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櫻花荘に吹く風~103号室の恋~ (13)
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「春ちゃんはどう思う?」
「え? あの……その――」
意地悪く問い掛けに問い掛けで返した由野に、腕を掴まれたままの春海が上目遣いに困った視線を投げて寄越した。
(くっそ、可愛いな……)
眼鏡のエッジを持ち上げて涙を拭いつつ、由野は文机の上に伏せてあった紙の束へと手を伸ばした。
「……俺はね、今まで同性に対して恋愛感情を抱いた事は一度も無かったよ。このジャンルで書いてるとそういう誤解を受けそうだからさ、今まで誰にも言えなかったんだよね」
「あっ……そ、っか、違うのか……」
「? 春ちゃん?」
「ごめんなさい、ボク、何か、変なこと言っちゃって……」
由野の答えを聞いた春海が浮かべた曖昧な表情を気にしながらも、由野は手に取った紙の束を春海の前へと差し出した。
「これ、何ですか?」
「僕が書いた、一番新しい話。本当はまだ、誰にも見せちゃいけないんだけど……」
「え? そ、そんなのボクなんかに見せて良いんですか?」
突然突き付けられた生原稿を前に狼狽する春海に向かって、由野は小さく頷いた。
「春ちゃんには、読む権利があるから――」
「権利……?」
言葉の意味が汲み取れずに躊躇う春海へと向き直った由野は、姿勢を正して座り直すと、布団に頭が付くほど勢い良く土下座をした。
「よ、由野さんっ?」
「ごめん春ちゃん! その主人公のモデル、春ちゃんなんだ!」
「……ええっ? な、ぼ、ボク?」
突然の告白に、慌てたのは春海だった。手渡された紙の束を、春海が確認するように捲り出す。
「さっきも言ったけど、僕はこれまで生きてきて、男相手に恋愛をしたことは無かった。こういう話を書いておきながら言う事じゃないと思うけど、同性を相手に可愛いだとか、好きだとかいう人の気持が分からなかった」
紙が捲られる音が響く部屋の中、由野は姿勢を戻す事も無いまま言葉を続けた。
「だけど、その話を書いているうちに、どんどん主人公が春ちゃんにダブって見えてきて……春ちゃんの事が気になって仕方なくなって。最初は話の中に意識が向いてるせいだと思ってた。だけど、本当はそうじゃなくて…逆だったんだって、気付いて――」
「逆、って?」
「多分僕は、出会ったあの日……君が階段から落ち掛けたのを受け止めた時から、春ちゃんの事が気になっていたんだと思う。そんな気持ちを表に出すわけにはいかないって、だからこうして、せめて話の中だけででも、春ちゃんと触れ合いたいと思ったんじゃないかって」
「由野さん……」
「ごめん、気持ち悪いよね。僕もずっと、この気持ちは何かの間違いだって思い込もうとしたんだけど……春ちゃんから離れてみても、想いが消える事はなくて――ゲイじゃないはずだったのに、春ちゃんに惹かれている自分の気持ちを、止める事が出来ないんだ」
僅かに掠れた由野の声、原稿を捲る紙の音。
BGMも何も無い部屋の中で、由野は自分の張り裂けそうな鼓動の音が、春海へと聞こえてしまっているような気がしていた。
静まった部屋の静寂へとひびを走らせるように、ボウルに敷き詰められていた氷がカランと澄んだ音を響かせる。その音に後押しされて、由野はゆっくりと頭を起した。
「僕は、春ちゃんが好きなんだ――本当はもっと時間を掛けて、君に伝えるべきなんだろうけれど……ごめんね、言わずにいられなかった。君に対して邪まな感情も持ってる」
勿論無理矢理どうこうしようというつもりは無いよ、そう言って苦い笑みを口元に乗せた由野が、小さく息を吸い込む。
「ゲイじゃないつもりだったけれど、僕は春ちゃん限定で、ゲイになってしまったらしいんだ。君がもし、こんな男とひとつ屋根の下で暮らすのは気持ち悪いと思うなら、僕は櫻花荘を出て行くから……そうじゃなければ、僕と、恋愛をする事、本気で考えてみてもらえたら嬉しい」
文字書きを生業としていながら、上手く言葉をまとめる事が出来ない自分に自嘲しつつ、それでも何とか想いの全てを吐き出せた事に、由野はようやく纏っていた緊張を解いた。
嫌悪の色が浮かんでいることを覚悟しつつ、逸らしていた視線を春海の顔へと向けた由野は、真っ赤に染まった春海の顔に、逆の意味で驚いた。
「は…春、ちゃん?」
「あの……由野さんは、こういう事、ボクとしたいんですか?」
紙の束を捲る指先が微かに震えている。
初めて目にしたであろう男性同士の性描写は、春海には若干刺激が強かった。まして主人公のモデルが自分だと告げられたことで、作中の彼がまるで自分のように感じられて居た堪れない気持ちになる。
「やっぱり、気持ち悪いよね……ごめん」
「違っ」
由野の声音に自嘲の響きが含まれているのを感じ取った春海は、慌てて頭を振った。紙の束を元の状態に閉じた春海が、大切なものを抱くように、両手でそれを胸元へと抱え込む。
「気持ち悪くなんて、無いです……その、由野さんが、したいなら、あの……」
「……え? 春ちゃん?」
「ボク、最近由野さんに避けられてるのが、凄く寂しくて……嫌われたんじゃないかって、目茶苦茶落ち込んでて……だから、ええと、そうじゃないって分かって嬉しい、です」
紙の束を抱き締める手に、ギュッと力が篭もる。真っ赤になった顔を自覚しながらも、春海は由野の瞳へと視線を合わせた。
「ボクも、由野さんの事が、好き…みたいです」
「春ちゃん……」
赤く染まる春海の顔を見ていた由野の顔にも、同じように赤みが浮かぶ。
「あの、でもっ、でもボク、こういう経験したこと無いから……上手く出来ないと、思うけど――頑張ります」
頑張る、と真剣な表情で告げる春海に、可笑しさと愛しさが込み上げて来て。由野は引き締めようと努力しながらも、崩れる口元を隠す事が出来なかった。
「頑張ってするような事じゃないよ……ゆっくりでいいんだ、春ちゃんが僕の気持ちを受け入れてくれた、それだけで、僕は凄く嬉しい」
だけど、と由野は溢れ出す想いのまま、目の前の春海へと腕を伸ばした。
「嫌だったら、言ってね……」
「由野さ――っ」
「どうかな? 嫌じゃ、ない?」
大きく瞳を見開いた春海の顔が、すぐ目の前にあった。艶やかな唇は、由野が想像していたよりもずっと柔らかく、瑞々しい。
一度軽く重ね合わせた唇を外した由野が、レンズ越しに春海の眼の奥を覗き込んで囁く。薄紙一枚ほどの距離で触れる吐息に頷きを返した春海は、そっと瞼を閉じた。
「春ちゃん……」
先程よりも長めに触れ合わせた唇から、互いの体温が交差していく。擽るように春海の唇を辿った由野の舌先が、薄く開いた隙間から忍び込むように、春海の内へと挿し入れられた。
由野の腕に包み込まれた春海の身体が、反射的にピクリと逃げを打つのを、後頭部を支えながら引寄せる。
緊張しているのだろう微かに震える華奢な背を、由野は熱を持った手の平で優しく撫でて宥める。自分も然程経験が多いわけではないけれど、自分以上に色事に慣れていないらしい春海を怖がらせたく無いと思う一方で、甘露のような春海とのくちづけに由野は酔い痴れた。
(想像していたよりも、ずっと……甘い――)
話の中ではそんな表現をしたこともあった。でもそれが本当だなんて、初めて知った。
物理的なものではなく、感覚としてそう感じるだけだと分かっていながらも、由野はくちづけを解く事が出来なかった。
「え? あの……その――」
意地悪く問い掛けに問い掛けで返した由野に、腕を掴まれたままの春海が上目遣いに困った視線を投げて寄越した。
(くっそ、可愛いな……)
眼鏡のエッジを持ち上げて涙を拭いつつ、由野は文机の上に伏せてあった紙の束へと手を伸ばした。
「……俺はね、今まで同性に対して恋愛感情を抱いた事は一度も無かったよ。このジャンルで書いてるとそういう誤解を受けそうだからさ、今まで誰にも言えなかったんだよね」
「あっ……そ、っか、違うのか……」
「? 春ちゃん?」
「ごめんなさい、ボク、何か、変なこと言っちゃって……」
由野の答えを聞いた春海が浮かべた曖昧な表情を気にしながらも、由野は手に取った紙の束を春海の前へと差し出した。
「これ、何ですか?」
「僕が書いた、一番新しい話。本当はまだ、誰にも見せちゃいけないんだけど……」
「え? そ、そんなのボクなんかに見せて良いんですか?」
突然突き付けられた生原稿を前に狼狽する春海に向かって、由野は小さく頷いた。
「春ちゃんには、読む権利があるから――」
「権利……?」
言葉の意味が汲み取れずに躊躇う春海へと向き直った由野は、姿勢を正して座り直すと、布団に頭が付くほど勢い良く土下座をした。
「よ、由野さんっ?」
「ごめん春ちゃん! その主人公のモデル、春ちゃんなんだ!」
「……ええっ? な、ぼ、ボク?」
突然の告白に、慌てたのは春海だった。手渡された紙の束を、春海が確認するように捲り出す。
「さっきも言ったけど、僕はこれまで生きてきて、男相手に恋愛をしたことは無かった。こういう話を書いておきながら言う事じゃないと思うけど、同性を相手に可愛いだとか、好きだとかいう人の気持が分からなかった」
紙が捲られる音が響く部屋の中、由野は姿勢を戻す事も無いまま言葉を続けた。
「だけど、その話を書いているうちに、どんどん主人公が春ちゃんにダブって見えてきて……春ちゃんの事が気になって仕方なくなって。最初は話の中に意識が向いてるせいだと思ってた。だけど、本当はそうじゃなくて…逆だったんだって、気付いて――」
「逆、って?」
「多分僕は、出会ったあの日……君が階段から落ち掛けたのを受け止めた時から、春ちゃんの事が気になっていたんだと思う。そんな気持ちを表に出すわけにはいかないって、だからこうして、せめて話の中だけででも、春ちゃんと触れ合いたいと思ったんじゃないかって」
「由野さん……」
「ごめん、気持ち悪いよね。僕もずっと、この気持ちは何かの間違いだって思い込もうとしたんだけど……春ちゃんから離れてみても、想いが消える事はなくて――ゲイじゃないはずだったのに、春ちゃんに惹かれている自分の気持ちを、止める事が出来ないんだ」
僅かに掠れた由野の声、原稿を捲る紙の音。
BGMも何も無い部屋の中で、由野は自分の張り裂けそうな鼓動の音が、春海へと聞こえてしまっているような気がしていた。
静まった部屋の静寂へとひびを走らせるように、ボウルに敷き詰められていた氷がカランと澄んだ音を響かせる。その音に後押しされて、由野はゆっくりと頭を起した。
「僕は、春ちゃんが好きなんだ――本当はもっと時間を掛けて、君に伝えるべきなんだろうけれど……ごめんね、言わずにいられなかった。君に対して邪まな感情も持ってる」
勿論無理矢理どうこうしようというつもりは無いよ、そう言って苦い笑みを口元に乗せた由野が、小さく息を吸い込む。
「ゲイじゃないつもりだったけれど、僕は春ちゃん限定で、ゲイになってしまったらしいんだ。君がもし、こんな男とひとつ屋根の下で暮らすのは気持ち悪いと思うなら、僕は櫻花荘を出て行くから……そうじゃなければ、僕と、恋愛をする事、本気で考えてみてもらえたら嬉しい」
文字書きを生業としていながら、上手く言葉をまとめる事が出来ない自分に自嘲しつつ、それでも何とか想いの全てを吐き出せた事に、由野はようやく纏っていた緊張を解いた。
嫌悪の色が浮かんでいることを覚悟しつつ、逸らしていた視線を春海の顔へと向けた由野は、真っ赤に染まった春海の顔に、逆の意味で驚いた。
「は…春、ちゃん?」
「あの……由野さんは、こういう事、ボクとしたいんですか?」
紙の束を捲る指先が微かに震えている。
初めて目にしたであろう男性同士の性描写は、春海には若干刺激が強かった。まして主人公のモデルが自分だと告げられたことで、作中の彼がまるで自分のように感じられて居た堪れない気持ちになる。
「やっぱり、気持ち悪いよね……ごめん」
「違っ」
由野の声音に自嘲の響きが含まれているのを感じ取った春海は、慌てて頭を振った。紙の束を元の状態に閉じた春海が、大切なものを抱くように、両手でそれを胸元へと抱え込む。
「気持ち悪くなんて、無いです……その、由野さんが、したいなら、あの……」
「……え? 春ちゃん?」
「ボク、最近由野さんに避けられてるのが、凄く寂しくて……嫌われたんじゃないかって、目茶苦茶落ち込んでて……だから、ええと、そうじゃないって分かって嬉しい、です」
紙の束を抱き締める手に、ギュッと力が篭もる。真っ赤になった顔を自覚しながらも、春海は由野の瞳へと視線を合わせた。
「ボクも、由野さんの事が、好き…みたいです」
「春ちゃん……」
赤く染まる春海の顔を見ていた由野の顔にも、同じように赤みが浮かぶ。
「あの、でもっ、でもボク、こういう経験したこと無いから……上手く出来ないと、思うけど――頑張ります」
頑張る、と真剣な表情で告げる春海に、可笑しさと愛しさが込み上げて来て。由野は引き締めようと努力しながらも、崩れる口元を隠す事が出来なかった。
「頑張ってするような事じゃないよ……ゆっくりでいいんだ、春ちゃんが僕の気持ちを受け入れてくれた、それだけで、僕は凄く嬉しい」
だけど、と由野は溢れ出す想いのまま、目の前の春海へと腕を伸ばした。
「嫌だったら、言ってね……」
「由野さ――っ」
「どうかな? 嫌じゃ、ない?」
大きく瞳を見開いた春海の顔が、すぐ目の前にあった。艶やかな唇は、由野が想像していたよりもずっと柔らかく、瑞々しい。
一度軽く重ね合わせた唇を外した由野が、レンズ越しに春海の眼の奥を覗き込んで囁く。薄紙一枚ほどの距離で触れる吐息に頷きを返した春海は、そっと瞼を閉じた。
「春ちゃん……」
先程よりも長めに触れ合わせた唇から、互いの体温が交差していく。擽るように春海の唇を辿った由野の舌先が、薄く開いた隙間から忍び込むように、春海の内へと挿し入れられた。
由野の腕に包み込まれた春海の身体が、反射的にピクリと逃げを打つのを、後頭部を支えながら引寄せる。
緊張しているのだろう微かに震える華奢な背を、由野は熱を持った手の平で優しく撫でて宥める。自分も然程経験が多いわけではないけれど、自分以上に色事に慣れていないらしい春海を怖がらせたく無いと思う一方で、甘露のような春海とのくちづけに由野は酔い痴れた。
(想像していたよりも、ずっと……甘い――)
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