ以上ぶたれる事は無かった。
「もういいわ!私はこれからお父様とお食事に行ってくるから!あなた私が留守の間に部屋の掃除をしておきなさい!」
「え、お姉様のお部屋ですか?」
「そうよ!いつもの子が急病で休んでるから、本当は嫌なんだけど!あんたしか手があいてないんだから仕方なくよ!いいこと?飾ってある私の物に手を触れるんじゃないわよ!触ったり壊したりしようものなら……分かってるでしょうね!?」
「は、はい、お姉様」
物を触らないでどうやって掃除をしろというのか。
無茶を言われても反論はしてはいけない。また暴力が振って来るだけだから。
ひたすら頭を下げて分かりましたと繰り返す私を背に、フンッと鼻息荒く姉は出て行くのだった。恐らくは仕事先から直接向かう父と合流すべく。
バタンと扉の閉まる音がするまで、私はずっと頭を下げ続けた。
1
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
公爵令嬢アナスタシアの華麗なる鉄槌
招杜羅147
ファンタジー
「婚約は破棄だ!」
毒殺容疑の冤罪で、婚約者の手によって投獄された公爵令嬢・アナスタシア。
彼女は獄中死し、それによって3年前に巻き戻る。
そして…。
処刑された勇者は二度目の人生で復讐を選ぶ
シロタカズキ
ファンタジー
──勇者は、すべてを裏切られ、処刑された。
だが、彼の魂は復讐の炎と共に蘇る──。
かつて魔王を討ち、人類を救った勇者 レオン・アルヴァレス。
だが、彼を待っていたのは称賛ではなく、 王族・貴族・元仲間たちによる裏切りと処刑だった。
「力が強すぎる」という理由で異端者として断罪され、広場で公開処刑されるレオン。
国民は歓喜し、王は満足げに笑い、かつての仲間たちは目を背ける。
そして、勇者は 死んだ。
──はずだった。
十年後。
王国は繁栄の影で腐敗し、裏切り者たちは安穏とした日々を送っていた。
しかし、そんな彼らの前に死んだはずの勇者が現れる。
「よくもまあ、のうのうと生きていられたものだな」
これは、英雄ではなくなった男の復讐譚。
彼を裏切った王族、貴族、そしてかつての仲間たちを絶望の淵に叩き落とすための第二の人生が、いま始まる──。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる