探偵の作法

水戸村肇

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三ツ葉第一銀行現金強奪事件

院生の日常

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 久能の向かいの部屋に住む真上まがみていは、今日も大学の研究室で実験にいそしんでいた。
 外はうだるような真夏日だが、実験棟の近くにあるグラウンドからは明るい声が聞こえてくる。
「真上さん、コーヒー飲みますか?」
 真上の後輩で三年生の梁田はしだ累子るいこが、ケトルを手にそう尋ねた。
「うん、貰おうかな」
 少し休憩と、真上は肩を揉みながら椅子に腰かけた。
「かしこまりです。ちょっと待っててくださいね」
 梁田はビシリと敬礼をきめ、流しでケトルに水を入れる。
 その背中で揺れる梁田のポニーテールを眺めながら、今日も元気だな、と真上は心のなかで微笑んだ。
「真上さん、夏の旅行ですけど」
「ああ、もうそんな時期か。一年なんてあっという間だな」
「年を取ると時の流れを早く感じるなんていいますけど、ほんとにそうだったんですね。はい、どうぞ」
 梁田は手にしたカップを真上の前に置く。真上は「ありがとう」とそれを手に取る。
「最期の最期には、自分の人生はほとんど虚構で、今この瞬間のほんの数秒だけが現実だった、そんな風に笑うのかもね」
 真上はコーヒーを啜り、ふふんと笑う。
 いつもと同じ、穏やかな時間。私はこの研究室が大好きだ。梁田は思う。
「それで、旅行はどこにいく予定なんだい?」
霧灯むとうくんの話じゃ、三重の方なんていいんじゃないかって」
「三重か。いったことがないな」
「私もです。松坂牛でしたっけ、一度でいいから食べてみたいです」
 梁田は真上の向かいに腰を下ろし、皿に盛りつけた手製のクッキーに手を伸ばす。
 それを見て、真上も手を伸ばす。お菓子作り、梁田くんらしい趣味だよな、と一口かじる。
 サクサクといい音がする。ほんのりと砂糖の甘味が口に広がり、それがコーヒーによくあった。
「真上さんは、参加しますか?」
「うーん。浅倉あさくらさんとかは参加するって?」
 真上は、自身と同じ立場である他の院生の名前を上げた。
「浅倉さんは、バイトがあるから無理といってました」
「さすが、バイトの女王」
久々利くくりさんも、海外にいくとかいって無理そうだって」
筒井つつい先生は?」
「くるっていってましたよ。もう三重県の観光雑誌を買ったみたいです」
 先生らしいや。はしゃぐ指導教員の姿を想像し、尊敬と羨望、そして嫉妬に真上の胸はざわついた。
「なら、僕も遠慮しようかな」
「なにか予定でもあるんですか?」
「うーん、色々とやりたいこともあるし、学部生だけで楽しんだ方がいいんじゃない」
「いえ、真上さんがきたら、きっと皆も喜びますよ」
 そんなこといわないで、一緒にいきましょうよ。梁田の顔にはそう書かれていた。
 それから逃げるように真上は視線をちょっと逸らし、君は喜んでくれるのかな、と心のなかで問いかけた。
「あ」
 突然、梁田が短い声を上げた。
 その声に、真上は梁田の方を見る。微かにだが、くぐもった振動音が聞こえてくる。
「すいません、電話です」
 梁田はポケットからスマートフォンを取り出すと画面を一瞥し、そそくさと研究室から出ていった。
 その背中を、「おう」と真上は見送った。梁田にあんな顔をさせるのは、きっとあの人なのだろう。
 梁田のスマートフォンの画面に表示された電話の相手、『小鳥遊たかなし翡翠ひすい』の姿が、真上の脳内に浮かび上がった。
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